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1つの都市に住んでいたら絶対に分からないことがあるので、旅に出るのは非常に大事なことだと思います。

| マイク・スペンサー | クマ原田 | CITY INFO | ON AIR LIST |
PROFILE
 
 
  マイク・スペンサー- 音楽家 -
ロンドン交響楽団で14年に渡りヴァイオリニストを務め、パフォーマーとして活躍しつつ、エデュケーション・プログラム“ディスカバリー”で中心的な役割を果たす。その後、英国ロイヤル・オペラのエデュケーション・マネジャーとして活躍。現在はクリエイティブ・アーツネット代表として、イギリス国内のみならず、日本をはじめとした海外でも活動し、新たなエデュケーション・プログラムを考案し続けている。
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ロンドンは本当の意味でコスモポリタンな街ですね。(マイク)

かなり日本がお好きなんですか?

日本は第2の故郷という感じです。22〜3年くらい前に初めて日本に行ってから、毎年日本に行っていて、時には1年に5回くらい行くこともあります。日本にはたくさんの友達がいますし、そこに居て不自然のない場所ですね。

ほう。ロンドンはここ10年で随分と様変わりをしたと思うんですが、どうですか?

ロンドンはいつでも活気溢れる街という存在で、特にロンドンの良い所は、いろいろな異文化がたくさん入ってきていて、本当の意味でコスモポリタンな街だということですね。今、教えているクラスは30人の生徒がいるんですが、その中で19の言語が話されているんです。いろんな文化・人種が入ってくることによって、たくさんのコンサートやアート・ギャラリーなども増えてきて、やはりアートにとってはすごく良い街だと思います。

東京はどんな街と感じてますか?

東京はロンドンとは違う活気が溢れている街で、だから私は東京が大好きなんです。独自の、ある意味不思議な面白いものがたくさんあって興味を惹かれます。今、日本とやっているプロジェクトはもう12年目を迎えます。日本以外の国に行った時に問題なのは、私が日本に行き過ぎているということです(笑)。他の文化を見る時に日本を尺度にしているところがあって、私にとってはそういう見方が一番やりやすいんです。

日本の一番面白い所ってなんですか?

日本にいると、手に入らないものを追いかけていて、そこには大きなストーリーはあって、それは掴めないんですけど、掴もうと追いかけている旅をしているような感じがするんです。私にとってそれは挑戦であって、そして追いかける過程でいろんな人に助けられてもらって、そこが素晴らしい所だと思います。私にとって、日本との関係で一番大事なのは、「人」ですね。もちろん、長い歴史があって素晴らしい物がたくさんありますけど、人との触れ合いというのが一番大切です。

うん。日本の若者は夢を見つけられない時代に突入しているのですが、そういう感じは?

日本以外のいろんな国ともプロジェクトをやっているんですが、それはどの国の若者にも起こっていることなんです。日本の一番の問題は、日本にはかなり確立された文化というものがあるけれど、それを若い世代が失いつつあるということですね。彼らがどこへ向かうかは、興味深く見守っています。


日本の子供たちは特にすごくシャイなんですけど、ものすごく表現力が豊かでいつもインスピレーションを受けています。(マイク)

日本で、音楽を通して教育されるようななったきっかけは何ですか?

そもそもは仲の良い友人のクマ原田さんが札幌で企画したコンサートをお手伝いしたのが最初で、それがものすごく刺激的な経験だったので、そこからの繋がりで、コンサートだけではなく、例えば、歌舞伎をイギリスで上映するなどのお手伝いをしたり、日本で音楽教育プログラムのことをしています。特に印象的だったのが、2年前に紀尾井ホールで行ったコンサートに皇后陛下がお見えになったことですね。

子供たちの反応は、英国と日本で違いはありますか?

皆それを聞くんですけど(笑)、子供というのは全世界共通です。日本の子供たちは特にすごくシャイなんですけど、「表に出してみましょう!」と言うと、ものすごく表現力が豊かでいつもインスピレーションを受けています。

うん。

私たちができることは音楽への扉を開く鍵を開けてあげることだけだと思うんです。そのお手伝いをするというのは、素晴らしいことだと思います。でも1つの都市にずっと住んでいたら絶対に分からないことがあるので、旅に出て、いろいろな場所、いろいろな人に出会って、いろいろな話をして、いろいろなものを見るのは非常に大事なことだと思います。


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旅とは小道に行ってみようとすること。よく迷子になるんですけど(笑)。

PROFILE
 
 
  クマ原田- ベーシスト、 プロデューサー -
北海道生まれ。10代で日本を離れ、ドイツ、オランダを経て1971年に渡英。80年代には、自ら結成したブレックファスト・バンドでクラブチャート2週連続1位を獲得。80年代、ギタリストの故サイモン・ジェフズを中心とした、ペンギン・カフェ・オーケストラに参加。89年、ロンドンにベアフット・レコーディング・スタジオを設立し、95年にベアフット日英交流団体を設立。青少年教育に力を注ぎ、96年にはイギリス初となるインターナショナル・サッカー・アカデミーを設立し、98年に音楽を通じたワークショップをスタート。2005年に北海道芸術高等学校の初代校長に就任。音楽やスポーツを通じて日英の若者の交流を深め、国際人を育成する活動を行う。ケイト・ブッシュ、リンダ・ルイス、ヴァン・モリソン、ミック・テイラー(元ローリング・ストーンズ)、布袋寅泰など国内外著名アーティストとの交流がある。
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ちょっとロンドンに行って、1週間遊ぶだけのつもりが今まで続いてて(笑)。(原田)

70年代、日本のミュージシャンの先陣を切って世界に飛び出たクマさんですけど、当時はどんな感じでしたか?

出るのは結構大変でしたね。ドイツのミュンヘンまで行くのに、船でナホトカ、ナホトカからハバロフスクまでは夜行の汽車で、そこからモスクワまでとモスクワからウィーンまでは飛行機、ウィーンからミュンヘンまでは電車を使って、7日間。当時それが一番安い行き方だったんです。

ほう。元々は札幌からミュージシャンとして上京されたんですよね?

小田原に音楽のショーをパフォーマンスしながらあちこちを移動しつつ、高校の勉強をするというコンセプトの高校があったんです。あまりにも理想が高くて3年でなくなってしまったんですけど(笑)。僕は2年生からその高校へ行って、入ってすぐの夏に大きなショーでアメリカに行って、アメリカ48都市を3ヶ月ツアーをやったんです。その翌春には、香港と台湾とフィリピンを2ヶ月くらい。そこでプロのバンドに入るチャンスがあって、その後、一応、僕は働く少年だったんです(笑)。

ほう。でも、旅に出るのと居を移すというのは全く違いますよね?ドイツを目指されたのは?

アメリカに行ってすごく感じたのは、その時に好きだったジミ・ヘンドリックスヘンやクリームなどの音楽環境が日本にはあまりにもないので、とにかく僕はそういう音楽を肌で感じたかったんです。その頃に仲良くなった寺田稔という役者さんがいて、彼はずっとドイツで育っていたので、ミュンヘンの話を聞いていると、日本でもアメリカでもない独自のアート・カルチャーがあって、とにかく行ってみたいと思って。周囲には反対されたんですけど「3ヶ月のホリデーを下さい」と。本当に3ヶ月で帰るつもりで行ったんです(笑)。

本当に帰るつもりだったんですか?

帰るつもりでいましたよ。何年か前にその頃の手帳が見つかったんですけど、その中を見ると、最初の3週間くらいは毎日ちょこちょこと日本に帰ってから使えるネタを書いていたんです。でもそれがだんだんと隙間が空いていって、1ヶ月くらい経った時にはもう何も書いていませんでした(笑)。

もう帰るつもりがなくなったんですね(笑)。

(笑)。その後は、その頃出会ったオランダ人のガールフレンドと一緒にミュンヘンからアムステルダムに行きました。アムステルダムで、ピッピー文化にいろいろ触れて、そして、その後の72年の夏に、皆、何となくロンドンに集まっているというので、ロンドンに遊びに行ったんですよ。

ロンドンに移り住むつもりではなかったんですよね?

全くないです。ちょっとロンドンに行って、1週間、遊ぶだけのつもりでした。それが今まで続いてて。こんなに長く居ることになるとはね(笑)。

それが37年になっちゃったんですね(笑)。


サイモン・ジェフズは日本に来た時に、あるサイレンの音を聞いて「日本はベートーヴェンが聞こえる国だ!素晴らしい!」と言って感動しきっていました。(笑)

ロンドンに渡って、いくつものロック・バンドを経て、ペンギン・カフェ・オーケストラに加入されたんですよね?

はい。ペンギン・カフェにはニールという面白い人がいて、少し前に久々に会ったんですが、この人はウクレレを弾く人でウクレレが上手いんですが、本業じゃないのでペンギンの曲以外は弾けないんですよ。要するに、サイモンが彼に教えてあげて、彼はそれを一生懸命練習して、それだけを弾けるようにするんです。最初から最後までサイモンを精神的に支え続けた人ですね。

はい。

そして、リーダーだった故サイモンは1対1でしか仕事ができないんですよ。自分以外に2人以上いるとどうしていいか分からなくなる人なんです。ノッティングヒルにある彼のスタジオが「ペンギン・カフェ」といって、そのカフェで初めて全員が集まった時は、皆がサイモンの指示を待っている中、サイモンも待っているから、何も始まらないんですよ。初めて全員が集まって、どうしていいか分からなくなったみたいで(笑)。

その部分は音楽に出ていますね(笑)。静かなのにあれほど力強い音楽というのはないですよ。

はい。ペンギン・カフェに行くと急にテンポが落ちるんです。それが素晴らしかった。エレクトロニック・ミュージックをすべてアコースティックでやるというコンセプトとそれに加えた音遊びなんですよね。サイモンは日本に来た時に、あるサイレンの音を聞いて、「日本はベートーヴェンの聞こえる国だ!素晴らしい!」と言って感動しきっていました。そういう感性の人なんです。

へえ。

「TELEPHONE AND RUBBER BAND」という曲があるんですけど、この曲は、70年代、混線していた電話の音を聞いたサイモンが、興奮し出して、その音をカセットで録音して、それをループして、ストリング・カルテットとギターを合わせて作った曲で、そういう風にして作っていくんです。僕にとって、それまでの仕事とは違って、非常に面白い経験でした。


音楽やアートやスポーツが素晴らしいところは、初対面で言葉が通じなくても、とにかくいろんな人と何かができることですよね。(原田)

クマさんは次のジェネレーションに向けて、サッカーや音楽を通したエデュケーションに取り組まれていますよね。

マイク・スペンサーとの出会いが僕には衝撃の出会いでした。僕にとって良かったのは、高校時代の16歳の時に訳の分からない状況でアメリカや東南アジアに行って、いろんな価値観に触れたことですね。それぞれの場所でそれぞれの価値観がそれでオーケーなんです。だけど、日本にいると1つの価値観で全ての物事を見てしまう。これからは世界中の人が協力して地球を守っていかないといけないですよね。

いろんな人がいるということを知らないといけないですよね。

そうですよね。音楽やアートやスポーツが素晴らしいところは、初対面で言葉が通じなくても、とにかくいろんな人と何かができることですよね。私たち大人たちがやらなくてはいけないのは、できるだけいろんなチョイスを子供たちに与えてあげることです。

素晴らしい。何か手伝うことがあったら言って下さい!最後に、クマさんにとって旅とは何ですか?

僕は、知らない街に行った時、メインストリートだけで終わったことがないんです。メインストリートを歩いていると、必ず小道を見つけて、いつの間にかそっちに行っているんですよね。旅というのはそういう小さな道に行ってみようとすることですかね。だから、よく迷子になるんですけど(笑)。

なるほど(笑)。




LINK
www.barefootuk.co.uk
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CITY INFO

ON AIR LIST
WHATEVER IT TAKES / LEONA LEWIS
MY CULTURE (RADIO EDIT) / 1 GIANT LEAP FEAT. ROBBIE WILLIAMS MAX
LOVERS IN JAPAN/REIGN OF LOVE / COLDPLAY
TELEPHONE AND RUBBER BAND / PENGUIN CAFE ORCHESTRA
LONDON SKIES (ALBUM VERSION) / JAMIE CULLUM
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