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指揮者は何処行っても、やること一緒なんでね。「よし、ええ演奏にしよう」と。

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PROFILE
 
 
 金聖響 - 指揮者 -
1970年、大阪生まれ。3歳でピアノ、7歳からヴァイオリンを学び、14歳で家族と共に渡米。93年にボストン大学哲学科を卒業し、ニューイングランド音楽院指揮科に入学。その後、タングルウッド音楽祭指揮科のフェローシップとして小澤征爾、ロバート・スパーノ、グスタフ・マイヤーなどの各氏に師事し、98年、世界的権威のある「第12回ニコライ・マルコ国際指揮者コンクール」で優勝。現在は大阪センチュリー交響楽団の専任指揮者を務めながら国内外で活躍中。
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「ほな、こっから行くでー」って言う指揮者は初めて聞きました(笑)。(葉加瀬)
和んだ空気を作らないと、ええ仕事もええ仕事にならないでしょう、と。(金)

聖響さんの生まれた街は大阪ですよね。

池田なんですよ。

僕は吹田市です。

むっちゃ隣ですね。近くの稲川で釣りとかしてたんですけど、あの川をずっと下って行くと吹田で。

ものすごく近所で生まれて。年も近くて、僕が今37歳で金さんが35歳。

お互いに1月生まれやし。ちょうど2年違い。

千里中央のセルシーとか行ったクチですわな。

ものすごいローカルな話題ですね(笑)。

聴いてる人は全然分かんないでしょうね(笑)。それでたまたまお仕事で出会ったわけですが、まずクラシックの指揮者、マエストロってそれなりのイメージがあるじゃないですか。それなりと言うと変だけど。

言いたい事は分かりますよ。

みんな、しゃんとしてるじゃないですか。

「俺はしゃんとしてへんのかい」って話になりますけど(笑)。

いや、しゃんとしてるんですけど(笑)。

わかりますよ。ぶっちゃけ言うたら、動きもしゃべりもええかっこしいの人が多いですからね。

東京で仕事する時も関西弁ですか?

関係なく関西弁ですね。ずっとそうなんですよ。

100人ぐらいのオーケストラを前にして「ほな、こっから行くでー」って言う指揮者は初めて聞きました(笑)。

「いきまっせー」っていうノリで。最初に日本でプロのオーケストラで振らせてもらったのが27歳の時で。その頃はもう東京に住んでたんですけど、まだあまり仕事がなくて「とにかくこのままでいったれ」と。でも当時は関西弁がまだ全国区じゃなかったんですよ。

ダウンタウンが出てくるちょっと前かな。

まだ島田紳助さんとかさんまさんとか、ダウンタウンさんのおしゃべりで関西弁が全国区になる前でしたから、駅のキヨスクで店員さんに「すんませーん」って言うだけで横の人がパッと見るっていうのがあって(笑)。オーケストラに対しても失笑を買うわけですよ。

キヨスクで雑誌買う時はいいけど、オケを前にしてベートーベンとか振ってるわけでしょう?「ほな第2楽章いこかーっ」ていうのが合わん気がするんですけど。

アレグロとかアンダンテとか、イタリアの表情記号があるじゃないですか。大阪の発音で「すんません、アレグロコンブリオから」と言うたら、それだけでドーンとウケて(笑)。その時「オイシイなあ」と思ったんですよ。

ちょっとはそういう気持ちがあったんですね。(笑)

やっぱり僕も若かったから、オーケストラ側も最初は「どこのどいつや?」って計っている部分もあるんですよ。でも関西弁でやると練習の内容はともかく「関西の面白い兄チャンが来た」って印象を与える意味で、それはすごく有効でしたね。あと、これだと少々キツイこともやんわり言えるんですよ。

なるほどね。「そこのファゴット、寝とんちゃうぞ」とか(笑)。

そんなキツイ言い方はしませんけど(笑)。「すんませんけど、今のどうですかね?」って。どうですかねえ、と言うと「いや、どうやねん!」って返しがあるかもしれないですけど、その辺は大阪ちゃうから、ツッコミがないんですよ。それで・・・ 。

ちょっとごめんな、「大阪ちゃうからツッコミがないねん」って、指揮の話やろ?なんで指揮しててツッコミを期待すんねん(笑)。

一応ボケたらツッコミを期待するじゃないですか(笑)。でも指揮者ってほとんど一人しゃべりなんで、返事をされることって少ないですよね。葉加瀬さんもコンサートマスターとかおやりになったと思いますけど、指揮者がしゃべったらとりあえず黙って聞いてません?

そうですね。

中には「うん」とか「はい」と言ってる方がいましたけど、ほとんどなくて、だからボケる時もツッコむ時も「今の面白くなかったですね」とか(笑)。笑いを取りにいってるわけじゃないねんけど、和んだ空気を作らないと、ええ仕事もええ仕事にならないでしょう。オケ(オーケストラ)って変な緊張感があるんで。

それはよく分かりますね。



今でも朝5時に起きて勉強している小沢征爾先生には脱帽ですね。 (金)

指揮者にフォーカスが定まったきっかけはなんですか?

やっぱ小沢征爾先生ですよね。僕みたいな若手はみんな小沢先生に必ずどっかで触れている訳で。彼はパイオニアで、日本の音楽家が世界で普通に仕事出来るっていうのは小沢先生のお陰だし。たまたま、僕がオーケストラに入って1ヶ月目位かな、85年の1月にTVのドキュメンタリー番組に出ていたんですよね。その時「うぉー!この人かっこええー!!」っていうのがあって。「あぁ、これが日本の小沢征爾さんかぁ〜」と。

なるほど!

で、ここに行きたいと思って。ここというのがタングルウッド音楽祭なんですけど。宣言してるんですよ。「僕ここに行って、小沢征爾さんに学ぶ!」って。

あはは!でも僕も小沢さんの大ファンですけど、同じ指揮者として、小沢征爾の魅力ってどこなんですか?

まぁ、言うたら音楽業界の長嶋茂雄さんじゃないですか。

まぁそうだよね(笑)。

そのまま素でいられるっていうすごさがありますしね。稀有で特異な存在で。でも、やっぱり人柄じゃないですか。どんな人に対しても一緒ですからね。そこはものすごく学びました。しゃべり方も英語はブロークン、日本語もブロークンで(笑) 。

はははは。

すごいじゃないですか。でも通じてるのがすごい(笑)。で、マイペースですよね。ウィーンでお会いした時は練習も本番もくっついてたんですけど、もう腹減ったら「今すぐ食べたい」なんですよ。で、食べに行って終わったらすぐ勘定して「帰りたい」なんですよ。

ははははは!

終わったら「じゃ、ほんじゃね」ってあいさつも適当で、フッといなくなるんですよ。それが魅力なのかもしれないんですけど、それを貫いてはるのがすごいなって。

特に指揮者って、人間性とかカリスマ性が音楽を作っているんだもんね。

あと小沢さんがもっとすごいのは、今もなお前進してるって事じゃないですか。今でも、朝5時に起きて勉強してらっしゃるみたいですよ。2年前にウィーンでお会いした時に「先生、まだ5時に起きてはるんですか?」って聞いたら、「あぁ〜当たり前だよ。俺、それやんないと駄目だからさ」って、すごいですよね!もう、70歳近い人ですよ。必ず勉強してる。音楽に真摯に向き合っている姿がもう、「ははぁー!!」ですよね。もう脱帽ですね。

うんうん、みんなそこに魅かれるんでしょうね。

だから日本とか特に、小沢さんの悪口をワーワー言う人もいるけど、絶対許さへん! あの人の生き様見てたら「じゃあお前やってみい」って話ですよ。出来ないですよ。あれをずっと70年近くやり続けてはるっていうのがすごいです。

あぁ〜、そうですね。



野球場の真横に住んでたんで、テレビ中継の音を消しても生の歓声が聞こえてきて(笑)。(金)

僕は何回かボストンに行った事がありますけど、日本で言うと神戸とか横浜にすごく似てると思うんですよ。

そうですね。

海があって港があって古くて、色んな所へつながっているような。ニューヨークは東京に近いけど、ボストンは横浜みたいなイメージがあって、すごく好きな街なんですよ。

小ぢんまりしてますしね、いい街ですよね。

何よりまず空港が近いのがいいよね。

そう、空港降りてタクシー乗ったらすぐ街ですからね。ニューヨーカーからしたらボストンって、“でかくなりすぎた村”らしいですね。ニューヨークとボストンって野球だとヤンキースとレッドソックスで、因縁があるじゃないですか。ニューヨークがボストンに対して対抗意識があんのと、ボストンもニューヨークに対して、あんなもん、みたいのはすごいですけどね。

それとボストン人ってすごくボストンに誇りがありますよね。

ものすっごいある!嫌な位(笑)。

あはは、でもそれも神戸っ子に似てますよね(笑)。人の気質も雰囲気も「僕達は僕達の文化があるんだからさ」みたいなね。

そうですね。関西でも神戸って「自分らと違うで」って、ものすごくありますよね。大阪の人間からしたら「ふーん。そうなん?」って思いますけど。

あはははは!

まぁ僕神戸の三宮にも住んでたんで人は見てますけど、ちょっと不思議な感じはありましたよね。いい街ではありますけど。ボストンはボストンで、楽しい街と言うかちっちゃい街で、ウロウロ出来る場所が多いですよね。

じゃあ今度。僕がボストンに行く時に、たまたま聖響さんがいたらどこに連れてってくれます?

ああー、どこやろ…。

ロブスター?

ロブスター!ものすごい旨いですよ。特にフィッシャーマン、漁師さんがおるところに行って、そこの屋台とかで食べるクラムチャウダーとか、ものすごく旨いですよね。

ああ、食べたいわぁ。

でっかいパンの中をほじくるとスープがダーって入ってんねん。めっちゃ旨いですね。 ロブスターはそのままペロンって。それでフィッシャーマンってしゃべってる言葉が、英語やのに分かれへんね。フィッシャーマン・イングリッシュってあるみたいで。日本でもそういうのあるんでしょうけど、解読不可能な言葉があるんですよね。

その業界の言葉ですよね。

あと…野球は好きですか?

あんまり観ないけど、みんなが盛り上がってる時だけ盛り上がるタイプですね(笑)。

僕、アメリカ最古のフェンウェイパークっていう野球場の真横に住んでたんですよ、野球大好きで。で、当時レッドソックス馬鹿弱かったんですけど、それでも一生懸命応援してたんです。テレビの中継つけて、音を消して窓を開けたら生の歓声が聞こえるっていう、そんな所に住んでたんです(笑)。

はははは!どういうバーチャルや、それ!

相当エグイでしょ。それも道を隔ててフェンウェイの壁がみえるんですよ。野球場はぜひ!美しい野球場なんで。左側にグリーンモンスターって壁があって。

そこ連れてってくれますか?

是非! あとそこのホットドッグが恐ろしく美味しいんですよ!こんなに太くって長くって、ラディッシュとか全部乗ってるんですよ。ホットドックはお嫌いですか!?

大好きです!(笑)

でしょ!2個位平気で食べるでしょう?

当たり前ですよ!(笑)

ものすごい旨いですよ!



コンクールに落ちて、パリで友達と昼間からワイン空けて生牡蠣食って。「オルセーやー」言うてオルセー美術館でゴッホ観て泣いて。(金)

世界のコンクールにどんどん挑戦するわけですが、これって自分のキャリアを作っていくってことですか?

旗揚げですね。ちゃんと見てもらうために、手だけじゃなく旗を持って「はーい!」っていうことでしょうね。受けないといけないのと、30歳までには1位を獲りたいという目標があったんです。

なるほど。

26歳になった当時は結構、切羽詰まってたんです。音楽をやってなかった大学5年間を“ブランク”だと思ってたんで。

普通の音楽家のキャリアでは、その間もずっとやってるものね。

そう!だからそういう気負いはすごくありましたね。で、運良く賞を獲れたのが28歳の時でしたから、「2度と受けるかい!」と思いましたしね (笑)。あんな胃の痛い話ないですよ。

そうでしょうね。指揮者のコンクールって、何曲くらい振らないといけないんですか?

その時々ですけど15〜20曲位、課題曲があるんですよね。全部勉強せないかん時もあるし、そうじゃない時もあって、コンクールによるんですけど。 一次、二次、三次、準決勝、決勝みたいな。

はぁ〜、程遠いなぁ。

そうですね、ブザンソン国際指揮者コンクールの方なんか5回あるんちゃうかな。 僕はブザンソンに二次で落ちて、えらい凹んで「こんな田舎街でやってられるかー!」言うて(笑)。パリに出て行って「パリはシャンゼリーゼやー!」言うて、落ちた友達と昼間からワイン空けて生牡蠣食って。「次はオルセーや!」言うてオルセー美術館行って、ゴッホ観て泣いて。

はははは!

その半年後ですね、デンマークで優勝したのは。その時に面白いスピーチを聞いたんですが、その楽団長が「聖響君以外の皆さんに話したい事がある」って。「ある指揮者がうちのオーケストラに来て、賛否両論半々でした。その次の週にイギリスに行ったら彼は総スカンでした。その次の週、彼がローマに行ったら、絶賛されました。指揮者というのはそういう仕事だから、ここで落ちたからといって気落ちしないで、自分のやる事をやり続けなさい」という話で、それがすごい分かるんですよね。

その通りなんですよね。音楽では当たり前なんだけど特に指揮者・コンダクターというのはそういう事が多いですよね 。

判断基準がすごく曖昧じゃないですか。簡単に言うたら、「あの関西人の兄ちゃんおもろいな〜」言うて呼んでもらうことあるやろうし。「あいつ棒ちゃんと振れるな」って思われて呼んでくれんこともあるやろうし。オケに気に入られてなくても事務局が「聖響さん、また来てくださいね〜」みたいな、えらい気に入られてる事もあるし(笑)。

あははははは!!!!

こんなん、分かれへんもんね。

あはは、そりゃそうや。



映画はものすごい大変だったんですよ。「標準語でしゃべれ」言われて。(金)
それぐらいがんばってくださいよ(笑)。 (葉加瀬)

これからはどんなことをやっていくんですか?

やり続けるだけですよね。今やってるベートーベンのアンサンブル金沢との録音、何年かかるか知らんけど、まず終わらす事ですよね。

ベートーベンの交響曲を1番から9番まで全部やろうということですが、やっぱりベートーベンってそれ位大きいですか?

自分にとっては1番最初に弾いたオケの曲ですし、コンクールで1番良い結果を出せたのもその曲やったし、人生のポイントポイントにあるので、自分の心のどこかに必ずいるんですよ。同時に1番怖い作曲家でもあるんですよね。9曲全部がパワフルですし、1つ1つ、今の自分がどこまで消化出来て、ちゃんとした形でその日の記録として残せるかという。1年経ったら「なんやこの演奏!」って思うかもしれへんけど、実際思うし(笑)。

ははは、でも録音ってそういうもんよ(笑)。

ですよね。でも今を大事にね。結構、瞬間単位でしか頭が動いてないんで、この瞬間にも、ベートーベンならベートーベン、マーラーならマーラーで大事にしたいなっていうのがこれからですかね。

日本のオーケストラ、世界中のオーケストラっていうのは金さんの中では全然隔たりがなさそうですね。

そうですね。何処行っても、やること一緒なんでね。

あはは。でもよく言うじゃないですか、「僕、世界を目指してますから」みたいな。

一昔前ってそう言うて当たり前じゃないですか。「夢はどこそこのオケを振る事です!」みたいな。もうね、僕はそういうの無理。言えないっていうか、それ言うてできひんかったら、ものすごい恥ずかしいじゃないですか(笑)。

あははは。

あと自分はどっちかと言うと、話が来た所で「よし、ええ演奏にしよう」というタイプなんで。ええ演奏したら次も存在しますし、どっちか言うたら一個のオケでずっとやってたいタチなんですよ。

なるほど。そして映画に出られると。これは俳優としてですか?

はい。ありえへんでしょ?

いやいや(笑)。

最初は断ったんですけど食いついてきてくれはって。そしたらうちの社長が、これは音楽布教活動や、めったにない話やぞと。

それが『この胸いっぱいの愛を』ですね。役は指揮者ですか?

はい。間宮浩介という人物で。

台詞はあったんですか?

あったんです。ものすごい大変だったんですよ。「標準語でしゃべれ」言われて。

はははは!それぐらいがんばってくださいよ(笑)。

「無理な話やで」って(笑)。台詞が7行くらいあって大変でしたよ。「かまへん、忘れへん、ゆっくりしゃべる。」この3つしか考えられなかったですね。目線とか顔つきとか、全然無理ですね。固まってますもん(笑)。

でもすごい豪華キャストじゃないですか。ミムラちゃんがいて、伊藤英明さん、吉行和子さん、愛川欽也さん、古手川祐子さん、その次に金聖響と来てますよ。

おかしいでしょ?(笑)。

いやいや、バッチリじゃないですか。タイトルが『この胸いっぱいの愛を』。

10月8日に始まるんで、是非とも観てやって下さい。

ここで指揮棒を振る姿がかっこいいいなと思ったら、コンサートに行けばいいですね。

実際に劇中でクラシックが流れてて、僕が振らせてもらったのもあるし。映画をきっかけに、演奏会に来てくれるお客さんが増えたらと思います。

公開を楽しみにしましょう。


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CITY INFO

     

ON AIR LIST
FLYING / JOHN HARLE AND OPERA HOUSE
ベートーベン交響曲第2番 ニ長調 作品36 第4楽章 / 金聖響
CENTERFOLD / J.GILES BAND
GROTTA AZZURRA / 葉加瀬太郎
EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT / SWEET BOX
ベートーベン交響曲第5番 ハ短調 作品67(運命) 第4楽章 / 金聖響

 

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