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ロドリーゴさんとの対面は、一生に一度の濃い45分間でした。

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 村治佳織 - ギタリスト -
1978年、東京都生まれ。3歳の頃から、父親でありギタリストの村治昇氏の手ほどきでギターを始め、10歳からは福田進一氏に師事。国内外のコンテストやコンクールで数々の優勝を果たし、93年、15歳でCDデビュー。その後も国内外を問わず活動し、2003年には英国名門クラシックレーベルのデッカと、日本人初のインターナショナル長期専属契約を結び話題に。今、最も注目されている女流ギタリストの一人。
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ピアノの前のロドリーゴさんに陽の光が差して、絵を見ているようでした。(村治)

初めて見たスペインはどんな感じがしましたか?

スペインに行ったというより、「ロドリーゴという人に会いに行った」という感じでしたね。

ロドリーゴはギタリストにとっては巨人なんでしょう?

ギタリストというより彼は元々ピアニストで、スペインの音楽家達の最長老だったんです。なので私はとても彼と会えるなんて思ってなくて、雲の上の存在だと思っていました。

でも99年に彼に会いに行ったと。有名なエピソードですが、まず98年に彼から手紙が来たんですよね?

97年に高校を卒業した時、『バストラル』というアルバムを作ったんです。ロドリーゴさんの曲だけを集めたアルバムだったんですが、それを音楽評論家の浜田さんという方がロドリーゴさんに送って下さって、直接「嬉しく聴きました」というお手紙が来たんです。

じゃあもう会いに行くしかないですね?

そうですね。電話番号も住所も書いてあって「本当に現実なんだ」と思いました(笑)。その時彼は98歳で、亡くなる半年前でした。

お会いした様子はテレビの『情熱大陸』で放送されましたよね。

そうです、葉加瀬さんの番組テーマ曲と一緒に(笑)。

僕も見ましたが、すごく感動したでしょう?

感動というより「こんなことは一生に一度しかない」という思いが強くて、それを実感して会いに行った、濃い45分間でしたね。最初は彼の体調もあって15分程しか一緒にいられないということだったんですが、長くいて下さって、彼の前で2曲演奏して。ご高齢でお話はできなかったんですけど一緒にその時間を過ごして、その後は娘さんとお話をしました。ベットで寝ていらっしゃるだろうと想像していたんですけど、ちゃんと赤いネクタイをばっちりつけてバシッとスーツを着ていたんですよ。その姿でグランドピアノの前に座っていた光景に陽の光が差し込んで、まるで絵を見ているようでしたね。

その後の音楽活動に重要なポイントになりましたか?

そうですね。ギターを学ぶことも留学も「こうなるものだ」という良い環境だったのでそれまではどちらかと言えば受身だったんですけど、「ロドリーゴさんに会いに行きたい」と自分から思ったし、テレビの取材もたまたまその時期に頂いていて、本当はパリの生活を撮って頂くという話だったんですけど、それよりもロドリーゴさんを撮って頂きたいじゃないですか(笑)。それで自分からお願いして良い結果に繋がったので、能動的に動くことが大事なんだと思うきっかけになりましたね。

それはおいくつの時ですか?

20歳でした。

20歳でその感覚を! それまで受身だったのは当たり前ですよ。そんな事を言ったら僕はもっと年を取るまで受身だったから(笑)。



「『アランフェス協奏曲』やるならアランフェス宮殿でしょ! 」みたいな(笑)(葉加瀬)
外はシンプルですけど、宮殿の中は趣向が凝らされていているんです。(村治)

ロドリーゴさんの『アランフェス協奏曲』はクラシックギターを弾く人にはそこに始まってそこに終わるような曲ですよね。この曲を何とアランフェス宮殿で演奏したと。これはどういういきさつだったんですか?

CDを何枚か発表した後にDVDを制作することになって「『アランフェス協奏曲』を弾きたいけど、せっかくなら普通のホールじゃなくて聖地といわれる場所で演奏したい」ということで、それで日本人の方を通して政府の人と交渉して、許可が下りるまで1年近くかかったんです。スペイン人は仕事が緩やかだということもあったんですけどね(笑)

これはマドリッドの南47キロにある宮殿ですよね。

はい。元々は避暑地として確かフェリペII世が作った宮殿で、周りを川が流れていて非常に緑も豊かで。ロドリーゴさんは盲目の方なのでその景色を見ていないんですけどね。

彼は目が見えない分、他の感覚で全部見えている、見えないからこそ見えるっていうところもあったんじゃないかな。

聴こえてくるものも違ってくるんだと思います。アランフェス宮殿は外から見ると意外とシンプルですけど、中に入って部屋をひとつひとつ見るとすごく趣向が凝らされていて、アラブ様式の部屋とかあるんですよ。アルハンブラ宮殿に見られるような細かいモザイクがあったりとか。

宮殿で演奏するのは誰のアイディアだったんですか?

自然と私から(笑)。

やっぱ「アランフェスやるならアランフェス宮殿でしょ! 」みたいな(笑)

さっきの話じゃないですけど何でも能動的に動こうと思って、周りの方も反応して下さって。

僕は映像を観ましたけど、普通のホールとは違う、なんともいえない映像ですよね。

宮殿の中はチャペルになっていて、普段は観光客には公開していないそうです。今でも結婚式には使っているのかな。

コンサートホールと違って演奏しにくいところはありましたか?

じゅうたんがあったんですが、音を吸収してしまうので最後は取ったんだったかな? あと周りに国宝があるので、傷が付かないようにと機材スタッフの方々がヒヤヒヤしていました(笑)。

電源を引っ張ってくるだけで一苦労ですね(笑)。

あと素晴らしかったのがバルセロナを拠点にしている映像監督のジョアン・リエトべッグさんのイメージがすごかったですね。クラシックもテクノも好き、楽譜も読めるという人で。準備期間が短かったんですけど、彼の中でこういう風に撮りたいっていうのがあって、第二楽章の一番劇的なメロディーの後で「ダダダーン」と入ったところで、アランフェス宮殿の外観の絵を持ってきたり。

ぐっときますね。

ええ。スペイン人が思う新しい感覚の映像で良かったです。



日本人が海外に行くと「なんでこんなに気を遣っているんだろう」と気付きますよね。(葉加瀬)

スペインの何が一番好きですか?

人が好きです。良くも悪くもどんどん感情表現をするんです(笑)。ラテンの人はよくすると言いますけど、スペイン人もやっぱりそうでしたね。ホームステイして分かったんですけど、日本人みたいに最初に気を遣ったりすることはなくて、私が着いた日から家族の一員みたいな感じなんですよ。15歳位の子供達もいたんですが私が着いた日から昼寝していて、全然挨拶に来ようとしなくて(笑)。

ある意味、人なつっこいと(笑)

そうですね。私も「自分をもっと出そう」と随分学んだ気がしますね。

日本人ってそういうところがありますよね。海外に行くと「なんで自分はこんなに気を遣っているんだろう」とか「なんで自分はこんなところで一歩下がっちゃっているんだろう」と気付きますよね。ところでスペインでいつも楽しみにしている食事はありますか?

「このお店! 」っていうのがありますよ。マドリッドの王立劇場から近いんですけど「ラボラ」というお店にコシードという料理があって。壺の中に最初はヌードルが入っていて、お店のおじさんがその中にひよこ豆と豚を煮たスープをブワッと入れてくれるんですよ。豚のダシ、とろとろのコラーゲンがたくさん入ってるんです。

ああ〜いいですねえ(笑)。

そのスープを先に飲んで、終わったら豚肉とひよこ豆を食べる、これが最高です(笑)。マドリッドに行ったらそれを食べないと始まらないですね。お店のおじさんとも仲良くなりました。

あと、フラメンコのタブラオも見に行きましたか?

いい踊り手さんが出てるっていう時に2、3回行きました。

やっぱり血が騒ぎますか?

フラメンコって何回も見たことがあって、その時から血が騒いでたんですけど(笑)、やっぱり本場で見ようと。でも日本人のお客さんが多いんですよね(笑)。タブラオもいいけどグラナダとか、スペイン人しかいないところに行くと、またさらにすごいんじゃないかと思いました。

あのフラメンコのギターって独特ですよね。

形はほとんど同じなんですけど、右手のあたる部分にシートが張ってあったり、弦高が低いところが違いですね。



デッカならではなのは、マイクやランプが40年物なんです。(村治)
僕もアビーロードスタジオで録音して、大英帝国ってすごいと感じました。(葉加瀬)

去年の夏にリリースされたアルバム「トランスフォーメーション」ですが、なんとイギリスの名門デッカから、日本人で初めて専属契約して発売された第一弾ということで。自分の中でプレッシャーはありましたか?

変にプレッシャーと感じないで、これまで日本でやってきた10年間を活かしていこうと思ったんですけど、スタッフの皆さんがずっと英語じゃないですか(笑)。私はアメリカ英語を習ったのでイギリス英語との違いに驚いて、細かいニュアンスを伝えるのが大変でした。あとデッカならではだと思ったのは、使うマイクが40年物とかなんですよ。

クラシックのレコーディングのhow toはほとんどデッカが作り上げたといってもいいですものね。オーケストラをマイク3点で録る“デッカ・スリー”とか、「イギリスの伝統!! これが英国です!! 」みたいのがありますよね(笑)。その感覚は大好きですけど。

こんな大きなマイクでしたけど大切そうに2つあって。「始めていいですよ」って知らせるランプも40年ものなので、これまでに色んなミュージシャンが見てきたんですって。それを私も見ましたという。

僕も昨年アビーロードスタジオで録音したんですが、大英帝国ってすごいなあと感じました。中は昔のままで、第2スタジオなんてビートルズが録ったままになっているし。とりあえず床をなでて来ましたけど(笑)。

そういうことしますよね(笑)。高校球児が甲子園の土を持って帰るみたいな。

レコーディングはどちらで?

ロンドンには滞在していたんですけど、レコーディングはサフォークって街のスタジオで。リタイアされた方がセカンドライフとして住む避暑地らしくて、周りには何もないんです(笑)。豚農場とかグリーンスリーブスの世界ですよね。『不思議の国のアリス』みたいな(笑)。スタジオはポットンホールという元は納屋だった場所で、パイプオルガンの収集家の方が「保存場所にいい」と買って内装をきれいにしたら、そこの音が評判になってレコーディングスタジオに使われるようになったんです。

アルバム、楽しく聴きました。選曲も例えばビートルズの曲もたくさん入っているけど、編曲しているのは武満徹さん。「武満、そんなことしてたんだ」って新鮮でした(笑)。

私は武満さんがギターをこれだけ愛してくれるってことをまず伝えたかったんです。オーケストラの曲とかピアノ曲、合唱曲で知られていますけど、ギターの曲をこれだけ書くことはまだまだ知られてないと思うので。

武満徹というと現代音楽をイメージするけど、彼がビートルズの曲が好きで、自分が好きなギターで聴きたいから書いたみたいな、それを世界に向けた音楽としてデッカさんから出すわけですよね? 武満のアレンジしたビートルズを村治さんがデッカから出すっていうのは運命だと思うんですよ! ロドリーゴさんの時もそうだったけど、村治さんは運命を導いてくる力があるんですよね。

だとしたらありがたいですね。



今つながりを持てた国をもっと深く知って行きたいですね。(村治)

今後はまずコンサートがあるんですね。

『アランフェス協奏曲』をたくさん弾きます。まずは5月末に「第10回宮崎国際音楽祭」でシャルル・デュトワさんの指揮で演奏します。

共演は初めてですか?

はい、楽しみです。それから7月に紀尾井ホールで原田幸一郎さんの指揮で、ジュリアーニというイタリアの作曲家のギターコンチェルトを演奏します。

今後も忙しく活躍される予定なんですね。そんな村治さんの未来の夢はなんですか?

今は昔夢見ていた「CDをいろんな国の方々に聴いて頂く」というチャンスに現実に恵まれたので、これからもそれを確実にやりたいなあというのが一番の夢ですね。

次のアルバムの構想も考えているんですか?

はい。まだ公表できないんですけど(笑)。

すいません、ただのファンになっていますね(笑)。最後に、村治さんにとっての旅とは?

昔は旅に出るのが非日常的なことだったんですが、最近は日常のもの、なくてはならないものになりました。

じゃあ移動も含めて、生活の一部になっているんですね。

そうですね。移動時間も含めてどれだけ密度の濃いことを出来るかを考えるのも好きだし、その時間を利用して本を読んだり、しばらくは旅が身近な存在だと思うので、新しい国にも行きたいし、あとは今つながりを持てた国をもっと深く知って行きたいですね。

まだまだ先は長いですからね(笑)。これからも楽しみにしています。

はい。ありがとうございました。


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THE RIGHT PLACE/ EDDI READER
LIGHT MY FIRE/ JOSE FELICIANTO
小麦畑にて(LIVE) / 村治佳織
愛の悲しみ / ITZHAK PERLMAN
HEY JUDE(FROM 12 SONGS FOR GUITAR) / 村治佳織
OVER THE RAINBOW(FROM 12 SONGS FOR GUITAR) / 村治佳織

 

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