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瞼の裏にサッチモを思い浮かべながら、ジャズとともに旅は続く。

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PROFILE
 
 
 外山喜雄 - ジャズ・トランペッタ -
1944年、東京生まれ。中学二年の頃からジャズに興味を持ちトランペットを購入。68年夫婦でブラジル移民船に乗り込みニューオリンズへ。以後通算5年に渡りジャズの故郷でジャズを学び、ヨーロッパ、アメリカ各地を演奏旅行する。現在は「外山喜雄とデキシー・セインツ」のライブ活動や、東京デズニーランドのニューオリンズ広場、カフェ・オーリンズでも ”ロイヤルストリートシックス”としてレギュラー出演。また随筆、ジャズ評論等の執筆活動も多数。日本ルイ・アームストロング協会会長。ジャズ16mmフィルムのコレクターとしても知られる。ニューオリンズ市名誉市民。著書に『ニューオリンズ行進曲』『聖者が街にやってくる』、訳書に『独断と偏見のジャズ史』がある。

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サッチモのトランペットを吹いたんだけど、上手くいかなかった。(外山)
彼のトランペットを手にとって吹いちゃうというところがスゴイですよね(葉加瀬)

なんと22歳の時、ジャズの故郷・ニューオリンズに渡ったんですね。

大学でデキシーランド・ジャズをやるクラブに入部したんですね。1963年前後ですけど、それと同時にジャズの大物達がドンドン来日したんですよ。

おお!!

ジョージ・ルイスというクラリネット奏者がニューオリンズからやって来た。ルイ・アームストロングがやって来た。カウント・ベーシーも初来日。デューク・エリントン、アート・ブレーキー、ライオネル・ハンプトンも来た。エラ・フィッツジェラルドも来た! もう凄いんですよ。

みんな来ちゃったんだ(笑)。

たまたまジョージ・ルイスというニューオリンズの楽団にくっついて歩いている時に、そのマネージャーと僕は知り合いになったんです。そうしたら裏から入れてくれるわけ。それで「あっ、コンサートホールって裏口があるんだ」と分かっちゃってね(笑)。そういうので全部観たの。

なるほど。

だからデューク・エリントンも潜り込んだりね。

すごいですね。

一番面白かったのは、ルイ・アームストロングが『HELLO DOLLY』のヒットの年に来て。その前の年も来たんだけど、『HELLO DOLLY』のヒットの年は、僕もだいぶ“外タレ慣れ”しちゃってるわけ。

ハハハ(笑)。外タレ慣れ(笑)!

それで楽屋口も、今みたいにパスとか要らないんだよ。

なるほど。警備も甘いんですね。

甘い甘い! 全然甘い!! それで、バッと入っちゃってね。

すごい(笑)!!

サッチモの楽屋をパッと開けたわけね。そしたら中に居るじゃない。「HELLO!」と言ったら「○×△□※」って(声が低くてかすれているから)何を言っているのか分からないんですよ(笑)。それで「May I come in?」と言っても「○×△□※」。とりあえず入ってモジモジしてたんですよ。

はい。

意外とあの人は小さくて僕と同じくらいの背丈で。そしたらちょうど左の所にトランペットのケースが開いてて、金のトランペットがマウスピースが付いたまま置いてあるわけですよ。「May I See?」と訊いたら、「○×△□※」と言うのね(笑)。持って見ているうちに吹きたくなっちゃって。それで向こう見たらニコッと笑うから吹いたんですよ。

はい!

ルイ・アームストロングが若い頃にやっていた『HOT 5』という初期の曲があるの。ちょうどその頃そういうのを僕は一生懸命やってたから、ちょっと見せびらかしたいじゃん、「出来るよ!」みたいな。やろうと思ったんだけど、マウスピースがデカくてぺシペシいっちゃって、あんまり上手くいかなかったけど。それでも2〜3分吹かしてくれたのね(笑)。

上手くいくも何も、そこで彼のトランペットを手にとって吹いちゃうというところがスゴイですよね(笑)!

スゴイでしょ(笑)。でもサッチモも子供の時に憧れのミュージシャンの所に行って吹かしてもらってるのね。だからそういう気持ちが分かってたのかもしれない。

なるほどね。

でも最後には来て取り上げられちゃったけど。それは一生忘れられない思い出ですね。

そういうのがあって、もうニューオリンズに行くしかなかったんですね。

実際にあの当時来てたミュージシャンというのは、みんな“100年に1人”みたいな人達ばっかりで、そういう人達の音楽の凄さ。それと僕はジャズをずっと聴いてきてたけど、“そういう人の故郷とはどういうものなのか?”“どういう所から生まれて来たのか?”とかの情報が全くないから。

はい。

ジャズはニューオリンズで生まれたと言うけども…もちろんいろんな所で出て来たわけだけど、そのキッカケとなったルイ・アームストロングがニューオリンズ生まれ。その神話に対する憧れがあって、ぜひ見てみたいと思って。それでニューオリンズに行っちゃったんでしょうね。

なるほどね。


僕達とはお葬式に対する感じが全然違いますね。(葉加瀬)
お年寄りも子供もみんな出て来て、パレードにくっついてきちゃうの。(外山)

やはりニューオリンズは街の中にジャズが溢れているんですか?

ニューオリンズやジャズの事を、ミュージシャンの話で綴った本があるんですよ。『HEAR ME TALKIN' TO YA』という本なんですが。それで“ニューオリンズに行くと、音が漂ってて”と話は聞いてて。でも本当にそんな感じがしましたね。

そうですか。

ミシシッピ川が流れてて、通りではゴスペルが聴こえてね。ゴスペルと言っても本当に泥臭いゴスペル・グループがやってたり。お葬式にもジャズをやってたりするんですよ。

あー、そうですよね。

向こうに行って1週間くらいしてから本当に「ジャズ葬式がある」って。ニュースとして伝わってくるんですよ。みんな葬式を楽しみにしてるんです。「ジャズ葬式があるぞ」ってね。というのも向こうの黒人の人達にはエンターテイメントもあまりないんですよ。だからお葬式があって、そこでジャズ・バンドがパレードする。それが楽しみで仕方がないんですよ。

僕達とはお葬式に対する感じが全然違いますね。

朝の9〜10時頃に、郊外にあるバーでミュージシャンが集まって飲んでるんですよ。みんなトランペットをスーパーの紙袋みたいなのに入れているんですよ。何故かというと、みんな歩くからケースだとダメじゃないですか(笑)。

ハハハ、重いですもんね(笑)。

そのうち、リーダーが「タラッタラ。タラッタラ」と吹くの。それを合図にみんなが集まって来て。「タッタ、タッタ、タッタタ。トゥトゥン、トゥトゥン。」という感じで歩いていくのね。

はい。

それで教会の傍に行くと、音がパーッと静かになるの。そこでお葬式が行われてて、中に入ると牧師さんが、レイ・チャールズみたいな…。

シャウトしてるんですね(笑)。

思いっきりシャウトしているの。「悔い改めよぉーー!」みたいな感じでね。俺は上手く真似出来ないけど(笑)。そうすると出席者の間から、「♪ン〜〜〜〜」ってハーモニーが始まる。前には遺体が安置されているんだけど、ちゃんと御棺が開いてて見えるの。それで薄絹があるもんだから、ものすごく幻想的なのね。

はい。

そのうちみんな「ギャーッ!」と言って(笑)、シャウトしてぶっ倒れる人も出てくる。ハーモニーも段々濃くなっていってね。リズムも付いて「♪HEY〜MEN〜」って感じになっちゃうわけ。そしてハモンド・オルガンなんかグワーーン! っと鳴ってさ(笑)。それで俺に関係ないお葬式なのにオイオイ泣き出しちゃってね。それが終わると遺体が教会から外に出てくるのね。その時にブラスバンドが『主の御許(みもと)近く歩まん』という曲をやって、遺体と一緒にお墓まで行進していくの。そうすると通り道の周りに住んでいる黒人のお年寄りも子供もみんな出て来て、くっついてきちゃうの。

うん。

雨が途中で降ったりしちゃうから、みんな傘を持ってたりして。でも後でこの傘が踊りの小道具になっちゃうわけ。それが終わると所謂『聖者の行進』が始まって、踊り歩きながら出発地点まで帰っていくんですよ。面白いというか、最初見た時それは凄かったね。

いや〜、それはきちゃいますよね。

現在でもそういった風習は少なくなってはいるけど、まだあるんですよ。

なるほど。



サッチモは手紙に“RED BEANS AND RICELY YOURS”って書いてた。(外山)

ニューオリンズはどれ位いたんですか?

通算5年くらいいたんですよ。

結構長いですね。

最初2年弱いて、ビザの更新が出来なくて帰って来て。それからもう1回行ったんですね。3年いたんですがそのうち1年はイギリスのバンドとツアーしてたんですよ。それで通算5年いたんです。

その間、ニューオリンズでも演奏活動されて。

最初行った頃は僕らみたいのが色んな国から来てたの。スウェーデンとかフランスとかね。ちょうどスウェーデンから来てる人達と一緒になって、いわゆる倉庫街みたいな所の、貧乏な白人の人達が来るダンス・ホールがあって。あちらの方達は黒人の事を“NIGGER”と差別するくせして、結構黒人っぽい音楽が好きなんですよ(笑)。

そうですね。

そういう所で仕事があって週3日やったんですよ。普段着でスリッパを履いているような全然洒落た仕事じゃないんだけどそれをやっていたのと、バーボン・ストリートにアパートがあって…バーボン・ストリートって目抜き通りで、ジャズ小屋とストリップ小屋とが交互にあるのね。そこのレストランの3階に住んでいたのね。

はい。

そこでスウェーデンの連中とよく練習したんですよ。そしたら下の階から誰かが上がって来てノックするんですよ。「文句言われるのかな〜」って思ったら「今吹いてたのはあんたかい?」と言うから「そうだよ」「どうせやるんだったら下の中庭にあるレストランで、夕食時に2時間ほどやらない?」と言われたんですよ。「そしたら1日2食、食わしてやるから」と言われて(笑)。

もうミュージシャンにとっては願ったり叶ったりですね(笑)。練習は出来るわ、飯は食えるわ。イイ話だな〜。

それもクレオール料理と言って、黒人とフランス系の白人の混血みたいな料理なのね。それを2年近く昼・夜と食べられて。

それは最高ですね!

しかもチップも集められるんですよ。普段着でスリッパ履いて汚い格好して演奏してるんだけど、前にプラスチックのボトルを半分に切ったのを置いて、それに“KITTY”って書くの。“KITTY”は“小猫ちゃん”って意味で。「小猫ちゃんにエサをやりましょう」って(笑)。

ハハハ(笑)!!

「チップくれ!」ということね(笑)! そうするとちゃんと1ドルや10ドルを入れてくれる人もいるのね。

最高に楽しいですね。勉強も出来るし、ちゃんと食べられるし。

多少余力あるしね。

なるほど。食べ物と言えば僕は1度ニューヨークでハーレムとか教会のミサとかを観て歩いて、ソウル・フードを食べたんですけど。ニューオリンズとかは、そういった料理がメインなんですか?

ニューオリンズの料理って、ジャンバライヤとか有名じゃない。あとオクラの入ったガンボ・スープとか、いろいろあるけど似たようなモノです。ソウル・フードと似てるけどね。

あとコーンのパンとかもあるんですか?

コーン・ブレッドもありますね。あと一番有名な!…これを忘れちゃいけないよ。“レッド・ビーンズ・アンド・ライス”と言うのがあるんですよ。

赤えんどう豆。

うん。それのスープにほとんどの場合ライスが付いているのね。そのスープをライスにかけて食べると本当に美味しいんですよ。それをニューオリンズ出身のサッチモことルイ・アームストロングは大好きだったの。ニューオリンズの心を一生涯忘れなかったんでしょうね。

うん。

その彼が手紙の結びに“RED BEANS AND RICELY YOURS”って書いてた。“SINCERELYYOURS”とか“TRULY YOURS”とかあるじゃない。あの代わりに書いてたくらいなんだよね。

そうなんですか。


ニューオリンズの子供たちに楽器を贈ってるんです。(外山)

ルイ・アームストロング協会というのは、どういった活動をされているんですか?

僕は元々ジャズ・フィルムのコレクションもしているんですね。1929年頃からの作品がありますよ。その中にルイ・アームストロングのモノもたくさんあって。一番若いルイ・アームストロングは、1932年かな。31歳くらいの時のモノね。

うわ〜見てみたい!

楽しいですよ。そういうのがたくさんあって、そういった物を中心にサッチモのオールド・ジャズが好きな人が集まった会を創りたいというのが、一つあったんです。その時に象徴的な活動として出来ないかなと思って、ニューオリンズの子供たちに楽器を贈っているんですよ。特にニューオリンズは環境が段々悪くなってるんですよ。ドーナツ化現象ですか、郊外に住むようになっちゃって。真ん中が段々寂れてって。そこが麻薬の巣窟になったりしてね。

はい。

そういうのが多かったんで。ルイ・アームストロングって元々少年院に入ってトランペットを貰って、ああいう一生を送ったワケでしょ。だから出来たら日本から楽器を贈ってあげたいなと思って始めたんですね。

素晴らしいですね。

知ってる新聞社の人に話したら、ちょっと記事を書いてくれて。たくさんのいい楽器が送られて来たんですよ。例えば小学校でも捨てる楽器ってあるじゃないですか。その“廃棄楽器”を貰って来て。それを無料で直してくれる所があるんで、そこで直してもらって贈ったんですよ。

は〜〜。

向うの楽器は本当に凄いの。もうベッコンベッコンなの。もうね、(楽器の)アサガオ(の部分)なんか丸くないんだから。

ハハハ(笑)。もうボコボコに(笑)。

うん。管の途中なんか殆どないんじゃないのってくらい(笑)。だから古い楽器でも喜ばれるんですよ。

なるほどね。サッチモがニューヨークで息を引取ったのは何年でしたっけ?

1971年の7月6日なんです。

その時には?

僕はニューオリンズにいたんですよ。

やはり運命的な事も感じましたか?

ニューオリンズにいてやはり悲しかったですね。そしてニューオリンズも一日中テレビでそのニュースを流してて。僕もテレビで観てましたけど。それで“記念のジャズ葬式をやろう”という話が出て来て。いろんなパレードの団体がスタートする場所があるんですよ。トレメという地区でね。

はい。

そこをスタートして市役所まで行ったんですよ。黒人の人達ばっかりで、5万人くらい集まったんじゃないかな。それがゾロゾロゾロゾロ、街中のジャズ・ブラスバンドが総出で広場まで行って。そこにはジャズ・ミュージアムという博物館があって。そこにサッチモが少年院で手にしたコルネットが飾られているんですよ。

はい。

それを持って来て。ウィントン・マルサリスの先生にあたる テディ・ライリーという人がいてね。その人が『タップ』というお葬式の時の曲を、市役所の4階の窓からそのコルネットで演奏したんですね。何万人もの人がいたけども、そのメロディが頭の上を漂っていくんです。そしてサッチモが子供の頃に飛び回ってた辺りへ音が漂って行くんです。よかったですよ〜。

今日の外山さんの話し、全部映画みたい! グッと来ちゃいますね。


ニューヨークにサッチモの家があって、今度博物館になるんです。(外山)

7月28日からニューヨークと、ニューオリンズへ行かれるそうですね。

ちょうどサッチモが生まれたのは、1900年の7月4日だったんですよ。あるところまでは。1900年の独立記念日。もう語呂もいいじゃないですか。いかにも20世紀を代表するジャズの王様という感じ。自分もそう思って亡くなったワケですよ。露疑わず。

ハハハ(笑)。

ところが人の悪いのがいて、いろいろ調べてったら“洗礼記録”が出て来たのね。それを見たら1年1ヶ月違ってたのね。

いい伝説だったのに(笑)。

1901年の8月4日生まれだったのね。それで100年後というと、ちょうど2年前の2001年じゃないですか。それで2001年に、市長さんがジャズのパイオニアの甥にあたるのかな。「ルイ・アームストロングの名前を国際空港に付けよう」と言ったんですよ。それで<ルイ・アームストロング・ニューオリンズ・インターナショナル・エアポート>となったんですよ。

なりましたね。

それを記念して、その年から『サッチモ・サマーフェスタ』を始めたのね。“サッチモ・夏祭り”を。それが今年で3年目となるんですよ。それで今年、僕らのバンドも招待されたんです。それにちょうど行くんで、ついでにサッチモのお墓参りもしようと。ニューヨークにサッチモの家があるんですね。今度これが博物館になるんですよ。今まで10年くらい一生懸命取り組んでいてやっと開館するんですよ。

なるほど。

オープンは今年の10月になるのかな。それに先がけて、館長さんも知り合いなので中を見せてもらって、お墓参りもして。それからニューオリンズに行って『サッチモ・サマーフェスタ』で演奏して。それと一緒に現在楽器を送っているんですね。67本だっけかな。現在、ちょうど向かってる(笑)。海の上。

そして日本でも、恵比寿ガーデンプレイスで…。

日本は『サッチモ祭り』と言って。こっちの方が歴史は古いんです。23回目になるんです。

すごいですね。

関東地区のサッチモの好きなバンドが集合します。僕らのバンドと、あとジミー・スミスさんていう、エラ・フィッツ・ジェラルドやエロール・ガーナと一緒にやってた方がいるんだけど、今僕らは彼と一緒にやっているんです。その人がゲスト・ドラマーとして出て。お昼の12時から夜の8時頃まで。

ずっと演奏しっぱなし! いいな〜(笑)。7月21日ですね。そして外山さんはディズニーランドにも出演されているですか?

ニューオリンズ広場というのがあるんですよ。“カリブの海賊”の前にね。あそこでジャズのバンドをやってるんですよ。

なるほど。これは毎日ですか?

金・土・日。

ウィークエンドはジャズという事で。これから他にやっていきたい事とかありますか? でも今お伺いしているだけで、これをキープするだけでも大変な体力ですね。

そうですね。サッチモも“瞼の裏に、ニューオリンズのいろんな人を想い浮かべていた”とかってあるじゃないですか。僕もね、瞼の裏にサッチモを想い浮かべてね、楽しい音楽をやっていきたいなと思っているんですよ。ディズニーランドみたいに、子供からお年寄りまで来てくれる場所もあるじゃないですか。今は本当に楽しんでもらえているのね。だからそういう活動を続けていきたいなと思っています。

ありがとうございます。


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HELLO,DOLLY! / LOUIS ARMSTRONG
聖者の行進 / 外山喜雄&デキシー・セインツ
LA VIE EN ROSE / LOUIS ARMSTRONG
REBORN(FOREVER) / 小曽根真トリオ
WHAT A WONDERFUL WORLD / LOUIS ARMSTRONG
WHEN YOU WISH UPON A STAR / 外山喜雄&デキシー・セインツ

 

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