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NewOrleans via Chicago

彼の洋服が語る、21世紀のリアルなTOKIO。

 

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PROFILE
  宮本文昭 さん

荒川眞一郎 - ファッションデザイナー-

1966年10月6日群馬県桐生市に生まれる。実家は縫製業者で為幼いころから布に親しむ。東海大学卒業 後89年渡仏。91年渡英しクリストファー・ネメスのアシスタントになる。92年パリのスタジオベルソー を卒業。93年パリでプレタポルテ・コレクションにデビュー。1995-1996 A/W東京・下北沢にて初の東京コレクション。97年フランス文化省のANDAMコンクールで金賞を受賞。同年ホンダとのコラボレーシ ョンによる「シンイチロウ・アラカワ ホンダ」を発表。98年原宿にショップをオープン。2000年「毎日フ ァッション大賞」で新人賞を受賞。若手ではトップクラスの実力者であり、海外での評価も一様に高い。


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洋服を考える時、記憶の中から探しちゃうんです。(荒川)

ファッションはいつ頃から始めたんですか?

実家が縫製工場というのもあったんですけど、大学卒業するまでは自分がファッションの世界で仕事をするなんて考えたことはないです。

実家で洋服を作られてるわけですよね。それとデザイナーになろうというのと関係はありますか?

どこかで関係はしてると思うんですけど自分の中ではあまり結びつかないですね。ただ東京に出て来て色んな友達と知り合った中で…ファッション業界の人が多かったんですけど…自分がその流れに入って行った時に“恐さ”みたいなものはなかったですね。小さい頃ボタンを食べながら生活してたみたいなところがありますから。

ボタンで遊んでたんだ(笑)。洋服が身近だったということですね。いつ頃東京に出てこられたんですか?

高校卒業してすぐくらいです。

18〜19歳。その頃の東京はファッションも“バブリー”と言うか、非常に華やかな時代ですよね。

そうですね。もともとそういう時代でした。でも僕は下北沢に住んでたんですけど、知り合った友達が洋服を“買ってくるタイプ”というより“拾ってくるタイプ”だったんです。 大袈裟かもしれないですけど(笑)。

古着屋とか?

ですかね。あと友達と交換したりして…。それを自分なりにいじって工夫して着てたんですよ。そういう人が周りに多かったので洋服の面白さはそういう所から覚えました。

その時代では珍しいタイプだろうし、凄く先見の明があった人たちですよね。その後“インディーズ”とか言われたりして、そういうファッションも台頭してきたじゃないですか。じゃあその頃の息遣いは大きかったですか?

そうですね。今でも洋服を考える時、記憶の中から探しちゃうんです。

“記憶の中”!? それどういうことですか、教えて下さい!

例えば今この現場があるじゃないですか。3年とか10年後とかに「あの時のイメージの服を作りたいな」とふと思う時があったとします。その時、この現状は忘れてるんですよ。ただその時の空気みたいなものを何となく覚えていて、それを形にしていく作業というのはどこかフェイクなんだけど出来ちゃう場合があるんです。

なるほど。

「あの時は雨で、気温はこんな感じで、もしかしたら半ズボンはいてたよな」というふうにシルエットを作ったりとか、自分の記憶を形にしていくんです。

じゃあ荒川さんにとって洋服を作るのは絵を描くようなものですか?

近いかもしれないですね。


日本のサブカルチャーとか、そういう文化的な面も向こうで伝えたかった。(荒川)

日本でも少しだけファッションの学校へ行って、その後パリのスタジオ・ベルソーでへ留学したんですよね。日本とパリでファッションの学校の違いはありますか?

パリの学校は身なり恰好よりも、もうちょっと“頭の中”が主張されてる世界でした。自分達の個性を本当に大事にしているというか。

パリはもともと個性的な人達がたくさんいる国ですからね。

学校自体も点数制度がなかったんです。誰が一番とか。先生が各自指導してくれる中で全員が一番にもビリにもなれるんです。そうするとみんなスノッブな感じになって行きますよね。そうするとそのまま社会に出ても普通にファッション業界で生活出来てるようになるんです。

“点数がない”というのは綺麗な言葉だけど難しいですよね。点数で評価しないけど、でも学校だといって何かを教育していくんですから非常に難しいことですよね。

最初に、もともと自分達が持っていた癖を全て壊されましたね。

例えば?

デザイン画だと絵の上手い人は手が慣れてしまっているから、じっくり見なくても描けちゃうんですよ。そういうことに対して「モノを見てない」と言われるんです。僕もそうでしたけど「右手で描くの止めて、左手で描きなさい」と言われて。

一度自分のテクニックを奪い取られてしまうわけですね。つまり何も見ないでもサラサラやってた事は何の意味もないって事だ。

その時はびっくりしました。

パリというとファッションのナンバー1のイメージがあるじゃないですか、パリ・コレとか。もっとみんながプロフェッショナルな雰囲気というのかな…「こうやってこうやるとイヴ・サンローランになれるんだよ」みたいな(笑)。」そういうイメージがあるんですけど、そういうのを打ち崩すんですね。

最初に学校入った時は全部取られました。それでまた再構築でしたね。

それはパリならではなんでしょうね。

でも壊されたといっても1つだけ…その国の人達のカラーだけは大事にしてくれたんですよ。ドイツの人からアメリカの人まで色々いますからね。

それは日本人が一番苦手なことですよね。結局求められているのは“君は日本人として何がしたいのか”ということですよね。

でもある意味、僕が日本人として海外で生活していて“本当に日本人のことを理解しているのかどうか”という疑問もあって。

あるよね(笑)。

「ちょんまげと着物の世界じゃないんだよ」という。

「“フジヤマ、芸者、腹切り”だけじゃないんだ」という。

今のリアルな東京とか…「日本のサブカルチャーじゃないけど、そういう文化的な面というのもあるんだよ」と向こうで伝えたかったというのはありましたね。




べルビル公園からパリの街がドーンと見えるんです。そこは一番好きな場所。(荒川)
上から見てもパリは綺麗だね〜!(葉加瀬)

今でもパリにお住まいなんですか?

今は住んでないですけど、向こうにアトリエはあります。去年くらいまでは年に半年程行ってたんですけど、今年は1週間を5回往復したくらいです。

“仕事場”という感じですか?

「できれば観光で行きたいな」と本当毎回思いますね(笑)。

パリの街中は独特な雰囲気あるじゃないですか。単純に好きですか?

好きです。凄く空気がゆっくり流れてるじゃないですか。考える時間を与えられるんですよ。自分に向き合えるんです。

カフェに座ってても自分と向き合える?

カフェにいるとビールと向き合っちゃうんですけどね(笑)。

ワインじゃなくてビールなんですね、僕もビール大好きですよ。話は変わりますがパリのどの辺にお店出があるんですか?

パリ市役所のあるマレ地区という所です。

“マレ地区”! 最近聞きますね。ここ数年お洒落なんでしょ?

今はアトリエが中心部にあるんですけど昔は北のべルビル地区にありました。ベルビルの中でも更に上の方なんですけどね。べルビルは中華街のある街で色んな人種が住んでいて、夜になると『ブレードランナー』みたいな街になるんです。

酸性雨が降ってそうな(笑)。

その街を抜けると本当に昔のパリの街みたいな所があって、そこにずっと住んでたんです。

そういうカントリーな雰囲気が好きなんですか?

好きですね。そこに小さい公園があるんですけどモンマルトの丘から少し東の方。そこにモンマルトルの丘に似たべルビル公園という小さい公園があるんです。夜行くと誰もいないような所ですけどパリの街がドーンと見えるんです。そこはパリの中でも一番好きな場所ですね。

僕はもう5、6回もパリ行ってるのにこの前初めてモンマルトの丘に登ったんですよ。でも上から見てもパリは綺麗だね〜! 歩いていても独特の雰囲気・感慨を与えてくれるけれど、上から見たパリも美しかった。

TVを見てた時に面白い番組があったんですよ。フランスの田舎とかパリの街の風景とか、それが5カットくらい連続して出てきたんですよ。でフランス語でフランスのアナウンサーが言った言葉「あぁ、パリ、フランスってなんて綺麗なんだろう。フランス人が映ってない」と言ったんですね(笑)。 でもそれくらいフランス人って分かってるんだか分かってないんだか(笑)。面白いですよね。

「パリは素敵だろう、パリジャンがいなければな」とよく言いますよね(笑)。自分の事を皮肉っちゃう所も楽しさに繋がってるんでしょうけどね。


Shinichiro Arakawa と書いてあって“France” とあったんです。(荒川)
それが本当のメトロポリタンだよね。(葉加瀬)

“パリ・コレに出る”ってやっぱり凄いことなんですか?

いや、それが自分にはピンと来ないんです。ただ僕はたまたまパリの学校を卒業してパリのファッション業界に入って来た。たまたま仕事して生活していた所がパリだったんで、洋服を作ってパリで発表した。それをパリ・コレと言うのであればそうかもしれないし。それくらいの感じですね。

厳密にここからここまでパリ・コレとかあるんですか?

一応オフィシャルのカレンダーがあるのでそれがパリ・コレと言いますが。でも凄く面白いデザイナーとかもカレンダー外のところでショーやったりするんですよ。全てを数えたら何百というブランドがパリ・コレ期間にはショーをやってるんです。

荒川さんはカレンダーに?

今は入ってますけど、昔はもちろん入ってない所からやってきました。

カレンダーに入る入らないは誰が決めるんですか、国がやってるの?

そうです。国が主催している協会の人達が決めます。

国がしっかり文化に対して貢献してるというのは素晴らしいことですね。僕はよく言うんですけどピカソにしてもシャガールにしてもみんなパリにとっては外国人でしょ。でもパリで何かを作った以上は“俺達のアーティストだ”と守ろうとするじゃないですか。

最初に展示会に参加した時に自分達のブースが与えられたんですけど、デザイナーの名前の下に出身が書かれるんです。それは主催者が決めて看板を作っちゃうんですけど。朝行ったらShinichiro Arakawa と書いてあって“France” とあったんです。「やっぱフランスなんだ」と思って。

フランスだ(笑)!

向こうで始めてフランス人という感じだったんですかね。

そうでしょう。恰好いいね。それが本当のメトロポリタンだよね。でもすぐにパリ・コレにブースを持てたわけじゃないだろうし、最初の時は大変な苦労があったでしょう?

最初に自分で始めた頃はゴミ袋に服を突っ込んでパリの店をグルグル回りました。いわゆる営業活動です(笑)。 店に洋服を置いてもらったりしてそこから少しずつ…。そして学校を卒業した時に友達から「合同でショーをやらない?」と誘われたんです。本当は学校を卒業したら日本へ戻ろうと思っていたんですが、最後だからやってみようかなと思って。

やったんですね。

たまたまそこでショーをやってる時に声がかかって「あの店に見せなさい」とか「あの店に持っていた方がいいよ」とアドバイスをもらったんです。そして持っていったところ大変気に入ってもらって、次のパリ・コレのシーズンのショーウィンドウをもらったりとか。そういうところでプレスの人も目をかけてくれたりして。

それで東京へ帰るの止めちゃったんですか?

その時はまだ帰ろうと思ってたんですよ(笑)。でも1回お店に洋服を卸して店頭に並んで買ってくれる人達がいて…それを継続していかないと意味ないなと思って。「欲しい」「着たい」という人達に会って凄く嬉しいじゃないですか。だからそういう人の為に続けて洋服を作っていきたいなと思って、そのままパリに住んじゃいましたね。


「あ、こんな服若い時着てたね」なんて思われる。そう思うと辞められないですね。(荒川)
洋服は着る人によって変わっていくのはとても面白い事ですもんね(葉加瀬)。

道端で偶然知らない人が自分の服を着ているのを見た時は忘れられないですね。

単純に嬉しいだけですか?

嬉しいと恥ずかしい(笑)。服って1回手を離れて人に買われると形が変わっていくんですね。同じ白いシャツを100枚作って100人にあげて100人の人が1年着たら、100着集めた時に100枚違う形になってると思います。もちろんその人が洗う洗剤の量も違うだろうし、色褪せてたりとかするでしょうから「洋服たち頑張ってるね」みたいなのはあります。

なるほど。その考え方は素敵ですね。だって「自分の作ったものが変わったら嫌だ」と言ったらつまらないじゃないですか。

それはないです。

洋服は着る人によって変わっていくのはとても面白い事ですもんね。

もしくは最終的にゴミ箱の中で終わっちゃうことかもしれないし。洋服は不思議ですよね。

自分が作った洋服ってどの辺まで想像出来るんですか? 買って行かれた時点でバイバーイという人もいるだろうし。

追いかけられないですからね。でも自分もそうじゃないですか。東京に出てたまにパリに戻ったら「アレこんな服あった」と思ったりするし。何処かで誰かが今作っている服を何十年か後に「あ、こんな服若い時着てたね」なんて思われる時もあるんでしょうし。そう思うと辞められないですね。

これからやりたいことはありますか?

やっぱりお店です。今はアトリエとお店が別々になってるんですけど、ゆくゆくはアトリエを裏に持って、店先で洋服を直に売る形態を作っていきたいな。

もっともっと身近にというか、ストレートにいきたいと。“服屋さん”でいたいということですか?

“パン屋さんみたいなお店をしたい”と昔から言っていたんですけどね。出来ればそれに近い形態に持っていきたいです。

たくさん賞を取られててますが、いつまでも現場でいたいということですか。

常に現場ではいたい。今のモノを作る状態をキープしたいです。

いくつになってもね。でもきっとずっと変わらないんでしょうね。

でも変わらないのも困るんですけどね(笑)。


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CITY INFO

Rio De Janeiro via La Paz

 

ON AIR LIST

 
THE FREE DESIGN / STEREOLAB
LOVE LOVE MODE / DIMITRI FROM PARIS
ST.GERMAN / VANESSA PARADIS
EASY GIRL / LES NEGRESSES VERTES
ROSE / ZAZIE
ANGEL IN THE SKY / 葉加瀬太郎

 

LINK

荒川眞一郎オフィシャルサイト:0cm4
荒川さんの作品が紹介されています。
 

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