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七つの大陸にそびえる山々。そこは、新しい自分と待ち合わせした場所。

 

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PROFILE
  宮本文昭 さん

野口健 - アルピニスト -

1973年アメリカ・ボストン生まれ。幼少時代の大半をエジプト、イギリスなど海外で過ごす。高校1年の時に冒険家・故植村直己氏の『青春を山に賭けて』に感銘を受け、山の世界へ。高校2年の夏休みにモンブラン登頂成功。1999年25歳でエベレスト登頂に成功し、当時世界最年少で7大陸最高峰登頂を達成。2000年には日本人初のエベレスト清掃登山を決行し、以来清掃登山に取り組んでいる。現在、青森大学大学院に在籍し、環境教育学を専攻。環境問題をテーマに各地の小学校へ講演に出向くなどの活動を続けている。


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停学中に植村直己さんの本と出会ったんです。(野口)

野口さんが出てきたことによって僕らにも“アルピニスト”という言葉が浸透してきたんですが、そもそも“アルピニスト”という肩書きはずっとあるものなのですか?

あったんですけど、基本的に知られていなかったんです。あるCMで“アルピニスト”と紹介してもってからですね。その前まで登山家・冒険家と紹介されていたんですが、登山家の暗い・臭い・ダサいというイメージが嫌だったんですよね。ヨーロッパのイメージは違いますけど。

そうか、そんなイメージありますか?(笑)

CMが出来る時に「どんな肩書きを使いますか?」と言われて困ってたら「“アルピニスト”どうですか?」と提案してもらって「コレいけるな」と思ったんです。なんとなく“ピアニスト”みたいな感じで繊細さを感じるじゃないですか(笑)。それから僕は“アルピニスト”。

なるほど。そもそも、野口さんが山を登るきっかけは何だったんですか?

高校に入ってすぐですね。イギリスの高校に行っていて、全寮制で非常に厳しかったんです。

もともとイギリスでお生まれなんですか?

アメリカで生まれて3ヶ月後に中近東へ行って、1回日本へ帰ってきて、また中近へ東行って、イギリスへ…。親父が外交官だったんです。3年おきに国が変わるんですよ。だいだい中近東が多かったんですけど。遊牧民族ですね(笑)。僕の母親はエジプトとレバノンの血が入ってるんです。

自分のDNAの中には、あっちこっち移動したり旅する、と埋め込まれていると思います?

思います。一箇所にいるのダメなんです。日本に帰って来ても一箇所に住めないんです。3〜4年すると嫌になっちゃう(笑)。この間も引っ越したばかりですけど、数年おきに引っ越さないとダメなんです。

話は戻りますが…で、高校の時に旅をして?

いやいや停学になったんです。イギリスのインターナショナルスクールだったんですけど厳しい進学校で完全に落ちこぼれて、高校に上がる時に仮進級だったんです。先生にも「仮」と呼ばれてイライラしていてるところを、寮の先輩に「態度悪い」と言われて、プツン! ときちゃってね。ぶん殴ったら顔が腫れて、僕は停学になったんです。

(笑)…そりゃ全力でぶん殴ったらダメだわな。

日本に帰らされてぶらぶら旅をしている時に、偶然一冊の本と出会ったんです。それが『青春を山に賭けて』という植村直己さんの本。“ナオミ”っていうから最初「女かなー」と思ったんですけど(笑)。それを読んで変わりましたね。「なんて自分の視野は狭いんだ」と思ったんです。

そうか。植村さんの本ね!

植村さんも「自分は落ちこぼれ」と言っていたんですよ。地方から東京へ出てきて大学に入ったけど就職が見つからなくて、でも大学の山岳部のみんなは就職していくんです。「本当はみんな海外の山に行きたいのに諦めて就職する。ならば僕は…」と彼は考え、世界中を放浪することになるんです。それを僕は停学の真っ最中に読んで「コレだな」と心の何処かで感じたんです。というのも、どこかで勝手に「自分はダメだ」と自分の首を絞めてたんですね。それから本屋に行って山関係の本をガバッと買い込んで読んで、その年の冬から山に登り始めたんです。


ヒマラヤへ行くと毎日登っているのに足の筋肉が無くなっていくんですよ。(野口)

実際のトレーニングはどういうことをするんですか?

25歳でヒマラヤの登頂に成功して、世界最年少で七大陸最高峰登頂の記録を作った後は、去年一昨年と清掃登山でヒマラヤへ行っています。清掃登山といっても8,000mくらいまで登っているんですよ。だから一番大事なのは高所で生活できる体を作ることですね。酸素のない所でハードに体を動かして、血液の中のヘモグロビンの値をブワァーと増やすんです。標高の高い所で2ヶ月程、かなりハードなトレーニングを一気にやるんですね。

2ヶ月間はその標高に合わせて体を作っていかないといけないんですね。それは標高の高くないところでは出来ないことなんですね?

出来ないことはないです、地上でも走ったりとかは出来ます。でもそれだけではダメなんです。実際に標高5,000〜6,000mに行って体を作らないと対応できません。僕は97年に初めてエベレスト行ってコテンパンにやられてしまったんです。初めてだったので気合いが入りすぎたんですね。相当なトレーニングを日本でやって、4月から登山が始まるんですけど、2月始めにはネパールへ行って現地でトレーニングをしてそのままエベレスト入りました。完璧だと思ったんです。ベースキャンプへ行った時は絶好調でしたから。

準備万端! という感じだったんだ、もう。

ところが2月3月と5,000m越えた所にいたから、体重が5〜6kg落ちてたんです。4月に入るともう10数kg落ちてしまって、もう食事もとれない。痩せ細って咳も止まらなくなり、1ヶ月咳き込んだら肋骨が3本折れましたよ。肋骨折れると痛くて深呼吸が出来ないんです。気圧が低いし凄く寒いから傷口が痛い。だから寝られないのと深呼吸出来ないのと酸欠が悪化していって、7,800mくらいの所で歩けなくなって座ってしまったんです。

それでどうしたんですか?

後輩とかは諦めて先に降りてまして、シェルパ(現地の案内人)も先行ってて僕一人だったんですね。そしたら猛吹雪の中、寝ちゃったんです。恐らく30分くらい。ポケットに無線機が入ってて「おい、健! どうした!」と大騒ぎでした。ハッと起きたけど、でも手が動かない。寝て呼吸のペースが落ちると酸欠になって手が全然動かなくなるんです。しょうがないから手を振って岩に叩き付けると、内出血して血行が良くなって、それでやっと無線機を取ったんですけど、その時自分が登っているのか下山しているのかすら分からなかったんです。酸欠で脳の思考能力が低下していたんですね。30秒くらいしてからやっと今登っている最中だと分かったんですけど。それで「もうこれ以上行ったらダメだ」と、上から3人シェルパが降りて来て担がれるようにして降りたんです。

それは凄い思い出だね。

一番の失敗の原因は、2月〜3月のトレーニングのし過ぎです。エベレストに登る遠征期間が2ヶ月、最初の1ヶ月で力がなくなって後半は何も残っていなかったんです。ヒマラヤへ行くと毎日登っているのに足の筋肉が無くなっていくんですよ。どうしてか分かりますか?

わかんない…。

毎日重たい荷物背負って毎日登ってるのに筋肉が無くなっていくんですが、何故かというと酸素が少ないので、筋肉の細胞が退化していくんですよ。6,000m以上先でずーっと住んでると人間は死ぬんです。数カ月間ならいいけど、半年や1年いると最終的には筋肉や細胞がどんどん減っていきます。そういう所で数カ月間で登るから体が疲れてる状態で行っちゃうとどうしようもないですね。




「日本は経済は一流だけど文化はまだ三流だ!」と言われました。(野口)

清掃登山は自分でやり始めたことなんですか?

そうです。97年に初めてエベレスト行ったんですが、その時は国際隊に加わって行ったんです。隊長がニュージーランド人で西洋人がいっぱいいて日本人は僕一人。びっくりしたのがゴミがすごくいっぱいあったんですよ! 僕はエベレストへ行く前にはTV番組で見たり、写真展へ行ったりして、たくさんエベレスト見て来たんですが、その中にゴミなんて1つもなかった。でも実際はいたる所にゴミがありますから、カメラマンは敢えてゴミを写してなかったんですね。

それは行った人にしかわからないですね。

初めて行った時は体調も悪くてゴミどころじゃなかったですけどね。俺がゴミになるかと思ったくらいシンドかったから(笑)。だからゴミに構っていられなかったんです。そしたら同じ隊の西洋人が、さりげに人の隊のゴミを拾って自然に自分のリュックに入れるのを見たんです。7,000m行ってたら彼等も僕も苦しいんですよ。これは凄いけど僕には出来ないなと思ったんです。

7,000mの所で、ですか…。

頂上へアタックする前に1回ベースキャンプに降りて5、6日間休みを取るんです。その時も隊長が「周りの清掃をしよう!」と言うんですね。僕は「冗談よしてくれ、疲れ果てて休まなきゃいけないんだ」と思いました。ベースキャンプといっても5,300mのところにあるので、いるだけで疲れるんですよ。ところがみんなは反対するかと思ったのに、僕以外は大賛成なんですよ。「マジかよ!?」と思いながら参加しましたね。

いるだけでも辛いのに、彼等の意識は全然違うんですね。

そしたら韓国隊のゴミがひどかったんです。ついつい僕は感情的になってしまって「日本人はこんなことしないよ」と言ってしまったんです。富士山が汚いことは言わずに、威張っちゃったんですね。すると地元のシェルパが「健、来い」と言うんです。「しまった、俺何か言っちゃったかな」と思っていたら、そこから50〜60m移動した所に韓国隊よりさらに多い日本隊のゴミがあったんです。それも20年くらい前の。隊長が飛んで来て「エベレストに限らずヒマラヤの色んな所は日本隊のゴミだらけなんだ」と言いました。そしたら他の隊員も来て「日本は経済は一流だけど文化はまだ三流だ!」と吐き捨てるように言ったんです。

その言葉、ショックですね。

これはプツンと来ました。その英国人に「この野郎!」と噛み付こうと思いましたよ。僕も海外にずっといて感じていましたが、日本人はとにかくバッシングされるんですよ。その度に反論してましたけど、その時はあまりのゴミに反論できなかった。悔しかったですね。日本帰って色んな山岳関係者に「日本隊のゴミがたくさんありましたよ、なんとかしなきゃ」と訴えたんだけど、多くの人は「公にするな」とか「喋るな」「偉そうなこと言うな」と言うんです。つまり「黙れ」という反応だったんです。でも「隠せ」と言っても日本語で書かれているゴミがたくさんあるので隠しようがないんです。

なるほどね。悲しいなぁ。

海外の山岳会で「ヒマラヤをMt.FUJIのようにしてはいけない」とよく言われているんです。去年から富士山を清掃登山してますけど世界で稀に見る汚さですね。頂上に自動販売機が並んでいるのは富士山だけです。以前は“美しい”ということで有名だったのが、今は“汚い”ということで有名になってしまったんです。清掃をしたきっかけは、外国人に日本を否定されたことと、日本の山岳会がそれを隠そうとしたこと。2重の衝撃だったんですね。


アジア人は何処かで自然に甘えてきた。(野口)

エべレストで自分たちのゴミをちゃんと持って帰っる人の国に行くと、その国は綺麗なんですよ。ドイツも北欧もイギリスも綺麗。韓国、中国、日本は汚い。そう考えると、ただ“登山隊のマナーが悪い”というちっぽけな話ではなくて、それはその国の縮図なんです。

国民性が現れてしまうんだね。

「何で日本が汚いんだろう」と思ってたら英国人にこう言われました。「何故日本人はゴミを捨てるのか分からない。経済的にゆとりもある。自分たちの生活にゆとりがあれば当然環境という視野も出てくる」。…そうなんです。生活するのが精一杯の人に「環境やれ」と言っても出来ないですよ。でも日本人には出来るはずなんです。

そうだね。これだけ豊かな国なんだもの。

それに彼らと喋っていたら、イギリス人もドイツ人も北欧人も「僕らは小学校・中学校の頃から『環境』という専門の授業がある。君たちもそういう授業を受けているのに何故汚すんだ」と言うんです。僕は「ちょっと待て、“環境教育?”」と思ってね。日本ではなかったんですよ。でも「ない」と言えずに「そうだね」とか言って適当にごまかしたんですけど。

そう。僕たちは受けてないんだよ。これは重要なことだよね。

日本に帰って来た時に「『環境教育』について自ら勉強しないとダメだ」と思ったんですね。それをテーマにやってる大学・大学院を調べたら日本に青森大学大学院の一つしかなくてそこへ入りました。遠いのであまり行けてないですけどね(笑)。今の僕の活動としては、まずはヒマラヤや富士山へ行って掃除をすること。あと日本にいるときは色んな小学校・中学校・高校を回って山の話とか環境に対する話をしてます。子供は凄く興味を持ってくれるんですよ。

どんな反応なんですか?

みんな僕の活動を応援してくれるんですよ。そこで「じゃあ俺だけにやらせるの?」って言ったらみんなシーンとなってね。「俺はもう疲れたから、君たちも何かやってくれ。俺は今からエベレストへ行って掃除をするから、みんなも自分たちに何が出来るか考えてくれ」と言ったんです。そしたらその学校から連絡があって「子供たちが話し合って毎月近くの公園や道路を掃除している」と言うんです。だから子供は早いです。大人は変わらないけど子供はどんどん変わっていきます。“日本にはなかった『環境教育』をどうすれば定着させることが出来るか”というのを今後のテーマにしたいですね。これも違った形の冒険かな、と。

凄いね。今、しようとしていることは、世界のことを考えてじゃない。

特にアジアなんですよね。西欧人は環境に対する想いがあるけどアジアの人にはないですよ。ヨーロッパの人は昔1回自然を破壊してるんですが、逆にアジアの自然は強くて、人間が切っても切っても勝手にまた再生してたんですよね。だからアジア人は何処かで自然に甘えてきた。ところがもう甘えはきかないですね。


生きることに対する挑戦が冒険だと思います。(野口)

山を登っていくって凄く苦しいことの連続だと思うんですが、でもやっぱりやめられない程の素晴らしさや気持ち良さがあるんでしょ?

“山を登ることによって自分の表現が出来た”というのはありますね。あとは「山ってなんだろう」ということなんですが…僕がエベレストに登って帰ってきた時に、真っ先に言われたのが「七大陸最高峰制覇おめでとう!」という言葉。この“制覇”というのがどこでも使われたんですがピンと来なくてね。僕は97年〜98年の間に3回エベレストに挑戦したんですけど、97年は自分の力が全然足りなくて失敗。98年は相当トレーニングしていって山頂直下まで行きました。8,800mの頂上に対して 8,600mまで行ったんです。そこで天気が一転して猛吹雪になった。“行くか行かないか”で相当迷いましたね。「天気が悪いから帰るか」なんて簡単にはいかないんです。

それはどうしてですか?

1回失敗た時もの凄くバッシングされましたし、スポンサーのこともあるし。そこで1時間くらい迷いました。片道はもう近いから自信があったんです。ただ帰って来る自信がなくて…。エベレストはもう1,000人登ってますけど300人死んでるんです。2回目に行く時にどうしても“死”という恐怖があったんですね。ああいう所に行くということは「“死”ということもルールの中に含まれる、それもやむを得ない」と自分に言い聞かせるんです。でも山頂直下まで行って“死”を付きつけられた時に、やっぱり死にたくなかったんです。

山を降りたんですね。

下山の途中に感じました。僕は高校時代“自由になりたい”と思ってヒマラヤとかに入って行った。ところがずっと登っているうちに、自由に“責任”が問われてきたんです。例えば悪天候の中アタックして事故を起こして亡くなるのも、死にたくないから途中で撤退するのも、どちらも僕の責任ですよね。山登りを始めて感じたのが“自由には責任が問われる”ということで、これは高校時代には感じなかった自由ですよね。山をやってると色んな人が「無理しないでね」と言いいますけど、無理しなくてエベレストに登れるわけがないんです!

その通りだ(笑)!

だから「無理しないでね」という言葉は意味がないんです。気持ちは分かるんですけど。

「頑張って」もそうでしょう? 「頑張ってるっつーの!」ってね。かける言葉に適切なのがないんですよ。

98年は山頂直下から帰って来て助かったんです。一緒にペアを組んでた外国人は、その時にアタックを決行しました。彼はそこから100mちょっと登って、風でゴーグルが吹っ飛んで見えなくなって這って帰って来たんです。彼は手の指10本中7本を切り、耳も足の指も落として、目も殆ど見えなくなりました。命は助かったけど、もう1回挑戦することは出来ないですね。それで“冒険とか山ってなんだろう”と考えた時に“していい無理としちゃいけない無理”があって、その境目さえ自分で分かっていればそう簡単に人間は死なないと思いました。当然危険な場所に行ってずっと生活するんだけど、どんなに追い詰められても「俺は最後の最後まで生きるぞ」という生きることに対する挑戦が冒険だと思います。これは簡単なようで一番難しいんです。

なるほど、そうだよね。



(当選者発表)
野口健さんの青春の日々を描いた一冊、
一志治夫著
「僕の名前は。〜アルピニスト野口健の青春〜」

当選者は森一夫さん(世田谷区)、大野昌子さん(川崎市)、
中山栄一さん(西東京市)です。おめでとうございます。

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CITY INFO

Rio De Janeiro via La Paz

 

ON AIR LIST

 
GOOD SOULS / STARSAILOR
LES FLEUR(RADIO EDIT) / 4 HERO
STANDING STILL / JEWEL
LOVE CAN MOVE MOUNTAINS / CELINE DION
EVERYTHING IN ITS RIGHT PLACE / RADIOHEAD
ETUPIRKA / 葉加瀬太郎

 

LINK

野口健website
オフィシャルページ
オフィスセブンサミッツ
野口さんが設立した清掃登山活動、シェルパ基金等の活動を行う事務所
 

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