ON AIR DATE
2015.05.24
BACKNUMBER
  • J-WAVE
    EVERY SUNDAY 20:00-20:54

「ラジオ」


アメリカのラジオにあこがれた。


トップ40、ソウル、カントリー、アメリカン・ロック。

それぞれ専門のラジオ局が あふれるように音楽をかけまくる。


多様な人が暮らす 広大な国土。

どんな街にも、どんな人にも、ぴったりな音楽を届ける。


その魅力は 10代の少年にも 確かに伝わった。



TUDOR logo

Theme is... RADIO

ラジオ・ナヴィゲーターの野村訓市が語る、「ラジオの魅力」。
彼がアメリカに憧れるきっかけとなった「英語放送」、
アメリカで聴いたラジオから受けた大きなインパクト、
そして、初めてのラジオ番組への出演体験エピソードなどを語ります。


★★★★★
番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。

現在、「ドライブ」にまつわるエピソードと
その時に聴いていた曲について大募集中!
日本、海外、どちらの体験でもOKです。

今後、リスナーの皆さんの「ドライブ体験」というテーマで
ご紹介する予定!


番組サイトの「Message」から送信してください。
ハガキ、手紙も大歓迎!


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
Antenna TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/



2015.05.24

MUSIC STREAM

旅の記憶からあふれだす音楽。
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
1

You Turn Me On I'm A Radio / Joni Mitchel

カナダ出身の女性シンガー・ソング・ライター、ジョニ・ミッチェルが1972年にリリースした5枚目のアルバム『For The Roses』に収録されている曲です。

2

The ballad Of El Goodo / Big Star

アメリカ南部メンフィス出身のヴォーカリスト兼ギタリストで、カリスマ的存在だったアレックス・チルトンを中心とした4人組、ビッグ・スター。1972年にリリースされたバンドとしてのデビュー・アルバムに収録されている「名曲」です。訓市はナッシュビルに滞在しているときにカー・ラジオでこの曲を耳にし、とても感動したとか。

3

Why / Carly Simon

アメリカの女性シンガー・ソング・ライター、カーリー・サイモンが1982年にリリースしたアルバム『Soup For One』に収録されている曲。訓市がラジオを聴き始めた当時は、「シンセ・ベース」が強調された曲がよくオンエアされていて、その中のひとつがコレ。

4

Bobby Jean / Bruce Springsteen

ボスこと、ブルース・スプリングスティーンの代表的アルバム『Born In The USA』に収録された名曲。彼が親友のボビー・ジーンに向けて歌っている作品で、「今、何処にいるんだ。電車に乗ってるのか、車に乗ってるのか分からないけど・・・ 俺がお前のことを歌っているこの曲を、今、もしかしたらラジオで聞いているかもしれない。さよならボビー」という歌詞。訓市曰く、「男でこういう曲が嫌いだっていう奴がいたら、ボクは友達にはなれないと思います」。

5

Chinabon On The Radio, Arata's Guitar In My Soul / DJヨーグルト& Koyas

ハウス、テクノ、チルアウト系のDJヨーグルトと、日本人クリエーターのKOYAS。2010年にリリースされたアルバム『Chill Out』に収録されています。

6

What A Fool Believes / The Doobie Brothers

アメリカ西海岸ロックを代表するバンド、ザ・ドゥービー・ブラザーズにとって最大の成功を収めた1979年のアルバム『Minute By Minute』に収録されている曲で、グラミー賞の「Song Of The Year」「Record Of The Year」を獲得しています。

7

All Night Long / Mary Jane Girls

1980年代中期に活躍した女性R&Bグループ、メリー・ジェーン・ガールズにとって最大のヒット曲で、メアリー・J・ブライジを始めサンプリング・ネタとしても定番です。

8

Strawberr Letter 23 / The Brothers Johnson

兄弟ファンク・グループ、ザ・ブラザーズ・ジョンソンの弟でベーシストの【ルイス・ジョンソンさん】が5月21日に亡くなりました。享年60歳。--- R.I.P. この曲はブルース・ギタリストのシュギー・オーティスのオリジナルで、ブラザーズ・ジョンソンのヴァージョンは1977年のアルバム『Right On Time』に収録されています。

9

Cause I'm A Man / Tame Impala

オーストラリア出身の5人組バンド、テーム・インパラの最新作『Currents』に収録されている曲です。

2015.05.24

ON AIR NOTES

野村訓市は、どこで誰に会い、
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。

Kunichi was talking...


★★★★★★★
ラジオ。一番最初に聞いたラジオって覚えてないんですけどね。母親がかけていたラジオっていうのを無意識に聞いていたと思うので。意識的に最初に聞いたのは、従兄弟が聞いていたFENという米軍がやっているAM放送ですね。Far East Network。従兄弟がすごくアメリカ好きで英語を一生懸命覚えていて、FENを聞けば英語が喋れるんだって。確か小林克也さんも同じことを言ってたと思うんですけど。それを聞いてマネをしてました。ラジオから聞こえるDJの英語と音楽っていうのがもうなんか、かかった瞬間風景が変わるというか、なんなんだろう、これって。外国ってこういうことなのかなってすごく思いましたね。それ以来よく聞くようになりました。あと、ケーシー・ケイサムさんっていう有名なDJがやっていたTOP40とかですね。それをかじりついて聞いたりしてましたね。アメリカに僕が一番最初に行ったのは、たぶん13歳の時だと思うんですけど、母親に連れられてニューヨークとロスに行ったんです。ロスには母親の幼馴染が住んでいまして、そこに行きました。同い年くらいの女の子がいて、みんなやっぱりアメリカでもラジオを聞いてるんですけど、今一番イケてるラジオっていうと『KROQ』っていうのがあるんだよって教えてもらいまして。アメリカのラジオ局っていうのは西海岸なのかな、全部最初に『K』が付くんですけど、それで4つの英語が付いて局名になるんですけども。何がかかってたかっていうと、ニューウェーブ専門の局でしたね。アメリカっていうのは局によってジャンルに分かれてるんですよね。ジャズばっかりかけるとか、70年代のクラシックロックばっかりをかけるとか。で、KROQっていうのはディペッシュ・モードとかイレイジャーなどがかかりまくっている頃で、僕はちっとも好きじゃなかったんですけどね。なんか格好も、なんなんだこの人たちっていう感じだったんですけど。たぶん、ロスにいて街の雰囲気にやられてしまってですね、すっかり好きになってしまいまして。あとは僕がすごく好きだったスケートボーダーがいたんですけど、彼のデッキにそのラジオ局のステッカーが貼ってあるのを発見しましてね。それ以来もう寝ても覚めてもKROQみたいになってしまいましたね。テープに録音してもらって、それを日本でも聞いていたんですけど、それを聞いてる間だけは自分もアメリカ人になったんじゃないかと。あと、スケートを一緒にする友達が田園調布の先に住んでいまして、そこに「田園」ていう、今は大きくなっちゃったのかなぁ、小さい輸入のスーパーがあったんですよね。そこに遊びに行くと友達のお母さんが100円とかくれてアメリカのガムとかを買ってくれるんですけど、それを食べてウォークマンでカセットを聞いて、「俺はアメリカ人だ」って信じてました。


★★★★★★★
僕が小学校とか中学の頃っていうのは、勿論、まだ深夜放送なんていうのが流行ってまして、みんな聞いてましたね。三宅裕司の「ヤング・パラダイス」とか、いろんな人がやっていた「オールナイト・ニッポン」とか。夜みんなベッドに入って、イヤホンで聞いて夜中までそれを聞いて寝るっていうのが結構多かったんじゃないかなと思います。期末試験で一夜漬けで今日中に全部覚えなきゃいけないっていうのに、だいたいみんな深夜放送に逃げてですね、あとですごいえらい目にあうっていうことが多かったと思います。僕が一番好きだったのは「スーネクマン・ショー」でして、とにかく友達でお兄さんがいる人がいまして、だいたい、そういう人たちが「スーネクマン・ショー」にはまって、テープに録ってそれをちょろちょろ聞かせてくれるんですよ。なんなんだこれは!って思いまして。「くれ!」って言っても中々くれないんですよね。聞かせてくれるだけで、駅のホームとかで小出しに聞かされて、「たんつぼ小僧」とかですね、ゲラゲラ笑うんですけど、「お前にはまだ早い」とか言われてお預けでした。いつか、「スーネクマン・ショー」みたいなことをやりたいなと思ってるんですけど。今日は言ってみようかな。『こなさん、みんばんは。』まあ、知らない人がほとんどだと思いますが。アメリカに行ってる時も僕はやっぱりラジオを聞いてました。コメディ番組っていうのがやっぱりありまして、結構、英語を覚えるのには役立ったのかなあ。みんな聞いているので、そのギャグが分からないとやっぱり会話に入れないんですよね。すごく楽しかった覚えがあります。「ハワード・スターン」とか「ダイス・クレイ」なんていう人たちがいて、だいたい下ネタなんですけどゲラゲラ笑ってましたね。それから先ほど言いましたけど、アメリカは曲のジャンルによってチャンネルが全部違いますので、よく車に乗っている時は普段聞かないようなチャンネルに合わせて聞いてましたね。「ハートランド・ロック」って言われる王道なアメリカン・ロックとか、やっぱり90年代のクラシック・チャンネルっていうのは本当に一直線の道に合うので日本にもあったらいいなと思うんですけどね。きっと、トラック・ドライバーの人とか全員、AC/DCとかドゥービー・ブラザーズとか聞いて爆走する・・・なんていう光景があったら、中々、渋いと思います。


★★★★★★★
僕が一番最初にラジオで喋ったのは、日本じゃなくてオランダの「アムステルダム」になります。1999年なんでもう16年経っちゃったのか・・・。早いですね。「スプートニク」というインタビュー本を作っていた時のことなんですけど、アムステルダムの友達の家にいまして、こういう趣旨でこんな面白いことをやってる人たちはいないかって探した時に、当時で20年とかやってる有名な「海賊ラジオ」があるぞって。そこを取材したら面白いんじゃないかって取材しに行きました。『RADIO 100』っていう名前だったのかな。ラジオやテレビといった放送というのは、ものすごく影響力とかパワーがあるわけで、誰もが勝手に始められるわけじゃないですよね。もちろん日本もそうなんですけど。ヨーロッパでもそれは一緒で、イギリスとかでも昔は2、3局しかなかったとか。そういう中で、ラジオこそ自由で、好きな音楽をかけて好きなことを言うんだっていう人たちが「海賊ラジオ」っていうのをやる文化っていうのがありまして、当然違反なわけですから、皆さんいたちごっこというかね、電波が出てるところに警察が来るらしいんですけど、その度に引っ越して、また放送を続けるっていう、中々パワフルな人たちですね。ちょうど何年か前にイギリスに有った有名な海賊ラジオの話を元にした映画なんかもやってたと思いますけど、『RADIO 100』っていうのもやってる人はいわゆる元・パンク上がりの人で、会った時にもう50位だったのかな。スキンヘッドでドクター・マーチンのブーツを履いて、ボロボロの全身黒い服を着たかなりハードな格好の人だったんですけど、やっぱりすごくリベラルな人で、面白い人だったんですけど。インタビューしているうちに、「お前も話せ」って言われていきなりマイクを向けられて話しました。電波とネットラジオもやって配信していたんですけど、何を話したのか覚えてないんですけどね、好きな音楽をかけていいっていわれて「スネークマン・ショー」をかけましたけど。日本語のコントをかけて誰も意味は分かんなかったと思うんですけど、そんな時にネットのサーバーを見ながらその人が、「おい、訓。今世界中で3人がネットを通じてお前の放送を聞いてるぞ!」って興奮して言うんですよ。僕はちょっとガッガリしまして。「たったの3人かよー」みたいな。意味ないじゃないのって思ったら、その人に怒られましたね。「それは間違ってるぞ、訓。」って。「ラジオは聞いてる人の数より、何を伝えるか。その心意気が大事なんだ。3人も聞いてるんだ。しっかり伝えろ!」と言われまして。分かったような分かんないような気持ちで喋りましたけど。なんかその人の「伝える内容が大事だ」っていう心意気はすごく気に入りまして、今も座右の銘のようになってます。