映画『オードリー・ヘプバーン

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およそ30年前の1993年、63歳という若さで星となった俳優、オードリー・ヘプバーン。『永遠の妖精』と呼ばれ、歴史に名を残したオードリーの初のドキュメンタリーが公開となります。

世界中で人気を博したオードリー・ヘプバーン。映画『ローマの休日』でヒロインの王女・アン役に抜擢され、アカデミー賞で主演女優賞を受賞。一躍、時の人となりました。

その後も『ティファニーで朝食を』や『マイ・フェア・レディ』などの作品に出演。今に至るまで、時を超えて様々な世代で愛され、また、女性たちの憧れとなっています。

その一方、国際連合児童基金=ユニセフに大きく関わり援助活動にも力を入れていて、1992年にはアメリカで最高勲章の一つである大統領自由勲章を授与されています。

そんなオードリー・ヘプバーン。この映画では当時のオードリーの映像なども使われているので私たちもその言葉に触れることができますが、実際はどんな人物だったのでしょうか?

1929年5月4日にベルギーで生まれたオードリー。

父・ジョセフ、母・エラの間に生まれた彼女は踊ることが大好きな少女でした。しかし、1939年に第二次世界大戦が起きオードリーだけではなく、世界中の人々が夢を追うどころではなくなります。

彼女も戦争に巻き込まれ、避難していたオランダが ナチス・ドイツから解放された時、オードリーも様々な病気を患っていました。

そして その後、逆境を乗り越えオードリーは俳優としてデビューし、その活躍は現代の私たちも知るところ。

ですが、、、その輝かしい表向きのオードリーだけではなく彼女の私生活、家族のこと、オードリーが当時 吐露したことなどをオードリーの息子であるショーン、孫のエマ・キャサリン、オードリー最後の映画Alwaysで共演した俳優のリチャード・ドレイファスやプロデューサー、メイクアップアーティスト、家族ぐるみの友人など、オードリー・ヘプバーンを取り巻く様々な人へのインタビューも交えて描き出していきます。

そんな映画、『オードリー・ヘプバーン』。

6歳の時に父が家を出オードリー。

叔父をナチ下、オランダの獄中で失ったオードリー。戦火の病院で連合軍兵士の看護に就いた若いバレリーナのオードリー。(ネタバレすぎですか?)常に愛を欲し、愛を捧げる人生でした。

ハリウッド黄金期最期のスターが過去のトラウマと戦いながら、究極のエレガンスと品格で世界を魅了し、ユニセフの親善大使として特に過酷な状況にある子どもたちに支援の必要性を子供達が住む現地から訴えました。ご本人のラジオ、TVインタビューで語る言葉の数々からその深い慈愛にスクリーンでぜひ触れてください。

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