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STORY

2019.03.09

シンセサイザープログラマー/プロデューサーの松武秀樹さん

++ Introduction ++

松武秀樹さんは1970年代、電子音楽家である冨田勲さんのアシスタントを経て、
シンセサイザープログラマーとして様々なジャンルの音楽制作に関わり
「YMO第4のメンバー」としてレコーディングやワールド・ツアーに
参加したことでも知られています。

松武さんが最初に触ったのは
「モーグ・シンセサイザー」というアナログの電子楽器。
メモリー機能は全く付いていませんが、複雑な装置ではなく原理は簡単なので
電気と音楽の知識が少しあれば音色を作ることができるとか。
アナログ・シンセサイザーは音を出すための3つの要素で構成されていて、
「オシレーター」と言われる発振器、
音色を加工する装置である「フィルター」、
鍵盤と連動して発音を調節する「アンプ」の組み合わせで音を作り、
中々気に入った音が作れず
既存の楽器の音に近付けようとすると大変なこともあり
要求に応じて音を作り上げるのがシンセサイザープログラマーの仕事だそう。

『現代のデジタル・シンセサイザーはほとんどが中に記憶装置が入っていて
楽器の中にある程度用意されている音を自分なりに加工するのが一般的で、
例えるならレトルトのカレーに似ていると思うんですよ。
温めたカレーにちょっと辛めのパウダーを入れて
さらに自分なりの味にするみたいな。
アナログの場合はジャガイモや人参など材料から用意する必要があって、
それを自分で切って調理するしかないという感じですね』。

松武さんの直近の活動はシンガーソングライター山口美央子さんと
35年ぶりに共演したアルバム「トキサカシマ」。
1980年代に松武さんがシンセサイザーを担当した
山口さんのソロ・アルバムが
3枚リリースされていますがCD化されていない状態で、松武さんのもとには
海外からTwitterやFacebook経由で
多数の問い合わせが寄せられていたことから
リマスター盤のCD化が実現し、
それがきっかけとなって新作の制作に至ったとか。

『自分のアルバムの場合もコンセプトをきちんと決めた上で、
どのような状況でこの曲が作られているといったことをリスナーの皆さんに
きちんと理解していただいた上で聴いていただこうと思っています。
ですから、曲ごとに色を付けたりという考えで作品を作ってきましたが、
山口さんも昔から僕と同じようなコンセプトをもっていて、
それは変わってなかったですし、
声質もキーが全然下がってなかったんですよ。
そういうところも凄いなと感じましたね』。


++ Until now ++

松武さんがシンセサイザーと初めて出会ったのは
1970年、高校生の時・・・

『大阪万博があって、「月の石」を見たくて大阪に行った時に立ち寄った
レコード屋の店内でバッハの作品を
奇妙キテレツな聴いたことも無いような音で
演奏している曲が流れていて、“これは一体何ですか?”と店員に尋ねたら
ウォルター・カルロスという人が
シンセサイザーという楽器で演奏しているとのこと。
そのレコードを買って家に帰って聴きましたが、
どうすればこんな音が作れるのかなと。
当時はシンセサイザーがどういうものか分からなかったので
楽器屋さんで聞いたら
写真を見せてくれて、こんな物でこんな複雑な音が作れるんだと驚いて・・・
それが初めてシンセサイザーの音を聴いた体験でした。
その時、将来はこういう楽器で仕事ができるといいなと思いましたね』。

松武さんの父親はバンドマンで音楽業界にも人脈があって
電子音楽家の巨匠・冨田勲さんの事務所の社長を知っていたそうで、
“電気と音楽を分かっている息子がいるんだけど雇ってもらえないですか”
という父親の口添えもあって
二十歳の時にアシスタントとして就職することに。
事務所に入ってしばらくすると冨田さんが新たにシンセサイザーを購入し
寝ている時は自由に触っていいと言われながら、
何も教えてもらえなかったとか。

『わざとそうしたんだと思うんですよ。
シンセサイザーは楽器を作る装置ですから、
“僕と同じ音を作っても仕方ないでしょう。自分で自分の楽器を作りなさい”
という感じですかね。冨田先生が一つだけ僕に言ってくれたことは・・・
“デッサンできないと駄目だよ”と。絵の設計図ですね。
“行き当たりばったりで音を作るのではなくてデッサンしてから音を作りなさい”
ということを言われましたね』。

その当時は外に出ては雑踏の中に音程の要素となるような音がたくさん感じて
街を歩き回って音を聞きながら録音する日々を送っていたそうです。

松武さんのこれまでの音楽活動の中で特に人々の記憶に残っているのが
「YMO第4のメンバー」としての活動・・・

『細野さんから“松武君もステージに上がってもらうわ”と初めに言われた時は
本当にびっくりして、“え、僕は何をしたらいいんですか?”と質問したところ
“いやいやステージの真ん中で楽器を操作して”と。
ただ、YMOはあの時代に出るべくして出てきたバンドだと思うんですよ。
あの頃の日本の音楽はフォークや歌謡曲や、もちろんロックもありましたけど
ヨーロッパで流行っていたパンクとかプログレッシブ・ロックみたいな音楽や
ディスコなども合わさって、
それでいて東洋的なメロディでキックは四つ打ちという
それまでに無かった感じをシンセサイザーを使ってやったわけですし、
大体インストゥルメンタルの曲が
ヒットするなんてあり得なかったですからね』。

YMO以外にも数多くのミュージシャンと共同作業してきた松武さんですが、
最も印象に残っているのは大瀧詠一さんで、
特に面白かったのは録音現場とのこと。

『訳の分からないことを言うんですよ。
例えば、“紙テープの中の芯を抜いて投げる音を作れ!”って。
芯が入っているとシュ〜と飛んでいきますが、抜くと音がパサパサなんですよ。
そういう音を作って聞かせたら、“いや違うな”と言われたので・・・
“つまり、大瀧さんその音を知っているということですよね”と聞いたら
“いや、それは頭の中だけだ”と。
実はそれには理由があって松本隆さんの歌詞の間にその効果音を入れることで
その詞が湧き出るというか引き立つというか、それを狙っていたみたいです』。

++ Right now ++

音楽の仕事をしていなかったら就いてみたかったのが電気機関車の運転手で、
無心で没頭するならどこかを一周りする旅行が趣味という松武さんは
好きが高じて列車の走行音をシンセサイザーで作って1枚のアルバムにした
「眠れる夜 - あなたに代わってひつじを数えます」をリリースされています。

また、これまでに数多くのアニメ音楽も手がけていますが、
中でもお馴染みなのは「ドラゴンボール」関連の音楽制作で
「ドラゴンボールZ」のテーマ曲はギターとヴォーカル以外は全て松武さんの
シンセサイザーによる打ち込みだということです。

松武さんの中で特に印象に残っていて、公私にわたり最も影響を受けたのは
生まれて初めてライヴを観たバンドでもあるピンク・フロイド。

『冨田先生と一緒にライヴに行きました。
その当時はギターアンプとヴォーカルアンプ程度で
ライヴをやるのが普通でしたが
ピンク・フロイドは巨大なPA装置を日本に持ち込んでいて、
あまりの音の大きさに驚きました。シンセサイザーをメインに使っているバンド
ではないですが、今でも一番大好きでコンセプトの色と音の作り方など
いろいろなことを参考にさせてもらっています』。



++ From now on ++

今後について松武さんは
YMOの次の世代の日本人によるシンセサイザーがメインの
バンドの登場を待望しているとのことで、
そういった若い世代のミュージシャンを
育てるのが夢だということです。
そして、松武さんが死ぬまでにやりたいと思っているのは・・・

『もしかするとボケ老人にならないようにするために自分のDNAの音を作って
それをずっと聴いているとボケないんじゃないかなと(笑)。
脳波でそういったことを研究している方はたくさんいらっしゃるんですよね。
例えば何かの病気に罹ったけど自分のDNAと脳波の音を混ぜ合わせることで
病気の進行が遅くなるといったようなことができるようになるのであれば
それに対応できる楽器はシンセサイザー以外に無いと思うんですよ。
誰もが健康でいたいと考えていると思いますし、
シンセサイザーが少しでも役に立てばいいかなと考えていますね』。

ON AIR LIST

  • TECHNOPOLIS / YELLOW MAGIC ORCHESTRA
  • 幸せの粒 / 山口美央子
  • MONEY / PINK FLOYD
  • 365 / ZEDD & KATY PERRY

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