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2016.04.10

「世田谷ものづくり学校」は、2004年に廃校となった中学校の校舎を再生した施設。デザイン、建築、映像、アート、ファッションなど、さまざまな分野のクリエイターに教室を開放し、新しい産業の活性化、創業支援などを目的に活動を行っている場所です。松村さんは、その仕組みをつくった方でもあります。
まずは、廃校になった場所を地域に根付かせ、成功できたわけを伺いました。
「世田谷ものづくり学校って本当はただのオフィスビルなんですよ。だけどせっかく学校なんだから、みんなで学校ごっこをしましょうみたいな。企業だけど年に1回、月に1回でも教室を開くみたいなね。当時ワークショップという言葉はとっても新しく『なんでしょう』みたいな感じでしたけど、企業のみなさんにワークショップをどんどんやってくださいとお願いしました。やっぱり僕らと入居している企業さん達が仲間になれたというか、お互いに役割を演じられるようになったというと変なのですが、そういう事をお互い協力してやると、ここが魅力的な場所になって、みんなが得するだろうということがわかってくると協力してくれるんですよね。それは来た人も同じです。来た人もここに来てこんなに楽しかったということをみんなに自慢するのも楽しいだろうみたいな。なんか、そういう広まっていくことをみんながわざとやっていくような、そういうことができたと思います。」
世田谷ものづくり学校での取り組み「ワークショップ」の中には、元学校という特徴を生かした楽しい活動もありました。
「たとえば学校の中にみんなで絵を描いちゃうとかね。学校に落書きみたいなことは普通は学校ではできないけど、学校が古かったのもありますし、最悪塗った後またきれいにペンキを塗ればいいですし。また、テナントにペンキ屋さんがいたのですが、ペンキ屋さんがワークショップをやる度に学校がキレイになっていくんですよ。単なるお勉強じゃなくて、そんな事ができたのはおもしろかったですよね。」
廃校になった学校を再生して、地域に根付かせ地域の拠点にする。
これは、村松さんにとってもはじめての経験、たくさんの苦労もあったそうです。松村さんは、現在日本土地資源協会代表理事としてさまざまな活動を行っていらっしゃいますが、世田谷ものづくり学校での経験はとても生かされているとおっしゃいます。
「一番大きいのはああいう施設をつくると、セキュリティとか管理をどうしようかと、ビジネスはそっちの方へ行くのですが、あそこはあまりお金をかけられなかたので、全部人間でなんとかしようとしました。やっぱり施設をあけて誰でも入ってこれるというふうにするのがいかに大事かということはあそこのおかげで学びましたね。」
区切られてしまうと地域との交流はなくなるけれど、自由に来れると気軽にその場所に触れることができる。昔はたくさんあった風景ですが、今はそれが少ない。そういう場所が増えていけばいいですね。
一般社団法人日本土地資源協会