
日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。

第97回のゲストは
平川理恵さんでした
〜 今月のプレゼント 〜
ダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰する
志村季世恵さんの著書
『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、この番組のサイトにある
【 MESSAGE TO STUDIO 】の欄から
番組の感想、送り先をお書き添えの上、ご応募ください。
志村:理恵ちゃん、こんばんは。
平川:こんばんは。
志村:お久しぶりです。
平川:ご無沙汰してます。お元気ですか、季世恵さん。
志村:おかげさまで。今日お会いできて、なんか今すごい元気な気持ちになってます。
平川:まぁうれしい。
志村:こんなに遅い時間なのに、一緒に今暗闇を探検してきて。
平川:ねえ、楽しかったなあ。
志村:楽しかったですね。
平川:ここに来る道が。
志村:うん、本当に。いやー、もうどこから今日お話を伺おうと思って、いろいろと伺いたかったんですけど、ご活躍がすごく教育に絞られているかと思うんだけど、そもそも今日はね、どうして教育者になったのかってのを伺ってみたいなと思って、そこから始めてもいいですか?
平川:ありがとうございます。私、実は教員免許持ってないんですよ。そんな私がですね、20代、大学卒業してリクルートに勤め始めて、営業という仕事をやって、人の中途採用とか新卒採用ですよね、そちらのキャリアの方に関わって、そしてリクルートから留学行かせてもらって、アメリカに行って、それから帰ってきて、1年で辞めちゃったんですけれども、留学費用はちゃんと返済しましたよ。そこから、30代は留学あっせん会社を自分で経営していて、まあ留学も教育の端くれだとしたら、10年経営した時に、なんかちょっとこれ違うなっていうふうに思って、そしたら突発性難聴で右耳が聞こえなくなっちゃったんですよね。でこれは、社員もいましたから、すぐに辞めるっていうわけにはいかないけれども、一旦ちょっと、どうしようと思って、そしたらちょっとやりたいっていう方が出てきてくれたんで、その方に10年で事業譲渡をして、41歳の時に民間人校長になったんですけど、その時やっぱり、なんで留学あっせん会社をやったかっていうと、海外に出て日本って素晴らしいじゃんっていうふうに思ったんですけれども、ちょうど失われた30年が始まった頃で、日本に勇気と元気と活力を、留学事業でそれを達成するっていうのが社是にもなってたし、ミッションにもしてたんですよね。それを本当にやりたかったんだけど、いやー、教育のど真ん中やりたいなと思って、民間人校長に41歳でなって。
志村:そこからだったんですね。
平川:そうなんですよね。でそれが、日本に勇気と元気と活力を、中学校の校長としてそれを達成するっていうのに、まあ立場がちょっと変わっただけなんですよ。だけど教員免許も持ってないこんな私がね、何ができるんだろう?って思ったんですけれども、逆に持ってないからこそできることがあるんじゃないかと思っていたら、20代の時にお世話になったリクルートの先輩が、藤原和博さんとかね、校長先生やっておられて、その後やってらっしゃった代田さんっていう方が杉並区の和田中の校長をやっておられて、私知らない人だったんですけど電話したんですよ。あのう、平川って言いますって言ったら、おー、平川か、なんか営業マンでお前売れてたなって、ありがとうございます、覚えていただいててありがとうございます。ちょっと校長どうかなーと思ってまして、ちょっとカバン持ちさせてもらえませんか?って言ったら、ああいいよ、じゃあ明日から来なよって言って行かせてもらって、校長の仕事っていうのを間近で何日か見させてもらって、あー、この仕事はいい仕事だな、これだったら私も何かできるかもしれないって思って、それで校長を41歳からやり始めたんですね。
志村:一番最初に41歳の校長になられた時に、どんなことをなさろうと思ったんですか?
平川:んー、本当に若かったので、なんか学校の違うなって思うところを変えたいっていう思いと、とはいってもやっぱり、その世界はその世界のしきたりっていうのがあるだろうから、じっくり見ながら、先生たちと一緒に何かできたらっていうふうに思ってたんですけれども、やっぱりその時の、まあ娘がたまたま35歳で出産した娘がいまして、その娘がちょうど小学校上がる時だったんですよ、41歳、私。で、娘の学校どうしようかって思った時に、いろいろ会社売却して1年ぐらい時間があったので、いろんな学校見に行ったんですよね。その前留学あっせん会社やってましたから海外の学校も見たりとか、大体どうでしょう、千校とか行ってるかもしれませんね、学校は。
志村:すごい。
平川:その中で、娘を家の近くの公立にやらせていいものなのかと思って、公立も学校公開の時に見に行って、授業参観もさせてもらって、オルタナティブって言われている、きのくに子どもの村学園とか、シュタイナーとか、いろんな学校がありましたけれども、そういうところも行ってみて、あー、こういう伸び伸びとね、今日本の近くの公立ってみんな同じことをやらせるっていうことに、あまりにちょっと注力させすぎちゃってるなってその時感じてたので、娘に、きのくに子どもの村学園に行く?って聞いたら、私はまだママと一緒にいたいから、近くの公立に行くというふうに娘から言われまして。
志村:うーん、まだ幼稚園児ですよね、その頃きっとね。
平川:そうなんですよね。ガツンと頭殴られたような気持ちで、だったら校長になって、家の近所に、きのくに子どもの村学園を作ろう!って思ったのが校長になったきっかけだったんですよね。
志村:うわあ、お嬢さんの選択から始まったんですね。
平川:はい。
志村:わあ、そうだったんだ。すっごいその話、私にとっては、なんだろう、地に足がついたみたいな、ものすごい深いところでそれを感じていらっしゃる感じがして、要するに頭の中で描いてるんじゃなくて、その一人のお子さんの、我が子というより子どもの声を聞いて、そこからスタートするっていうのが、原点って教育ってあるじゃないですか、そこと繋がっていらっしゃるんだなって感じたんですけど。
平川:そうですね、やっぱり頭の中だけで考えてるんじゃなくて、自分が思った本当に、身をていしてっていうか、やっぱり自分が悩んでることとか、おかしいって思ったこととか、自分の子どもってみなさんもそうだと思うんですけど、一番大切なものですから、本当は娘に行かせたかった学校を公立で実現しようって、そういうふうに思ってやり始めたんですよね。
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志村:そうか、それが一番最初で、どんなことをなさったんですか、学校の中で。
平川:そうですね、やっぱり自分が身につまられた経験があったので、そういう意味では、その身につまられたことを少しでも解決したいと思って、だけど一番初めに見たのは、とにかく分からなかったので、先生たちに授業を見せてくださいって言ったんです。
志村:なるほど。
平川:私は民間から来て分からないので、授業を見せてくださいと。突然行くこともあると思います。どの先生、今日行きますとも言いませんと。お許しくださいって言って、全員の先生、臨採ですよね。1年の雇用契約の人も、非常勤の人も全員、2ヶ月に1回は50分の授業をじっくり見て、ノートにSはステューデント、Tはティーチャーっていうことで、どういうことを言ったかっていうのと、時間、何時何分、こういうふうに言って、こういうふうに板書してっていうのを全部書き記して、その時感じたこととかも、ノート何十冊にもなりましたけど、観察記録をつけたんですよね。そしたら先生方のいいところも分かるし、もっとこういうふうに工夫したらいいんじゃないかっていうところも素人ながら見えてきたので、で、そんなによく見てくれる人はそれまでいなかったということで、先生たちがすごく、いやー、今までこんなにたくさん校長先生をお使いしてきたけれども、こんなによく見てくれる校長はいませんよと言ってくださったりして。
志村:そうか、それって素敵なことですね。なぜかというと、校長先生が来て嫌だなって思う方もいらっしゃるかもしれない。
平川:そうなんですよ。みんな学級王国ですからね(笑)
志村:うんうんうん、そうじゃなかったっていうのが、それってやっぱり関わり方が良かったんだろうなと思いました。
平川:いや初めはね、行きますって言っても本当に来るんだって感じで、ずっといるじゃないですか。普通校長先生って5分10分したら隣の部屋に行っちゃったりしてたらしいんですよ。でもずーっと50分いるんで、いや私は最初から最後までいますって言ったら、えーって言って。まあ初めはやりにくいなって感じの先生もいらっしゃいましたけど、そのうち分かってくださって。
志村:そうか、一体になったんだ。校長先生と先生方の関係がきっとね。
平川:そうなんですね。で、終わった後必ず校長室に、さっきありがとうございましたって来てくださって、その後ちょっと私がコーチングみたいなことをやるわけですね。先生、さっきの授業100点満点中何点ですか?って。もう一度同じ授業をやるとしたら、どこをどう直したいですか?って。そういうようなことを話してたら、うーんまあ100点満点中60点ですかね。今度やるときはここをこうしたいな。ところで、右から何番目のなんとかさんと、左から何番目のなんとかさん、ずっと漫画読んでたの先生はお気づきになられましたか?って言って、えって、いや見えてなかったですねって。いや私もね注意しようかなと思ったけど、注意しなかったんですけどね。まあなんでですかねーって言って、そしたら、あの子たちはね、できる子たちなんで、もしかしたらちょっと問題が簡単すぎたかもしれないから、今度からじゃあそういう問題やって、難問集みたいなのをちょっと作っておいて、普通のができた人はそっちやってごらんっていう、そういう指導にしてみようと思いますとかね。みんなそれぞれやっぱり自分で工夫し始めてくれて。するとどんどん授業が良くなってくるんですよね。今度その授業を私がお邪魔します授業拝見っていうコーナーを学校だよりに作って、一眼レフそのためにちょっと自腹で買って、写真とともにA4の半ページで、その先生の良いところを、あと授業こういうふうに工夫されてますっていうのを書いて、全員の先生それやったんですよ。
志村:あらあら、すごい。
平川:それはやっぱり、こんなによく見てくれてって言って、そしたら中学生って、ただいまって帰って、お母さんが今日授業どうだった?ってまず聞かないし、今日授業どうだった?って聞いても別にとか、なんでそんなこと聞くんだよみたいなそういう感じになっちゃうんですけど、その学校だよりでこの先生がこんな頑張ってるっていうのをつまびらかにすると、いやーこんなに頑張ってくださって先生ありがとうございますって、保護者の方から先生方にお礼が来るようになったんですよね。いやいやいや、僕は当たり前のことしかやってませんからとかみんな言うんですけれども、でもいやーなんかこんな工夫されてるって知りませんでしたって言ってね、感謝の人間関係がそうやって生まれてくると、なんかちょっとねクレーム入れてやろうかなと思っても、まあでも先生が若くてこんな頑張ってるしって、みんな温かい目で見てくれるようになってきたんですよ。だからそういう点で、クレームも少なかったし、そういう感謝の人間関係を先生同士も、それから生徒も、先生たちだってみんな授業をやってますから、なかなか他の人がどんな風に授業をやってるかなんてわかんなくって、先生たちにもその学校だよりをお配りしたら、えーこの先生こんなににこやかに授業してるんですかって。職員室ではいつもしかめっ面なのにとか言って。
志村:へー、あー、そうやってお一人お一人に関わってらっしゃったんですね。ちゃんと丁寧に丁寧に。
平川:いやー楽しかったですねそれは。
志村:いいなー。そこの中学校は横浜の時代ですか?
平川:はい、そうです、横浜の市ヶ尾中学校っていう学校に5年いて、その後移動して、市ヶ尾中学校は大体600人ぐらいの学校だったんですけど、全校生徒。中川西中学校は1070人のマンモス校だったんですよ。楽しかったですね。中学生ほんと可愛いんで、大人でもないし子供でもないんで。
志村:繊細な時でもありますものね。
平川:そうです。スティーブン・スピルバーグが、14歳を魂の年齢って呼んだのが本当にね、素敵な言い方だなと思いますね。
志村:あー、魂の年齢って言うんですね・・・そっかー。大事な時ですよね、14歳。本当にそう思う。
平川:大事な時です。本当に中学生は。うーん。
志村:ね、一番問題の起きる子達が14歳だ、じゃなくて、魂のってお聞きできると、大切な時の子供を見てるんだって親御さんも思って生きられますもんね。
平川:いやー、その通りですよね。
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志村:そしてその海外の教育のこともたくさんご覧になっていて、その海外でよかったものも、今度は広島のところに・・・
平川:そうですね。8年間校長をやらせてもらった後、知事の湯?英彦さんが突然会いたいということでいらっしゃいまして、会って5分ぐらいで教育長になってもらいたいんだっていう風に言われて。
志村:すごい、5分だったんだ。
平川:そうなんです。えー私ですか!?って感じで。いやー、教育長の仕事って、教育委員会もよく分かってなかったんで、どんな仕事やるんだろうって思ってましたし、一つは県議会で答弁をしなきゃいけないんですけれども、県議会の議場とかなんて小学校の社会科見学以来ですよね。そんな人が、まあ、ね、ちょっと無鉄砲にお受けしちゃったなとは思ってますけれども、教育長も楽しかったです。大変だったけど楽しかったです。
志村:あー、そっかー。もういろんなことなさっていらっしゃるので、数えたらきりがないぐらいかもしれませんけど、学年の違ったお子さん同士で交流があったりとか。
平川:はい、イエナプランですね。
志村:そう、イエナプラン。
平川:イエナプランの小学校、公立で初めて作りましたね。
志村:うーん。学年が違う、年が違うって本当にいいことですね。交流できるって。
平川:社会がね、やっぱり異年齢なのに、どうして学校だけ同年齢なんだろうって、ずーっと子供の時から思っていましたので、やっぱり異年齢の方が、イメージとしてはですね、江戸時代の寺子屋なんですよ、イエナプランって。上の子が下の子を教えるっていうところなので、なんていうかな、ちょっと変わった教育法でもなんでもないんですけれどもね。
志村:いやでも本当に、本当にすごいと思った。そして、不登校のお子さんのことを考えていらして、学校内にね、不登校の子どもでも通える場所があったりとか。
平川:そうですね、学校内にフリースクールを作っちゃったり、それは校長の時からやってたんですけれども、広島に行って、もう一段高く持ってきて、各学校にそういうフリースクールがあると同時に、県がやってるフリースクールも作っちゃって、いわゆる教育センター、適応指導教室って言われるものですよね。だけど適応指導教室っていう言い方もなんか変だなと思って、適応してないのは大人の方なのに、なんで子どもにあなたは適応指導教室に行きなさいって言うんだろうって思って、言い方をSCHOOL“S”(スクールエス)っていう風に呼んで、もう好きなことやっていいよここはって言ったら、250人来ちゃってそこの学校に。
志村:うわー、きっとそれは本当に嬉しかったんでしょうね。通える場所があるっていう風に、そこに自分で選んで行けるっていうのはとても大事ですよね。
平川:そうなんです。チョイスがあるっていうのは、人間やっぱり楽ですよね。
志村:そう、選択の自由って本当に大事だと思うから。
平川:私やっぱり、広島で一体何やったんですか?って一言で言うと、チョイスを作ったんですね、たくさん。
志村:それを選べるのっていいですよねー。
平川:ねー。
志村:そしてそこから、今は広島からまた帰られていて、今はどんなことをなさっているんですか?
平川:ありがとうございます。2年前に東京に戻ってきて、今のテーマとしては、まず一つ目は、やっぱり教育に関わるということで、いろんな学校とか教育関係のコンサルをやっています。あともう一つのテーマは、女性とか女子っていうことなんですよね。ですから、会社の社外取締役も一社やってますけれども、それは地方の会社で、プロパーの女性の取締役を育成するっていうのは私の役割だと自分で勝手に思ってですね、これから女子たちが自信を持ってどういうふうに切り開いていくのかっていう、そういう女子教育はとっても興味があります今。
志村:大事ですね。そうか、じゃあ女子教育として、なにかかこう、これをするんだぞっていうのはあります?
平川:これからちょっといろいろ考えようかなと思ってます。もう学校を作っちゃいたいぐらいなんですけどね。
志村:学校できたらいいなー。
平川:私なんかできるかなーと思ったり。やるとしたら、世界でどこでも食っていけるような女子を育てていきたい。
志村:うわー、私入り直したい。
平川:いやいや(笑)あとやっぱり教育の場面では、やっっぱりいい先生が教育現場に入ってこないと、いい教育っていうのは出来上がらないと思うんですよね。
志村:本当ですよね。やっぱり先生だし、頑張る先生ほど辞めちゃう方も増えてると思うし。
平川:それはもったいないなと思って。なので私、Voicyっていうラジオをやっていまして、「平川理恵の「教育・子育てのツボ」ラジオ」っていうのをやってるんですけれども、そこでやってるのは、先生のキャリアパス研究会っていうのをやっていまして、これからやっぱり人生100年時代、うっかり100年生きてしまうっていう、そういう時代なので、ずっと一つの先生、ずっと一つの仕事、ずっと一つの肩書きっていうのはないと思うんですよね。そこをどう考えてキャリアを形成していけばいいのかっていうこと。別に辞めることを推奨しているものでも何でもなくて、ずっと公務員やりながら、例えば特別支援学校の先生で、通級の先生になったりとか、あるいは小学校の先生なんですけどね、今、担任を持たずにフリーで動ける、だから指導主事みたいな役割だけれども、指導主事ではないっていう、そういう働き方もあるんですよね。
志村:うーん、すごいな。
平川:そうなんです、DXの推進教員とかっていう形とか、自治体がそういうことをやってるっていうことが多いので、文科省のお金で。そういう働き方だとか、いろんなやり方があって、あと今、ハーフの先生、ハーフ非常勤。毎朝8時半から13時半まで勤めて、そこからはフリーになって、お給料は18万ぐらいになるんですけれども、午後から会社経営してる人もいますし、午後からカフェをやってる人もいますし、午後からモデルをやってる人もいますし、そういう二足三足のわらじ、大谷翔平みたいに二刀流三刀流でやってる人たちって本当に増えてきてるんですよね。そういう、もっと先生は自由に働いていい、もっと先生は自由になっていいって私は思っているので、例えば牧師やりながら、ゴスペルシンガーやりながら先生やってる人もいますし、あと漁師やりながら先生やってる人もいます。先生の次に教授になった人もいますし、先生の免許は持ってるんだけれども、教えずにN校で教材の開発をやって、その後自分で起業しちゃったっていう若者もいますし、いろんな働き方があるので、こうじゃなきゃいけないとか、一個の仕事で公務員じゃないといけないということも本当にないので、出たり入ったりするのがこれからの時代かなって思って、それをみんなで、私インタビューしながら知っていって、自分の場合はこうかなっていうのを、基準値ですよね、自分の場合はこれ、AさんとBさんの間ぐらいとかね、そういうふうに思ってもらえればなと思って、今で大体10人ぐらいインタビューしたんですけど、それVoicy上で公開もしてますから、それを聞いていただいて、みんなの参考になればなって思ってるんですよね。
志村:いいですね。そうすると、こうしなければならないっていうのは、頭ちょっと固くなりがちなところから、ちょっと広がって柔らかくなると、また子どもたちにも変化が起きるかもしれないですね。
平川:その通りだと思うんですよね。なんかこうね、うつうつと悩んでる先生よりも、大好きな先生の仕事も半分やりながら、あとの半分は別のことやってます、何だったらもう一つ趣味もやってますみたいな方がね、なんかこう生き生きとしてて、子どもの心に残る先生になるんじゃないかなと思います。あと外の世界知ってると大きくないですかね?
志村:いや大きいですよ。お母さんたちもそうじゃないですか。お家にずっといて、お子さんのこと見続けてるのも悪くないんだけど、ちょっと違った世界をご覧になってると、また違った世界の窓が開くみたいな。そうすると違った空気が入ってくるみたいな、お家の中に。そういうのがあるように、学校もそうなりますよね。
平川:うーん。
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志村:いやー、なんか明るい未来ですよ、教育に関しての。やっぱりどうしても教育って日本の未来だから、そこがちょっと下降気味になっちゃうと、未来も下降しちゃうじゃないですか。
平川:おっしゃる通りでね、教育は人作りで、教育は国の礎なので、次世代育てなくてどうすんだと思っちゃいますよね。
志村:本当に、絶対これ必須だから、これからますます、いやーなんかもう絶対実現して欲しいし、して欲しいというのは他力な感じがするので、私が何ができるんだろうって今思いました。本当にして欲しい。
平川:ありがとうございます。もうね、いろんな人が学校に入ってきた方がいいですよ。
志村:本当ね。
平川:子供にもいい影響だし、職員室の雰囲気も良くなると思います。
志村:思います。よくうちの娘が行ってた学校も、ちょくちょくゲストの方がいらっしゃって。
平川:ね、今ね、お嬢さん先生にやっておられて。
志村:あ、今そうですね。五味太郎さんがいらっしゃったりとか、トマト農家さんとか、いろんな方がいらっしゃって、時々はおじいちゃん、おばあちゃん、生徒さんの一日先生とか来ていただいたりとか、お手玉を習うとか、先生も一緒になって遊ぶとか、していらっしゃったみたいなんだけど、こういうのは大事ですよね。
平川:大事です。大事ですね。
志村:だいぶ、多分、お時間も過ぎた気がするんですけど、本当はもっともっとお話を伺いたくて、ここ最後にね、いつも伺っていることがあって、ゲストの皆さんに、明日月曜日、もう本当はこの夜中だから月曜日になっちゃってるんですけど、朝起きて、なんか今日いいぞ、元気だぞって思えるような、そんな言葉をいただきたいんです。
平川:ありがとうございます。
志村:リスナーの皆さんに、ぜひとも。
平川:ありがとうございます。そんな大したことは言えないと思いますけれども、私、教育っていうのは、天性天分を見つけ出すことだと思っているんです。天性天分っていうのは、天ですよね。それから性っていうのは、りっしんべんに生きると書きます。これは心に生きるっていうことと同じなんですけれども、りっしんべん。それと天分。天から分けて与えられたものなんですよね。その子のいいところを見つけ出すのが教育なんですよね。親が例えば、この子はちょっと勉強はできないけれども、優しさは日本一だなとかね。先生もそうだと思うんですよ。我々大人も天性天分っていうのがあって、そんなの難しくって、私も自分の天性天分ってまだ分かってないんですよ。それを見つけ出すのが人生だと思ってまして、まあいろんなトライをするわけですけれども、そういう点では、あなたの、皆さんの天性天分っていうのは一体何だろうと。絶対それはあるんですね。そこがやっぱりキーポイントになっているのかなというふうに思います。で、わかんないんですけど、探し続けて、よりよく生きていこうというふうに思うところが、それがやっぱりいいところなのかなと思います。東洋思想って、立派な人になりましたか?っていうのは、一個もどこの書物、史書、五教、論語を読んでも、老子を読んでも、何読んでもそんなこと一切書いてなくて、より良くとか、立派に生きようとするその心がいいですよっていうふうにおっしゃってるんですよね。
志村:いいですね〜。
平川:だから私もなるべくそういうふうに生きていきたいと思って、頑張っているつもりではありますけれども、でも全然未熟で、季世恵さんみたいにうまく生きられないんですけれども。
志村:いや私は紆余曲折で、いつも迷子になってますから、本当に。
平川:いえいえいえ、ね、その人間力とかそういうのもまだまだ足りないなと思いますし、でもそうしようとする心が大事だっていうふうに、その言葉に救われて今があるようなもんなので、ぜひ天性天分を見つけるっていうね、っていうか実は既にあるんだけれども、気がついてないだけかもしれない。そんなふうに思います。
志村:ありがとうございます。今のお話伺っていて、伺いながら思い浮かんでいた方々何人もいらしたんです。出会いだったなと思っていて、その中に小学校の担任の先生二人浮かんだりとか、中学校の先生一人浮かんだりとか。
平川:あー、やっぱり先生って大きいですね。
志村:本当に。
平川:だって何十年経ってもこうやって、季世恵さんの頭の中にポーンと浮かんでくるんですもんね。
志村:そうなんですよ。私泣いちゃってる。
平川:その先生にとっては何百人、何千人の中の一人かもしれないのに。ね。
志村:本当にそれが自分の人生を、向かう道?自分がよく生きるための向かう道を授けてくれてる。いろんな人たちがいらっしゃるから、出会いはそうだけど、特に先生ってそういうふうにお役目があるんだろうなって今思ったし、私の場合は出会いがすごく多かった。今でもそう。なので、今日の出会いもそうです。
平川:はいもうありがたいです本当に。
志村:いやー、ありがとうございます。
平川:ありがとうございます。こちらこそ。
志村:素直にありがとうって思うようにします。
平川:ありがとうございます。
志村:でもそれは、私がいつもいただいていることなんです、本当は。理恵さんから。
平川:とんでもありません。
志村:今日はありがとうございました。本当にいいお話いただきました。
平川:ありがとうございました。