日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。
第80回のゲストは、馬場正尊さんでした
〜プレゼントのお知らせです〜
ダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰する
志村季世恵さんの著書
『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。
志村:馬場さん、こんばんは。
馬場:こんばんは。
志村:ようそこ暗闇へ。
馬場:ありがとうございます、お招きいただきまして。
志村:ありがとうございます、本当に嬉しいです。
馬場:僕もです、久しぶりにゆっくり話せそうです。
志村:本当に。なんか、馬場さんと3年ぐらいお話してなかったような気がしてます。
馬場:あー、そうですかね?
志村:あんなに毎日のようにお会いしていたのに。
馬場:そうですね。毎日のようにお互いの姿を感じてた時期があったのに。
志村:本当に本当に〜。なので今日とっても嬉しいです。
馬場:こちらこそ。
志村:今、真っ暗闇の中に私たちはいますけど、どんな感覚を一番使っていらっしゃいますか?
馬場:そうだな・・・もちろん耳もっていう感じなんですが、それだけではないなー、なんか体全体を使って気配をふわっと感じてるみたいな、そんな感覚ですかね。なんか面白いですね、耳とか・・・でも本当にすごい落ち着けるし、集中できるし、不思議にホッとしますねなんか。
志村:あ、よかった、うん。あの、実は私たちは、ものすごいご縁で繋がっているように思うんですけど。
馬場:そうなんですよね。
志村:ねえー。一番最初に日本にダイアログ・イン・ザ・ダークを持ってきた時って、1999年だったんですね。それで短期開催をずっと繰り返していて、そろそろ常設した方がいいなって思った頃に、まあいわゆるこうデモンステーションしないといけないので、応援いただける方たちとかには暗闇を知っていただきたくって、その場を探したんですね。その時、馬場さんがお作りになっていらっしゃるR不動産さんだったんですよね。
馬場:本当にありがとうございます。
志村:いや本当に、それでね、そこで実はこんな場を作りたいんだってことを社員の方にお伝えしたらば、その方がダイアログをご体験している方だったんですよ。
馬場:あ、そうだっけ?だれだったんだろう?
志村:そうなんです。そう、ダンサーだった方だったかな?
馬場:あ、松尾だー。
志村:あーそうそうそうそう!そうですそうです、松尾さん。そしたら、この場所ダメだっておっしゃったんですよ。私たちが見に行ったところはね。もっといいところがあるからって、これだったらば天井も高いし、暗闇の空間がよくできるだろうからって教えてもらって、日本橋に行ったんです。その時馬場さんは、近くのところにいらっしゃったんですしょ?
馬場:そうなんですよ、もうそこのビルのすぐ裏が僕のOpen AのR不動産の最初の創業の場所で、本当に身近に通ってるビルでしたね。そこにダイアログがやってきて、僕自身もすごいびっくりしたのをよく覚えてますけど。
志村:あー、そうでしたか。で、その頃に、街を元気にして行こうって、日本橋のね、あの場所とかをどんどんもっと活性化させようっていうふうに馬場さんなさっていて、お布団屋さんとか、タオルメーカーさんとか、私もちょっとご挨拶なんかして。
馬場:あ、そうですか?
志村:はい。
馬場:そうか、その頃そう、僕、僕っていうか僕らはなんですけど、東京R不動産っていう、東京の中に眠る不思議で面白い空き物件を探して、ウェブサイトでお伝えして、借りることもできるみたいな、そういうようなことをちょうどしてた頃で、それが始まったのが東京の東側の日本橋とか神田とかのエリアだったんですよね。最初の場所があり、僕らの事務所があった場所でもあるんだけど、そこでいろんなアーティストたちとともに空き物件を秋の2週間だけ借りて、街全体をギャラリー化しようっていうゲリラ活動を繰り返してた頃だったんですよね。
志村:あー、そうだったんですね。うわー。
馬場:なのであのエリアの妙な空き物件にやたら詳しくなり、それがそのままR不動産に進化していくっていう。
志村:あ、そうかー。
馬場:そう、そうだったんです。
志村:そうでしたかー、知らなかったー。
馬場:ああ、そうですよね、そうかそうか。そういう意味では僕らから見ると、ダイアログって活動自体がアーティストだというふうに思ってたから、もうこの街にすごいアーティストがやってきたような感覚で捉えてました。
志村:わあ、光栄です、ありがとうございます。ウェブで見るR不動産さんのご紹介している物件が面白くて、あのね、表現というかご紹介文が私大好きで、実は今でも見てるんです。
馬場:本当ですか?(笑)
志村:本当です。
馬場:そうですね、不動産を面白いとかっていうふうな感覚で初めて捉えたし、今でもいかに面白がるかっていう感覚ですよね。なんかね、値段とか便利さとか新しさとかじゃなくて、おもろいかどうかっていう(笑)
志村:そう、すごいへんぴなところにあるんだけれども、それすらもだんだん大好きになっちゃうだろうなっていうふうな。
馬場:場所を愛せるというかね、そんな感じありますよね。
志村:そうなんです。そう、なんかそこでカルチャーショックを受けて、こういうふうに捉えて物件を扱っている方がいらっしゃるんだなと思って、本当にね、インスパイアされました。
馬場:ああ、そっか。その時に僕は僕で、ダイアログを初めてフルスペックで経験させてもらったんですけど、いろんなものがもう本当に。いろんな驚きが今でも克明に覚えてたりしますね。
志村:そうですかー。
馬場:あれ?ジュースを飲んでるんだけど、何ジュースかわからないってどういうことなんだろう!?とか、あと同時に足の裏の感覚ってこれほど重要なんだって。でもその時の足の裏の感覚みたいなものが、その後僕も目が悪くなっていく中ですーごい重要になってくるんですけど、いろんな気づきをもらったし、あれはダイアログを経験すると優しくなるじゃないですか。あの時のインパクトは忘れられないし、あの時期、あのタイミングでダイアログ、あれ2000何年ですか?7年?
志村:7年ですね。
馬場:そのぐらいですよね。その時にダイアログを経験できたのは、僕にとってはとても実は大きかったです。
志村:まあ、ありがとうございます。そう、2007年にその場所を使わせてもらって、たくさんの方に見ていただいて、そこから外苑前の方に常設会場を見つけて、そこでオープンするんですね。初めての常設の場所だったんですけど、そこでだいぶ頑張ったんだけれども、オリンピックが来るよって時にちょっといろんなことがあって、その場を離れることになったんですね。で、もうね、私たちからすると正直言って、なんだろうな、羽がなくなっちゃった鳥みたいな感じだったんですよ。気持ち的にはね。なんかもうどうやってこれからやっていくんだろうと思って。でもここで辞めちゃったらば、本当にもう日本でできなくなっちゃうと思って、で、出発っていうふうに気持ちを切り替えようって話をして、ここから出発するんだよって、そのためには場所が必要なので、よしまたもう一回できるための場所を探したら、今度は浅草橋に見つかって、またそこがいいところだったんですよ、川のそばで、下町情緒がたくさん残っていて、近くのお店屋さんもとても親切で、ここにしようと思って行ったらOpen Aだってわかって、馬場さんの会社さんだった。
馬場:そうなんですよねー、僕もびっくりしましたよ本当に。
志村:本当に、本当に大切にしていただいて、あの場がなかったら今ここに来れなかったんですよね。
馬場:あー、そうか、ちょうど僕らはダイアログの繋ぎの時期というか、ちょうど変化のタイミングで偶然ご一緒してるんですね。
志村:そうなんです。
馬場:浅草橋のその古い大きい倉庫ビルみたいなものを一棟丸ごと企業とのコラボレーションでプロジェクトとしてやってて、うちの事務所も前のダイアログのあった所から引っ越して、各フロアいろんなテナントさんが来る中で見てたら、え、ダイアログさんが来たの!?ってなってびっくりして、それでそのままいらっしゃっていたので、それで今度新しいビルで、まあ古いビルなんですけど、リノベーションした後のビルでまた再会することになるんですよねー。もうびっくりですよ!
志村:そうなんです、もうね、私、神様って本当にいるんだと思いました。
馬場:思いました。
志村:そう。でそのなんかね、馬場さんの手掛けていらっしゃるところって、これきっとポリシーがおありになるんだと後からお聞きたいんですけど、テナントさん同士が仲良くって、あれ長屋みたいなんですよね。縦の長屋みたいな感じで。
馬場:そうですね、ビルだから縦に積み上がって、各フロアいろんな企業さんとかがいるけど、僕らからすると向こう三軒両隣的な感覚で行ったり来たりっていう感じで、他のうちの事務所のフロアの方々と一緒にパーティーやったりとか、そんなことをやってましたよね。
志村:ねー。Open Aさんは7階にあって、そこに大きなキッチンのスペースがあって、時々いろんな美味しいものを作ってくださったりして、私たちがよくご馳走になったりとか。
馬場:そうですよね、よく考えてみたら今のこの時期、不思議なことをしてて・・・(笑)
志村:ねー、お花見したりとかね。
馬場:いや、やってましたねー!
志村:芋煮会があったりとか。
馬場:やってたやってた!
志村:そうー、そこにみんなテナントさんいらしてて、私たちもそのテナントさんに助けていただいたりなんかして、で、その常設をもう一回するための準備をする時には、必ず馬場さんが助けてくださって。
馬場:いや、そうか、いやでも僕にとってもなんかこう、ダイアログにとってもそうかもしれないけど、僕にとってもある種気付きの時期だったり、変化の時期だったりするのと奇妙に重なるんですよ。僕もちょうど、目があんまり、なんかおかしいなと思って、よく見えなくなって、病院で精密検査とかいろいろしてもらったら、いや、馬場さんもう普通の人と比べたら、20分の1か30分の1ぐらいしか見えてないですよって、え!みたいな。どうしよう。で、どんどん進行してますよとか言われている時に、ダイアログが事務所の近くに来て、アテンドの方々、目が見えないのにすごくいろんなグラデーションがあるじゃないですか。ちっちゃい頃から見えない方もいれば、ある日10代で突然見えなくなった方もいれば、じわじわと悪くなってる方もいたりして、それがまばらにみんないらっしゃって、それぞれの見え方、見えなさ方で、なんだろうな、みんな淡々とされているのを見て、いやなんか見えなくてびっくりしちゃった自分がバカバカしくなって、あなんだーっていう感じになってすごい気が楽にもなったし、みんなすごいそれなりのスキルで、それこそどうやって歩いてるんですか?とか言って、いや足の裏でね、街の感覚があって、角とかいつも足の裏がパッて感じる、僕らが角を曲がった時になにかを見て、なにかに気づいたり目印にしているように、それを足の裏で感じてるんだみたいなことを言って、歩き方を教えてもらったりとかって・・・なんかそういう感覚をね、ちょうどいいタイミングで出会ったのか気付かせてもらったのか、そんな感覚でしたね。
志村:あー、よかったー。
馬場:はい。
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志村:そのもげてしまった鳥の羽がね、みなさんに本当によくしていただいて、再生して、2020年にここに来れたわけなんですけど、あの空間、あの時間が私たちにとっては本当に成長の時だったんだなと思ってるんですね。で、馬場さんが折に触れて時々リノベーションしたりとか、物件とかをあちらこちら日本中で活躍なさってるのを私は知ってたので、そこもねずっと興味ありながらお話をお聞きしたかったんですよね。
馬場:そっかそっか。あ、確かにいろんな話はしてるけど、こんなにゆっくり話したことはないですもんね。
志村:そうなんですよねー、そう、なんか独特じゃないですか。イノベーションとか、古かったものをまた再生させて新しいものに変えるとか、廃校になった学校とか、もう今は無くなったというふうに思われているような、クローズした百貨店とか、いろんなところを再生していってるでしょう?それどういうところから、そういうふうになって行ったのかなとお聞きしたかったんです。
馬場:そうですよね。どういうところからなって行ったんだろう?なんか、比較的最近の近い要因と、自分でも気付かなかったずっと昔の遠い要因とが混ざっているような気がするんですよね。近くの要因っていうのは比較的論理的で、なぜかというと、新築の、特に東京は高層ビルがどんどんどんどん建っていく中で、とてつもない勢いで床を人間たちは増やしていって、そうすると当然古くてボロいビルは余っていく。だけどそこには歴史や記憶や思い出みたいなものが蓄積されていて、あとその時代の空気みたいなものがそのビルの中に封印されていたりするから、それがなんとなく愛おしいというか面白いというか、そういう感覚があって、なので経済的要因で変化していく街の中で、残っていくものたちの面白さみたいなものっていうのは、絶対ありそう。それを使ってみたい、再発見してみたいっていう思いはもちろんあって、それは比較的最近の感覚の論理的思考で、遠い感覚っていうと、僕が佐賀県伊万里市商店街出身なんですけど、生まれた家が明治初期に建てられた古い建物なんですよね。馬場書店っていう名前のタバコと雑誌が売ってるようなところで生まれてるんですけど、そこがですね、ちょっとずつ地方都市なので衰退していくんですよ。僕そこで店番とかしてたんだけど、ちょっとずつ人がいなくなり、ちょっとずつお店がたたまれ、そして商店街自体がなくなります。ほとんどシーンとして消滅していくみたいなのを目の当たりにしていて、まあ要するに空き物件だらけになるわけですよね。それに対してなにもできなかったんです。建築とか街づくりが専門なのにも関わらず。で、なんかこう、なんだろうな、無力感みたいなものを感じて、それに対するなんらかの解決策、抗う方法みたいなものを心の底で模索してたような気がしていて、それをいきなり自分の地方都市でではなくて、まず身近な東京から始めたような感覚が実はあったんじゃないか?というのが後になってわかってきます。
志村:なるほど、そうだったんですね。
馬場:それが融合して、リノベーションとか、そういうことをやっているのではないか自分は!?って思えるようになったんで、ものすごい確信めいたものじゃないんだけど、じんわりそう思えるようになったっていう感じかな。
志村:原体験がおありなんですものね。
馬場:うん、だからね、後で気がつきますね。
志村:そうなんですよねー、わかりますそれって。
馬場:やっとそうー、最近は、だからなんだろうな、地方都市、自分の実家にしろ、田舎にしろ、そこでなにもできなかった、どうしようもなかったっていうのから逃げてたというか、離れてた感じがあるんだけど、この年ぐらいになって、改めて向き合えるようになってきた感覚もあるんですよね。だから地方都市の仕事が今ちょっとずつ増えていったりとか、そんなことになったりしてる。
志村:なんか嬉しいです、そのなんだろうな、日本の良くない所って、壊しておしまいで次にまた変えちゃうっていうのが、私もうそれがすごく痛い感じがしていて、あんまり見たくないっていうか、もうちょっと前のことも記憶として残しておこうよっていうのって大事じゃないですか。
馬場:そうですよね。
志村:そう、それをね、やっぱり続けるのって、大切なことだなぁと思うんですよね。一つのお家の中でも、この家で赤ちゃん生まれたんだとか、この家でおばあちゃん亡くなったんだとか、そういうのが柱の中に潜まれているとか、天井にとかってあるでしょう?それってなんか自分の中の見えないちゃんとしたルーツがあって、街にも建物にも本当はあるんですよね。神社仏閣だけじゃなくてね。だから馬場さんの仕事を見ていた時に、本当に感動したんですよ。
馬場:へえ、そっか、ありがとうございます。確かに、やっぱり空間って、ちゃんと物語を宿しますよね。
志村:そう思います。
馬場:で、そこの空間に時間とか出来事みたいなものは蓄積していくんだなっていう感覚はある。で、日本って江戸の文化は火事があって焼けて立て直してっていう、あと逆に戦争なんかがあって、焼け野原になって再生していくっていう、そういう新陳代謝の文化ももちろんあって、それが日本ならではのダイナミズムを生んできたっていう歴史もあって、僕はそれはそれで肯定的なんです。ただ同時に、火事とかではなく、いろんな人為的、政治的、経済的みたいな理由があって、まあ無自覚に時間や歴史をリセットしてしまうことのもったいなさとか、時間に対する尊敬のなさみたいなものを振り回しすぎると、いろんな大切なものを失っていく感覚がやっぱりあって、バランスをとっていかなければいけないなというふうに思うし、やっぱリノベーションとかっていうのは街を作っていく方法として、壊して開発してっていうのではないオルタナティブを示すことで、今の日本、東京ならではの都市の新しい作り方みたいなものが示せるといいなって、今思ってたような気がしますね。
志村:いや、すごい。
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志村:暗闇を作る時にね、あちらこちらで出張開催するときに、その場に合った遊びとかワークショップをさせてもらって、いろんな年代の方たちに集まってもらって、どんな遊びしたんですか?とか、どんな街だったのかをみなさんから聞いたものを暗闇に反映するんですね。例えば、明治神宮の敷地内のところに作らせてもらった暗闇だとすると、神聖な神宮の場のところを壊したくないから、やっぱりそういうふうな雰囲気をちゃんと作ろうとする。なくなっちゃったけど文化っていうのがその空間にはあるみたいなことを、大事にしたいなって思うんですけど、それとすごくなんか・・・
馬場:あー、いやありますよね。その場所とその土地、そこが持っている力っていうと、ちょっと抽象的すぎてあれかもしれないけど、感じることは人間はできますよね、確実にね。
志村:ね、ありますよね。そういうものがあるのっていいなーって思って、私も馬場さんと同じで新しいものができることに対しては全然否定はしてないんですけど、それが日本だと思っているので、そのさっき新陳代謝だとおっしゃってましたよね、その新陳代謝の中に、まあ日本の場合は災害があるから、
馬場:そうですね、付き合ってきたんだもんな。
志村:そう、こうやってずっと長い、長い長い中でね、でも残ってるのもあるから、それが混沌とするんじゃなくて、両立できてくることがあったんだろうなって思ってるんですけど。そう、そうで馬場さんは、例えば今ここに来てくださいって頼まれて、その場所に行って、じゃあこの場所をどういうふうにしようかなって思う時に、どんなことを一番最初に感じるようになさってるんですか?
馬場:そうだな、なんか、まあ新築の建物を建てる時であろうが、リノベーションを作る時であろうが、一緒だなと思うんですが、まずその場所、そのビル、その土地に行って、ふっと力を抜きながらぼんやり見るというか、ぼんやりその空間を感じてますね。それで、そこでどんなことが起こればいいのかとか、そこにどんな空間、場が立ち現れてくれば・・・っていうような、本当にぼんやりとした目で妄想してますね最初。でなんか、もちろん動線がこうでとか、工事費がこうでとか、極めて現実的な問題、課題がやってきて、それを一個ずつこう解決していくっていうのはデザインやら設計やらの仕事ではあるんですけど、それに行く前の段階で、体全体でその空間、その場所、そしてそこが変わることによって未来に起こるかもしれないなにかを感じたり想像したりするっていうところからね、始めてることが多い。でその時間が僕はすごい好きですね。
志村:あー、わかる気がします。
馬場:それがすっと感じたり見えたりするときは、結構そのプロジェクトはハッピーだったり走ったりするんですよねー。まさに浅草橋のビルでも、なにもない倉庫だったから、ガラーンとしたところの角に立ちながら、そこで起こる風景みたいなものをぼーっと想像するんですけど、まずその時は当たり前だけど解像度もなにも薄いんですよ。だけどそれがちょっとずつちょっとずつ具体化する感じっていう感覚があってですね、本当まずその場を感じるところから始めてますね。
志村:いや・・・素敵すぎる。
馬場:この暗闇感も見えてはないけど、季世恵さんがきっとあの辺に座ってて、ここはなんの公園?なんの空間なんだろうな?電車の空間のところも歩きながら電車の風景みたいなものを想像しながら歩いちゃいますよね、なんかね。それと近いかもしれないですね。
志村:なんかね、そんな気がします。そっかー。うーん、あのね、馬場さんは今のご自身の仕事を通して、どんなことを伝えたいというか・・・
馬場:そうだなー、なんかね、仕事自体がいちいち強いメッセージ性を帯びてる必要はないと思う、当たり前なんですが、その状況や目の前にいる人たちとか、まあ今公共施設の設計とかも多いけれども、その空間を使ってくれたり、その空間に佇んでくれる一人一人が、あぁ、この場所は自分の場所で、自分なりの勝手な思い思いのことをやってもいいんだよ、やっぱりやりたくなるような場所、一人一人がここは自分のものである、自分のテリトリーであるっていうふうに思えるような空間を作りたいって思ってるな。パブリックとプライベートがもうなんかちょっと解き合っているような、そんな風景。そうそう、最近風景っていう単語をよく使うようになったんですよね。職業柄、僕らは建築を作るのが仕事だと思って、建築のデザイン、建物をどんな風に作っていくか、まあもちろん建築家としても認められたいから、どんなかっこいい建築を作るかっていうふうに思ってたり、今でも思っているような気もするんだけども、ただそれが全然ゴールではなくて、そこの場に人がいて、なにか初めて、変なものを置き出して、いろんなノイズを作って、いいことも悪いこともいろいろドラマがあって、その全体を作りたいと・・おこがましいな、その全体を見てみたい、その全体が起こる状況自体を僕らは考えて作ろうとしてるんじゃないか。そう思った時に、建築を作るっていうよりも、風景の全体を考えて作ってるっていうふうに考えた方が腑に落ちるし、デザインすることに対する気持ちが整理できる感じがして、最近僕は建築じゃなくて風景を作ろうとしてるんじゃないかって結構思うようになってね、ちょっと少し整理されたような気がして・・うまく言えないんだけど、ちょっと楽になったんですよね。建築を作らなきゃいけない!ってちょっと肩肘張って、捻り出すようにっていうか、デザインしなきゃみたいな感じになっちゃうんですけど、突き抜けてしまうと、その風景の全体を作ればいいんだと思うと、あ、ここは過剰にデザインしすぎてもきっとダメで、グッと堪えたところに誰かが変なものを置いたり、変な遊びをし始めた風景自体のがきっといい風景なんだ・・・って思えるようになると、ちょっとね力が抜けて、デザインすることとか、空間を作ることに対するスタンスもちょっと変わってきてるような気がして、なんかちょっとそんな時期ですかねー。
志村:あー、すっごくいいお話ですね。そっかー。なんかのりしろがいっぱいあって、その空間が人がいていい空間になっていくんですもんね。
馬場:今僕ら、真っ暗闇の空間にいますが、真っ暗闇だから当たり前なんだが、なにも見えない。視覚的な意味においてはデザインされてない。でも今ここでも足の裏とか音の反射とか、うっすら遠くから聞こえる空調なのか機械の音なのかわからないけど、そういうものとかを総合的に感じてますよね。多分これってデザインなんですよきっと。
志村:そうかー。
馬場:当然なんだけど目が見えない方なんかは、それをデザインとして認識しているはずだし、僕も普通の人より全然見えないし、物事をはっきりは捉えてないけど、ぼんやりとしか見えない分、ぼんやり全体性を持って捉えてるから、同じ空間同じデザインでも、感じる人によって全然違うはずですよね、冷静に考えても。
志村:はい、確かに。
馬場:見えてる、感じてる風景はね。なんかでもその幅とか自由とか多様さとかがあって、許容されるみたいな場が好きだなー。だからそういう場を作っていきたいと思ってる気がしますね。
志村:うわー、素敵だなー。
馬場:こういうのはあれですね、なかなか言語化することがないから、季世恵さんが淡々といつもの感じでこの真っ暗闇の中で質問してくれるから、そうだったのかーって今不思議に納得しながらしゃべってるなー。
志村:あー、そうですか、いや私なんかもう風景見えちゃいましたもんね。今のお話に。よかった〜お聞きできて。あのう、最後の質問していいですか?
馬場:うんうん、はい。
志村:リスナーの方たち、多分もう今日メッセージいっぱいいただいたと思うんですけど、明日の朝、馬場さんのお話を聞いててね、あなんかちょっと元気出たぞみたいな、そんな一言がもしおありだったら教えてもらってもいいですか?
馬場:あ、ちょうど今僕ら暗闇の中にいるから、雑踏の中とかに、まあ電車の中とかにいてもいいんですけど、立って、目を瞑って、ふっと体の力を抜いてみて、いろいろ感じ直してみる。そうすると、僕時たまやってる気がしますけど、ある意味日々ストレルだらけじゃないですか、でもまあいろいろいーか!みたいな気持ちになれる気がしますね。今毎日を意味で満たそうとしてる感じないですか?あれやらなきゃいけない、これやらなきゃいけない、あれ見なきゃいけない、あーあれ腹が立つとか、なんか思って意味に満たされた中に自分の体を漬け込んでるみたいな感覚があったりするから、ちょっと一旦ふってこの暗闇みたいなものの中に自分の身を置いて気を楽にした瞬間に、まあいっか!みたいな、そこから考え直せるとちょっと楽になったりするような気もして、僕も時たまやってる。やれてるか知らないけど(笑)気がするから(笑)
志村:意味を持たない。
馬場:そういうのどうですか?
志村:いいですねー。要するに意味を持たない空間のような時間があったらいいってことですね。
馬場:本当そう思う。でも究極のデザインって本当に意味がないけれどもなんかいいっていう空間かも。それってでも自分で作れるのかもしれないしな。一人一人で。
志村:本当ね。すごい。それは絶対作れる。いやいいお話。私も明日、まあしょっちゅうぼーっとしてるんだけど本当は、それを大事にします!
馬場:そうですよね。ありがとうございます。
志村:いやー、今日はありがとうございました。
馬場:こちらこそ、静かにいい時間を過ごせた!
志村:あー、楽しかったです本当にー。なんか爽やかな気持ちになっちゃった。
馬場:そうですね、多分少し楽ですね。
志村:はい。馬場さんありがとうございます。
馬場:ありがとうございます、また時たまお喋りさせてください。
志村:遊びにいらしてください。本当にありがとうございます!
馬場:ありがとうございます。