
日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。

第98回のゲストは
東儀秀樹さんでした
〜 今月のプレゼント 〜
ダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰する
志村季世恵さんの著書
『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、この番組のサイトにある
【 MESSAGE TO STUDIO 】の欄から
番組の感想、送り先をお書き添えの上、ご応募ください。


志村:東儀さん、こんばんは。
東儀:こんばんは。
志村:ようこそ、暗闇へ。
東儀:よろしくお願いします。
志村:こちらこそです。お願いいたします。あのう、こういう暗闇は初めてですか?
東儀:えっとね、ずっと前に、長野だっけ、善光寺ってあるでしょ?
志村:ありますね。
東儀:あれの仏像の地下に行ける通路があって、そこは本当に暗闇になっているっていうところで、そんな感じなんだろうなっていう、ある程度の想像がついてたけれど、今日はここ初めて来たのと、あとね、この収録なんだけれど、なんかこう普通にラジオの収録だと思ってたから、資料を見たら「暗闇で」と書いてあって、暗闇といったところで、暗闇を演出しているムードのある雰囲気を作ってトークをするんだろうなぐらいに勝手に思ってたんですよ。
志村:あーなるほど、そうでしたか。
東儀:だから本当に、漆黒の暗闇を体験するとは思ってなかったんで、今改めてびっくりしてます。
志村:そうでしたか、大変失礼いたしました。
東儀:でも滅多にできる経験じゃないから、ちょっとワクワクしてますよ。
志村:よかった、ありがとうございます。先ほどキャッチボールをしたんですけど、音の方向が真っ直ぐにボールが転がってきていて、感覚がやっぱり、おこがましいですが鋭いんだなって思いました(笑)
東儀:あそれは良かった。いろんな意味で僕、自分で言うのもなんだけどすごく器用な人間で、何をやるにも、例えば暗闇でボールをキャッチボールするなんて初めてだったんだけれど、何にしても初めてのことに対して、自分ならできるっていつも思っている節があるから、なんかね、不安にあんまりならないんですよ。
志村:あ、それは素晴らしい。
東儀:非常に楽天的というか、得な性格だと思いますよ。
志村:いつ頃から、というかずっとお子さんの頃から自分ならできるって思っていらっしゃったんですか?
東儀:いや、例えば身体能力、スポーツとかそういう方面でもかなり何でもできるタイプなんですけれども、例えば小学校の頃とか、マット運動とか、飛び箱とか、ああいう1人でうまく綺麗に形を作るっていうのがすごく好きで、回転した後の着地の手の先までピンと伸ばせて、ちょっと反らせてとか、そういうのを結構自分なりにこだわるのが好きだったんですよ。あとは器用だから、ボールを扱うとか、バレーボールとかバスケットボールが好きだったし、あと、小学校の時に父親にゴルフをやってみたらいいぞって言われて、やったらものすごくよく打てちゃったりとかして、だからそういうのはあったみたいなんだけれど、精神的に絶対大丈夫っていうような、おこがましい性格ではまだなかったんですよ、子供の頃は。まだまだ、そこそこ人よりうまくできちゃうのはわかっていたんだけれど、それを全面に出すっていうタイプじゃなかったんで、周りの人にはあんまり認められない、認められている術を持っていなかったっていうね。デシャバリなことはしたくなかったんで。
志村:謙虚でいらしたんですね。
東儀:うーん、だけれど、そんなのがずっと続いていたんだけど、自分の作品を作ってデビューする、だから30年前ぐらいからかな、そのデビューのちょっと前から自分の独自の作品を生むようになって、音楽的にね。それを人に発表すると、誰もやっていない世界をやっているっていう、自分が唯一のことをやっているっていう、誇らしさとか責任とか、クリエイティブ精神とかね、そういったものをすごく感じるようになったら、自分しかいない、これが自分の個性で、自分だけの大事なものなんだっていうのがすごく湧いて出てくるから、それですごく自信を持って生きるようになりましたね。だから、鼻持ちならないことだろうけれど、僕は自信がありますっていうのを堂々と言ってのけようと思うようになりましたね。
志村:あー、それは本当に、もしかすると、今の私たちにとって一番大事なことかもしれないですよね。本当は誰もが唯一無二なわけですから。いやー、そういうふうに伺うと、清々しい気持ちになります。
東儀:それはよかったです。
志村:本当に。そもそも、東儀さんのお家は、1300年前から日本で雅楽(ががく)をやっていらっしゃって、奈良時代ですよね、その頃って。
東儀:そうですね、厳密に言うと、飛鳥時代ぐらいから雅楽は存在しているから、そういう関わりのあったといえば、そのぐらいになっちゃいますね。
志村:もう飛鳥時代なんていうと、遥か彼方ですけど。
東儀:そうですね、聖徳太子の時代ですよね。
志村:ですよね。で、聖徳太子のお側にいらっしゃった・・・
東儀:そう、三方だった、政治とかをやっていた秦河勝って、よく教科書にも載っているような人なんだけれど、その人が大陸の文化を日本に定着させたって言われていて、建築技術だとか、お酒の作り方とか、旗織りとかね、それで音楽も広めた張本人なんだけれど、その人の子どもたちが、この「東儀」と名乗って雅楽をやるようになったっていうふうに言われてますね。
志村:はー、もう気が遠くなるぐらい、昔のところですね。
東儀:はい、気が遠くなるような昔ですね。
志村:だけどそれがずーっと、その飛鳥時代から面々と受け継げられてきて、今ここに東儀さんがいらっしゃるんですもんね。
東儀:そうですね。この家に生まれたら、それをするための家っていうのが、ずっと代々続けてきた考え方なので、この東儀家みたいなものを音楽の学に家と書いて「楽家(がっけ)」って言うんですけれどね、千年も続けている家の。今は楽家っていうのがもう半分以下になっているんじゃないかなと思いますね。
志村:そうですか、減ってしまったんですね。
東儀:そうですね。でも僕なんかは楽家として、やっぱり楽家の血で守っているものって大切だなと思うのは、雅楽を始めようと思ったときに、既に家に代々大事にしてきた楽器があるとか、古文書があるとか、あと先祖から言い伝えられている何かがあるとか、そういうものを自ら知っていると、すごく責任感とか誇りとかが、誰よりも強く感じることができるんですね。だからこれは、自分がこの家に生まれた意味とか、意義とか、これからやっていくべきことっていうのがすごく明確にわかるっていうか、なんかこう、画学が好きだからやってみようかなって言って外から入ってくると、そこが全部ゼロのスタートなんだけれど、僕の場合は自分が演奏するのはゼロのスタートかもしれないけれど、僕の中に存在している血は1300年前にスタートを切っているものがまだあって、それが今の僕をくすぐっているんだっていう感覚って、なんかすごく大事なような気がしましたね。
志村:なるほどなるほど、そうですね。うーん。
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東儀:なんだろう、大切にするべきものがあるっていうのは、生きる意味をもらっているみたいな、オーバーに言うとね、すごくそれで助けられている部分もあるし、あと生き甲斐も感じるし、僕には今19歳の息子がいるんだけれど、幸いのことに息子もそういう血のことに対してすごく誇りを持っていて、僕からやっぱり雅楽を受け取ろうとすごく深刻に雅楽を捉えて頑張っているから、なんか頼もしいなと思って。
志村:あー、素晴らしい。
東儀:幸せな状況ですね。
志村:本当ですね。ご一緒にセッションをなさったりとか、時々拝見していますけど、素敵なご子息様とお父様で、かっこいいんですよ二人とも。今日何にする?とかおっしゃって、どんな楽器で行く?みたいな感じで。
東儀:そう、だから雅楽師の東儀秀樹というイメージだけで僕のSNSとか見ると、全然違うエレキギターでロックでセッションをしていたり、全然関係のない民族楽器で遊んでいたりとかって、人はびっくりするだろうけれど、結局音楽ってここから出ちゃいけないんだとかじゃなくて、いろんなところにまたいで行って、そしてまた戻ってきて、そして人間がとにかく音楽で楽しい気持ちになるっていうのが、一番音楽の在り方だと僕は思っていて、その中で、これは儀式にきちんと使おうねっていう場合はそれを真っ当にやればいいわけで、それ以外は本当に自由に行き来すればいいなと思っているから、そういう音楽と人間の関係とかあり方とか、そういうのも遊びながら人に伝わるといいなといつも思っていますね。
志村:本当ですね。音楽ほど自由なものは本当はないですよね。国境を越えていって、楽器もそうですけど、また違うところの国に行きながら壁もなくて、そしてまた違う楽器に発展したりとかしながら、また逆に日本に戻ってくるとか。
東儀:そうそうそう。あと音楽って僕はいつも思うのが、見えないじゃない?生まれた瞬間、音って消えていくんですよ。だから生まれたらすぐ死んでいくっていう。音って奏でられて、例えば僕のやっている吹奏楽器の篳篥(ひちりき)なんか、息がかかってる間だけが音が鳴っていて、吹き止めると音はもうそこにはいないっていう。それが重なっていってメロディになって、人に伝わるっていうことなんだけれど、だから今なんですよ、瞬間の芸術っていうか、残しておくことができない瞬間ね。だから、例えば変な演奏しちゃったとか、ミストーンを出してしまったってことはもう誰にでも当たり前にあることなんだけれど、いい加減な気持ちでね、適当にやっとけばいいよって言って演奏して、ミスを出してしまったとすると、あぁ、やり直せばよかったなと思っても、もう時間は戻れないじゃないですか。巻き戻せない。だからすごく後悔することになるんだけれど、ものすごく心を込めて、それでも人間だからミスをしちゃうことはあるけどね、ものすごく心を込めて、責任を持って演奏していれば、ミスがあったとしても、最大限のことをしたんだからって言ってその先に向かえるんですよ。だから些細な演奏会、まあ些細な演奏会っていうのもおかしいけれど、すごく大掛かりな演奏会でも、その空気とか場に全く関係なく僕は後悔したくないから、最大限の心を込めて演奏しようっていつも心がけますね。そうすると、どんなことがあっても後悔しない。間違いがあって変な演奏になっちゃっても、なんか後悔することはないんですよ。それがたぶんね、間違ったとしても、気持ちっていうのがちゃんと人に伝わるんだろうなと思いますね。
志村:あー、でも本当にそれはわかる気がします。例えば言葉でもそうですよね。尽くしたとしてみても、ちょっと言葉が足らなかったとしてみます。それでも伝わってきますものね。
東儀:そうそう。だからよく言うんだけれど、言葉も同じで、いい加減に発してしまったことが、自分では何でもないつもりが人を傷つけちゃったりすることがあるじゃないですか。だから本当にこの言葉は、この人にとって、あの人にとって大丈夫だろうか?っていうのを、ひと呼吸、ちょっと前にちゃんと把握しながら、いい言葉をちゃんと選んで伝えたいなっていつも思いますね。
志村:大事ですね。あー、それって音全部そうですね。そういう風に伺うと、これからますます東儀さんの演奏なさる音が楽しみになりました。今日これからも。
東儀:そうだ。今日ね、楽器を持ってきてるんだけれど。
志村:おっと。はい!
東儀:雅楽の楽器をね、今この真っ暗闇で横に置いてあって、ちょっと箱から、ケースから出すからちょっと待っててね。
志村:はい、大丈夫です。ドキドキしながらお待ちしてます、嬉しくて。
東儀:えっとね、じゃあね、まず「笙(しょう)」っていう楽器。これは17本の竹が束ねられていて、お椀状のようなところに17本刺さっていて、50何センチかの長さの楽器なんですね。
志村:はい。ちょっと今そばに行って、私マイクを東儀さんの方に持ってきますね。
東儀:あ、はいはい。
志村:えーっと、この辺かな、大丈夫かな・・・はい、オッケーです。
東儀:じゃあ今から演奏します。
志村:お願いします。
東儀:・・・は〜〜〜・・・冗談です。これ僕の声です(笑)
志村:ちょっと今、お腹ぶくぶくしてる(笑)
東儀:あのね、みんなね、雅楽って言うと緊張するから、こうやって和ませてからやろうと思うんです(笑)じゃあ今度は正真正銘の笙の音、いきますよ。
・・・笙(しょう)の生演奏・・・
東儀:こういう音です。
志村:ありがとうございます。鳥肌立っています。すごいなー。
東儀:これがね、今の音色っていうのが、1400年前に大陸からシルクロードの音楽として仏教と共に入ってきた、それが雅楽なんだけれど、その頃から一つも変わっていない音色なんですよ。だから今皆さんが耳にしたのは、本当に1000年以上前の人たちが耳にしたものと全く同じものを感じてもらうことができたと思いますね。
志村:あー、懐かしく感じるのはそういうところもあるんでしょうね。
東儀:はい。よくね、西洋に行ってヨーロッパとかアメリカで演奏した時にも、初めて聞くのになんでこんな懐かしい気持ちになるんだろうっていう人が多かったんですけれどね、僕がいつも答えるんだけれど、これは僕の考えなんだけれど、今でこそ東洋的とか西洋的とかっていう文化の違いをいろいろ言うけれど、2000年ぐらい前っていうのは、ここからが東洋ですとか、ここからが西洋ですなんていう分け隔てがまだはっきりしていなくて、シルクロードなんか特にいろいろな文化が行ったり来たりしていたから、そこで生まれた音楽、考え抜かれて生まれた音楽っていうのは、東寄りとか西寄りとかじゃなくて、人間であれば、どこの国の人でもあっても、なんか共感できるものっていうのを生み出すことができてた時代の産物なんじゃないかって思いますね。
志村:あー、すごいいいお話・・・
東儀:今の音色は、昔の人の考えでは、天から降り注ぐ光が音になったという、そういう位置づけなんですよ。
志村:はい、そう思いました。
東儀:そしてね、もう一つ楽器を持ってきているんです。ちょっと準備させてくださいね。
志村:はい、まだあったんですね、知らなかった・・・!
東儀:今のは、吹奏楽器なのに和音を奏でることができた楽器なんですよね。でも今度のは、主旋律を担当する楽器で、今度の楽器は単音しか出せないんだけれど、18センチの竹の筒に9つの指穴が開かれていて、ヨシ、植物のアシですね、を削って潰して加工したリードを上から差し込んで吹く縦笛なんですよ。ちょっと今ね、手探りでその本体とリードを探し当てて今つなげているんですけど、ちょっとお待ちくださいね。
志村:大丈夫ですよ、すごいですね。暗闇の中でそれができてしまうなんて。
東儀:器用ですから(笑)
志村:本当ですね、お話しした通りでした(笑)すごい、さすがです。
東儀:はい、ちょっと準備ができたから、またマイク近づけてもらっていいですか?
志村:はい、いきますね、参ります。
・・・篳篥(ひちりき)の生演奏・・・
東儀:はい、こういう音色ですね。
志村:素晴らしい〜。
東儀:ありがとうございます。
志村:うわー、なんか全然違うものですね。
東儀:全然違いますでしょう。
志村:はい。
東儀:この楽器がまたやっぱりシルクロードで西の方に運ばれていって、色々形が変わっていくんだけれど、最終的に西洋のオーケストラで演奏されるオーボエになって、そこからクラリネットとかが生まれたり、サキソフォーンが生まれたりするっていう、そのルーツが実は雅楽にはあるんですよ。で、先ほどの笙、和音が奏でられた笙も、西の方に時代を経て運ばれていって、あれが研究されてパイプオルガンとかアコーディオンが生まれるルーツなんですよ。
志村:あ、そうだったんですね。パイプオルガンとすごく大きさも全然違うのにも関わらず、やっぱり共通点があるんだと思ってお聞きしたんですけど。
東儀:そう、その通りなんですよ。
志村:うーん。
東儀:で、この雅楽ではこれを合奏するのが基本だから、今の笙が天なんだけれど、篳篥は地上の音と言われていて、あと人の声のように揺らぎを伴って歌い上げることができるから、人の声と言われているんだけど、つまり地上を代表する音ですよね。これが合奏されるというのは、天と地の融合ということで、音楽の表現が宇宙を作るような価値観があるというふうに考えられていたみたいですね。
志村:美しいですね。音を通してそれを感じることができるって豊かですね。
東儀:しかも細胞に振動させるとか、共鳴させるとか、そういうのが2000年ぐらい前の人は、いろいろな統計学でそれが分かっていて、それにかなう音楽を作ってくれていたんだなと思いますね。というのは、大昔にあるテレビのロケで、ハワイの沖に船で行ってたんですけれど、船のへさきで篳篥を吹いていたら、イルカがたくさん寄ってきて、ずっと船の周りを回って泳いでくれていてね。あとはクジラが集まってきたりとか、フランスの郊外の草原で笙を演奏していたら、牛が大群で集まってきたりとか、そういう経験をいっぱいしているんですよ。あと植物に聞かせたら、圧倒的に伸びが違ってよく伸びてとか、そういうのも証明できているので、なんかこう昔の人っていうのは、自然と人の調和とかバランスとか宇宙の成り立ちとかを分かって、それに見合う音楽っていうのを生み出すことができていた時代があったんだなと、想像して楽しむことはよくありますね。
志村:本当ですね。
東儀:だから、牛が集まってきたということで、僕は、あぁ、自分の笙の吹き方は正解なんだなという証をね、動物からもらった気がしたんですよ。だから、そういう風な演奏を心がければ、僕はよく古典の雅楽だけじゃなくて、ポップスとかロックとのコラボレーションをしたりするんだけれど、そんな時こそ、この古典の奏法を大事にした演奏でコラボレーションを心がけると、なんかすごく同じポップスなのに、古典の雅楽を聞いたような、体の反応の仕方が親しみやすい曲の中でできたらいいなと思ってますね。
志村:あー、いいですね。今お聞きしていてふと思ったんですけど、デビュー30年の、改めておめでとうございますなんですが、
東儀:ありがとうございます。
志村:ちょうど今そんな感じの、ご子息様ともお二人で組んでツアーが始まるんじゃないですか?
東儀:はい、そうなんです。
志村:ですよね。
東儀:だから、今息子がね、基本的にロックギタリストなんだけれど、笙とか篳篥とかもすごくやるようになって、さらには1400年前に大陸からもたらされた笙や篳篥の音楽以前の、古来の日本から存在している歌、神に捧げる歌っていうのが今でも皇室の儀式で歌われ続けているんだけれど、それを紐解くことに夢中になっていて、だからなんかね、19歳なのに愛読書が日本書紀と古事記っていう変わった子なんだけれど、神話の世界でこの歌がどういう意味を持っているのかとかっていうのを紐解いてるんですよ。そういうのが間近に家の中にそういう子供がいるから、僕が当たり前に歌ってきた神楽歌っていう日本の古来の歌とかも、そういえばこれをもっと突き詰めると面白いなっていう僕のまた新たなチャレンジも芽生えていて、息子とともに神楽歌の紐解き、歴史っていうのをもっともっと人に、日本人なら知っておいたらもっと誇りを持てるだろうっていう意味でも発信しようってことになって、だからそういうモチーフを使った新しい曲っていうのも、この30周年を迎えて発表しようということになってね、夏の終わりにアルバムが、8月26日にニューアルバムが出るんだけど、そういう曲も収録して、30周年の記念の全国ツアーでもそういう曲を演奏したり、あとシルクロードから入ってきたんだったら、シルクロードを感じさせるような楽器編成でオリジナル曲を演奏したりと、それから音楽っていうのは時空を越えて楽しめるんだよっていうことで、バンドも用意していて、ベースとかドラムとかギターとかキーボードと、ロックな曲を音楽の楽器でコラボレーションしたりという、かなり幅広い内容で、いろんな趣味の人に雅楽の音色を楽しんでもらおうと思ってますね。
志村:いいですね〜。何回行けるかなと思って、今からワクワクしてるんですけど、ツアーもあるし、アルバムもお出しになって、タイトルがございましたよね。
東儀:そうです。『THE TOGISM』っていう、アルバムのタイトルはね。そのTOGISMっていうのは、東儀の考え方、やり方っていうことになるんだけど、イズムっていうね、なんかこうデビューの当時から誰もやろうとしてなかったことをやったねって言われて、唯一のことをやっていることへの誇りとか責任とか、それをまた息子が同じようなことをやろうとして継承しているっていう、古典だけじゃなくてね。このイズムを大切にしたいっていうのと、例えばコンサートに来たときに、親子でそれをやっていると、あ、音楽ってこうやって楽しく継承されていくんだなっていう、そういう空気感も伝わるといいなと思っていて、だからツアーのタイトルっていうかサブタイトルは「悠久と革新のTOGISM」っていうタイトルになりましたね。
志村:うわ〜。
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志村:たくさんいいお話を伺っていて、もうそろそろお時間が迫ってきてると思うんですけど、実は今日、8月9日、長崎にですね、原爆が落ちた日でもあるんですけど、今お話を伺っていて、平和ってどうやって作っていくんだろう?っていう、作るって変かもしれませんけど、今のお話の中に全部入っていたなと思ったんです。関わり方であったりとか、思いを伝えるであったりとか、受け止めるであったりとか、あとはそれぞれの国があったとしてみても、県や市区町村があったとしてみても、ご自身の持ってるものを大事にしながら相手のことも知るみたいな、と思ったんですね。改めてもう一度お聞きしたいんですけど、この日、核が使われたことに対しては、今後私たちどうやって平和を感じていくんだろうっていうのは、何かございますか?
東儀:とにかく何かこう、否定しないっていう、肯定すると似てるけれど、肯定するっていうんじゃなくて、否定しないっていうのを、自分がやってるような生き方なんだけれど、例えばね、雅楽でいうと、日本は大陸から音楽が、雅楽の元が入ってくる前っていうのは、雅楽っていうのは仏教の音楽として入ってきてるんですよ。で、日本はそんな仏教なんかなかったから、神道一辺倒だったんだけれど、そこに仏教が入ってきたときに、普通だったら、宗教とかそういう思想の問題って、めちゃくちゃ大変なことだから譲らないじゃないですか。どちらかが根絶やしになるまで主張すると。肯定させようとすると。その宗教っていう、そういう考え方のために、今でも戦争が止まないっていうのは、根源はそこだと僕は思っていてね。だけど雅楽の歴史を見ていると、神道であったところに仏教が入ってきて、当然大喧嘩になるはずなのに、日本人は、え、仏教も面白いじゃない?え、面白い面白いって言って、受け入れちゃうんですよね。だけど受け入れたところで、じゃあ神道やめたじゃなくて、いや神道もやるよって言って、だったらこの仏教の最高の音楽とか様式を取り入れて、自分たちの神様に聞かせるっていうのもいいんじゃないかって言って、共存しちゃうんですよね。それって、仏教は違うとか、神道が最高なんだとか、だからあなた方も神道になりなさいとかって言うんじゃなくて、なんか全てを否定しないと。それがすごくバランスをうまく生んでいるような気がするんですよ。
志村:本当ですね。
東儀:だから否定しないっていうのは、イエス・ノーをはっきりしなければいけないという諸外国の人から言うと、優柔不断だったり、日本人のグレーゾーンはいかがなものかってよくマイナス面で言われるけれど、日本のグレーゾーンっていうのは僕はすごく素晴らしい文化だと思っていて、このはっきりしないっていうんじゃなくて、決めつけないことで、相手の出方にも余地を与えてあげると。自分が決めつけていると思っていることが、本当に正しいかどうか誰も分からないじゃないですか。それで相手にも余地を与えることで、まだまだ対話をする用意を持つことで、もしかしたら自分がいいと思っていたことが、変わるかもしれないっていう、自分に対しての、変化に対してののりしろも持とうと。で、相手にも道を譲ることで、お互いのりしろをもっと広げて、本当のところに行けるのかもしれないなっていうのが、グレーゾーンの使い方だと思っていてね。だからそれが大事にされると、もっと平和になりやすいんじゃないかなと。イエス・ノーをはっきりすることっていうのは、案外ビジネスでは必要なのかもしれないけれど、一般の人が生きる場面では、もっともっと僕はグレーゾーンを大事にした方が平和に近づけるような気がしますね。
志村:いやー、ありがとうございます。グレーゾーンというのが、グレーという色がね、ちょっとネガティブに感じるかもしれないですけど、私は美しい色なんだろうなって思います。日本人が受け入れていく力っていうのかな、力というか柔軟性っていうんでしょうか。そしてそれをまたうまく取り入れていったり、形を変えていくっていうのができていく。尊重を持ってしながらとか。これはなんか平和そのものになっていくんじゃないかってやっぱり思うんですよね。
東儀:そうですよね。
志村:はい、うわー、素敵だなー。やっぱり私東儀さん大好きだな。
東儀:ありがとうございます(笑)
志村:今日お会いできてよかったです。最後に一言だけいいですか?
東儀:はい。
志村:明日の朝、元気に迎えるために・・今日たくさんいただいたので、もうこれ以上ないかもしれませんけど、一言でいいんですが、明日の朝元気に迎えるための一言、いただいてよろしいですか?
東儀:明日の朝元気に迎えるために?
志村:そう、一言何かあったら。
東儀:そうだな。寝る前にね、あぁ、自分っていい人だなって思って寝る。それはね、証明なんかできなくていいんですよ。いい人か悪い人かなんて分からないんだけれど、あー、自分はいい人なんだよ。って言い聞かせる。なんかそういうふうに持ってっちゃう。
志村:素敵。そうですよね。反省ばっかしじゃなくてね。
東儀:そう、そうすると悪いことにした記憶とかも、そこにちょっと後ろめたさがあって、なんかもうちょっと改めて、そうだよね、自分っていい人でいたいんだから、明日からもうちょっとお天道様に面と向かってみようじゃないかって気持ちになるための一言になればいいなと思いますね。
志村:いいですね〜。朝日気持ちよく浴びれますね。
東儀:うーん。
志村:あー、素敵なお話。私は今日本当に気持ちよく眠れますので、皆さんもそうやっていただけたらいいなと思います。東儀さん、今日はありがとうございました。遅い時間でしたのに。
東儀:こちらこそありがとうございました。
志村:本当に感謝しています。ありがとうございました。
東儀:ありがとうございました。