
日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。

「ダイアログ・ウィズ・タイム」に注目!

6/9 第72回のゲストは、関根健次さん
〜プレゼントのお知らせです〜
ダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰する
志村季世恵さんの著書
『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』を
番組をお聴きの方の中から抽選で2名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。


今回の「DIALOGUE RADIO」は、高齢者がアテンドとなって、年を重ねることについて考えながら、自分自身の生き方について対話する体験型エンターテイメント『ダイアログ・ウィズ・タイム』に注目しています。
スタジオにお迎えしたのは、今回の会場でアテンドを務める、いずみさん、ふきさん、ixy(イクシー)さん。聞き手は、志村季世恵さんです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
志村:いずみさん、ふきさん、ixyさん、こんばんは。
3人:こんばんは。
志村:今日、こうやって4人でお話できるのがすごく嬉しいんですけど、いろんなお話をしたいなと思ってるんですね。まず私たちは今こうして集っている仲間たちとなるんですけど、今日お3人は75歳以上の皆さんばかりで、どちらかというと80代の人の方が多いって感じですけど、この『ダイアログ・ウィズ・タイム』の皆さんと共にやっているのはですね、年齢の差をたくさん感じてる部分があると思うんですけど、世代を超えていって関係性を持ち、友達になってもらったりとか、いろんなお話をしてもらったりしながら私が願ってるのは、何歳になっても人は成長ができて、何歳になっても夢もあって希望もあって、そしてそれを実際に実行している方たちとお客様と出会っていただいて、そして若い方たちも、私のような年代の方たちも、あ、年を重ねるのっていいなとか、希望があるんだなとか、アンチエイジングってアンチって言うけどそうではなくて、エイジングは実は豊かなことだったんだってことを知ってもらえたらいいなと思ってやってるんですよね。で、願いは、「アテンドを通して未来に会いに行こう」っていうことをテーマにしています。自分たちの未来は、誰もがね、赤ちゃんにはならないじゃないですか。誰もが大人になっていって、そしてやがては中年になって、もうちょっと年齢が進んでいって、いわゆる高齢者というふうな言葉になるんですけど、でもそれがこう、今の私たちからすると偏った情報がたくさん流れていて、本当の高齢の人たちと出会ってお話してんのかな?って、そうでもないんじゃないかな?って、そんな思いがあるんです。で、これね、アテンドさんと出会ってもらったら、きっと価値観も変わっていいぞ!と思ってるんですけど・・・アテンドをやってみて、どうなんだろう・・・?今、お客様と出会っていて、どんなことが起きてるんだろう?
ixy:もう待ちに待ってたのですっごく嬉しいです。今回は本当に2ヶ月ちょっとですよね。もうずっと続けてほしいっていう感じです。
志村:本当?ずっと続けていいの?(笑)
ixy:もちろんです〜!ねえ?
いずみ:メンバーが増えましたからね、新しい仲間が増えたっていうのは嬉しいですね、1番ね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ixy:やっぱりリアルのお客様は、たった写真1枚でもツッコミどころが違うし、質問の方向性も違うし、うわーっていう感じですね、楽しいです。
志村:写真っていうのはね、アクティビティの中でお客様にいろんな写真を見せて、お年寄りが活動してる写真とか、プライベートで過ごしてる写真とかを選んでもらったりとかするシーンがあるんですよね。そこでいろんな形でお客様が、あ、年を重ねるってこんなことかってイメージがつくようなことが場面場面であるんだけど、今ixyさんがおっしゃったのは、きっと自己紹介の写真をお見せするとか、そして、各国の世界一のお年寄りの写真があって、それをお見せするとかそんなとこですよね。
ixy:そうです。
志村:で、ixyさん、ふきさん、いずみさんの子供の頃の写真とかね、赤ちゃんの頃とか、そして青年期のお写真とか、今の写真とかをお見せして、伝えてもらってますよね。で、そこにもツッコミがあるの!?
ixy:あります。まず、この中の誰!?どの写真があなたですか??というのがあるし、うわ、可愛い!とか、えーこんなの着てたんだー!とかね。そういうツッコミがいっぱいあります。
志村:そう〜。確かixyさんの小さい頃の写真は、お洋服をお母さんが作ってくださったんでしたよね?
ixy:えっとね、母は補正をしたんです。進駐軍のお下がりをね。アメリカの人の大きい服なので、ダブダブなんですね。
志村:それをリメイクして。
ixy:はい。えー、それを七五三で着たんだ!とかね。やっぱりそうするとまた戦後っていうのがね、皆さんわかってくださるし。
志村:そうですよね、ixyさんは、年齢的には戦後生まれ?
ixy:あのね、期間的には昭和20年の4月生まれなので、ちょっとだけ戦中。実際には戦争を知りませんけど。
志村:あ、でもその年にね、お生まれになったわけですね。
ixy:そうなんです。だから防空壕に入ったりとかね、親から聞いた戦争の話はあるんですけど、自分ではないです。
志村:防空壕に赤ちゃんのixyさんを抱っこして?
ixy:はい、防空壕に入った母がもう1人目の子供だからギューッと抱きしめてて、呼吸が止まってしまったらしいんです。もう父も母も大慌てだったという話があるんですけど。
志村:守ったことによってね。
ixy:そうなんです、はい。
志村:そっか、なので進駐軍の・・・進駐軍って知らない人もいるかもしれない・・・なんて言ったらいいの?
ixy:今だと米軍ですか・・・?
志村:そうだよね。
ixy:はい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
志村:いずみさんはね、見てて面白いと思ったのは、ダイアログはほら、ダークのアテンドさんもいれば、サイレンスのアテンドさんもいて、目が見えない人もいるし、耳が聞こえない人もいる、そういう仲間たちがいて、で、いずみさんは積極的に関わってくださって、聞こえない人たちとコミュニケーションを交わそうとして、手話を覚えてくださってね、私よりも手話できるの、いずみさん。
ふき:え〜!
志村:そう、でね、単語帳をご自身で作っていらして、いずみ単語帳がすごくて、普通手話ってね、本とかを見ると、相手の方向から見たときの指の形が出てくるから、自分は頭の中で鏡にしなきゃいけない。それがいずみさんの場合は、自分から見た手話の形に直してあって、そして単語帳になってたのね。あんっまりにもすごすぎて、しかもね、普通ではない単語まで開発してて(笑)
ふき:例えば??
いずみ:「ほんわな」とかね。意味不明・・・(笑)
志村:私どっかのお菓子の名前かと思ったの!そしたら違うの、なんかねいろんな名前があってね、勉強できるように自作したものがあるわけ。でそれが、あんまりもヘンテコで面白すぎて、商品化したの!(笑)
ふき:私それを商品化した季世恵ちゃんにも感動!「もうすぐに季世恵ちゃんがね、商品にしましょうって言ったんだよ」ってね、いずみさんが喜んで話してました。
志村:いやーすごいんですよ。私も欲しくて、スタッフも欲しくて、他にも勉強したい人の中で自分の手の方から見た状態で勉強したい人っているはずだから。それをね、今会場で売ってるんです。
ixy:結構売れてますよね。
いずみ:あ、そうですか?ありがとうございます。
志村:売れてますよ〜。
いずみ:もうちょっと新商品を考えてますよ(笑)
ふき:新商品!(笑)
全員:(笑)
志村:そしてね、これがまたおかしくて、漫才したりとかね、今ダイアログでインターンの高校生の子といずみさんって、何歳違いなんだろう?
いずみ:えー・・・17歳ぐらいですかね。
志村:ってことは、いずみさんと何歳差・・・?
いずみ:今85歳ですから・・・60いくつなんでしょうね〜。
志村:そう、その漫才コンビができて今練習してて、面白いよーって。なんかね、タイムのアテンドさん見てるとね、遊ぶの上手いの。みんな上手だなー。ってことは、人生を、苦しい時代もあったかもしれないけど、豊かで楽しんでたんだなと思うと、じゃあ今の世代の若い人たちが、楽しんでるかどうかちょっとわからない、というのは、楽しんでると思うんだけど、いろんな人と絡むのがちょっと少ないかもしれないし、アクティビティの中には一緒になって遊んでもらうシーンもあるんだけど、これが面白そうで、10代になる前のお子さんから、様々な年齢のお客様が来ていらっしゃって、やっぱり遊ぼうって、もっと遊んでいいんだと思ったっておっしゃる方多いんですね。
ixy:本当にそうです。なんかコロナ禍のあの4年間で、あんまり人と会えなくなって、人との付き合い方が上手でなくなった人が多いかなーと思うんですね。その意味で、なんかこうやって遊んでもいいんだ〜みたいなね、お客さんが楽しんでくださってるのが嬉しいですよね。
志村:そう、途中で遊ぶシーンとかあるときに、ふきさんに至っては、またダンス・・・なんのダンスですか??
ふき:私は、ちょうど昭和30年代に流行ったマンボウです。
志村:そうマンボウをね、リズミカルに踊られるんですよ〜またふきさんが〜。
ふき:簡単ですからね、皆さん喜んで踊って帰られますね(笑)
志村:ね〜、マンボウ覚えた!って言ってね〜。すごいの、本当すごいの。ixyさんも、フォークダンスね!みんなふきさんの勢いに押されて、息切れしながら踊ってるもんね〜(笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
志村:そう、いずみさんにも伺っていいですか。
いずみ:はい。小学生の頃っていうのはもう本当に食べる物がなくて、空襲にあってますからね、6歳でした。
志村:そうよね、それは記憶にはもうはっきりとありますもんね、きっと・・・
いずみ:ありますあります。昭和20年の7月、甲府で空襲にあいましたね。
志村:ね、すごく大きな火事があったって・・・
いずみ:夜に空襲警報が鳴って、家族みんなで山の上に行って、甲府の町を見たらもう真っ赤で、その赤い炎のあれっていうのは今も残ってます。
志村:うーん、やっぱり子供ながらに不安な思いと、恐怖と、なんだろう・・・なんとも言えない気持ちになりますよね。町が燃えてしまうというか・・・ね。
いずみ:ふきさんはその頃、船の上?
ふき:私は、引き上げは昭和21年、翌年の4月です。
志村:そうですよね。終戦はだって、まだ日本で迎えたわけじゃないですもんね。そうそう、ふきさんは、その頃どこにいらしたんですか?
ふき:私は3歳から引き上げまでの間は、中国北京におりました。ですから、敗戦によって環境が変わりましてね、翌年4月に佐世保に着きました。
志村:そう〜。北京に行った理由ってのは、まず何だったんですか?お父さんの・・・
ふき:父の仕事で北京におりまして、昭和20年8月15日の玉音放送の後、私たちはあれを学校で聞いたんですね。教室に入って終戦のお話を聞いて、それで翌日から、もう社宅の庭以外、道路に出てはいけませんって言われまして、それから1年そういう生活を強いられました。
志村:そうでしたよね。その、家から出ちゃいけない理由っていうのを、もしよかったら教えてもらってもいいですか?
ふき:もう、それはもう大変です。まず食べ物が配給で来るっていうのはやはり限られてますから、なぜ大変だったかって言いますと、家族が多いんですよ、皆さんね。家族全員で行ってますからね。で、親しくしてた中国人にお願いして、ちょっと買い物していただいたりとか、またあるときは、うちに中国人のお手伝いさんが終戦までいたわけですよね、その方が夜中にそーっと、大きな袋に小麦粉をいっぱい入れて、勝手口に置いて、トントンっていうノックだけが合図だった。開けてみますと、後ろ姿が見えて、あ、お手伝いさんが持って来てくださったんだって分かるぐらい、もうお話も何もできない。そのお手伝いさんにとっては命がけだったと思うんですよね、そうやって持ってきてくださることが。
志村:日本人って分かっちゃいけないわけですもんね。
ふき:そうですそうです。それで、あるときはもう殻付きのピーナッツをやはりいっぱい持って来て、私の家族はなにしろ大勢で8人おりましたから、もうみんなそれをむさぼるようにいただいて、飢えをしのいで、翌年の4月までおりました。で、本当にね、中国人にお世話になって、もう本当に優しいですよ。ありがたいと思ってね、そのお礼のためにちょっと中国に行ったんですけれども、やっぱり会えることはできません、どこにいらっしゃるかも全然分かりませんから、もう本当に感謝感謝だけです。
志村:うーん、そうそう、引き上げのときなんかも、たくさんの苦労がね・・・
ふき:大変でしたよ。北京から貨物列車に入って、貨物列車も無蓋車って言って、石炭を運ぶような屋根のない列車にみんな荷物として入れられるんですよね。ですから一昼夜かかっておりましたから、よく止まって荷物をちょっと取られたりとか、またいろいろね、いろんなことがありました。もうとてもとても悲しい思い出ですよね。
志村:ね・・・でも、ふきさんはその話を、ご自身が生きてる間、伝え続けなければいけないんだって、ミッションがあると思うっておっしゃってましたもんね。
ふき:私の年齢がもうやがて88歳になりますので、結局、小学校3年生の体験者として見たことを伝えるっていうのは、だんだんそういう人が少なくなってくるんじゃないかと思って、それまではそんなに気にならなかったんですけども、やっぱりそういうことを少しでも伝えられたら、私がですよ、伝えられたらいいなと思って、ただそれだけですけどね〜。
志村:ね〜。なんかその、『ダイアログ・ウィズ・タイム』って、子供の頃のことを伺って、自己紹介なんかがあってね、そして青春時代、その後は、じゃあ今はどうなの?ってことを、時の流れと共にお話してもらうんですよね。今のような話があったりとか、そして青春時代はどんなことしてたの?っていうと、今度は戦争の話とは全然違っていて、「ダンスに行ってたんだよ」とか、「歌声喫茶に行ってた」とかね、いろんな話を伺ったりしてましたよね。で、ixyさんのすごいところはね、お客様からすると、こんなにいろんなことを体験なさって今笑顔でいるって、なんて素敵なんだろうって思う人が多いみたいなんだけど・・・ちょっとちなみにどんな波乱万丈があったのか、教えてもらってもいいですか?
ixy:ふふふ(笑)まあ、まずは子供が4人いるんですけれども、長女との間で親子戦争が、バトルがあったりとかね。で、その後は47歳で子宮がんになりまして、だから子宮とか卵巣とかね、そういうのを取ったんですけれども、その後は50歳で離婚して、で、それからはまあまあ、何とか順調に行ったんですけれども、72歳で老人を対象にした高額詐欺に遭って、かなりのお金が飛んでしまい、この家をもう売るしかなくなったという状況があったりっていうのがあって、はい。
志村:72歳っておっしゃってましたけど、結構、近々の話ですよね。
ixy:そうですね、はい。だからもう生命保険も全部解約して、売れるものは全部売って、貯金はもう全部出してみたいな。
志村:ね〜、そうだったよね。なんかそのね、今のお話なんかも、経験したことを今は深刻じゃなくて、笑顔な感じで話してるでしょう?それは乗り越えたからなんだろうっていうふうに思っているんだけど、お客様からするとね、ixyさんそのときに、「高額詐欺に遭っちゃったんだよね」って言って、ててへって感じで、笑顔というかあっけらかんとおっしゃってたのを見たときに、私だったら死のうと思ったかもしれないのに、そうじゃないixyさんの強さはどこから来たんだろう?ってことを考えてたんだけど、『ダイアログ・ウィズ・タイム』を経験した中でね、90分の経験の中でなんか分かった気がしたんだって。
ixy:へ〜、そうなんですか?
志村:そうみたい。ixyさんの人となりが、タイムの経験の中で「七転び八起きは、あっていいんだ」って思ったんだって。そういうことかな?
ixy:いや、嬉しいですね〜本当に。
志村:だって離婚したってときもixyさん、なんておっしゃってたっけ??
ixy:ハッピー・シングル・アゲイン!って(笑)
志村:そうそう(笑)お客様に向かってね、自己紹介のときに、50歳で離婚してハッピー・シングル・アゲイン!って言ったんだって。それで、はい!?と思ったんだって。だけど、確かにシングルになってハッピーな部分も、
ixy:はい、もちろん悲しいっていうかね、寂しい部分もあるんですけども、その当時おうちカフェっていうのをやりたかったので、やったー!1人になったらやれるじゃーん!とか思ってね。
志村:ね。そういう前向きなixyさんに刺激されて、一緒に遊んでるうちにタイムの世界で、ちょっとそのエッセンスをもらえるみたいな、そういうことがあるみたいな。
ixy:あー、それなら嬉しいな〜。
志村:ね〜。なんかあります?お客様とのエピソードって。
ixy:あ、なんかね、やっぱり年を取るって、正直寂しいこと、辛いこと、悲しいことだと思ってたけど、え、年を取っても楽しめるんだと思った!とかね、どんなことでも、いつからでもやり直せるんだな〜みたいな言葉をいただいたりすると、嬉しいって思います。
志村:あ〜、本当だね〜。そう、でね、ふきさんも辛いこととか、いろんな普通ではない経験もなさった。あとは、やっぱり戦争が終わって日本に帰ってきて、そこからはまた日本の学校にまた戻って、お仕事をして、ご結婚をなさったわけですよね。
ふき:そうですね〜。日本に帰りましたときに、私小学校3年生だったんですけれども、てっきり4年生に上がれると思ってましたら、校長先生の面接がありましてね、掛け算はどこまでやりましたか?3の段までって、分数は?やってませんって言ったら、はいもう1回3年生って。3年生を2度やってるんですよ。皆さんやはり引き上げた方の話を聞くと、ほとんどの方が留年して日本の教育を受けてますね。そんなことで日本に帰ってからは生活が始まりました。もうあとはもう皆さんと同じです。終戦後のね、例えば4年生のときですけどね、いろいろその頃ね、ララ物資って言って、いろんなものが学校に配給されてくるんです。で、あるとき私の場合は、白い運動靴が配給になりまして、1足ですよ。クラス50人近くいるのに1足、配給になって、その足の靴にあう人、手を挙げてって。シンデレラです。手を挙げるんですね。そうしましたらね、多分6人か7人いたと思うんですけれども、先生が黒板にあみだくじを書かれまして、それで引いていったわけです。なんと私、当たったんですよ〜!もうね、本当こんなに嬉しいことは今まで一生涯通じてありませんよ。それでね、その当時の白い運動靴は、底が生ゴムなんですね。生ゴムってちょっと臭うんですよ。嫌な臭いなんですよ。でもね、嬉しくて嬉しくて、それを抱いて寝たんですね。それぐらいもう嬉しかったですよ。そんな思いもありました。今思い出しますとね。ですから、お陰さまで中学高校、そして結婚しまして、子供にも恵まれましたし、その後ちょっと48歳になりましてから、裁判所の調停委員の仕事をいたしまして、それで75歳まで何とか仕事しておりました。
志村:調停委員の仕事もね、たくさんの人にお会いしたでしょうね。
ふき:はい、いろんな方に会って、いろんなお話を聞かせていただいて、結局その物事全て対話が成り立たない方たちがああいうとこ、裁判所に来るわけですよね、自分たちで解決できないから。だからその前の段階で話し合いができていれば、もうそこで終わってることなんです。だから、いらっしゃる方っていうのは大変ドロドロになった方が見えるわけですから、私たちはもう先入観を持ってはいけないわけですよね、常に俯瞰して、そして物事を解決していかなきゃいけませんから、もう本当にそういう意味では、いろんな方と対話をさせていただいた。それがまた私の宝物にもなってるんですけどね。そんなことです。
志村:そうでしたか、そうそして、今度は『ダイアログ・ウィズ・タイム』の対話に変わっていったわけですね。
ふき:はい。もうお陰さまでその経験が、タイムでいろんな方がいらっしゃいますよね。そして皆さんおっしゃるのが、「あ、年を取ることって怖くないんですね」とおっしゃる。なんか年を取ることに対してね、不安を感じてる方が多いなっていう、私はそういう印象を持つんですよ。最後に、ある小学校5年生のお嬢さんがたまたま入っていらしたんですけど、彼女が言うには「人生って谷あり、山あり、いろいろなんですね。でも一生懸命やれば、それは報われますね」ってニコッと笑って帰られたんですよね。もう1番嬉しかった言葉でしたけどね〜。まあそんなこともありました。
志村:いやあ、いいお話。すごいな〜。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
志村:皆さんお聞きしたいんだけど、個人的にでもいいんだけど、もしくは社会的に考えてもいいんだけど、「これ不自由だな」って思うところって、今の時代かもしれないし、今のご自身かもしれないけど、今不自由だなーって感じることって何かありますか?
ixy:私あんまり感じないかな〜。
志村:あーいいねー。
ixy:うーん毎日毎日がすっごく楽しくって、不自由って何だろう・・・あんまりないです。
志村:あ〜前向きだ〜。
ふき:私はあります。このいわゆるスマホ。付いて行かれないですね。もう複雑、私が持ってるのは1番単純な機械ですから、何でしょう、いろいろ難しくなってくるとわからなくてお手上げの状態。
志村:どんどん進んでいっちゃうもんね。やっと覚えたと思ったらまた次々にね。
ふき:ですからね、不自由なのは1番それですね。
志村:そう〜。確かにそうだ。ixyさん使いこなしてるもんね?
ixy:私はとても楽しい世界(笑)
いずみ:すごい(笑)
志村:私、教えてもらってるね、ixyさんにね。私も不自由な世界ですよ〜、スマホとかああいう、ね、出来ないわ〜あんまり。いずみさん何かありますか?不自由に感じること。
いずみ:不自由とはちょっと違うんですけど、欲しいものは時間ですね、今。月日とか年月が欲しい。もっともっと欲しい。もう先がだんだん見えてくると、もうやりたいことがたくさんあるんで、いくらでも出てきそうなんで。
全員:湧いてるもんね〜。
ixy:いずみだから。
いずみ:上手い!座布団1枚!(笑)
全員:(笑)
ふき:いや、羨ましい!(笑)
志村:そうなの〜?いや、みんな長生きしてください!100年、100歳までっていう時代が、本当はだってもっともっと長生きできるかもしれないじゃない?
いずみ:まあとりあえず今85歳ですから、あと5年はダイアログやりたい!
志村:そう。90歳まで?
いずみ:とりあえずはね。
志村:うん、まあ直近のね。でもその後だってね、元気だったらそうだもんね〜。
いずみ:そう、もうどんどんどんどん、それだけ行きたいんだけど、とりあえず目標は、あと5年。絶対やるぞと!
ふき・ixy:素晴らしい、心強い。
志村:すごいな〜!明るい答えだね〜!
いずみ:腰が痛いとか言いながらも(笑)
志村:そうだ、昨日もね、腰が痛くて来れないかもっておっしゃってたけど、でもね、復活して来てくださって。いや、何か不自由とか不便とかってもっと出るかと思ったら、ほぼほぼ出ない。スマホはみんなそう思ってるだろうからね〜。
ixy:スマホは楽しい。
志村:それは本当に素敵だわ、私も見習いたいし。まあね、不得意と、また得手不得手はまだあるしね、それぞれだけど、でも大きなそんなことを感じていらっしゃらないのが前向きだな〜・・・。最後にね、質問したいんですけど、『ダイアログ・ウィズ・タイム』に入ってくださったご参加者に感じてほしいのはどんなことか、お聞きしたいんです。お1人ずつ。
ふき:やっぱりいろんな人生がありますから、あまり自分の先を決めないで、冒険してほしいと思います。何歳になっても冒険ってできるんですよ。ですから、もう楽しみましょうっていう感じですね。
志村:冒険いいね〜。どんな歳でも冒険できるもんね。
ふき:確かに。些細なことでいいんですよ?何も大きなことではありませんよ?本当に人様から見たら何やってるの?っていうことかもしれませんけど、自分にとって楽しいことであればいいと思います。
志村:あ〜ありがとうございます、本当にそうだ。
ixy:なんかね、やっぱり私自身、若い頃は、自分で何とかしなきゃ!とか思ってたから、両の手にカチッとなってて、肩もギュッとなってたんですけども、だんだん年を取ってくるに従って、できないこととかね、時間的なこと、お金のこととかね、いっぱいあって、あ、そうなんだ、もっと気楽に人と仲良く、頼っていけばいいんだと思ったら、もうどんどん皆さんが私のできない部分を手伝ってくださるし、足りないところはやってくださるしっていう感じで、人との輪がさらに広がったっていうかね、なので、もっともっと周りの人に上手に甘えて、人にも上手に甘えさせてみたいなね、依存はね、駄目だけど、そういうのをやっていくと、日々が楽しく行けるかな〜と思うし、全然失敗してもそれは失敗ではないし、いつまでも楽しく行けると思います。
志村:本当だよね〜、あ〜ありがとうございます。いずみさんはどんなことを感じてほしいですか?
いずみ:やっぱりもう、いろんなことやってほしい。この85歳の爺さんでも、今やりたいことがたくさんあって時間が足りないぐらいあるんで、あなた方はもういくらでもあるわけだから、ただ、見てるとちょっと無駄にしてないかなという感じがしますよね〜。もっとやりたいことをね、ストレートにされた方がいいと思うし、いっくらでもありますから、そうすると人生楽しく過ごせますよ。
志村:あ〜そうだね、いろんなこと気にし過ぎて進めなかったりしちゃうことが、ある意味では少し何か動きを止めちゃうことが起きてるかもしれないもんね〜?そう〜、いいね〜。よかった!いい感じに締まりました!ありがとうございました!
3人:ありがとうございました。
志村:私ね、聞いてくださった方たちに、「お待ちしてますよ!」ってお伝えしたいんですけど、みんなで「ダイアログ・ウィズ・タイムで、お待ちしています!」っていうふうに言ってもいいですか?
3人:はい。
志村:じゃあ、せーの・・・
全員:「ダイアログ・ウィズ・タイムで、お待ちしています!!」