
日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。

第64回のゲストは駒形克己さんでした

11/12 第65回のゲストは大門小百合さん
〜プレゼントのお知らせです〜
番組発となる著書、
『暗闇ラジオ対話集-DIALOGUE RADIO IN THE DARK-』を
番組をお聴きの方の中から抽選で2名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。
https://www.j-wave.co.jp/original/dialogue/message/index.html


志村:駒形さんこんばんは。
駒形:こんばんは。今、真っ暗闇の中に2人でおりますけど、どんな感じですか?
駒形:いやー、不思議な感じです。目をどこにやっていいのか、全く真っ暗で見当がつかない状態です。
志村:そう、目を使って見つめ合うことは今できないですからね。
駒形:はい。
志村:声だけで今。
駒形:はい。
志村:暗闇はだいぶお久しぶりですよね。
駒形:そうですね、何年ぶりでしょう。
志村:多分20年近経ってる・・・いやもうちょっと前かな、20年ぐらいですね。
駒形:あー、はい。
志村:私ね、岩手に時々行くんですよ。駒形さんも今岩手の方で・・・一関ですか?
駒形:そうです、アトリエを2年半前に、まあちっちゃなアトリエですけども開設したんですね。事務所の方は今世田谷の方でちっちゃなギャラリーにして、そこを行き来しながら制作は続けているんですけどね。
志村:あーそうですか。どれぐらいの割合で岩手の方にいらっしゃるんですか?
駒形:もう日常的に、例えば1ヶ月2回往復したりして、事務所の方には若いスタッフもおりますのでね、仕事の打ち合わせとかして、また岩手に戻って絵を描いたり、まあそういう作業をしてましたね。
志村:そうですか。
駒形:ところがちょっと今年の3月に食道にがんが見つかって、今実は治療中の身なんです。
志村:はい。実は先ほどちょっと見慣れないものをお体に付けていらっしゃいましたが、あれは何ですか?
駒形:えっとですね、今抗がん剤治療が通院で受けられるんですよ、入院することなく。その画期的なツールと言っていいんでしょうかね、実はもう1つペットボトルの小さめのボトルを私今肩からぶら下げてるんです。その中にゴム風船のようなものが入ってましてね、ゴム風船は自力で縮まろうとしますよね。その縮まる速度を私の体温で調整してるんです。体温のセンサーが作られていて、肩甲骨のちょっと上あたりにCVポートっていうのが500円玉ぐらいですかね、埋め込まれていて、そこから5センチほどの静脈カテーテルが伸びていて、静脈に直結してるんですね。でそのCVポートに針が刺されていて、その延長にボトルがついてまして、その中にゴム風船があるんです。今の治療は3種類の抗がん剤を入れてるんですけども、2つ目は病院で2時間ほどかけて入れて、その後48時間ゆっくりかけて入れないといけない、ちょっと強めのお薬なので時間かけるんですね。今まででしたらこのために入院しなくちゃいけなかったと思うんですね、でも今はもうとてもね、私実は11年前に急性白血病にかかりまして、骨髄移植を受けて復帰することができたんですけども、その当時と比べると本当に医療って進歩してて、患者さんに優しくなってるなぁと実感してます。
志村:あー、本当ですね。
駒形:とても嬉しかったのが、入院で患者さんの様子を見ながら治療するというのもとても大切なことだと思うんですけども、でも私達には日常がありますのでね、仕事をしてる人たちもたくさんいます。そういう人たちが通院で治療を受けてね、日常の生活をしながら仕事もできたりするっていうのはとってもありがたいですね。
志村:大事ですねー。日常を崩さないのが本当に大事なことだなと思います。やっぱり病院にいることの良さもあるけれども、でも特にがんの方たちは日常の中でやはり治療しながらの方が意欲も保てますし。
駒形:そうですね、やっぱりもうすごくありがたいです。
志村:本当ですね。だからこそ今こうして創作活動もなさっていて、本当に意欲的になさっていらっしゃるんだと思うんです。私この前「はじまりとおわり」の絵がたくさん、本当にもう素晴らしい作品が並んでいて、また以前とはまた違ったものまでチャレンジなさってて本当に感動したんですけれども、あのときの話も素敵でしたね〜。
駒形:9月に展示というものが既に予定されていたんですね、1年ほど前から。それで3月にがんが見つかって治療が始まって、やっぱり吐き気とかそういうのはもう全くないくらいに止めていただいてるんですけれども、体の倦怠感っていうのがこれまでの日常では感じられないほどの怠さを感じてしまうんですね。息切れと貧血があって、その作品をパステルで描き始めたんですけれどね、やっぱりそれはそれで力も使うし、どうしようかなと思ってたんです。で、まあできないことを悔やんでも致し方ないし、ならばできることを見つけて制作に取り組もうと考えたんです。そこでたどり着いたのがですね、ギリギリちっちゃいぐらいだったら描けるなと思いましてね、本当に名刺サイズぐらいにちっちゃく描いたんですよ。それを写真で撮って、デジタル化してコンピュータの中で拡大しながら最終的には出力で大きなサイズにしたものを今回展示させていただいたんです。で、まあタイトルがね「はじまりとおわり」っていうふうにしたのは、自分がこういう病気になって、あー病気始まったなーっていうことを11年前の白血病のこととかが思い起こされて、で終わったなと思ったらまた新たにこういうがんが見つかって、また改めて覚悟して、これもいつか終わってるんだろうなと信じていきたいし、その「はじまりとおわり」の繰り返しの中で絶えず終わりを経験しながらも、次の新しい始まりに期待するみたいなね、なんかそんな言い方をちょっと感じたので、タイトルもそうして決めたんです。で、絵は全部仕上げるってことはなかなか難しかったので、10の構想の中で「はじまりとおわり」の絵を2つ描いて、その間これから私は本を作る人間なので、本として完成させていきたいなと思ってまして、展示ではその10の構想の中から2つ本に実際にしてね、ジークレーという12色のインクで出力する方法なんですけども、とても綺麗な色が出るんですね、それを駆使しながら、1冊の本を2つ作ったんですね。
志村:私もう感動して予約させていただきました。
駒形:ありがとうございます。
志村:本当に驚いて、あとあの線がまっすぐに引かれてあったじゃないですか?ご病気の最中にあの線が真っ直ぐって普通なかなかできないと思うんですけど・・・
駒形:雨を描いたんですね。
志村:そうですよね。
駒形:東京の国立がんセンターで検査を受けてがんが見つかって、岩手一関のアトリエに新幹線に乗って戻る行程を1冊の本にしたんですね。ずーっと大宮を過ぎ、福島も過ぎ、ずっと雨が降ってきて、その途中途中の新幹線から見える景観がとてもいつも素晴らしく感じてましてね、特に福島、岩手に入ると田んぼがあってですね、春には水田に水が張られて、もう鏡のように空を映しとってるんですね。5月になると緑の絨毯を敷いたように若緑から緑のグラデーションが広がって、秋になるともう本当に黄金色に稲穂が光ってですね、冬には冬景色になって、その変化がとても美しくて、景観をいつも楽しんでいたんですけどね。今回は春の様子だったので、その春の様子を絵にして、最後ね、私結構晴れ男なんで、これまで数々の伝説があったんですけど、まあでも岩手なのでちょっと雨が少し、あのう、ゴールデンウィークでもね、少し雪が降るときがあるんですよ!岩手は。だからちょっとその雪の景色にしたいなと思ったんですね、パラパラと雨から雪に。で、ちっちゃく雪を描き始めたんですよ。そうするとなんかぼたぼたぼたってぼた餅が落ちてるみたいになっちゃって、それで、あーこれ雪無理だ!と思って、時計見たらもう夜中の3時で力尽きちゃって、結局最後は晴れにしました(笑)
志村:あ〜それいいですね!(笑)晴れでよかったです〜!
駒形:晴れにしてともかく、これからがんの治療を受けるみたいなことで、最後はガッツだぜ!っていう言葉で終わってます。
志村:うわ〜すごいな〜本当に。
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志村:やっぱり駒形さんは本当にすごいなと思います。
駒形:私はこれまでにも仕事でいろんな国に行くチャンスがあって、いろんな人たちとプロジェクトを共有したり、私は本を作る人間なのでね、子供に向けた絵本から始まって、ある時、そうですね、子供が中学ぐらいになったときですかね、それまでずっと彼女と向き合いながら作ってきたんですけれどもね、当然思春期ですからね、私があんまりしつこく学校どうだった?とかって同じ質問を毎日するもんですから、彼女ももう呆れちゃって、挙句の果てにお父さん臭い汚いあっち行けっていう。
志村:ついに。
駒形:ついに来たんですね。この3つのワードがとてもきつくて、もう向き合う相手を失ってしまったんですよ。そしたら捨てる神あれば拾う神あってですね、パリの「ポンピドゥー・センター」という美術館から「視覚障害者に向けた本を作りませんか?」っていうお話をいただいて、これまでそういった経験がなかったので、いや受けられるかどうかわからないけれども、とにかくパリに行ってみようっていうことでパリに行き、パリからポンピドゥー・センターのディレクターの方と一緒にディジョンという街までTGVで2時間ぐらいかかりましたかね。それでディジョンには視覚障害者に向けた本を作る工房があるんですね。その工房のディレクターの方は、始めいわゆる教師として普通の学校に赴任してた人が、ある日突然、視覚障害者の学校に赴任が決まって、どう向き合っていいかわからなかった彼は、彼なりに工夫をして、本を作ったり教材を作ったんですよ。そういう活動の中にいろんなボランティアの人たちが集まってきて、工房が生まれ、その活動が今度美術館のハンディキャップに向けたプロジェクトと重ね合って、私への依頼になったんですね。で、彼らにどういった本が提案できるかなということでいろいろ試作を作って、実際に目の見えない方々がモニタリングしてくれて、とても印象的だったのが、表紙に点字を扱ったんですね。点字っていうのは6つの丸を使っての言語なんですけれども、それを穴にしたんですよ。
志村:6点の丸の穴に。
駒形:しかも結構大きく。普通は1センチほどの点字なんですけども、それを倍以上の大きさにして、しかも穴で。でタイトルをデザインしたんですね。そしてそれを送ったら視覚障害者の方々がわからないと。そりゃそうですよね、全然違いますもんね。で、いくつかその後プロトタイプっていうか試作を送って確認をしていったんです。そしたら彼女たちが、1番最初が1番楽しかったって言ってくれたんですよ。彼女たち曰く、最初はやっぱりなにかわからなかったと。でも触っていって、あ、これ点字だなってわかった瞬間とても楽しい気持ちになれたって言ってくれて、表紙にはそれが採用されて、中のページっていうのは、形がね、どのように変化していくのかっていうプロセスが、その触りながら感じられるような、そういうちょっと仕掛けのある本にしたんですね。それでどうしても視覚障害者の人たちに向けた本っていうのは、完全に見開かないといけないんですね。支えながら見ると大変ですからね。でもリング製本っていうんですけどもね、あのリングがちょっと私にとっては視覚障害者の人たちにとっても邪魔じゃないかなと思って、リング製本のない製本を日本の印刷会社に相談して、彼らがとても綺麗に作ってくれたんですよ。完璧に見開きます!紙も結構厚い紙を使って、質感が割と気持ちよく感じとられるような紙を選んだんですね。それを試作でまたパリに送ったら、もうとても喜んでくれたんです。この紙綺麗!って言ってくれたんです。その綺麗っていう表現って、やっぱり目に見える方の表現だと思っていたのが、彼ら彼女たちからそういう言葉が聞こえてきたときに、この質感を触って綺麗というその表現がね、私にとってはとってもこう・・・何て言うんですかね、もう味わい深いもので、あーそんなに喜んでいただいたんだっていうことでとても嬉しかったですね。
志村:うわー、一度拝見したいです。
駒形:今日持って来れば良かったんですけど、ついついなにを持って来ればいいのかわかんなくて(笑)
志村:とんでもない、とんでもない、次お会いした時に。いやーすごいなー。綺麗っていう言葉は本当にあって、絵を見に行くときなんかに、今日一緒に暗闇で遊んだアテンドのたえちゃんは、例えば私達が、うわー星空が綺麗だねーって言うと、その綺麗っていう表現と私達の感動した声が彼女に伝わって、やっぱりうわー綺麗だなって感じるって言うんですよね。そのいろんな形の感じ方があると思うんです、綺麗の。でもその触って綺麗って思ったのは、なんだかわかる気がします。
駒形:私達、五感っていうそういう感覚って、言葉を超えた共有できる、私達にとってはとても有意義な財産のように思えるんですね。だからそういうものの感じ方っていうのは、例えばもちろん目で見て感じる綺麗さとか、音で感じる綺麗さとか楽しさとかいろいろあるんですけれども、そもそも楽しいとか綺麗とかを感じる心であったり感性っていうのは、私達はみんな共通して有しているわけですから、そういうものが表現として表れたときに、例えば音楽だったり絵画だったり、いろんな表現の世界の中で生まれてくるんだろうなぁと思っていますけどね。
志村:本当ですね。
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志村:これから先、ワークショップは、またなさるご予定がありますよね?
駒形:えっと、今一関の教育委員会で始めたことがあるんですけどもね、不登校の子たち。今平成の大合併で8つの市町村が合併してね、広いエリアにそれぞれ8つの図書館があるんですよ。子供たちが登校になっても、図書館に行くことで登校したことになって、学校と違う経験ができたらいいなということで、彼女たちとワークショップをできることを提案したんですね。それが1回実現することができたんです。スクールバスでそれぞれの図書館に集まった子たちを最終的に一関の図書館に連れてきて、そこで1時間2時間ほどですかね、ワークショップをやって、目隠しをしながら。で、初めはやっぱり私の顔を直視するっていうのもなかなか難しかったんですけどね、ワークショップが終わって、目隠しをした経験っていうのは彼女らにとっては、あ、自分以外にこういう経験をしてる人達がいるんだ、ということを少しでも理解できたっていうことは、やっぱり人としてのなんか理解する、少しでもね、幅というか、そういうものが広がったような感じがするんですね。で、帰りは本当に楽しそうに親御さんと一緒に帰って行かれたんですね。「タクタイル」っていう目隠しをするワークショップがあるんですけれども、今度やっぱり一関の教育委員会の人達と、授業で子供たちと一緒にやるというプランもありまして、ただ私がこういう病気になっちゃったので、5月、6月から始動したかったんですけどもちょっと保留にさせていただいて、抗がん剤の治療も体にずいぶん慣れてきたんで、実は来週からもう3つの学校の予定が入ってまして、私のワークショップとか、タクタイルのワークショップをしたりしていきます。
志村:うーん。10月からのご予定とかもあるんですか?
駒形:10月はですね、「一関から世界へ」っていうタイトルで、私は2007年ですかね、「国際絵本原画展」という、全世界から作家を目指すようなイラストレーターの人達の公募展があるんですね。で、2007年に私は国際審査員になったんですかね。もう当時広い会場に絵の海が出来上がるんですね。4日間そこに滞留して、5人の国際審査員のメンバーが審査していくんですけれども、明らかに新人の登竜門になるし、もちろんプロとして活躍してる人達も応募してくるんですよ。それが公平な立場で選ばれるんですね。毎年審査員が変わるので、価値観も変わるんです。選ばれる人数は対象とかそういうものはなくて、審査員が1人2人、これはいいねって言った人たちが入選していくんです。ですから年によって入選者数が異なるんですね。多い年もあれば少ない年もある。この審査の方法も素敵だなと思って、ぜひね、この審査に一関の若い世代、これからの世代が、実は16歳から応募できるんですよ。ですから高校生にとってもチャンスがあるんですね。それで応募が始まって、途中から県外の人たちにも応募してみようということで今広げて、締め切りがもうそろそろなんですけどね、今徐々に応募が集まってきて、来年の10月がその作品出品の締め切りなので、10月までの2ヶ月おき。10月12月2月4月6月8月、この2ヶ月ごとに6回の講座を開いて、3時間、最終的に審査っていうか選考された人をマンツーマンで、指導できたらなという、そういうことを始めます。
志村:あーじゃあ、絵の指導を駒形さんがなさるんですね。
駒形:そうですね。やっぱり日本の人たちが考える絵本の世界ってのはとても優しい世界で、それはそれでありだと思うんですけれどもね、やっぱり原画展となるとやっぱり新しい価値観を広げようとする努力が必要なんですね。ですからそれまでの価値観を、むしろなにかこう突き破るような制作プロセスを共有できたらなぁというふうに思ってますけどね。
志村:すごいですね。若い人たちを育てて、世界に。
駒形:そうですね、私も年も年なんですけどね、今後はやっぱりそういう次の世代に、自分はお陰様でいろんな世界各国に行くことができて、20代ほとんどアメリカで経験してね、向こうで仕事も経験することができたのでね、そういう自分が経験したことを何とか皆さんに、若い人たちに伝えていけたらなというのが今のすごく強い思いです。まあこういう病気になってしまったんでね、逆にネジを巻かれたような気分で、今やらなきゃなっていう、そんなような気持ちでいますね。
志村:うわーすごいですね。
駒形:例えば、私もこれまでいろんなことが起きましたけどもね、できないことをできることって、やっぱりできないこと悔やんだり悩んだりするよりも、まず自分ができることを探してみよう、行動してみようっていう、やっぱりそういうようなことで、ついつい線を引いてしまう人もいると思うんですよ。もう自分にはできない、無理だろうと。でもできることはもう果敢に線を踏み越えて行動にしていくとね、やっぱりそこからいろんなチャンスが生まれるんじゃないかなと思ってますのでね、若い人たちには特にそういうようなことを頭で理解するだけじゃなくて経験として理解してほしいと思うんですね。やっぱり経験したのは嘘をつかないので、ちっちゃな経験の積み重ねが自分にとってもやっぱりいろんな意味での背中を後押しすることにもなっていくんじゃないかなと思ってますんで。
志村:うーん、大事ですね。私達もいつもこんなふうな話をしていて、いつも「だからこそ」っていうのを大事にしようって言ってるんです。「目が見えないから」じゃなくて「目が見えないからこそ」とか「耳が聞こえないからこそ」とか「病気だからこそ、今やれることがたくさんあるぞ」とか、そういうふうな「こそ」がついたら、また前に向いて行ける力になるかなと思っていろんなことにチャレンジしてるんですけど、でもそうやって今の今日の駒形さんのお話を伺っていると、もっとやれることあるなっていうふうに今私自身も思えてきています。
駒形:先ほど言った視覚障害者に向けたプロジェクトって、ポンピドゥー・センターの各委員の方から真っ先に言われたのが、視覚障害者の人たちと、晴眼者と言っていいんでしょうかね、そうでない人たちが共有できる方にして行きたいんだっていう話を伺ったときに、あー、だったらできるかなと思えたんですよ。つまりやっぱり、できるっていうきっかけ
って必要なんですよね。それが言葉だったり、なにかのメッセージというか、要するにきっかけですよね。そのきっかけを上手に見つけられたり渡されたりすると、できるっていう感覚が生まれてくるんじゃないかなと思うんですね。それがなんか人と人同士が起こす化学変化のように思えるんですね。だからしばらくコロナ禍でね、人と会うことができなかった時間がかなり長く続いたんですけどもね、コロナ禍が明けてやっぱり人と人が会う、そこで生まれる化学変化でなんかできるっていう感覚を呼び起こさせてくれるような言葉に出会ったりとかっていうのは、大切な経験になるんじゃないかなと思ってますね。
志村:うん。
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駒形:私は今ジークレーっていう手法を使って本を作ってるんですけどもね、今はオンデマンドとか、本もいろいろデジタルもあるし、横に広がる努力っていうのはものすごくあるんですね。実際に印刷はそういう努力をしてきましたからね。でも初めて1994年にパリにお邪魔したときに、サン・ジェルマン・デ・プレというギャラリーが多くあるエリアでちっちゃな本屋さんがあったんです。その本屋さんには、いわゆるアーティストの限定本、エディションナンバーが付いた本がずらっと並べられたんですね。で2階が展示室になってて、1階の店主に、すいません、あの本見せていただけますか?っていうふうに指差してお願いしたらね、白い手袋をはめて、もう本当に宝物を見せてくれるように私に本を見せてくれたんです。私はこの経験が実は今もずっとあって、まあ本はね大量に生産して、いわゆる消費物のようにして捨てられちゃう場合もあるし、それは致し方ないなと思いつつ、なにか宝物のように残されるような本を作りたいなと思ってましてね、今子供に向けて本を制作し続けてますけども、例えば本って私達と一緒に年を取ってくるんですよ。娘と一緒に共有した本はね、今私もずいぶん白髪になりましたけれども、同じようにその当時一緒に見た本っていうのは紙も黄ばんだりして、少々ダメージもあったりして、でもデジタルではそういう感覚はないんですね。同じままでいてくれちゃう。探すのもむしろ大変になっちゃう。でも本は振り返りもできるし、そういうアナログ的な紙の本っていうのは一緒に年を取ってくれるという、もうかけがえのない経験だなぁと思ってましてね、例えるならば、海と陸って今長い時間かけて7対3というバランスで保たれてるんですね。で、海は私にとってはデジタルの世界のように思えるんですよ。どんどん広がりを見せてきて、遠い異国にも行けるし、海は楽しい場所に思えるんですけども、ところが人間が海の中に飛び込むと感覚が麻痺するんですね。目は極端な遠視になってしまったり、つまり感覚が麻痺すれば当然溺れるっていうリスクがあるんですよ。でも一方陸地はですね、私達の感覚は全開するんですね。鳥のさえずりが聞こえてきたり、我々の聞こえる周波数を超えた音でも耳は感じ取るんですね。風なんかも皮膚感覚で感じられたりね。何よりも地面に足がついてるっていう安堵感がありますよね。これがアナログじゃないかなと思ってるんですね。ですから、我々的には7対3ぐらいのバランスでアナログのそういう感覚を私達は残していく努力をして行かなくちゃいけないんじゃないかなと思うんですね。だからコンピュータが多く設営されている場所でもね、やっぱりそこに観葉植物が置かれたりして、そこになにか人間がほっとするような感覚があって、そもそも私達は夕焼けを見るとほっとしますよね。あれはお母さんのお腹の中にいたときに、光を周波数で感じ取ってる時間帯があるんですね。よくほら、手を太陽にかざしてみるとですね、エッジがオレンジの上に光りますよね。あの光を周波数で胎児は感じてるんですよ。で、お母さんの中にいた光がああいうオレンジの光で包まれているので、夕焼けを見ると私達は何となく安心するんだろうなぁみたいなものがよみがえって、胎児の記憶ってのは実は私達の深層心理の中に奥深く沈んでいくような感覚があって、もう3歳を過ぎると思い出すこともできないんですけども、ある瞬間ある時、何となくそういうものがフラッシュバックするんでしょうね。
志村:はい。懐かしさがあったりとかね〜。確かにそうですね。
駒形:だからそのときに本来私達がもうずーっと先祖から引き継がれてきた感性という、そのDNAみたいなものがね、よみがえって、でもよく感性を磨くって言いますよね。私達はいつの間にか感性が強すぎると感じやすくなっちゃうんだよね。自分を守るためにも、傷ついてしまうので、むしろ皮膜で覆って鈍感にしてしまってる。だからいろんな人のことを感じても感じられないような鈍感な自分でいた方がむしろどこか安心できるようなところがあって、だから感受性とか感性をむしろ皮膜で覆ってきてしまうので、まあ時にね、そういうアナログ的な場所に行って、本当に自分自身が今一関で感じてることなんですけども、癒されるどころか、よみがえらせてくれるっていうのは、実はそういうことなんですね。
志村:そうですね〜。あーいいお話。最後に1つだけ伺いたいんですけど、明日、新しい朝を迎えるときに、なにかお守りになるみたいなメッセージって、駒形さんなにかありますか?
駒形:言葉で上手く言えないかもしれないけども、お日様です。
志村:お日様ね。
駒形:私ね、仕事で撮影のプロジェクトがあって、カメラマンと一緒にアメリカとかオーストラリアの砂漠に行ったんですよ。で、夜と昼の温度差がもう激しくて、夜はもう凍るほど冷たく寒いんですね。ですから砂漠にちょっとある草花がですね、砂漠のあんなところにも草花が生えてるんですよ。それでもう夜ね、凍ってへたっとしてるんですよ。で、朝、日が登るんですね、そうするとその草花にある氷が溶けるんですね。で、草花が自分の体をもこもこ持ち上げてくるんですよ、お日様の力で。あの瞬間を見たときにね、あー私達はこのお日様に生かされてるなーと思ったのでね、もうぜひ朝お日様を見てください!
志村:あーいいですね。ちょっとしおれたとしても、お日様を見てもムクムクっと!
駒形:元気になっちゃうんですね(笑)
志村:いいですね〜。あ〜、私も明日お日様ちゃんと見よう。ありがとうございます。
駒形:いえどうもありがとうございました、こちらこそ。
志村:いや〜本当素敵なお話をいただきました。