DIALOGUE RADIO -IN THE DARK-

日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。

EVERY SECOND SUNDAY

25:00-26:00 ON AIR

真っ暗闇の中で、心と対話する時間を。
志村 季世恵の写真

志村 季世恵

バースセラピスト

板井 麻衣子の写真

板井 麻衣子

J-WAVE NAVIGATOR

メッセージをいただいた方の中から毎月2名の方へ
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MESSAGE TO STUDIO

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MESSAGE

人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。


2021.02.14
GUEST

第32回のゲストは笠井信輔さんでした

3月14日 第33回のゲストは柿沼忍昭さん


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DIALOGUE

志村:よろしくお願いします。
笠井:よろしくお願いします。
志村:暗闇の中で再会できるのが嬉しいです・・・!
笠井:いや本当に真っ暗の中で放送してるんですね。
志村:そうなんですよ。
笠井:不思議・・こんな体験、35年の私の放送キャリアの中で初めてですよ。
志村:本当ですよね〜(笑)
笠井:台本も見えなければ、ディレクターさんの指示も見えない、何も見えない中で声だけを頼りにお話するわけですよね?
志村:そうです。お顔もわからないですもんね。記憶に残っている笠井さんの顔を今私は思い出しながらなんですけど、笠井さんの声に包まれてる感じです今。
笠井:あ・・そうですか・・?いやそれはやっぱり視覚が奪われたことによって聴覚がやはり敏感になってるからじゃないですか?
志村:そうかもしれない・・・耳だけじゃなくてね、肌でも聞いてる感じのような雰囲気がして・・・
笠井:わかります。まあ音声って振動ですもんね、空気の。
志村:あーそうですね。いやあ・・・何だか嬉しいです。ダイアログ・イン・ザ・ダークをクローズして1年経つんですね。なので今日が初めてというか、再開して初めてなんですここを使うの。
笠井:いやあのう、この竹芝の建物自体が私初めてでして、元々劇団四季の劇場があったところですけど、こんなに変わったかと思って・・・驚きました、ちょっと迷いました。あまりにも風景が、最新の町並みになってるんで・・・・!
志村:本当に、変わるもんですね。
笠井:ええ。でもここでダイアログ・イン・ザ・ダークが再出発するわけですね?
志村:そうなんです。
笠井:それは素敵なことですよ。
志村:はい・・・!なんか今私ね、一番最初にお会いしたときのことを思い出していて、あれは・・・お子さんのご出産のときではなかったかなと思うんですけど・・・?
笠井:そうです、三男を産むときに、妻が今度は自然なお産がしたいということで、季世恵先生を頼ったんですよね。
志村:そうでしたね。
笠井:で、1人目2人目が非常に大変だったもんですから、そういった、苦しみながらきつい感情で産むよりも、もうちょっと子供にも負担をかけないような豊かなお産さんがしたいという「アクティブバース」という言葉がありましたけども当時、お腹の子供とのコミュニケーションっていうんですか、対話っていうんですか、それもきっとうまくいっていたんだろうなっていうような、そこを強く感じましたねそばにいて。
志村:あ〜・・・そうでしたか、私はご夫婦の・・なんだろうな・・愛を感じながら、そばにいたんですよね。
笠井:そうですか・・?
志村:はい、素敵だなと思って。
笠井:まあね〜。まぁあのときの子がもう高校2年生ですから、大きくなりました本当に。
志村:本当にね〜。
笠井:ええ。
志村:そうやって私は誕生のお手伝いをした・・・あ、今日は先生じゃなくて季世恵ちゃんとか季世恵さんって呼んでください・・・(笑)
笠井:そっか(笑)僕にとって季世恵先生なんですよね〜ほんっとに〜!
志村:いやあ、恐れ多いです(笑)
笠井:子供が産まれるときに指導してくださったということで、まあでも季世恵ちゃんとは言えないですよ・・・さすがに・・・!
志村:いやいや。
笠井:季世恵さんぐらいですね〜(笑)
志村:ありがとうございます(笑)そう〜、それでね、そうやってずっと四季折々というか。七五三だとか、お誕生日だとかっていう度に呼んでいただいて、ご家族の素敵な会にいつも参加して、あーいい家庭だなって思っていたのだけれども、あるときに、そう、病気になったってご連絡をいただいてびっくりしました。
笠井:まあ・・・私としてはがんになったっていう、この悪性リンパ腫という血液のがんになったことは、これまでの自分の生き方を全否定されたなと思いました。
志村:あぁそうですか・・。
笠井:ええ。もう長男も次男も社会人になるというんで、45歳から50歳ぐらいになる頃にはもう育児というものを離れて、まだ三男は中学生だったりしましたけども、もういいだろうと思って自分の仕事に邁進してましたので、ここから自分の更にアナウンサーとしてのスキルを上げていく、こっからが勝負だということでもう脇目も振らず働いてました。
志村:はい。
笠井:そこは家族には極めて評判が悪かったです。
志村:あーそうでしたか・・・。
笠井:ええ。なんでそんなに働いて、家族の言うことも聞かずに・・・という状況だったものですから、私はまあそれに対しては、もうここはもうこれからは自分の人生思いっきりやらせてもらいますっていう感じだったものですから、忠告も聞かずにとにかく働いてました。で、まあ特ダネという番組を20年間担当してましたけども、毎朝3時には起きてましたので、で・・・生放送やって取材して打ち合わせしてっていうんで、さらには演劇も年間100本見てましたし、映画も150本見てましたし、そうやってどんどん自分の中に物を溜め込んでスキルを上げていくっていうことをしてたら、まあ体壊しましたね。
志村:うーん。
笠井:ですから、本当にそのとき、いやこの生き方ダメだったんだ・・・っていうようなやっぱりそういう思いにちょっとなりました。
志村:そっかあ・・・いや、ちょうどにフリーになられたじゃないですか、フジテレビをお辞めになって、スタートってときでしたよね。
笠井:まさに。フリーになって2ヶ月後ですから、ここから一気に飛び立とう!ってときに、何か翼がもがれたような感じでしたし、ステージ4で全身にがんが広がってるって状況だったもんですから、ちょっと死んでしまうのかなっていうような瞬間もやっぱりありましたよね・・・。
志村:うーん。
笠井:ええ、かなりきつかったですけれども。
志村:そのときに一番笠井さんを支えた言葉とか、力は何だったんですか?
笠井:それは・・・まあ妻でしたね。
志村:あーそう・・・。
笠井:やっぱり誰にも何も言わずに検査を続けてましたんで、自分ががんかなと思って検査を始めてから悪性リンパ腫とわかるまで4ヶ月かかりましたんで、その間ずーっと誰にも言わずに、まあ腰痛がひどかったものですから腰痛の治療ということで病院に通ってましたんで、本当はがんの検査がどんどん行われていたんですけれども、でもなかなか原因がわからなくて、がんかどうかも・・っていうところがわかってなくて、まあ悪性リンパ腫ってそういうものなんですね。なかなか原因が、本当にがんなのか、どんな種類なのかわからないがんでして、結局がんですってわかったところで妻に初めて言ったんですけども、もうその瞬間に妻は「嘘よ〜、大丈夫よ、治るわよ」って、とにかくセカンドオピニオンを受けてくださいと。その僕の告白を、なんかね払いのけるような感じでしたね。それを受け止めて衝撃を受けて崩れ落ちるのかと思ってましたら、もともと精神的に弱い人なもんですから、家でもよく泣くし感情を高ぶらせますし、子供達もまた母さん泣いてるよって感じな人なんですけれども、私のがんに関しては一度も涙を見せませんでしたし「大丈夫よ頑張って、しっかりして」って本当に・・・そういう意味では家族には本当に感謝してますよね。
志村:うーん・・・。

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志村:あのう、入院中にSNSの発信をされてましたよね。
笠井:はい。
志村:あれすごかったですよね?
笠井:まあ・・・すごいとよく言ってくれる方が多いんですけれども、自分としてはもうこのまま世の中から忘れ去られるのは嫌だ!っていう、何とか世の中と繋がっていたいっていうような思いも強かったですね。
志村:そっか・・・。
笠井:ええ。あとは自分は伝える側の人間なので、そういう伝え人としてはやっぱり何があっても伝えていこうという意志が強いんですよね。これまで事件、事故、災害、芸能人のスキャンダルも含めて、全ては取材してお話を聞いて、そのことをスタジオでお伝えする、あるいは中継でお伝えするという、まあ言ってみれば間接的に情報をお伝えする役目をもう30年以上ずっとやってきました、それがまあ我々報道陣の役割なもんですから。ただ今回ばっかりは、死と直面するような大きな事態に自分がなったので、私が当事者になったんですよね。なのでこれは直接的なお伝えができると。
志村:なるほど・・・・。
笠井:自分の声を拾ってそのまま伝えることでそれが情報になるという、極めて特殊な経験となったので、どうしてもそこに向かっていきましたね、よくそこまでいろんなことを明かしたねって言われるんですが、自分にとっては当然の結果でした。
志村:そっか、私も毎日ね拝見してたんです。そのときにね、その・・・全てをあからさまに。明らかにしていく・・・それに対して皆さんの反応がまた心を開示してくるんですよね。
笠井:はい、はい。
志村:そのね、対話?これがね本当にこう・・胸打つ場面がいくつもあって、笠井さんもそこで元気をもやってるんだろうけれども、病気の笠井さんがまた元気をもらっている?そういうことを何度も感じたんです。
笠井:あのう、皆さんが私のブログやインスタグラムに寄せてくださるコメントは、本当に心を打つものが多かったです・・・・初めは、まあこういうことをやっていたら少し皆さんから励ましてもらえるかなというような甘えた気持ちもあったんですが、そういう気持ちを奮い立たせるほど皆さんご自分のこと、私はがんでした、私が今がんです、がんかもしれません、家族ががんでしたっていう、そういった告白からそれぞれの深い経験のお話を様々コメントで教えてくださって、こんなにもがんでがんと向き合っている人がいるのかっていうことに励まされましたし、実はある人が何かこう絶望的なコメントを寄せてくると、直接皆さん連絡取り合えませんので、その私のコメント欄を使って他の方が励まして、またそれを聞いた、見た本人がお礼のコメントを寄せたりとか・・・もう私を飛び越えて、その私のブログのコメント欄が語り場となっていくという一つのコミュニティを形成する対話の場になっているという・・・そこにもほんっとうに感動しまして、こんなふうにして人と人とは繋がっていけるんだと・・・・。
志村:うん。
笠井:SNS って、もう・・・情報番組、報道番組を担当してると、気をつけて騙されないで傷つけないで傷つかないで・・ってその闇ばかりを、今は真っ暗ですけどもその闇ばかりをお伝えしていたんですよね。だけども病気になって自分でSNS始めて、ほんっとうに光を感じました。
志村:あーそうでしたか・・・。
笠井:こんなにも弱者の救済となるツールなのかと・・・・そこは強く感じましたね。
志村:いやそう・・すごいなぁ・・・あのね、同時期にコロナが本当に広がってきましたよね。その頃からSNSが更にちょっと闇の部分が広がっていったような気がしたんですね。怖くて見れなくなったって人もいっぱいいました。そのときに笠井さんのSNSでは、温かさが広がっていて、生きることに対してものすごくこう・・・真摯に向き合っている人たちが増えていた、で、コロナも皆さんは生きることに向き合っているんだけれども、何かこの大きな違いを感じたときに、何だったんだろうってずっと思うんですけど・・・・何だろう・・・?
笠井:いやそれは、恐怖心ですよ。
志村:うーん。
笠井:やっぱり、自分が安全なところにいるために、立ち位置を確保するために、人を糾弾していくという、悲しいけど人間の差別感情って本当に消えませんよね。様々な局面で、世界中で。それはダメだってみんな言ってるのにも関わらずその感情がどこからか芽生えてしまう。
志村:はい。
笠井:だから人間って弱いと思うんですよ。なんとか優しく人と共に歩んでいこうって思ってる人たちも、ちょっとしたことでまた元に戻ってしまう・・・・だからねー大変なんだけど・・・でもこのコロナっていうのは本当に人類を試してるなと思いますよ。
志村:うーん。
笠井:だから、僕はコロナの前からコロナが日本に入ってきて緊急事態宣言っていうとこまで全て同じ病室の中で体験してるんですよ。
志村:あーそうだ。
笠井:ええ。ですからどんどんどんどん、世の中の状況が、外が変わっていくという、で、自分は変わっていかないっていう、ひたすら抗がん剤を受けているという状況の中で、やっぱりその・・・始めの1ヶ月でした。友達が来て知り合いが来て、自分の体調が良いときに励ましてもらって、ある種楽しい病院ライフみたいな時間が持てたのはね。残りの3ヶ月は誰も来なくなりましたから・・・・そりゃそうですよね、コロナで人がどんどん病院でも亡くなっていて、病院に行ったら移っちゃうかもしれませんし、私に移したらそれこそ重症化しましたから当時は。ですから家族しか来ない、その家族もだんだん来られなくなる・・・本当に、今の入院してる患者の皆さん、今こうやってラジオ聞いてる方もいらっしゃいますよ、本当にね抗がん剤って眠れなくなるんですよ。夜中本当にこっそりラジオ聞いたり音楽聞いたりするぐらい眠れなくなって、不眠にもなるんですけども、今これ聞いてる方も本当に孤独と戦ってると思います。その孤独を解消してくれるのが、SNSだったりインターネット環境なんですよね。そこが本当に自分の生きる力を与えてくれるエネルギー源なんですが、今多くの病院、大体日本の病院の9割は、患者さんはWi-Fi使えないんです。
志村:うーんそうなんですよね・・・。
笠井:だから、私の病院は有線で日中だけインターネットを使えたのでまだ良かったですけども、ただスマホとかタブレットは有線が繋げませんから、結局それを使おうと思ったり夜になると、やっぱりデータ通信料がどんどんかかって、追加料金どんどん払うっていうような、それでも払ってでもやっぱり繋がっていたいっていうのがありましたんで・・・だから私は今やっぱり「病室にWi-Fiを!」っていう運動を始めているのは、コロナの予算の方にお金をかけなきゃいけない、病院経営も苦しい・・・十分わかるんですが、そこには国がやっぱり少しの手助けをしてくれる政策があれば、どんどん実現していくはずなんで、そこを今訴えてるんですよね。孤独と孤立ですよ。そこにやっぱり目を向けなきゃいけないなと思うんですよね。
志村:わかります。
笠井:人と人とが対話できないんだもん。
志村:本当にね・・・そうなんかね、よく病院側からすると「よく眠らないと」って言うじゃない?「夜は眠るもんだからスマホもパソコンもダメなんだよ」って言うんだけれども、私子供のときに結構入院することが多くて、お母さんに会いたいのね。で、結局電話もできないし、当時はもう全然Wi-Fiなんて世界じゃないんだけど、私何をしたかというと、動物や人間の親子の絵ばっかり書いてたの。
笠井:あー・・・。
志村:夜中に。
笠井:あーそう・・・。
志村:そうだから結局は眠れないから何かするんですよね。
笠井:そうそうそうそう。ですよ。だから今ね、とにかく小児病棟も本当に大変なんですって。お父さんお母さん来ないでくださいってことになってて・・・コロナで。そこで直接コミュニケーションが取れない、お話ができない、で、結局看護師さんが夕飯を、朝食を、子供たちに食べさせるってことをやっているんですが、それがとてつもなく大変なんですって。そりゃそうですよ、親じゃないんだもん・・・だからそのときにタブレットでお母さんお父さんの顔を見ながら食事をするってことがどれだけ大事か。私ね、退院して、寛解、完全寛解という「がんは消えてなくなりました」というとてもありがたい診断を受けたんですが、緊急事態宣言中でゴールデンウィーク中でした。私の白血球量は大量の抗がん剤によってダメージを受けていて、大体皆さん3500〜5000ぐらいが普通の量なんですけども、私1300っていう非常に低い状況で、もう退院になっちゃったんですよ。
志村:あー大変でしたね・・・!
笠井:もうがんは消えちゃってるからってことで。
志村:あーそうか・・・。
笠井:だからもう多くの人が今退院していいのかと、もっといなきゃダメなんじゃないかと、私ががんが消えて退院することを喜ぶ人って実はそんなにいなくて、心配ばっかりが続いてたんですよ。
志村:そうですよね、感染しちゃいますもんね。
笠井:そういうこと。で、もう白血球量が低い中で感染したら完全に重症化しますんで、だから私はセルフロックダウンといって、自分の2階の自室に2ヶ月半、3ヶ月近くこもってたんですよ。お風呂とトイレと散歩以外は外に、自分の部屋から外に出ないっていう引きこもりの方みたいな感じになっていて、そのときに何したかって言ったら、1階で食事するときに、タブレットとかスマホで映像を繋いで2階でその映像を見ながら一緒に食べるんですよ。そうするとね、食卓を囲んでる感じになるんですよ。
志村:あ〜いいですね〜。
笠井:そう、だからそういうこと一つ一つの環境を整えていくのに、病院でのネット環境を患者さんに開放するって、とても大切なこと。だからそれこそダイアログ・イン・ザ・ダークはね、その目の不自由な方だとか、もう一つ・・あれ?耳の不自由な方の為のものもありましたっけ?
志村:はい、ダイアログ・イン・サイレンスですね。
笠井:そうサイレンス!私もそれ体験しましたけども、耳の不自由な方はとにかく手話で対応しますので、そのときに看護師さんで手話できる方ってあんまりないので、必ず手話通訳の介助の方が病室にいてコミュニケーションの受け渡しをしていたのが、今はコロナで手話通訳の方は来ないでくださいっていうことになって、じゃあ筆談でとか言っても、もう筆談が伝える情報量と労力ってとても大変ですから、限りがあるんですよ。でもそこにね、やっぱりタブレットで手話通訳の方の映像と音声挟むと、もうそれだけですぐに聴覚障害者の方との意思の疎通、対話ができる。もうね、いろんなことができるんですよ実は。
志村:本当にそうですよ。
笠井:コロナだからこそやんなきゃいけないことが、まだそこの気付きがそれほど広がっていないと僕たちは痛感して運動してるんです。
志村:本当ですよね、もうねこの機会にね、もうこんなにダメージがいっぱいあるときに、だからこそ変えていくことっていっぱいいますよね。いいチャンスにして。
笠井:そう。ですからダイアログ・イン・ザ・ダークとかサイエンスとか、この施設でやろうとしていること、これまでやってきたことって、コロナの時代になってますます重要性を増してきてるんだと思うんですよ。気付きなんですよね。コミュニケーションってものを
図ることの重要性というか、人と人とが分断される疫病が広がっているからこそ、様々な困難の中でもコミュニケーションを図っていこうというこの皆さんたちがやろうとしてきたこと?が、今、より必要になってきてると思うんですよ。
志村:ありがとうございます。本当にそう思っていて、今ね、対話を止めてはいけないと思ってるんです。だから続けなくっちゃって。それは本当に病気の人たちも同じなんですよね、だからこそなんですよね。
笠井:そうなんですよ・・・もう、対話することが、もう必須なんですよね、我々患者にとっては。それがコロナになっていとも簡単に奪われているという現状・・・これを何とかしたいと思ってるんですよね。
志村:わかります。なんかね、実質的に本当に孤独な所に入ってしまっているというのかな、病院にいるとか、または病気ではないんだけど気持ち的にちょっと孤独の人もいますよね。
笠井:いや、そうですよ、だってコロナにかかりたくないから表に出なくなりましたっていう高齢の方もたくさんいるし、若い人だってそういう人いるわけですよ。
志村:そうですよね。
笠井:そうしたら人と会わないってことが基本になってくるわけですよ。一人暮らしだったら尚更ですよね。やっぱりこれ危機的な状況ですよね。
志村:そうなんです。子供たちもいっとき学校行けなかったしね。
笠井:そう。
志村:で、ダイアログは、慌ててね、学校に行けなくなった子供たちと、ダークのアテンドたちとで、オンラインで繋いでお互いの文化を交換しようって言って対話したり、いろんなことをしてこの間関わりを続けてきたんです。
笠井:いや、とても大切なことですねそれは。
志村:そう、だからもうね今だから本当にやらなくっちゃって、まだ続くじゃないですかこの時期ってね。
笠井:うん、続きますね。
志村:だからやっぱりもう分断したらダメだよっていうことを、笠井さんのおっしゃった通りにやっていきたいですよね。
笠井:本当そうですね。
志村:うん・・・。

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志村:笠井さんは、これからも伝え人としてご活動なさるでしょうけれども、今後どのようなことをなさりたいですか?
笠井:これまで10年は、東日本大震災の人たちと交流を続けながら、そことどう向き合ってどう立ち上がっていくかってことをずっと伝えてきました。ただ、ここに来て自分が大変大きながんになったことによって、この日本人2人に1人がなるというがんについてもしっかりと向き合って伝えていきなさいと、天からの啓示を受けたんだなと思ってるんです。ですから、がんに対する様々な啓蒙活動だとか、がんになってる方、がんの家族の方を支えるような活動ができないかなと思って、そちらの方の活動を今一生懸命やってます。ですから「病室にWi-Fiを!」という運動も今年仲間と立ち上げたんですけど、その運動もそうですし、今「オンコロ」っていうがん情報サイトで、YouTubeの動画でがんの権威の先生に非常に基本的な不安なことを聞いていろいろな疑問を解消していくっていう、そういう動画の月1回の企画もやってるんですね。ですからそういうふうにして自分に向けられた新たな命題といったものに取り組んでいこうということで、やっぱりがんになって嬉しいってことは一つもありませんけども、がんになったからこうなったんだって、こうなれたんだ、がんになったから見えてきたものはこれだっていう、そこに向かっていこうと思って今努力しているところです。
志村:うーーんそうでしたか・・・もうそれは宿命じゃなくて使命に変わったんですね。
笠井:そうですよね、そう。
志村:・・・・あー、ありがとうございます・・・・私もなにかお手伝いしたいぐらいに今響いてきます。
笠井:あ、ありがとうございます。
志村:いや・・すごいな・・・。あのう、そろそろお時間が経ってきましたけど、今日ね、バレンタインデーだったでしょ?
笠井:あ、そうそう。
志村:そう、ね〜。この日にお会いできてよかったなって私は思ってます。
笠井:ありがとうございます(笑)
志村:何だかたくさんの愛をいただいた気がして。
笠井:いや、そうね・・・でもやっぱり・・・自分はがんにならなかったらこんな話もできなかったなと思いますよ。だって家族を見向きもしないで働いてた男でしたから。
志村:本当にね。
笠井:やっぱりその気付きっていうものを与えてもらったなと思うんですよね。でもねそういう方多いんですよ・・・!ほんっとにね・・・この間、ワールドキャンサーデー(世界がんデー)に発売された写真集があるんですよ。それラベンダーブックといって、がん患者の皆さんが一人一人自分の今の姿を見てくださいって言って綺麗にお化粧してプロのカメラマンに撮ってもらった写真の300ページに渡るオールカラーの本なんですけども、これ私も参加してて、そのね一人一人の皆さんの短いコメント、「今自分はがんになってどう思ってるのか」「何を目指しているのか」「どう生きてるのか」っていう本当に短い一言一言のコメントとキャッチフレーズが・・・まあこのね・・・身に染みる。そして、それをページ開いていくだけで、がんじゃない人も「自分ががんになったらこうなりたい!」って思えるような人たちの姿がたくさん映ってて、そのコメントが次々出てくるんですよ!
志村:あーそうですかですか〜。
笠井:ですからね、やっぱり人生いろんな困難に直面して、落ち込むんだけれどもそこで得るものって絶対にあるので、それを貯金していくっていうね。ちょっとしたことからでいいから、このどん底でもいいことあるな。
志村:うん。
笠井:病院食を完食したら綺麗な看護師さんに褒められたとかね、そんなことでいいんですよ、そういうことを一つ一つ、このどん底の中でもいいことあるじゃないかって、そこからスイッチを切り替えていくっていうことがやっぱり大切なんだなって、大病してわかりました。
志村:あ〜本当にそうですね〜・・・本当にそうだ・・・シンプルですねとっても。
笠井:ええ、そうです。そう思います。
志村:うん・・・大切なことって、とってもシンプルでしたね。
笠井:シンプルなんですが、なかなか気付けないものなんですよ。
志村:そうなのですよ・・・。
笠井:私もようやくですよ・・・ええ。
志村:そう、ご飯食べれたとか、朝を迎えておはようって言えたとか・・・ね〜。そういうことがとっても大切なんですよね。
笠井:そうなんですよ。
志村:空が青いなぁとか、雨が降ってるなぁとか、その中に生きるがいっぱい入ってるんですよね〜。
笠井:そうなんですよ。だから今皆さん、自分も含めて、人と会って食事するなんてことがこんなに貴重なことだったのかっていうことをやっぱり再認識するわけですよね。自由に出かけることができるとか、人と至近距離で大声でお話できるとか、そんなくだらないと思ってたことが、とてもかけがえのないことであったってことに今気付くっていう・・・。だから本当にこれでコロナの時代がうまく収束すれば、やっぱり濃密なコミュニケーションの時代が来ると信じたいですし、そうなるんじゃないかなっていう期待感がありますよ・・・!
志村:そうですね。その準備を始めたいですね。
笠井:そういうことなんですよ!だとしたら、人を排除している場合じゃないんですよ。人と繋がっていこうという準備をするっていい言葉ですよ、まさにそういう時期にしなきゃいけないの。
志村:うん。
笠井:ね。
志村:本当だ〜、いやぁいいお話だった。あのう最後にね、この番組ってリスナーの皆さんに明日元気で迎えられるような、そんな言葉を皆さんにいただいてるんです。笠井さんにも最後に一言いただいてもいいですか?
笠井:はい。がんになって、最悪の事態だなと思っているときでも、抗がん剤を大量に点滴して倦怠感や体のダメージを受けて最悪だなと思っているときでも、あ、今日これよかったな・・・とか、これちょっと楽しかったな・・・ってことがありました。どんなにどん底でも、人って楽しみとか喜びとかを、小さなものでも見つけ出せる力を持ってると思うんですね。ですから、じゃあ明日はどんな小さな喜びを見つけようか?今日よりももうちょっとだけいいことを見つけられないかな?あるんじゃないかな?たまたまつけたテレビがちょっと面白かったとか、本当に些細なことの積み重ねが明日への力となりますので、そうやって自分は明日に絶望ではなく、明日に期待しながら病室では過ごしていますし、今でもそうです。嫌なことがあっても、いや、これだけ嫌なことがあったら明日はもうちょっといいだろうと。そしてそれを自分で見つけようと思いながら翌日を迎えるようにしてますので、皆さんも、今日よりもちょっとだけいい明日に期待して、今日はお眠りください。
志村:・・・笠井さん元気になってくれてありがとう・・・。
笠井:いえいえ、本当に、そんなふうに言っていただけると嬉しいですけどね。自分自身のことなんですけども・・・入院中に自分1人の生き死にの問題じゃなくなってきたなってことを痛感した時期がありました。
志村:あーそっか・・。
笠井:「ごめんやっぱり負けました」っていうのは、自分の人生ではもう有り得ないんだなと。悪性リンパ腫の仲間たちや家族の皆さんに絶望を与えてはいけないと。ステージ4でも戻ってこれましたという自分を見せることが使命であるという別の力が湧いたのは、SNSの皆さんの言葉だったので、治ってくれてありがとうって言葉は、素直に自分自身に対する褒め言葉として受けたいと思います。
志村:今日はありがとうございました。
笠井:ありがとうございました。



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