
日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。

第30回のゲストは
サヘル・ローズさんでした

1月10日 第31回のゲストは
今井絵理子さん
志村:サヘルさん、こんばんは。
サヘル:こんばんは。なんか新鮮です、こうやってご一緒にお話しすることって、意外となかったですよね。
志村:ないんですよね。なんだかとても近しい気もしていたんだけれども。
サヘル:はい。多分実際に直接お会いできたのって・・・私が行かせてもらったのが多分10年ぐらい・・・10年は経ちますか?
志村:は〜・・そうですね。
サヘル:もしかして7〜8年ぐらい前に・・。
志村:そう、外苑前のダイアログ・イン・ザ・ダークに来て頂きましたよね。
サヘル:はい。3度ぐらい体験したことがありまして、今日は明るいライトな状態ですけれども、ちょっと懐かしさを覚えています今。
志村:あ、本当に、そうですか〜。最初にでも暗闇を体験なさった時、怖がっていらっしゃいましたよね・・?
サヘル:はい、1番最初の時覚えてますか、結構ドキドキしたと言いますか、体がいい意味で震えたのを覚えています。
志村:あーそうですか。
サヘル:それはきっとあの・・・自分のきっと幼少期に、私はイラン・イラク戦争の最中に生まれている子供の1人なんですね。でその時代に生まれた多くの子供達に共通しているのが、やはりフラッシュバックであったり、直接的に記憶が覚えていなくても体や肉体が覚えている当時の空爆のような音、地鳴り、何とも言えない・・未だにあの時の言葉にならない感情とか、体感とかあるじゃないですか。それをしたのを覚えています。
志村:そう、あの時ね、私手を握らせてもらったんです、サヘルさんの・・・震えてて、手がね。まあその時に、私と違った体験をしている、その、戦争を知っている方の震えなんだなあと思って、それを感じたいって思ったんですよね。
サヘル:ありがとうございます。多分私にとっての暗闇っていくつもあって、もう1つが、あまり多分こうやってラジオとかでお話することはそんなにないんですが、母親に養子縁組を私は7歳の時にして、ちゃんと1年かけて養子縁組が成立して、8歳で今の育ての母と親子関係になれたんですね。で、その後すぐに1993年に日本に来てるんですけれども、来た大きな理由としましては、やはり当時イランは革命が起き戦争が起き、女性と男性の地位的社会で共存することがちょっと難しくなってしまい、女性はどちらかといえばもう教育はなかなか受けさせてもらえない、で社会的な進出が女性はとても厳しくなったんです。ですが私を引き取ってくれたお母さんっていうのは心理学者で、テヘラン大学院で心理学をずっと学んでいて、本来戦争も革命も起きなければそのまんま卒業して大学院の教授になるはずの人だったんです。
志村:あーそうだったんですね・・・。
サヘル:そうなんです。だからこそ彼女は心理学を学んでいて心理的な部分をすごく考えてくれていて、このままイランで女性1人で子育てをする、かつ当時はやはり母親と両親からも、今は仲直りしてるんですけども当時は血の繋がりがない、赤の他人をなぜあなたが育てるの?しかも私を母が育てるためには自分の体にメスを入れて不妊治療をしてるんですね。その、産めない体に、ごめんなさい、産めない体にしてるんです。今は法律が変わって子供を授かる人も養子縁組はできるんですけども、当時は子供が産める健康体な人には養子縁組ができる権利はなかったんですよ。
志村:そう・・・。
サヘル:母は私を引き取るために産めない体にした上で、私を引き取っている。で、実の親からするとなぜそこまで赤の他人の子供のために、あなたが自分の体にメスを入れて、しかも母親は結婚もしていたので、自分たちの孫が見れるのにも関わらず、親心として反対をしてたんですよ。
志村:なるほど。
サヘル:だから悪気があったりとか、意地悪をしたい反対ではなかったんですけれども、まだそこに理解が当時はお互いできなくて、大喧嘩をして、母親は本当に1人ぼっちになっちゃったんです、自分の母国にいながらも。で、その母が頼ったのが、当時結婚していた相手がイランの人で、日本でお仕事をしてたんです、彼が。
志村:あーそうだったんだ・・。
サヘル:はい、そうなんです。彼を頼って来たのが大きなきっかけだったんですが・・・・私は初めて彼と空港で会った時に、やっとお父さんもできる!今までは孤児院の中で3年間生活してたので、彼を見た瞬間にもう嬉しくて嬉しくて・・・!1か月一緒に共同生活したんですけれども、決してこれも彼が悪いわけではなくて、やはり施設で育つ私たちは家庭で育ってるわけではないので、すごくやっぱり一般常識からかけ離れたことをたくさんしてたんですね。で、どんなに悪い事をしても、母親は許してくれたんですよ。
志村:あーそう〜・・・。
サヘル:で、私を無理やり変えようとはしなかった。で、義理の父は、やはりどうしてもそれに対して何でこんなにも言うこと聞かないんだ、何でこんなにも野蛮なんだ・・・で、ストレスが重なってしまい、ぶつかるようになってしまって、そこから虐待を・・・私はお母さんがいないところで彼から虐待を受けるようになったんですね。スプーンを体に、ガスで温めて体に焼き付けられたりとか、基本外に出て学校に行っても、大人達・先生達が気づかないところに攻撃を受けるので、誰も気づいてもらえないし、基本家の中で虐待を受ける子供って、外で助けて、とは言えないんですよね。
志村:言えないですよね・・・。
サヘル:言えないです。で、それが暴力から徐々にお風呂場に一晩中監禁される、で、もう出てきたらもっと暴力を受ける、だから暗闇でずっと・・・膝を抱えて、誰かがここから出してくれるのを待つしかなかった・・・その時の幼少期のフラッシュバックもすごくあって・・・
志村:あーそうだったんだ・・・。
サヘル:そうなんです。でも、それが自分にとってすごく忘れられないし、未だにトラウマの1つ。かつ母親に引き取ってもらってイランに1回戻った時に、母の親戚から受けた性的虐待もあったので、尚更その時に言われた言葉が、孤児は何をしてもいい・・・って、言われた言葉が・・・で、なぜこれをここまで話せるようになったかと言うと、日本にいてこのように家族から何かしら虐待を受けていたり、誰にも相談できず、痛みも吐き出せない人って実はたくさんいて、だから1人じゃないよって、言う勇気もいるけれども、言うことで誰かが救われたらいいなって。30歳になった時に、あ、それを伝えることで救われる人もいて、もしくは自分自身も痛かった感情、辛かったこと、怖かったことを言葉として外にちゃんと出せた時に自分自身を救えることってたくさんある・・・・・すごくそれを感じるので、私は変わったなぁと思います。多分あの時お会いした時よりかは、1つ、うん、自分の皮をむけた気がします。
志村:素敵・・。
サヘル:弱さって長所だなぁとも感じるようになったし、人間ってみんな弱いし、みんないい意味でいつも誰かの顔色伺ってるし、でも1番多分伺わないといけないのは自分の顔色だし・・
志村:本当だね〜。
サヘル:うーん。それをでも教えてくれたのも、今のお母さん。母親の存在は自分にとってすーっごく大きくて、彼女がやっぱり家を飛び出してね、2人で虐待がひどくなって、このままだと生きていくのはしんどいと、まあ家を飛び出して2週間路上生活してホームレス生活して、食べるものも本っ当に大変で、でもそれを救ってくれたのも地域の人達だったりとか、色んっな人が、言葉も分からない、国籍も宗教も全て違う私達親子に対して、手を差し伸べてくれたんですよ。そのお陰で本っ当にこうやって生きて来れてるので、人は1人では生きていけないし、誰かが見てくれていて誰かが手を差し伸べてくれるっていうのは、自分の人生を通して本っ当に実感してます。
志村:大切なことですね。
サヘル:とっても。
志村:本当に・・人の助けを体験した人はね、私はとっても宝物をもらってるんだろうなっていつも思うんですよね。人って素敵だなっていう風に知ることができるでしょ?それって大きな宝だと思ってます。
サヘル:うん。
志村:すごいなぁ〜・・・。
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サヘル:でも、不思議なぐらい色んなことを経験させてもらっている人生で、きっと今これを聞いていらっしゃる方は、すごい大変だったねとか、重たいって、きっと思う人もいると思うんですよ。でも、私人生って重いからこそ人生であって、でもその重さの感じ方だと思うんですよね。私にとってこの今まで経験してきたことって、きっと若い時は気付けなかったけれども、30代になって、あ、全てには意味がある、無駄な経験はなくて、マイナスもプラスにいくらでも転換できて、それを感じられるからこそ人の痛みだったり、心の在り方だったり、人との向き合い方だったり、人を抱きしめたくもなるしっていう、愛が生まれたのは全てその経験をしたお陰なんですよね。これがもし本当に何もなく過ごしていたら、今の私ではないと思うんですよ。
志村:本当だね。
サヘル:はい。
志村:うん。色んな経験はね、1つも無駄にならないんだもんね。
サヘル:ならない。
志村:辛いこともね。いいことも。
サヘル:そう。
志村:今ね、コロナがこんなに流行っていて、感染者も増えて行ってるでしょ?そうすると不安感ってすごく膨らんでると思うのね。不安って、自分の全てを覆ってしまうぐらいの気持ちになっちゃうでしょ?今感染してなくても、感染の不安を感じちゃったりとか、または今後どうなってしまうんだろうってことを想像して苦しかったりすると思う。そういう風なことに対して、サヘルさんどう思ってるかな?ってお聞きしてみたいんです。
サヘル:あの、不安に感じているのは、みーんな一緒なんだなーって。みんな怖いんだなーって。だから不安でいいと思う。不安で、怖くてどうしたらいいか分からない感情を我慢する必要は私は全然ないと思うし、私自身も正直不安だし、なぜなら、いつどのタイミングで自分の周りで大切な人がコロナに、もしくは自分も、でも私はそれ以上に母親が心配で正直・・。
志村:本当ね、うーん・・。
サヘル:はい、母がやっぱり癌なので、今。やはりそのかかってしまうと私の中ではもう体が弱ってる中で絶対に持って帰りたくないし、絶対にかかってほしくない。守らなければいけないものがすぐ側にある。正直怖い、こうやって外に出ることも人に会うことも、どんどん怖くなっていく。でも、それだけみんな同じ状態で全世界が今同じ苦しみに立たされていて、同じ不安の中で今みんな平等なんだなって。初めて全世界が何かに対して同じ状態に立っているっていうのは、今までは、内戦だったり戦争によって一部の国は内戦・戦争が起きて1番全くそういうのが関係なく、ある意味遠い国のことのように思えた。でもこのコロナは、今みんなが同じ不安とどうなるか分からない未来、来年どうなるんだろうっていう、同じ状況。でもその中でも例えばバングラデシュ、インドだったりそういう本当に貧しい地域の方々は、より一層厳しい状態に置かれてるのは、今それでも差は出て来ているなっていうのは、感じています。
志村:うん、本当に・・。
サヘル:とっても正直。でも、こうやって不安の中で、今の私たちのように距離を取って会話を取らなければいけない。人と人が会うことがちょっと怖くなった。でもそれ以上に、私もそうだけど心は近づけようと精一杯になった。体の距離は遠くなった分、心はすごく近づけなければいけない、その課題をコロナは投げつけてくれた。人をちゃんと見てる?周りを意識してる?あの時のあの子はどうしてる?ほら今タイミング!声をかけよう、連絡を取ろう・・・ってことを、多分みんな結構したと思うんですよね。
志村:本当にそう思う。
サヘル:家族に連絡したと思う。友人に会えないからこそ電話をかけて、メールしたと思う。それだと思うんですよね。これは、私たちに投げかけている1つのメッセージでもあると思う。周りが見えてた?あの子はどうしてる?自分にできることって何だろう?あ、今自分休憩するタイミングなのかもしれない。それはずーっと走ってずーっと仕事仕事だった人達にとっては、立ち止まるいいタイミングだと思う。
志村:本当にね、大切な人を大切だってこんなに意識したことないもんね。
サヘル:うん、本当にそうなんですよ。どうしてるかな?みんなが物が買えなくなった時に、私を救ってくれた公園で路上生活をしていた時に助けてくれた給食のおばちゃんがいるんですけど、そのおばちゃんが、このコロナの時に大量に食材を送ってくれて、大量に食べられる物を送ってくれて、きっと東京でスーパーで買えなくなったよね、送るね!って・・・・はーなんかすごく人の温かみを感じたんですよね。苦しい時ほど自分が!自分だけが良ければ!は、絶対何も産まない。でも苦しい時ほど、あの人は大丈夫かな?って分かち合う、ちゃんとお互い分かち合うってことをしなければ、ダメだと思うんですよね。
志村:私ね、それが今大切にすべきことなんじゃないかなって・・すべきじゃないな、言葉をもうちょっと丁寧にすると、それを大切なんだなーって知れるチャンスなんだなと思うんですね。
サヘル:はい。
志村:サヘルさんおっしゃったみたいに、みんな不安、私も不安。でもその不安に飲み込まれてしまい過ぎる前に、人と人がね、手を携えて、手は握り合えないかもしれないけど、心と心を携えて、で、過ごすことが大切なんだなって風に思ってるの。
サヘル:本当にそうです。例えばお手紙1通にしても、自分の書いた手紙を送ってくれる郵便屋さんに、郵便屋さんありがとうって封筒に書いておくだけで、どれだけそれを一生懸命運んでくれる人はこの状況下で喜ぶか。なんか、多分1つ1つすごく感謝の気持ちをみんなもう1回思い出した時期でもあると思うんですよね。
志村:本当に。ゴミを出すんでもね、そのひと言があるとお互い温かい気持ちになるものね〜。サヘル:なりますなります。それ医療従事者の方々に向けてもそうだけれども、きっと不安の中で、本人達も休みたい、休む時間もない、特に今また感染者が増えていく中で、医療従事者の方々がとってもとっても不安で、休む時間もなく懸命に働いてくださっている、その方々は、自分たちがこんなにやってるっていう不安の中でもいると思うんですよね。でもすごく伝えたい、ありがとうございます。皆さんが不安と隣り合わせになりながらも私たちと向き合ってくれて、で、患者の皆さんも、皆さんに対してすごく感謝をしてる。そういう風にお互いがこうやって、今もそうだけれどもこうやってこの番組を皆さんが聞いてくれている、これを成立するために準備をしてくれて、こうやってラジオもそうだけれども、色んな人が携わってこのメッセージを届けてくれている。人は1人じゃ何もできない。色んな人が一緒に一丸となってメッセージだったり何かをしたいって、人って1人ではなくて寄り添うことで初めて歩き出せたり生きられるものだと思うので、多分純粋に大丈夫よって、本当に不安だ、みんな不安。でも、不安に押し殺されないでって。不安の先には、お互いがお互いを思いやれば、この暗闇からは必ず光が差し込むし、これが永遠に続くわけではない。このコロナの中で生きている私たち、生かしてもらってる私たちは、10年後にはこの経験をしたことを逆に自慢できると思う。
志村:本当に。そうしたいね。
サヘル:そうしたいと思います。私は絶対、この時代私は生きたんだよ、この時代を見届けたんだよ、一緒に私達は乗り越えたんだよって、10年後20年後、若い世代の子達に伝えられるメッセージをこの時代を経験してきた私たちにはあると思うんですよね。
志村:本当に、経験を知恵に生かして、伝えられますよね。
サヘル:伝えられると信じてます。
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志村:あのね、ダイアログがここ今対話の森というミュージアムをしていますけど、聞こえない人達がね、サイレンスというのをやっているんですよ。
サヘル:はい。
志村:耳が聞こえないと、表情を見ることによって対話は促されていく。手話はもちろんあるんだけど、手話と共に表情で幸せにするんですって。で、目をね、ものすごく見てくれるの。今日のサヘルさんみたいにキラキラした目で見つめてくれるのね。
サヘル:ありがとうございます。
志村:それでマスクしてるでしょ?マスクからはね、はみ出しちゃうぐらいの笑顔なの。
サヘル:分かります、はい。
志村:それがすごく素敵で、こんな時だからこそ、笑顔で互いを見つめ合っておしゃべりしようって。それは、言葉の壁を越えておしゃべりしようって風に言ってるのね。
サヘル:うーん。
志村:それが、エンターテインメントだからじゃなくって、実生活でそういう風にしてるからやれるんだろうなと思うの。もうね、その仲間達と出会ってお話すると、目で、アイコンタクトで挨拶すると、いちにち幸せな気持ちになるのね。ずっと幸せなの。
サヘル:うん。
志村:で、じゃあ今度ね、ダークのスタッフ達、見ない人たち。目を合わすとは違うんだけど、今度はね、音でね、感じる力があるのね。例えば足音。私の足音は本当に聞いていて、今日は季世恵さん元気ないんじゃない?とか言うの。
サヘル:うーーーん。
志村:まだ声も交わしてないのに、おはようって言ってコツコツって足音が出てくると、風邪引いた?とかって言うの。
サヘル:へ〜〜〜、すご〜い!
志村:ね〜。わ〜、私を見てくれてるんだなーって思うの。
サヘル:うん、うん、うん。人って、存在をちゃんと認識してくれて、存在がそこにあるって感じるだけで気持ち全然違いますよね〜。
志村:本当に。
サヘル:本当にお互いをちゃんと感じて、あなたはここにいるんだよ〜って感じられることと、私がよくやることは、よくみんな上を見上げようってするんだけれども、上って結構見続けるとしんどい時多いんですよね。
志村:多いね〜本当だ〜。
サヘル:だって、一生懸命本当は上向きたくないのに、感情はどん底なのに上を見るって、息苦しいって感じることもあって、で、あそうだ、上見なくてもいいんだ、下見ようって思って下見た時に、あ、私地に足ついてる、影ある、あー存在してるって、下を向いてあげることもすごく大切なことで、上を見ることに疲れたら、たまには自分の足元を見て自分の存在を確かめてみて欲しいなーって。そうするとね、結構安心するんですよ。しかも足元には花たちが見上げてるんですよね。
志村:本当にね〜。
サヘル:実は、色んな小さな花、日本語で雑草って私結構悲しくて、雑草って別に雑でも何でもなくて、そこには懸命に硬いアスファルトからあの子達這い上がってきているって、決して雑でも何でもない素敵な生命が実はここを、上を見て私達を見てくれている。小さな姿勢がたっくさん足下には広がってるので、なんか、もししんどいなー、疲れたなーと思ったら、無理して歩く必要もないし、無理して上を見上げる必要もないし、下を見て立ち止まって、休憩して、歩き出したい時に歩き出したらいいと思う。
志村:本当だね・・うん。でもサヘルさん、随分頑張ってるよね?
サヘル:(笑)でもそれは、やっぱり背中を押されてますね。旅先、外国に行って、難民キャンプに行って子供達に触れ合っていても、日本の児童養護施設の子供達とも触れ合ってるんですけれども、退所した子達だったり施設の子達にも定期的に遠足に連れてったりとか、懸命にみーんな生きてて・・・でも生きることはしんどいって感じてる子もたくさんいて、やっぱりせっかく生まれてきたのにそんな気持ちになってもらいたくない、自分がなったからこそ言えるんですけど、きっとこれから先みんなが出会ってない素敵な大人にまだまだ出会うし、もしくは、難民キャンプって、キャンプって響きは1人歩きしてるだけでみんなが想像するキャンプとは全然違って本っ当に過酷な生活をしている。あの子達も国を追われ、そこには武器を売って武器を作って利益を生む、それで戦争を起こして内戦を起こしてお金持ちになる人達がいる傍で、国を追われ住むところを追われ家族を殺され・・・他人事じゃないんですよね。
志村:本当にそう思います。
サヘル:どうしても私たちは平和の中にいて、日本にいると平和ボケしそうになる・・でも蛇口ひねって水が出るだなんて奇跡で、公園を走り回って地雷がないのも奇跡で、あれ1つ1つ日本って奇跡の塊でできてるからこそ、日本の皆さんには何かをしてくださいってアクションを私は求めない。それはなぜなら1人1人抱えてる背景もあるし、できるタイミング、やれる事って個々に違うので、さぁこれをしましょうって無理して支援をしても疲れちゃったら意味がないので。だけどみんなができることは1個だけあります。
志村:はい。
サヘル:今、日本で生きている、今を生きていることを、ただ心の中で噛み締めてほしい。毎日を、明日があると思って生きるよりかは真剣に1日1日を、生きられない命の分まで生きてほしい。なんかそうやって、世界の裏側では生きられない命もあって、懸命に生きようとする命もあるってことを、もっと視野を広げて見て欲しい。そうすれば、自分たちが持たせてもらっている選挙権の使い方も変わると思うんですよね。
志村:そう思います。
サヘル:それをただの紙切れだと思わずに、自分達が住むこの国を、自分達の手で守ってほしいし、国民のための国家であってほしいからこそ、そのためには国民が自分たちの国をどう動かすかは、皆さんの意志次第だと思うんですよね。
志村:はい。
サヘル:命懸けの選挙をする国があるぐらいなので・・・であれば、皆さんが持たせて頂けているそのちゃんとした権利を、人権を、有効的に使う。それを使うことによってこの国で共にこれから生きる外国籍の方々もそう、もしくはダブルの子達もそう、その子達が生きやすい社会、ダイバーシティーだったりとかLGBTとか、皆さん言葉のファッションにならないでください。
志村:そうね〜・・!
サヘル:この言葉たちが今ファッションみたいに使われているけれども、多様性とか、
でもこれを理解してますか?根っこはどういうことか分かってますか?だから言葉をファッション化するんじゃなくて、言葉の持つ本来の根っこ、それによってどういう風に生きやすい社会にするか、多様性とは一体何なのか?本っ当になぜそれを求めるべきなのか?もっと全てのことの根っこを1人1人がもっと深―く見て欲しいなーって。もっと深―い社会にもう1回なってほしい。一部だけを届けるんじゃなくてもっとこの発する言葉の意味を、私自身もこれからもっとそういうのを意識しながら、人に寄り添いながら、いっぱい寄り道していっぱい失敗していっぱい悔しい気持ちにもなって成長したいと思う。だから皆さんが何か傷ついたり失敗することに恐れちゃうと思うけど、大丈夫。パーフェクトな人間はいないから。
志村:本当ね。
サヘル:うん、パーフェクトにならなくていい。
志村:そうだよね。失敗ってさ、生きてる証拠なんだよね。
サヘル:そうなんです、本当にそう、そう。
志村:さっきからお話をお聞きしてるとね、なんか・・感じることがあって、多分ね、今の私達って、今を生きることに力を入れてないんだろうなーと思うのね。明日を考えたりとか、または、今じゃない今ここにいる自分を感じれなくて、どっか違うところ見てるでしょ?そうすると自分のことも見えなくなっちゃって、人のことも分かんなくなっちゃって、で今自分が生きているこの社会も見つめられなくなってしまって、で流行だけを追いかけて、言葉もすぐに廃れてしまったりしていて・・・でも今それを手放しちゃいけなくて、おっしゃったみたいに今自分のいるところ、例えば不安だったら不安を手放す必要もないし、そして今下向いていいんだったら下も向いてよくって、今ある自分をしみじみ感じて、そして自分ができること、または休むことを選んでいいってことだよね?
サヘル:そうです。
志村:うん・・・・。素敵だなと思う、それができると、きっとね、何かが変わって行くと思う。ありがとう〜。
サヘル:こちらこそです。
志村:今日ね、このラジオを聞いてくださってる皆さんがね、どんなお気持ちなのかなっていつも思いながらお話ししてるのね。幸せな方もいるかもしれないし、ちょっとそうじゃない方もいるかもしれないし、仕事をしてる最中の方もいるかもしれないし・・・思いを馳せながらいつもお話をしてるんだけれども、明日を迎える時に、今よりももうちょっとハッピーでいられたらいいなと思ってこのラジオを続けている気持ちでいるんだけれども。
サヘル:はい。
志村:サヘルさんからメッセージを頂きたいなと思っていて、もう今までのお話で十分なんだけど、でもこのラジオを聴いてくれる方達に対して・・・。
サヘル:1番は生まれてきてくれてありがとうってやっぱり言いたい。こうやって生まれてきてくださって、今日をこうやって迎えてくれていることにすごく感謝をしたいし、うん、いてくださるからこそ私達の声が届くから、毎日・・毎日みんなに生まれてきてくれてありがとうって言いたい。と同時に、無色にならないでって、それは色をね、自分の色を消さなくていいから、自分の持って生まれた色を大切に、人生は本当に1回。その1回を悔いのないように生きるためには、自分の心とも対話をして、自分を大切にして自分を愛してって。自分をまずは愛してあげて。で、自分を抱きしめて、自分に対してもよく頑張ってるって自分を褒めてあげてほしい。本当にここまでだって毎日頑張ってる自分がいるわけじゃない?その自分にもちゃんと定期的にありがとうって、自分の体にも自分の心臓にも・・だって心臓が動いてこんなに、だって心臓なんて1回も休んでないから〜
志村:そうだよね〜!
サヘル:そうなんです、自分の体にありがとう〜、自分の心臓にありがとう〜、自分の心にありがとう〜って、自分にありがとう〜って今日はみんなに言ってみてほしい。そうするとなんか・・・ふぅ〜〜〜って、深呼吸ができると思います。
志村:サヘルさん、生まれてきてくれてありがとう。
サヘル:ふふ、ありがとうございます。同じく、生まれてきてくださってありがとうございます。
志村:お母さまにも。サヘルさんを育ててくださってありがとうございますと、お伝えしたいです。
サヘル:今、母聴いてると思います〜。
志村:よかった・・・今日はありがとうございました。
サヘル:こちらこそ〜、ありがとうございました。