DIALOGUE RADIO -IN THE DARK-

日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。

EVERY SECOND SUNDAY

25:00-26:00 ON AIR

真っ暗闇の中で、心と対話する時間を。
志村 季世恵の写真

志村 季世恵

バースセラピスト

板井 麻衣子の写真

板井 麻衣子

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メッセージをいただいた方の中から毎月2名の方へ
ダイアログ関連本をプレゼント!

MESSAGE TO STUDIO

番組のオリジナルPodcast 配信中

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MESSAGE

人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。


2025.05.11
GUEST

第83回のゲストは、福永荘志さんでした

 
〜プレゼント〜

番組初となる著書、
『暗闇ラジオ対話集-DIALOGUE RADIO IN THE DARK-』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。

ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。


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DIALOGUE

志村:壮志さん、こんばんは。
福永:こんばんは。
志村:今日は暗闇の中をご体験いただき、ありがとうございます。
福永:いいえ、ありがとうございます。
志村:多分久しぶりですよね、暗闇。
福永:そうですね、4年ぶりぐらいです。
志村:いかがですか?この暗闇に入っていて。
福永:いやすごい、なんか不思議な感覚ですねやっぱり。触感もそうだけど耳ももちろんだし、あとこの気配みたいな、どういう感覚って言えばいいのかな、そういう空気みたいなものを感じるというか、読むというか、それをなんかやってるような気がします。
志村:ああ、そうなんですね。多分、普段は目をたくさん使っていらっしゃいますよね?お仕事柄もね。
福永:そうですね。
志村:映画をお作りになっていらっしゃる?
福永:はい。
志村:こんな静かな時間とかっていうのは、よくあったりするんですか?普段の暮らしの中に。
福永:いやー、あんまりないですね。まあ、とはいえゆっくりした時間とかは好きな方なので、何も考えずぼーっとしたりとかよくありますけど、こんな静かなのは、やっぱり特に東京にいたらそうしたくてもなかなかないですよね。
志村:そうですよね。北海道のご出身でしたよね?伊達市、海の方に近かったでしたっけ?
福永:海も山もありますね。まあだけど沿岸ですね。
志村:うーん、そうするとやはり静かな時間もあったりするんですかね。
福永:うーん、そんな感じのなんていうか記録もないけど、冬の季節とかで夜中に雪が積もった中とかで、特別な静けさがやっぱりあって、好きでしたね。
志村:何歳まで?
福永:高校卒業までですね。
志村:あ、そうですか。その間はどんな少年時代を過ごし、そして高校時代までどんな感じの・・・
福永:うーんそうですね、まあ意外と・・・意外とっていうか、今ちょっとこの割と静かな方と見られてると思うんですけど、結構ふざけてるお調子者でしたね。
志村:あ、そうだったんだ。え、そのお調子者の荘志さんが、いつ頃から静かなイメージになったんですか?(笑)
福永:いや、別にしようと思ってしてるわけじゃなくて、なんか、なんですかね、自分がいやすいっていうか、自然な、無理しない、年を重ねるごとにどんどん無理しなくなっていったので・・・うん、まあといっても地元の友達に会うとまたちょっとそういう部分が出てきたりとか、会ってる人にもよりますけど。
志村:ありますよね、そういうのね、そうかー。
福永:けどまあ、それもその人に自分からこう行こうとか思ってるわけじゃなくて、自然とそうなるんですよね。
志村:あ、わかります。
福永:はい。で、多分デフォルトの自分が静かなんだと思います。
志村:うん。東京に出ようと思ったのは、進学とかがきっかけだったんですか?
福永:あ、東京は全然僕5年前、あ、もうすぐ6年前からで、高校出て留学したいと思って、留学を準備する学校が秋田にあったんですけど、そこで英語を勉強して準備してからアメリカに行きました。
志村:あ、そこでアメリカだったんですね。ああ、そうかー。その時はやっぱりいろんな文化の違いとかを感じたりしました?
福永:そうですね、もう全然違ったんでやっぱり、まあそういう体験がしたくて出たんですけど。
志村:そっか。その頃は職業とか、こんな風になりたいとかあったんですか?
福永:なかったですね。なかったから出たかったんですよね。いろいろ知る前に決められないと思って、まずまあこのなんていうか、日本の全体的なこうしなきゃいけないとか、こうするべきみたいな風潮というか、そういうのにすごくずっと違和感があったので、そこから出たいというのがあって、まず出て、向こうは結構単位も好きなように、すぐ専攻を決めずにちょっとずつ興味ある単位を取れるので、そうやっていくうちに、まあ映画はずっと好きだったんで、やっぱり1番好きな映画をまずは勉強してみようと思ってそっちに進んでいったって感じです。
志村:ああ、そうなんですね。そこで、では初めての映画ができたって感じになるんですか?
福永:まあ学生の時に短編映画とか課題で撮って、その後、初長編を撮るまではすごい時間がかかったんですけど。
志村:『リビリアの白い血』っていう作品ありましたよね、アフリカの。その作品拝見してすごくいろんなことを感じたんですけど、それはきっとリアルにそれを壮志さんの場合は感じたから映画になったわけですよね。
福永:そうですね。まあリベリアという国、西アフリカの、その国に特別な馴染みがあったというよりは、移民の話をまずやりたいっていうのがあって、その後にリベリアのゴム農園についてのドキュメンタリーに関わることがあって、そこから着想して、そのゴム農園で働いてた労働者がニューヨークに移民として渡るっていう話を思いついたっていう、はい。
志村:たくさんそういう方たちがニューヨークにはいるんでしょうね?
福永:そうですね、やっぱり世界中で1番多様な場所なので、本当にいろんな背景を持った人たちがいます。
志村:はい。移民の問題とか、やっぱり格差が暮らしの中にもあったりとか、そういうことを映画でもだいぶ伝えていらっしゃるなと思ったんですけど。
福永:はい、自分も移民の1人でしたし、アジア人ということで差別・偏見の対象にもなったし、まあそういう中で、例えばチャイナタウンに食材を買いに行くにしても、どっかのレストランでその国の人が働いているのを見たりとか、そういうこの移民が、他の移民の人たちにすごく勇気づけられたっていうか、そこに刺激を受けて自分も頑張れたっていうのがあって、で、気づいたら初長編映画は移民の話をやりたいって思うようになってたっていうのがありました。
志村:そうだったんですね。何年間ぐらい、いらしてたんですか?
福永:うーん、製作期間ですか?
志村:製作期間もそうですけど、アメリカっていう国に?
福永:ああ、えっと、トータルで16年いたんですけど、最初ミネソタ州っていうところに2年いて、その後映画を勉強するって決めてニューヨークに移って、14年間そのまま、6年前に日本に戻るまでいました。
志村:ああ、そうなんですね、そうか。そして丁寧に作っていらっしゃるんだなって、ものすごく思いながら拝見したんですけど、月日が変わっていくとその主人公とか、そこに関わる方たちのお顔も若干変わってくるじゃないですか、表情とか。そういうのがすごくなんか余計にリアルに感じて見てて、しっくりくるというか、そこに没入できる感じがあったんですよね。
福永:それを今聞いてて思い出したんですけど、1本目と特に2本目かな、まあ1本目、『リベリアの白い血』っていうリベリアの移民の男性の話で、2本目が『アイヌモリシ』で、アイヌの少年の話なんですけど、観た人から、たまにふとした主人公の表情が自分に似てるっていうふうに言ってくれた人が何人かいて、顔の作りで言うと全然違うんですけど、なんかそれはなんでしょうね、それぞれ演じてくれた2人が一生懸命取り組んで、僕の言ってることとか表情とか、そういうのをすごく見てくれてたのが自然に反映されたのかなと思うんですけど。
志村:ああ、なんかわかる気がします、本当に。息の合ったっていうことは、ちょっとあってるかどうかわからないんだけれども、ものすごく一緒になって考えて、そして映画に関わっていくというのが、一緒に作ってらしたんだろうなってすごく思ったんですけど。
福永:そうですね、やっぱり自分がこうしたいっていうのがあって、それが思い通りにできても自分はあまり楽しくないというか、手応えを感じないので、それより一緒にその、本当にいろんな才能が集まって映画っていうのはできるわけですけど、その人たちとやってるからこそできるものっていうのを目指したいっていうのがあって、そうなるとやっぱり1人1人の個性だったり能力っていうのが、できるだけ自由にというか発揮できる環境を作って、そういうアプローチでやった時に初めて自分の想像を超える何かに近づくのかなっていうふうに思ってますね。
志村:ああ、それすごいですねー。そう、1人だと想像超えられないですもんね。
福永:そうですね、だしなんか、うーん正直、1人でできるものってたかが知れてるというか、まあ画家とかそういう素晴らしい才能の持ち主の方々もいらっしゃいますけど、そうですね、自分はあんまりそういう意味では、自分1人の力を信じてないって言うとちょっと語弊があるかもしれないけど、それよりももっと先に行きたいっていうのがあるので。あのう、器とかも僕好きなんですけど、民芸運動の最初の方に関わった濱田庄司っていう陶芸家の記念館が益子の方にありまして、そっち側に行った時に見つけた言葉ですごく印象に残っているのが、彼は野菜も作ってたんですけど、それを農薬を使わずにいろいろ作っていると、すごく不格好な野菜もたくさんできると。でそれは市場に出るような整ったものではないんですけど、そういう形を見たときに、自分で作ったのではなくて、生まれたっていう感覚があると。彼は品という言葉を使いましたけど、そういう品が自分の作品にも欲しいっていう言葉を残してまして、それにものすごく共感して、僕も作ったっていうより生まれたっていうような感覚を持てるような作品作り、作品を目指したいっていうふうに思ってますね。

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志村:映画を拝見していて、観てる側も他人事じゃなくなってくるみたいな、そういうのはあります。
福永:あー、それは嬉しいですね。
志村:主人公のその、あ、それはアイヌの映画になっていった時に、私が拝見していて、祈るシーンとかたくさんあるじゃないですか、あの時に自然の恵みに対して祈りを待って、そして畏敬の念とかいろんな思いを持ちながら祈ったりした時に、私も同じように手を動かしたりしてたんですよ。同じように祈りたくなったみたいな、お魚をとったりとか、鹿をとったりとか、そしてそれをまたその場に祈るとか、たくさんあったシーンの中で、本当にアイヌのみなさんが神様と共に暮らしてるんだなっていうのを感じたりして、それをただ見てるだけじゃなくて、見ていた自分たちもそこに何か気持ちを馳せたいなと思ったんですよね。
福永:うんうん。それはすごく嬉しい感想ですね。『アイヌモシリ』っていうフィクションの後に、『アイヌプリ』っていうドキュメンタリーを作ったんですけど、その主人公のシゲさんが一言、アイヌ文化って何?って聞かれて、もし一言で言うなら、感謝の気持ちじゃないかということを言ってたんですけど、本当にそうなんだろうなと思いますけど、それはアイヌ文化に限ったことじゃなくて、人の営みというか、大事なものって結局一言にするのはそれなのかなというふうに思いますね。
志村:本当にそう思います。今、暗闇の中では、能登の世界を作っているんですけど、能登には「あえのこと」っていう文化があって、田んぼ、畑には神様がいて、田んぼに水を入れる時から田んぼに神様がやってきて、で、水がなくなって冬になって、田んぼとか畑に作物が育たなくなった時期からお家に神様がやってきて、お家に迎えるんですよね。ずっとずっと神様と共に暮らしているっていうのがあって、たくさんその話を聞いてたんです。で、日本の中の農耕の文化の中にある祈りとか、それだけじゃなくて、それはいろんなところにあるんだろうけれども、営みと共にあるんだなっていうのは、ものすごく同じように感じますし、感じていたいなと思ってます。
福永:はい。
志村:アイヌの人たちの映画を撮ろうと思ったのは、いつからだったんですか?
福永:そうですね・・・大学で映画学部を出て、まもなくかな・・・。北海道出身で北海道で生まれ育ったんですけど、アイヌの人たちとか文化に関わるきっかけ、機会っていうのがあまりなくて、それで興味はあるけど知る機会がなかったっていう状態でそのまま北海道から出たんですけど、 アメリカに行って外から日本を見て、初めてアイヌっていう先住民族がいた土地を、和人、自分の先祖が奪って今があるっていうことをしっかり意識したんですよね。それまで教科書ではもちろん、もちろんというか、本当に少ししかアイヌのことは触れられてなくて、認識としてもみんなアイヌに関わる歴史認識みたいなものがしっかり浸透してないところがあって、今はだいぶ進んだとは思うんですけど、それでも十分じゃないっていう感覚なんですけど、それが恥ずかしながら僕もアメリカに行って初めてそれを持てたんですよね。で、その時にはもう映画を志してたので、じゃあ映画の中でアイヌはどういうふうに描かれてきたんだろうっていうのを見返したときに、アイヌについての劇映画、フィクションの映画が数少なくて、その中で毎回アイヌ役を和人の俳優が演じてたっていうのがあって、それはもうアメリカ始め世界的にはかなり前から、先住民族役は先住民族がやるべきっていうふうにしっかり足並みが揃えられてるんですけど、日本では全然正直未だに浸透していなくて、そういう映画があってもいいんじゃないかというか、できたらいいなっていうのが漠然とあったんですけど、僕はもうその時すでに日本を離れて長かったですし、日本の映画関係の人も知らないし、アイヌの知り合いもいないし、ちょっと現実的にあまり感じられなかったんですけど、1本目を撮った後に意を決してそれをやろうと決めて、本当に人から紹介してもらって、話を聞いて歩くっていうところから始めました。
志村:そうだったんですね。先住民族の方たちと、和人のようにね、侵略していくっていうふうな人たちの差って、何だと思いますか?
福永:うーん・・・何でしょうね、まあ先住民族って一口に言っても多様なので、それが世界中の先住民族のことをもちろん、もちろんというかすごく知っているわけではないんですけど、そんな中でもやっぱりおごりがないというか、ちゃんと人間の上にそれ以上の存在がいるっていう意識の下で生きているっていうのが、文化だったり信仰に現れていると思うんですよね。例えば土地を所有するっていう感覚というか、それをしていなかったりだとか、それは人間が所有できるものじゃないっていう考えがあるからですよね。そういうだから世界の生きとし生けるものの中で、人間というものがそこまで大きい存在じゃないっていう感覚が先住民族には共通してあるような気がしてますね。僕らというか現代人、資本主義社会の中で生きている人間というのは、どうしてもそこから離れてしまっている感じがありますね。
志村:あのう、だいぶ昔なんですけど、アメリカのネイティブの方たちに会って、それでその人たちもアイヌの人たちの話をしていたんですね。似ているんだって、会ったことがあったらしいんですけど、自分たちは暮らしの中に、自分たちの存在は与えられて生きていると思っているからって、神様がそこにいて、そしてお魚とかお野菜とか全てにおいていただいている。で、所有しない土地は地球のものだからっていう、そういうふうな状態から侵略され続けていくときに葛藤があるって、だけどそれに対して自分たちは戦うんじゃなくて、いただいたものを守ることが大事だと思っているんだっていう話をしていたんです。すごくいいお話で、ずっと私もそこには気持ちが残っているんですけど、なんかその、今回の特に『アイヌプリ』を観たときに、ものすごく私は深くそれを感じて、あー、 この映画みなさんにも観てほしいなって思ったんですよね。
福永:ありがとうございます。そうですね、なんていうか、当たり前になっていることが本当は当たり前じゃないっていう、ごくごく冷静になれば普通のことなんですけど、どうしてもいろんなことに追われて生きていると、そういう意識が薄れていってしまうのが普通だと思うんですね。普通というか、自分も含めそういう方が多いと思うんですよね。で、そういうなんていうか、そこに違う視点だったり、そうじゃないかもねっていう疑問だったりっていうのを、映画を通して投げかけられたらいいなっていうのはあって、『アイヌプリ』の主人公のシゲさんとその中心にした一家とか周りの友達とか、まあ特にシゲさんですね、シゲさんはそういうことを普段からシカ猟だったり、伝統的なサケ漁だったりをやっていて、この命をいただくことはっていうことを実践しているので、その当たり前・・・当たり前じゃないんだっていう感覚を常に持っていらっしゃる方で、そういう姿にすごい惹かれて彼のドキュメンタリーを作ろうと思ったので、そういうことが伝わればすごく嬉しいですね。
志村:うん、もうシゲさん本当に素敵でした。
福永:はい。
志村:うーん。

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志村:これからどんなふうに作品作りをしていきたいとかってあるんですか?今後のこと。
福永:そうですね、ドキュメンタリーを入れると僕今まで4本映画を撮っていまして、移民だったり、アイヌだったり、時代物だったりってあるんですけど、共通しているのは社会の中で・・・マイノリティっていう言葉も最近は何か違和感を感じるんですけど、何かしらの負荷があったりだとか、普通に声が届きづらい声を映画を通して届けるっていうか、そういうことには特別なやりがいを持ってまして、今後いろんな作品を作ることになるかもしれないんですけど、そこは一つ大事にしていきたいというか、もしちょっと違うことがあったとしても戻りたい場所っていうか、やっぱり自分が頑張れるというか、エンジンになる、そういうことを題材に選ぶということが、自分としても前に進める活力になっているっていうのがあるので、それは続けていくんじゃないかと思います。
志村:あー、いいですね。戻れる場所っていいですね。考え方もその場所であったりとか、うーん。
福永:やっぱり生きていると、あれ何でこれをやってるんだっけ?っていうこととか、あれ本当はこうじゃなかったのになーとか、いろいろあると思うんですけど、僕も最初は映画に憧れから始まって、続けていくうちに、そういう憧れみたいなものはあまりもうなくなっていて、どっちかというと現実的な方を作っていくうちに知ったので、環境の問題もそうだし、一般的なイメージにあるきらびやかなものみたいなところには全然興味がないっていうとあれですけど、そこじゃなくてもっと大変な部分ばっかりの方がよく見えるんですけど、 それでも続けるっていうのはやっぱりそういうやりがいに感じる何か、苦労してでもやろうと思える何かっていうのが必要で、それは自分のためとかっていうのだとちょっと僕としては足りないんですよね。それだけ、自分のためだけに何かってなったら、じゃあ別にだらだらしてりゃいいじゃんっていうか、別に無理して何かやらなくてもいいんじゃないかっていう感じですけど、それでもやるのは、自分以外の外に何か矛先があるから進めるというか、それも含めて自分のためって言っちゃうとそれまでなんですけど、そんな感じですね、自分のやる気の作り方っていうのは。
志村:うんうんうん、なんかわかる気がします。私も元に戻る場所があって、ターミナルケアを時々するんですけれども、だんだん死に向かっていくときに、みなさんがどんどんシンプルになっていくんですけど、生き方も考え方も。とあるお年寄りがね、病院から外泊したのかな、それで私に食べさせたいものがあるんだって言うんですよ。もう自分は食べれないのにね。鮎の、落ち鮎の甘露煮を作ってくれたんです。どうしてもそれを食べてもらいたかったんだって言って、郷土料理だったんですって。で、ずっとずっとそれを自分は作り続けてきたんだけどって、季節になると。で、最後に作るものは落ち鮎だって決めていて、それは私のためにだったんです。鮎が卵を産むときにきているものを食べてもらうんだって。自分は食べれないのに誰かに食べさせたいと思う人って、意外と多いんですよ。その人のことを労ったりしていてね。私はそれをいただいて、すごく本当にありがたくいただくんですけど、そうすると大体の方たちが普段はしないことをしていて、手を合わせてるんですよね、食べ物に対してとか。もう食べれなくなってくるうちに、食べれる自分に対して手を合わせたりとか、食材に手を合わせてお祈りしたりとかして、で、私が食べるときも私のために祈ってくれていて、生きることがすごくシンプルになってくるときに、あ、人ってこうやって生きてるんだったんだよなっていうふうに私が私に戻れるんですけど、すごくなんか近いなって、私もあの場がそうだったんだって今思い出しました。
福永:うーん。
志村:でもそれも病気、亡くなるからじゃなくて、普段から本当はそういうふうにして生きてたらよかったなってみなさんおっしゃるんですけど、それがなんか『アイヌプリ』の中にはあったなって思ったりもしたんです。
福永:ありがとうございます。本当は結局、理想と現実の差ってなかなか埋まらないことって多々あると思うんですよね。本当はこうあるべきとか、こう生きたいとか、こういうことを大事にしたいとか、だけど普段の生活がそこになかなか追いつかないってよくあると思うんですけど、ただ一方で理想を掲げないとそこに近づくことなんて絶対ないわけで、砕けた言い方で言うと、何かをしたいとか、こういうのがいいなっていうものを持ってるっていうのがまず大事なんじゃないかなと思うんですよね。そういうことで、自分っていうのが何を大事に思って惹かれて、どういうことを活力に生きているのかっていうのを定期的に見直すっていうか、そういうのがあると、例え日常がなかなか追いつかなくても、やっぱり大きく言って、あ、こういう方向に進んでるんだっていうのが見えるんじゃないかなと思いますけど。
志村:うん、本当ですね。これからも作品、作り続けていただきたいです。
福永:はい、できるだけ頑張ります。
志村:はい。最後なんですけど、もうすでに月曜日だけれども、新しい1週間が始まる私たち、そしてみなさんにいつも一言いただいてるんです、ゲストの方に。明日を元気で迎えるみたいな、そんな一言いただけますか?
福永:そうですね、今日の話の内容を踏まえて言うと、やっぱり感謝の気持ちを忘れずに、いろんなことに、そして無理をせず、1日1日生きられればそれで十分なんじゃないかなと思います。自分らしくいるとか、そのままでいる、自然にいるって、意外と言うのは簡単だけど、なかなかやっぱり難しいじゃないですか。
志村:そうなんですよ。
福永:人にあわせるし、仕事はあるし、やんなきゃいけないことも増えていくし、だけど一方で線を引ける機会、タイミング、選択肢っていうものも自分が思ってる以上にみんなたくさんあるはずだと思うんですよね。それを1つ1つ見直して、これはやりたくてやってるのか、やりたくないけどやらなきゃいけなくてやってるのか、それとも何が何でもやりたくないのか、やってもいいのか、っていうことを見直していくと、心が健全に保てるというか、ニュートラル、自分のニュートラルがどこかってだんだん見えていくんじゃないかなって思います。
志村:よかった、お聞きできて。いやー、本当に暗闇にいらしてくださってありがとうございました。
福永:いえ、ありがとうございます。やっぱり暗闇にいると、感覚はもちろんあるんですけど・・・変な話、肉体から抜けたような感覚がちょっと(笑)・・・魂になっているような感覚がありますね。
志村:そうなんですよね、不思議ですよね、この感覚ね。
福永:だからなんか普段から取り繕うってことはしてないんですけど、できるだけ、さらにそれがしなくなる感じがしますね。
志村:よかったです。そう言ってもらえると、暗闇冥利に尽きます。
福永:初めて聞きました。
志村:初めて言ってみました。
福永:暗闇冥利って言う言葉が。
志村:そうです、初めて言ってみたんです。それをお聞きしてそう思いました。作ってよかったなー、みたいな。
福永:ありがとうございます。
志村:ありがとうございました、本当に。
福永:ありがとうございました。



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