DIALOGUE RADIO -IN THE DARK-

日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。

EVERY SECOND SUNDAY

25:00-26:00 ON AIR

真っ暗闇の中で、心と対話する時間を。
志村 季世恵の写真

志村 季世恵

バースセラピスト

板井 麻衣子の写真

板井 麻衣子

J-WAVE NAVIGATOR

メッセージをいただいた方の中から毎月2名の方へ
ダイアログ関連本をプレゼント!

MESSAGE TO STUDIO

番組のオリジナルPodcast 配信中

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MESSAGE

人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。


2025.06.08
GUEST

第84回のゲストは、大隅朋生さんでした

 
ー 今月のプレゼント ー

番組初となる著書
『暗闇ラジオ対話集-DIALOGUE RADIO IN THE DARK-』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。

ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。


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DIALOGUE

志村:すみすみ、こんばんは。
大隅:こんばんは。
志村:ようこそ暗闇へ。
大隅:ありがとうございます、お呼びいただいて。
志村:本当に嬉しいです。念願叶いました。
大隅:いやーちょっと、自分なんかがって気持ちは拭えないのですが、でも楽しみにしております。ありがとうございます。
志村:ありがとうございます。今どんな感覚を1番使っていらっしゃいますか?
大隅:そうですね・・・やっぱりなんか、体温とかこう、なんかそういうものをすごく探して感じている気がします。
志村:体温とかを?
大隅:はい。
志村:温かさみたいな?
大隅:そうですね。やっぱりちょっと怖さもあるから、声とかそこにいる人の存在とかを感じて探したいっていう気持ちですかね。
志村:あー、そっかー。えっと、今私手を出してます、この辺に。
大隅:はい。
志村:ほら。
大隅:あ、ありました、あったか〜い・・・(笑)
志村:体温(笑)
大隅:あったかいです。
志村:どうですか?人の体温は。
大隅:いやー、ほんっと癒されますね・・・いやー、このまま寝たい感じです。
2人:(笑)
志村:起きてもらわないと困ってしまうので、1回手を離そうと思いますが〜、こういう時に人の体温っていいですよね〜。
大隅:本当にそう思いますね〜。
志村:心細さがやっぱり変わる?
大隅:はい。よくお手当てって言うじゃないですか、お医者さんが手を当てるの。だからなんかこういう風なぬくもりを感じてくれたらいいなと思いました。
志村:うん、そう、お聞きしてませんでしたけれども、私はニックネームで「すみすみ」なんてお呼びしていますが、本当はお医者さんでいらっしゃる、特に小児科の先生?
大隅:はい。小児科医をやっておりますね。今は小児の在宅医、お家に訪問する仕事をさせていただいております。
志村:もう何年ぐらい小児科医をなさっているんですか?
大隅:小児科医はもう医者になってから、20年以上小児科医をやらせてもらっていますね。
志村:そっか。あのう、私たちが実はご縁をいただいたのって、2年ぐらい前ですよね?
大隅:そうですね、それはグリーフケアをみんなで学ぶという場で、季世恵さんがゲストというかスピーカーのほうでいらっしゃって、僕はそこに参加する一参加者だったんですけど、そこで繋がらせていただいてご縁をいただきました。
志村:いやなんかご活動がとっても素敵で、思わず声をかけてしまっていますけれども、小児在宅医ってさっきおっしゃっていましたが、大体どういうお子さんのことを在宅で見ていらっしゃるのか教えてもらってもいいですか?
大隅:はい、東京にある診療所で勤めさせていただいているんですけど、多くのお子さんはいわゆる医療的ケア児と呼ばれる、家で何かしらの医療が必要な、気管切開とか人工呼吸とか、あるいは医療とか、そういう何かしらのケアが必要な子どもたち、あるいは子どもから大人になった方々が対象の診療所です。ただ僕もともと専門が小児がんで、ずっと病院でそういう仕事をしていましたので、そういう子どもたちがお家に帰ってきた後のサポートというのも専門の仕事とさせていただいております。
志村:うーん、小児がんというふうにおっしゃっていましたけれども、もうちょっと詳しく教えてもらってもいいですか?いろんな種類があると思うんですけれども・・・
大隅:そうですね、いわゆる小児がんというのは、大人にできる肺がんとか胃がんとかそういう病気とちょっと違って、小児には小児特有の、もちろん大人でがんができちゃうこともあるんですけれども、多くは小児に特有の病気であることが多くて、最も多いのは白血病だったりするんですけれど、大体日本で年間2000人くらいの子どもたちががんを発症すると言われています。小児がんというとやっぱり治らないのかなと思う方も多いと思うんですけれども、実は本当にどんどん治療が進歩していて、あとは子どもたちって本当に強く頑張ってくれるので、実は8割強くらいの患者さんは元気に治る、いわゆる治療することができると言われているので、実は大人のがんに比べると治る確率は高いということが知られています。
志村:あー、よかった。だけれども、治らないお子さんが2割いらっしゃるということですか?
大隅:そうなんですよね。 やっぱり、いわゆる治るということとも関連しているんですけど、とても進行が早いんですね、子どものがんは。だからこそ薬が効くんですけど、一方で薬が効かないとなるととことん効かなくて、治すことが難しいということにつながります。
志村:うーん、そうした場合はどんな風になるの?
大隅:そうですね、がんが治らないということは、基本的にがんと共存していくということは現時点では難しいので、やはり治すことが難しいとなると、お亡くなりになってしまうことが多いんですね。で、一昔前までは、多くの子どもたちが病院で最後まで頑張って、病院で亡くなっていくということが普通だったんですけど、ここ5年、10年ぐらいですかね、お家に帰って、お家でケアを受けて、お家で過ごす子どもたちが増えてきたというのが現状です。
志村:私、子どもの頃に小児科にね、お世話になっていることが多くて、入院も意外と経験しているんですけど、自分の友達ががんで、やっぱり治った子もいるけど、治らない子もいて、本当に早くて、最初はあんなにいっぱい遊んでいたのに・・・ストレッチャーとかに乗ってサーファーごっこしたりしていたんですよ。そんな風に遊んでいたのに、1週間後には動けなくなって、2週間後には話せなくなっちゃってとかってことが結構あって、お部屋も変わって、私の病室のドアを開けると近くにベンチがあったのね。そのベンチにお父さんとお母さんが深刻な顔をして座っていると、あのお友達のお父さんとお母さんだと思って、あ、そろそろお別れが来ちゃうんだというのが分かるんですよ。
大隅:・・・そうかー・・・
志村:それを何回か経験していて、友達だった子が会えなくて、廊下で泣いている親御さんがいるというのは、もう凄いいたたまれない気持ちになるんです。大隅:そうですよね・・・
志村:でその時に、当時はですよ、もうずっと泣いているお父さんとお母さんがいるんだけど、亡くなってからじゃないと会わせてもらえない時代だったんです。
大隅:それはきついですね・・・
志村:そう、それが本当にいっつも悲しくて、で、自分が退院して家に戻った時に、たまたま家で飼ってた猫がわんこに噛まれちゃって、死んじゃうんだけど、その時に獣医さんに連れて行ったら、もうこの子は助からないんだって言われて、だけれども撫でてあげることはできるしって言われて、父がその時一緒にいたんだけど、抱っこしてあげなって、季世恵がやれることはまだあるよって言われて、抱っこした時に私が泣いていたら、最後にその猫が私に一生懸命頑張って起き上がって、涙を舐めてくれたんです。で、なんて、なんてすごい愛なんだろうって思ったんだけど、そういう時間すらも人間の子供にはないんだと思ったんです。
大隅:なるほど・・・
志村:命の所存ってどこにあるんだろうってわからなくなっちゃって、 すごい悩んだんです。
大隅:なるほど・・・なんかその後の季世恵さんの活動につながっている感じがしますね。
志村:そう、その通りなんですよね。でそれがね、ずっと思ってたんだけど、初めて2年前にすみすみと出会ってご自分の活動を話してくださった時に、なんかねすごい救われた気持ちになったんです。
大隅:いやー・・・どんなことを言ってましたっけ、僕?
志村:あのね、在宅をしている時に、お子さんたちと本当に友達になって話したりとか遊んだりしていて、最後になってもずっと友達でいるんだってことを話してらしたんです。
大隅:あー、でもそれは友達になれているかどうかはともかく、 なりたいとは思っていたいなといつも思っていて、どうやったら友達になれるかなっていう風な入り方をいつもしているつもりですね。やっぱりいくらお家とはいえ、お医者さんが現れて、しかも初めましてで、なんかしますよ〜って、普通に僕だったらすごく怖いし、なんなら拒否したいって僕だったら思っちゃうんですよね。だからどうやったら友達になれるかな?みたいなことは結構考えてます。
志村:そう、そしてその時に、ちょうどクリスマスの時にね、在宅でご訪問しているお宅のところにすみすみがサンタクロースの格好をして、ウクレレを持って遊びに行くというか診察しに行くのを見たことがあったんだけど、笑ってるんですよ、お子さんたちがね。
大隅:そうですね。
志村:で、お母さんも笑っていて、素敵だなと思って、時々あの画像を実は私こっそり拝見しているんです。
大隅:ありがとうございます(笑)
志村:そういう風なことをどうして始めようと思ったのかなと思って、本当に子どもたちが集まる専門の大きな病院でお勤めしていた方が、在宅医になろうと思ったきっかけって何かあったんですか?
大隅:何個かあるんですけど、1つはやっぱり僕は現場が好きで、患者さんと今みたいに関わっている仕事をしていたいという思いが結構強くて、長年やってきた専門の小児がんを活かして、現場にいられる道を探った結論が在宅というフィールドだったというふうに思っていて、もちろん先ほど申し上げたように、たくさん治ってくれた子もいるし、治せなかった経験もそれなりにあって、その子どもたちのことを思ったり、あとはお家に帰っていった子どもたちのことを思ったりして、自分の経験や知識が活かせる、かつ自分がこの選択は自分のためだと思っているんですけど、自分が自分らしくいられる現場にいたいと思って、突き詰めていったら在宅だったという感じですね。
志村:うん。

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志村:この前お会いした時に、最後の砦みたいなことをおっしゃっていたじゃないですか、子どもたちの最後を自分がちゃんと守るよというようなことをおっしゃっていたなと思っていて。
大隅:やっぱり状況が状況なので、痛みを取るとか辛いことを取るというのは、もう僕らの絶対の仕事なので、それは何が何でもやらなければいけなくて、結局どんだけおかしなことをしようが面白いことをしようが、 痛かったり苦しかったりしたら絶対に笑えないので人は。それを取るというのが医者としての絶対の仕事であるということの上に、自分が何かできたらなというのはいつも思っていますね。
志村:でも本当はそうそう簡単じゃないですよね、痛みを取るとかって。
大隅:はい。
志村:病院で痛みを感じているのと、もしくは病院で過ごすのと、家で過ごすのの違いって、どんなことがありますか?どっちがいいか悪いかじゃないんだけど。
大隅:そうですね。本当にどちらがいいとか悪いとかではないんですけど、 まあ自分自身に置き換えてもそうなんですけど、やっぱりお家にいるほうが穏やかでいられることが多いと思います、子どもたちも。やっぱりそこには家族がいて、兄弟がいたりして、日常が流れているっていうのがやっぱり大きいんだろうなと思っていて、なのでそれは大きな違いなんだろうなとはいつも思います。
志村:本当ですね、日常大事ですよね。
大隅:本当に。
志村:私いつも思うんだけど、病院にいると、家族の人も自分の子どものことが、家族なんだけども病気の子どもになるから、ま、病気はあるんだけどね、例えばおやつ1つ持っていくんでも、1個しか持っていかないんですよ、その子の分しか。で私はいつもお願いしていて、家族の分も一緒に持っていってって言ってるんです。
大隅:なるほど・・・・・・うーん、一緒に食べるってことですね。
志村:そうですそうです。だってお家だったら一緒におやつの時間が共有できて食べるのに、それを見守っている感じになるでしょ?食べるのを見ているだけみたいな。あれはなんかやっぱり孤になるんですよね。それは大人でも子どもでも、病院にいると孤になるんですよ。なので私は家族の分にしてもらってるの。
大隅:なんか・・・やっぱりご経験されてきた話だから、すごい重みがありますね。
志村:いやいや、そんなことないんですけど、だから時には御座を持って行って、座布団を持って行って、病室のところでお家っぽくして、ちょっとなんかお誕生日を祝ったりとかね。
大隅:なるほどね〜。やっぱり今の小児病院って、まあ僕の医者になった頃はそういう空気感が少しあったんですけど、ベッドとベッドがめちゃくちゃ近くて、子ども同士がキャッキャ飛び回ってるみたいな。やっぱり今感染の問題とか、あとはプライバシーとか、もういろんなことでどんどんなかなか交流すら難しい、もちろんコロナも大きかったんですけど、そこが本当に病院は難しいところで、病院の方々も皆さん一生懸命頑張ってるんですけど、でも本当に苦しいところですね。
志村:そう、カーテンを個々に引かなきゃいけなくなっちゃって、あれが切ないですね。
大隅:そうなんですよね。でみんなカーテン閉じちゃうとなかなか開けてくれなくて・・・とかっていうのが本当に苦しいなって思いますね。
志村:そうなんですよ、なのでお友達ができにくくなっちゃったりとかしてますねー。
大隅:それは本当にそうですね。うーん・・・。
志村:うーん・・・。あのう、今ね、髪長くしていらっしゃいますよね。
大隅:はい、何年か前に関わらせていただいた患者さんが、結構長いことお家に訪問させてもらった子で、その子がある日僕に髪伸ばしてるんだよねって言ったんですね。その時に僕が本当に軽い気持ちで、おーそうなんだとか言って、ちょっと付き合うよとか言っちゃったんですよね、ポロッと。それ以来、僕もともと髪切るのすごく嫌いで、それを理由に髪切らなくていいやーぐらいに思ってたんですよね。ただ残念ながら、その子は亡くなってしまったんですけど、そうなった時に、ちょっとまあもともと髪切るの好きじゃないっていうのもあるんですけど、美容院も行きたくないし、 じゃあこのまま伸ばしてしまって、ヘアドネーションって言って髪の毛を寄付することができるんですけど、それを目指そうということで、今だらだらと伸ばしております・・・(笑)
志村:あと何センチくらいでドネーションできるんですか?
大隅:多分・・全部で30センチですよね。
志村:ですよね。
大隅:坊主になればいけるかなっていうぐらいなので、 さすがにちょっと坊主にならない程度に、あと10センチ、20センチかなとは思っています。
志村:そうか、じゃああと1〜2年ですね。
大隅:そうですね、そう思います。
志村:そうか。

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志村:話が戻りますけど、今は在宅のご活動をなさっていて、で、お子さんが亡くなったり、兄弟も含めて、家族の中で1人いなくなっちゃうっていうのは、すごくもう辛いことじゃないですか。 4人だった家族が3人になっちゃったとか、その1人減ってしまったっていう風な大きな喪失をご覧になって、どんなことを感じて今のご活動に結びついたのかなっていうこともお聞いていいですか?
大隅:はい、もともと病院で亡くなっていった子どもとご家族とは、よくドラマとかではお辞儀をしてお送りするっていう風景を見たことがある方がいらっしゃると思うんですけど、あれで基本的にはお会いすることも連絡を取ることもなくなることがほとんどなんですね。で、それは病院という立場とかいろんなことを考えて、自分自身としても受け入れていたし、あるいは逆に、言い方難しいけど救われてたみたいな気持ちもあったのかもしれないなって思う部分もあって、一方で在宅に来て、濃厚に最期といわれる時間を一緒に過ごした子どもとご家族と兄弟とがいて、やっぱりシンプルにその方々とのつながりというものを、できればそこで終わりにしたくないなっていうのが根本的な気持ちであって、先ほど言っていただいたような、その子が亡くなった悲しさとか喪失とかを、自分自身が何かできるということはちょっと全然思えなくて、ただ僕ができることがあるとすると、その子との思い出とかを僕が覚えている人であるということはできるなと思って、その上でつながりを細々でもつないでおかせてもらえれば、自分のできることかもしれないなというのは思っていました。
志村:あー、そっかー、何より嬉しいでしょうね。
大隅:少なくとも気になるので、どうしてるかなとか、もちろん会いに行ければ会いに行きたいんですけど、ちょっととても皆さんに会いに行くことは難しいので、その結果来ていただける方は集まっていただこうという場を作ることにしたということなんですけどね。
志村:うーん。1年に、
大隅:2回ですかね。
志村:2回?大きな公園で集まったりとか、桜の咲く頃とかでしたっけ?
大隅:はい、もともとはやっぱり兄弟たちがどうしてるかなとか、本当に彼らの成長とかを見守らせてもらえればという思いもあって、それもきっかけだったんですけど、そこから広げてご家族とか、あるいは同じ体験をしたご家族、兄弟同士が緩くつながってくれたらいいなという思いを持っていて、そういう待ち合わせ場所を作りたいなという会ですね。
志村:私も少しだけその会を拝見をして、同窓会みたいな感じかなー?私から見た感じって。
大隅:あー、それはわかる気がします。あの時本当に久しぶりに会えた方がいて、もう本当にシンプルに嬉しくて・・・忙しいだろうし、来るのにもそれなりにエネルギーがいると思うんですよ。わざわざ、ね、診療所のお医者さんに会いに行くって、いくら誘われたとはいえ、それを知って来てくれたということが本当に嬉しいですしね、ありがたいなって思いましたね。
志村:もうなんか私はすみすみは謙虚だからね、そうやって思うかもしれないけど、あの熱量って言ったらすごくて、もうなんかエレベーター降りた瞬間に、もうパッと、先生!とかって言って、ダダダダーって感じで、そしておもむろにポケットから、またはバッグから、亡くなったお子さんの写真を取り出して、こんな風になったよーとかって、一緒になって見ているシーンがあったりとか。
大隅:そうでしたね。やっぱり子どもの思い出がそこで止まってしまうので、新しい更新はされないわけですよね。でもそれまでにあった時間があるわけだし、そんな長い間じゃないけど自分との思い出もあるので、それは一緒に語れたらなっていつも思いますね。
志村:ね、そういう素敵な時間を過ごしているんだなって思って、そしてもう1
つ、すみすみご自身がやっているご活動の中で、1年に1回、お母さんやお父さん、そしてご兄弟を再会させるような感じで集いの場があって、そこでもやっぱりウクレレを弾いて、歌を歌って、みんなが嬉しそうにしていて、そこに参加していて、ゲームしたりとか、おやつ食べたりとかして遊んでいるでしょう?
大隅:そうですねー。本当、なんかあの場はやってみようと思って、最初はどうなるかなーと思ったんですけど、やっぱり毎回来てくださるお父さんお母さんがいてくれて、その方々も一緒に守ってくれている感じで、あと手伝ってくれている友達やスタッフがいて、本当に温かい場におかげさまでなっているので、続けていきたいなって思いますね。
志村:本当ですねー、続けていただきたいです、ぜひとも。
大隅:はい。
志村:うーん。なんかその時が止まった人が家族の中に1人いるということと、そのお子さんのことは止まっているけど、でも生き残った人たちはまた時が進んでるじゃないですか。そういうふうな時の流れというのも、やっぱり知って欲しいんだろうななんて思いました。
大隅:そうですよねー。すごく聞いてくださっている方とかは、お父さんお母さんたちが癒やされたいというか、楽になりたいというか、辛さを減らしたいってもちろん思っていらっしゃる部分もあると思うんだけれども、でもお子さんを亡くした親御さんたちって、どっちかというと、その子どものことを忘れたくないとか、悲しみを抱きしめていたいという思いが強い方が多いと思っていて、なので僕がそういう場でしたいのは、決してその方々に何か癒やしとかそういうものを提供したいということではなくて、結果そうなったらもちろんそれでいいんですけど、悲しみや涙や苦しかった経験とか、そういうものをちょっとずつでもシェアして、みんなでちょっとずつ肩代わりして、輪になってみんなで支えている感じにつながっていけばいいかなって思っています。
志村:うーん。もしかしたらそれって、今元気な人たちも同じかもしれないですね。辛いことがあったときに、どうにもできない苦しみって生きているとあるじゃないですか。それは死に直結しなくても、でもそこにこう、どうもできないんだけれども、でもそこに同じように仲間や家族や友達、もしくは初めて出会ったようなお店の店員さんでもいいんだけれども、そういう人が、あ、なんかそばにいてくれるなと思うのも、やっぱり違いますよね。
大隅:本当にそうですよね。それこそ最初に言ったように、暗闇の中の体温じゃないですけど、真っ暗だって思っても温もりとか体温とかそういうものが感じられたときに、ほっとできるってあるのかなと思いますね。
志村:うん。

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志村:そもそも、すみすみは何で小児科医になろうと思ったの?
大隅:もともと医学部入ったときは全然違うことをしようと思ってて、ずっとサッカー部だったので、スポーツ関係のドクターみたいなものに憧れてたんですけど、まあなんか医学部入っていろいろ見るうちにちょっとそっちじゃないなとか、もともとそんなに器用じゃないから手術ダメだなとか思ったりとかいろいろあって、自分がお医者さんになるっていうときにすごく目標というか立てたんですけど、自分がどうやったらお医者さん!っていう感じにならずに、普通の人、要するに患者さんと遠くにならないでいられるかっていうのをすごい思ったし、普通の人でいようっていうのが僕のずっと目標だったんですね。学生時代にそう思って、でそうなったときに、自分がどういうのを仕事にすればいいかなっていうときに、やっぱり子どもっていうわかりやすい、病気になったときにみんなが治してほしいし、もちろん本人もだけど医療者みんなが治したいし、希望じゃないですか、そこを治すっていう。そこが明らかに世界観が純粋だし、わかりやすいから、そこにずっといれば自分は普通の人でいられるんじゃないかって思って小児科を選んだんですよね。
志村:あー、そうだったんだー。そもそも私が「すみすみ」なんて呼んでもいいぐらいにフラットな方なんだけれども、どこからそういうふうに「普通の人でいよう」っていうふうにおごらないっていうか、いつからそうなってたの?
大隅:でもやっぱり医学部入って、たくさんのお医者さんたちを見るわけなんですけど、まあその前も原風景もそうだったかもしれないですけど、お医者さんってやっぱり怖くて遠くてすごく大きな存在だなって思って、その圧倒的な上下関係というか、患者さんに対する、年が断然下だろうが先生と呼ばれて、そういう構造を学生時代にすごい怖いなって思って、自分は常に意識していないと絶対に自分がおごっていくという、それしか見えなかったんですよね。逆にそうならないためにどうしたらいいかという道は本当に常に思っていますし、その小児科という流れでやっぱりがんを選んだというのも多分そうだし、もっと言うと在宅を選んだというのも、やっぱり結局子どものため、患者さんのためということももちろんないとは言わないんですけど、どちらかというと先ほど言ったように、自分らしく自分であるための場所をずっと選んでるという感じがします。
志村:大事ですね。自分を見失わないというか何て言うか、そういう生き方って本当にとっても大切だと思います。この森でお聞きしたいんですけど、このラジオっていろんな方がお聞きになっていて、元気な方もいれば、そうじゃない方もいらして、明日ちょっと元気で、新しい月曜日を迎えるために、何かいいお言葉があったら教えてほしいんです。
大隅:うーん、やっぱり僕の関わっている方とかもそうなんですけど、すごくなんか、真っ暗っていうか、真っ暗っていうと、真っ暗の中にいながら真っ暗の話をするのもあれなんですけど、そういう時ってあると思っていて、あるいはそういう人をケアする人もそうかもしれないんですけど、僕はいつも自分がやっていることというか意識していることで、自分の心に灯台、岬にある灯台をイメージするんですね、ちっちゃい灯台を。灯台ってそれこそ真っ暗の中で、そんなに遠くは照らせないんですけど、自分の周りは照らしたり、安全を確保できる存在だと思っていて、自分が灯台みたいにいればいいんだって思うと、すごく大きなことはできなくても、明るく照らすとか、それこそ温もりをそこに感じてもらうとか、そういうことはできるんじゃないかなって思っていつも活動しているんです。なので、皆さんが時に灯台というイメージを持ってもらえたら、何かいいことがあるかもしれないなと思ってお伝えしました。
志村:あー、そっか、自分がちょっと灯台のようになって、あ、今日、例えばだけど家族に明かりを届けようかなとか、見知らぬ人に届けちゃおうかなとか、そんなふうになれたら素敵ですね。
大隅:はい。
志村:照らすと相手のことも見えてくるもんね。
大隅:そうですね。やっぱり自分自身も照らしてあげてほしいですしね。
志村:本当に。ありがとうございます。
大隅:ありがとうございました。



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