DIALOGUE RADIO -IN THE DARK-

日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。

EVERY SECOND SUNDAY

25:00-26:00 ON AIR

真っ暗闇の中で、心と対話する時間を。
志村 季世恵の写真

志村 季世恵

バースセラピスト

板井 麻衣子の写真

板井 麻衣子

J-WAVE NAVIGATOR

MESSAGE TO STUDIO

MESSAGE

人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。


2020.05.10
GUEST

第23回のゲストは熊谷晋一郎さんでした

第24回は、視覚障害者のアテンドを
迎えてのトークセッションです

※5月の放送は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の会場ではなく、
スタジオと自宅を繋いでのリモート対談でお届けします。


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DIALOGUE

志村:熊谷先生、ご無沙汰しております。
熊谷:ご無沙汰しております。
志村:あのう、普段ですと、真っ暗い暗闇の中で本当は先生をお迎えして、そしてその暗闇の中で時間も忘れて対話ができたらと思っていたんですけど、今日はネットを繋いでお話できたらいいなと思って、先生をお招きしています。
2人:よろしくお願い致します。
志村:先生と初めてお会いしてから6年ぐらい経ってると思うんですけど、でもこの時だからこそ先生にお話伺いたいなと思う気持ちが募っていまして・・・そもそも先生のことをご紹介したいなと思ってるんですが、先生は、東京大学の先端科学研究所の准教授でいらっしゃいますが、その前に小児科の先生でいらっしゃいましたよね?
熊谷:そうですね、はい。
志村:はい。その先生のご活動のことも含めてちょっとお話伺いたいんですけど、よろしいでしょうか?
熊谷:はい。私自身は生まれつきの脳性麻痺という身体障害を持っておりまして、幼少期はリハビリを一生懸命受けていて、当時は70年代っていうのはまだ健常者にみんなを近づけるというんでしょうかね、そういうことが目指されていた時代で、幼少期は1日何時間もリハビリをして、健常者と同じように体を動かせるようになるように一生懸命努力しておりました。で、そういう時代があって、しかしリハビリの効果はそれほど大きくないということが80年代ぐらいからわかるようになってきて、ちょうど過渡期に幼少期を過ごして、その後、色々な経緯があって小児科医になりまして・・・言ってみれば、かつては小児科医に治療される側なんですけど、今度は支援をする側に回ったという経験の中で、その間のギャップというんでしょうかね、ドーバー海峡があるといいますか、そのギャップがあるっていうんですかね、そういう風なことを感じるようになってきました。
志村:うーーーん。そのドーバー海峡ぐらいのギャップっていうお話、少しだけお聞きしてもよろしいでしょうか?
熊谷:そうですね、そもそも健常者に近づくという目標設定自体、当事者から生み出されたものなのか?という風に考えると、必ずしもそうではないわけですよね。むしろ周囲の人々や社会全体が当時そういう風なことを望ましいと考えていたと。しかしそれが大きく風向きが変わったのが、同じく1980年〜90年ぐらいでしょうかね、障害を持ってる本人にとっての回復の定義を打ち出そうと。で、その結果精神障害からの回復というのは決して症状がなくなることではなくて、症状がありながらであっても、地域の中で人々との繋がりを保ち、そして未来に希望を持って等身大の自分のアイデンティティというものを構築すると。そこを羅針盤にしながら、全ての研究をもう一度組み立て直すというような、大きなパラダイムシフトが来ておりますね。
志村:は〜それは本当に素晴らしいですね。まあ、本当はもっと早くからできたらよかったと思うんですけど、その研究を先生は当事者の方たちと共にやっていらっしゃるんですよね?今。
熊谷:そうですね。
志村:あのう、それは障害があるとかないとか、それだけではなくて、それぞれが・・・人って誰でも自分になにか問題を感じていたり抱えていると思うんですけど、そういうことを先生は、例えば世の中のお母さんたちとやっていらっしゃったりとか。
熊谷:そうですね、あのう、大なり小なり苦労を抱えてる人ですね、困難を抱えている人のことを広く”当事者”と呼ぶことだと。そういう意味ではほとんどの人々が当事者ということになると思うんですね。で、まあ誰でもそうですけど苦労を抱えた時っていうのは、例えば本を読んでヒントがないか調べたり、あるいは似た苦労を抱えている人のところに行ってアドバイスをもらったりとか、色々な取り組みを既にみなさんやっていらっしゃると思うんですね。ただ、自分と同じ苦労を持っている人を探そうにも、周りを見てもほとんどいないとか、世の中にそういった当事者研究しづらい、マイノリティ的な苦労と言いますか、それを抱え込んでいる人たちがいると。とりわけ、今パンデミックもそうかもしれませんが、苦労というのはある種、個人と社会の摩擦のようなもの、そういう側面がありますのでね、今のようなパンデミックが起きれば、相当数の人たちがミスマッチを経験していると思います。
志村:そうですよね。これで環境変わった中で、順応できない人が多いはずですものね。
熊谷:そう思いますね。
志村:それを先生は今どうやってご覧になっているのかな?ってこともお伺いしたかったんです。
熊谷:ええ。本当にそうですね、私の関心ごとは、やはり人々の多様性の方にありますのでね、感染症のシミュレーションのモデルの中では均質な人口を前提にして対策が立てられることが少なからずありますよね。それがもたらすであろう・・そういった対策が見逃すのはどういった部分なのか?っていうことに、非常に私は関心を持っているわけです。で、1人の人の中でも障害が増えた部分があれば、減った部分もあるかもしれません。
志村:はい、あるかもしれないです。
熊谷:ええ。それらを細かく細かく見ていくっていうことが非常に重要ですし、その作業を飛ばしてしまうと、結局はこの感染症全体の対策としても不十分になってしまう、という風なことがとても重要なポイントじゃないかなと思っています。
志村:そうですね、その中に入らない方たちも当然いるということですよね。
熊谷:そうですね、その通りですね。
志村:そっか・・あのう、話を少し戻してしまいますけど、「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」をやっていて、ちょうど東日本大震災があった時に、私はその時は視覚障害者だけと仕事をしていたんですけど、目が見えない人たちがある時つぶやいたんですね。「地震の後にびっくりしたことがあって・・」って言うんです。「どんなことがびっくりしたの?」って言ったら「知らない内に自分たちはマジョリティになっちゃってた」って言ったんですね。
熊谷:あーー・・・はい、はい。
志村:今までマイノリティの専門家だと思っていたんだけど、被災した人たちから考えれば、自分たち被災しなかった人間はマジョリティになってしまったという風に言ったんですね。
熊谷:なるほど、なるほど、なるほど。
志村:そういう風に立場が変わることを考えていなかったって言ったんです。これがどんな状況だとしてみても、同じだと思っていたものが、まるでなんかこう頭をハンマーで殴られたようにびっくりしたって言ったんですね。それは私すごく興味深く話を聞いてたんです。で、今なにができるかって相談した時に、少し邪魔にならないことができるとすれば、東北に行きたいって言ったんですね。
熊谷:あーなるほど。
志村:で、どうして行きたいの?って言ったらマイノリティの専門家だった自分たちは、マイノリティの人たちに対してアドバイスできるはずだって言ったんですね。それは例えば、この助けは必要だけどこの助けはいらないよ、とか、感謝は持って伝えることはできるけど、ここは本当は自分たちでやりたいんだとかっていうのが実はいっぱいある。それを今突然弱くなったみなさんが、なんでもやってもらうことによって感謝しなきゃいけないって思い過ぎてしまったことが負担になってしまうのは1番辛いし、自立が遅れて行ってしまうだろうから、それは自分たちが1番言いやすいんじゃないかって言っていたんです。
熊谷:なるほど、なるほど。
志村:で、東北に行ったんです。で、津波というのがまずわからないので、言葉ではわかるけれども実は見えていないので、映像では見えない。で、そこでその場に行って、みんなで目が見えない人たちはくねって曲がったガードレールを手で触ったり、体感でその津波を感じていくんですね。で、ある時に基礎だけが残っている住宅地があって、もうおうちは全部なくなってしまったんですよね。その基礎だけのおうちに入って行った時に、ぬいぐるみが1つ置いてあったんです。それを触って「ここは子供部屋だったんだね」って言ったんですね。それは、目で見た私たちとは違った形で津波を見ていて、よりリアルに感じてることがあるんだなと思ったんですね。
熊谷:なるほど、なるほど。
志村:その人たちが東北で伝えていく言葉っていうのはすごく大きかったんです。で、今回も同じような感じで、まあ、感染リスクがあるので大きなことが出来ないんだけれども、でも自分たちなら出来ることがある、ということで、オンラインを使って学校に行けなくなってしまった子供たちに対して”オンラインスタディ”と言って、見えない自分たちと見える君たちと友達になって、教え合いっこしよう、なんてことがあったんですね。
熊谷:なるほど、ええ。
志村:で、その時に不登校のお子さんたちも来てくださったんです。初めは画面になるべく写らないような感じで、半分だけ姿が映ってるんですね。ところがだんだん真ん中に来て、ちゃんと中央に座るようになったんです。
熊谷:あーなるほど。
志村:そういう風なことをしていきながら、今までやったことがない、私たちは暗闇が1番の中心だったんですけど、暗闇から外に出て、今自分たちができることをやっていこうとしてるのは、これは先生がおっしゃっていた、もしかしたら弱かった自分たちなんだけれども、形を変えると提供できる自分たちになるって風に言ったんですね。それは本当にそうだなと思っていまして、もしかしたらそれはダイアローグだけじゃなくて、色んな方たちがそれを思ってるかもしれないし、不登校のお子さんも面白いこと言ったんですけど「今はみんなが不登校になってるからね」って言ったんですね。
熊谷:そうですね、本当にそうですね。
志村:はい。そういう風にこう、大変だ大変だ!って言う中に、もしかしたら力を溜めている人たちもいるかもしれないし、また本当に大変な状態で誰かに助けてって言うべきなところもあるかもしれない・・・でもやっぱり「助けて」ってことを知らない人たちってたくさんいると思うんですね。その言葉が言えないみたいな。
熊谷:そうですね。
志村:はい。で、そういう風な時にどうしたらいいのかな?ってことを感じたりしてるんです。
熊谷:そうですね〜〜。
志村:はい。
熊谷:まさに「助けて」が言いやすい苦労と、「助けて」が言いづらい苦労がありますよね。比較的最近の社会変動によって大きく発生した苦労に関しては、それを表現して伝える言葉がまだないっていう風なところがあります。2つ目がですね、自己責任とみなされやすい苦労ですね。これも非常に厄介です。つまり本人が責められかねない苦労なわけですね。これは本当は本人の自己責任ではないんだけれども、世の中の多くの人はそういった苦労は、結局その本人が怠けていたせいじゃないかとか、ワガママなんじゃないかっていうような形で偏見を持ってしまうタイプの苦労というものが、世の中には残念ながらあります。そういった「自己責任化」されやすい苦労っていうのも実は「助けて」が言いづらい苦労の1つなんですよね。
志村:なるほど・・・。
熊谷:なので、この2つ、他にも様々な理由があるかもしれませんが、「言葉がない」ってことと、「自己責任化」の圧力が強い。この2つの苦労が恐らく置き去りにされやすい苦労ですし、そしてこういった状況下では特にしっかりと目を凝らして見つめなきゃいけない苦労だと思いますね。
志村:うーんそうですね。それってこういうことにも共通しますか?例えば新型コロナウィルスに感染してしまった方、テレビでも見てると「感染してしまって申し訳ない」って言葉をよく出されてますよね。
熊谷:あーほんっとにそうですね・・・うーん。
志村:私はあれを聞いてて本当に胸が痛くて、好きで感染したわけじゃないのに・・・。
熊谷:全くその通りですね。あのう、実は差別の研究の中にこういった研究があるんですね。まあ、古今東西いろいろな属性と言いますが、カテゴリーってありますよね、人々を分類する、例えば性別で分類することもあれば、障害の有無で分類することもあります。感染症の有無で分類することもあるかもしれませんね。色んな属性がありますけども、どういった属性が差別の対象になりやすいか、という研究があるんですけど。古今東西いろいろな文化圏で比較した時に1つ浮かび上がってきた共通項というのは、それが「自己責任によってその属性に割り当てられた」という風に間違って信じられている属性ですね。これが差別の対象になりやすいっていうことが言われています。
志村:うーん。
熊谷:確かに感染予防を個人の努力で気をつけましょうというメッセージは、それ自体とても大事なことではあるんですけど、それとセットで常に考えなくていけないのは、「どんなに気をつけていても感染する時は感染する」わけですね。
志村:そうですね。
熊谷:ですから、その感染という現象が「自己責任論」になってしまうと、その感染症、コロナの感染症にかかった人の属性を差別する圧力が増してしまうということが想像されるわけですね。
志村:はい、そう思います。
熊谷:なので「こういった予防を個人の努力でこうしましょう」というメッセージと共に、「そういった差別にも同時にアンテナを張ってそこに陥らないようにしましょう」というメッセージはセットで発信しなくてはいけませんね。
志村:本当にそう思います。家族全体で、まあ、家族ではないですね、そのご自身がかかって、その身内まで責められてしまって・・っていうこともありますよね・・・。
熊谷:ええ、本当にそうですね・・。
志村:それは本当に昔のような出来事のように思うんですけど、でもまた繰り返してしまうんだなって・・
熊谷:おっしゃる通りです。
志村:はい、今すごく辛くて、ここは本当に先生おっしゃっていたようにセットで放送してもらえると嬉しいなといつも思っていますし、自分たちもそれは気を付けなければいけないんだなって思っていて・・・
熊谷:おっしゃる通りですね。
志村:はい・・。
熊谷:ウィルス以外に色んなものが広がりやすい状況になっているので、そこでどういったことを広げていくかですよね。
志村:本当ですね。
熊谷:ええ。そういった思いやりに満ちたというか、コンパッショネイトと言うんですかね、そういったものをどう広げていくのかっていうことも積極的に考えなければいけませんよね。
志村:そうですね、新たな感染症ですよね。
熊谷:その通りですね。

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志村:先生は、今こう・・なにを1番大切にしたいっていうお気持ちとかはありますか?
熊谷:そうですね、たくさんあります。あのう・・・まだまだ多様な人々がいますので、それぞれに障害が増えた部分、減った部分はあるので、それを簡単に要約することは出来ないって感じているんですけど、私の身の回りで起きていることのいくつかはぜひ伝えておかなくてはいけないなと思っています。
志村:はい。
熊谷:1つには、60年代、70年代に身体障害者運動が目指してきた運動というものがあるんですけど、今回のCOVIDの大きな社会変動というものがそれを逆向きに戻してしまう部分が数多くあるんですね。例えば、障害者運動の中でとても大事にしてきたのはなにかと言いますと、家族だけの介護ですね。家族だけに介護を受けるということは、とても危険なことだっていうことをこれまで主張してきたわけです。
志村:そうですね。
熊谷:それはなぜかというと、障害者の側から見ると、自分が生存するために頼れる人が家族しかいない状況っていうのはすごく脆弱な状況なんですね。なぜかというと、自分のある種、生存の無条件を握られてしまうというか、悪意はなくても家族がどんなに愛情深かったとしても、どうしても家族の顔色を伺ってしまったり、どうしても上下関係というとあれですけどね、権力関係がその人との間に生まれやすくなるわけです。で、今度家族の側から見ても、全ての介護の負担を自分だけが背負わないといけないという状況は、まず第一にとてもコストのかかることですし、そして別の様々な活動のチャンスを失う、そういうことにもなりますよね。つまり負担なわけです。
志村:うーん。
熊谷:そういう状況というのは、つまり介護を受ける側も支配されやすく、介護をする側も負担を感じるという状況というのは、とても暴力が発生しやすい状況をそこに生み出すわけですね。ですから、介護される側とする側の人数の比率と言うんでしょうかね、そこが暴力を免れて、尊厳ある暮らしを営むには重要だということで・・家族というのはどうしても1人か2人ぐらいしか頼れる人がいないと。で、大規模な施設も同様に、障害者10人に対して介助者が1人しかいないとかですね、そういう風に人数が圧倒的に、介護する側が少なくなりがちだったりします。
志村:はい。
熊谷:そういう人数比が介護者の方が少ない状況というのはなるべく避けて、たくさんの人にたくさんの介護者に暮らしを支えてもらうっていうことを主張してきました。
志村:はい。
熊谷:でそれは地域の中で、家族でもなく、施設でもない場所で暮らすということを目指す活動だったわけですけど、こういった不特定多数のたくさんの人とソーシャルディスタンスを保たない状況で暮らしを回していくことを目指してきたわけですが、これは感染症という観点から見たときに、どうしても鋭い対立が生じるわけですね。
志村:そうですね・・・。
熊谷:だけれども、それを譲るわけにもいかないわけです。ですから今、国内・国外問わず身体障害を持った人たちの団体では、そのソーシャルディスタンスっていう均質なモデルを前提とした考え方っていうのを全ての人に適用するのは乱暴であって、そういった多様な人に複線的に支えてもらう・・・そしてどうしても身体的な密接な関係は避けられない、そういった人々に対するサポートと言うんでしょうか・・感染を予防しつつ生活を回すというようなことを確保する方向性を模索している、という状況ですね。
志村:うーん。
熊谷:ですので、なんて言うんでしょう、これまで目指してきた方向っていうのはそっちの方なんですけど、感染症っていうのはまた別のロジックで向かい風になるっていうところは、どうしてもあります。
志村:そうですね、分かります・・・それはね・・・。
熊谷:同じことは多分、子育て世代、障害を持っているお子さんであろうがなかろうが、大なり小なり介護とかケア、まあ子育てもケアの一種ですけどね、ケアっていうものを家族の中に閉じるのではなく社会化するっていう方向で、これまでの私たちの半世紀っていうのは歩んできましたね。仕事をしながら保育園に預けて、ケアの一部を社会化して暮らしていくっていうことが目指されてきた半世紀だったと思うんですが、それが今回の感染症で向かい風に晒されているっていうのは、多分普遍的な傾向だと思いますね。
志村:本当ですね・・よく分かります、例えば私たちの仲間もそうですね、2メートルのソーシャルディスタンスを保ちなさいって言われていても、そもそも目が見えない人は2メートルが分からないよっていうことがあったりとか、人にサポートをお願いしたくても声を掛けにくくなってしまっているみたいなことがあったりとか、お買い物するのでも物を触って初めて何があるかが分かるんだけれども、それも分かりにくいとか。子供も育てているし、ご飯も作らなきゃいけない、買い物も行かなきゃいけない、でもヘルパーさん呼ぶにもちょっとなにか抵抗がある、なにか感染させてしまったらどうしようとか、または逆なことが起きるかもしれないとか。そうすると自分で頑張ろうと思ってしまう。でもそこに無理がやっぱりありますよね、それは世の中のお母さんもみなさん一緒だと思うんですけど、お父さんも含めて、なにかココがきっとすごく向かい風なんだけれどもそれを超えることが出来たらいいなって今思っています。
熊谷:そうですね、おっしゃる通りです。
志村:先生のおっしゃる通りで、私たちも今「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」は自粛状態になっていまして、3月から暗闇が使えないので、今仕事は出来ていないわけですね。
熊谷:あー、なるほど・・なるほど。
志村:みんな自宅で過ごしています。で、なにを1番心配するかというと、自立した生活をして親元を出てきて東京で暮らす、そしてダイアローグに頼ってくる・・っていうことが危うくなってしまうかもしれないっていう。でまた、同じように・・まあ、それは以前だったんですけど、言葉でずっと残っているのは「またただのお母さんの子供に戻っちゃうんだ」って言った人がいたんですね。
熊谷:あーー・・・・・・深い言葉ですね。
志村:そうですね。それはきっと色んなことがあったんだろうってそこで気付くんですけど、その家庭内で起きたこととか。それで、私はなにも出来なくなって、ダイアローグのアテンドをしていた自分がそうではなくなって、1つの部屋にこもってそこで同じ机のところでずっと座る自分が目に浮かぶって言ったんですね。
熊谷:なるほど・・・・。
志村:あーもうそれは絶対させてはいけないなって思った時に、今自分たちができることをちゃんと把握してやっていくことだな、と思っていて。今私も先生のおっしゃったことと同じように「出来ること」「しなければいけないこと」・・・あのう・・・うーん・・言葉にするのが難しいぐらいで本当に考えています。
熊谷:ええ・・本当にあのう、なんて言うんでしょう、きめ細やかさと言うんでしょうかね、一律に2メートル距離を開けなさいとか、外出をしちゃいけませんとか、そういう風に言わなくてはいけない・・・時代なんだろうかというかですね、多様性という意味でもそうですし、人々を細かく、きめ細やかに見ていくための技術っていうのは、前回のパンデミックに比べてもどんどん人々は開発していると言うんでしょうかね、前よりもずっときめ細やかに見れるためのテクノロジーっていうものはあると思うんですよね。
志村:はい。
熊谷:そういったことを考えた時に、もう少しやはり・・まあちょっと話は繰り返しになりますけど、1人1人の多様性に即した形で、もちろん感染症を蔓延させないということは当然両立させなくてはいけないですけど、もっときめ細やかに出来ないものだろうかっていう風なことは感じますよね。
志村:そうですね、どうしても少数派である、私たちのような仕事をしていると、その後にフォローが来るかもしれませんが中心には来ないので、そこのギャップはだいぶ大きいですものね。
熊谷:ええ、ええ・・・そうですね。
志村:はい。でもこの時代だからこそ色んな技術があり、それを使うことがあったらいいわけですもんね。
熊谷:いや、本当にそうだと思います。
志村:うーん、本当に、アテンドの1人が言ってましたけど「いや、実は俺たちもいつも、いつ震災があってもおかしくない、自分が震災の震源地のようなところがあるしさ」とか。
熊谷:そうですね、そうですね。
志村:または、リスク?感染リスクも1番自分たちが持っているかもしれないみたいな、その中で生きていて、工夫して、そうならないように。その工夫とか立場が生かされればだろうから、今ココでそれを発揮したいっていうのはみんな言っていますね〜。
熊谷:そうですね〜〜。
志村:はい。そうすると、今初めてさっきおっしゃった、社会化していたそのお母さんたちが、あ、どうしたらいいんだろう?って思った時に、こうやってやったらいいんだよって知恵がもしかしたらあるかもしれないし、そんなことが具体的に出来たらいいんじゃないかなって思いますよね。
熊谷:そう思います。
志村:うーん。あ〜なんか、心強くなってきました。
熊谷:あ〜、ええ。

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志村:あのう先生、今ですね、本当にその・・今日このラジオを聞いてる方たち、ちょっと眠れないなとか、それから明日どうしようって思う方もいらっしゃると思うんですね、それは障害はあってもなくても今こんな状態なので。そういう時に先生は、どのようなメッセージをお掛けになりますか・・?
熊谷:そうですね〜〜。
志村:はい。
熊谷:あのう、多分「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」も共有している重要な「ダイアローグ」という・・・なんて言うんでしょうね、あのう・・・「ダイアローグ」という側面って言うんでしょうか。明日のことが不安で1人ぐるぐると考えてしまうっていうのは、言ってみれば「モノローグ」の状況ですよね。自分1人で、自己内、自分の中で対話をしてしまうモノローグな状況だと思うんですけれども、それをどうダイアローグに広げていくのか?っていうことがすごく大事だと思うんですね。とりわけ、こういった分断が合理化される状況下では、人々がダイアローグの空間から排除されて、モノローグの密室に押し込められていくっていうことが容易に起きやすいですよね。どういう風にこの分断された、分断が正当化されている状況下において、ダイアローグの空間を切り開いていくのかっていうことがとても大事だと思うんですね。当事者研究もそういったところがありますので、どうやってまずそれこそ、ウェブなどを活用して、どうやって対話の空間をキープするのか?っていうことが大きなテーマにはなってきています。
志村:はい。
熊谷:まあとりわけ、長年対話によって自分たちの回復を成し遂げてきた依存症の当事者グループの方々が、まあ、依存症もやはりモノローグの病といったところがありますので、それを自助グループという枠組みでダイアローグに開き続けることで、ようやくその依存行動から距離を置くことが出来ると。だけでもそれはミーティングに、自助グループに通い続けなければ、すぐさまモノローグの世界に戻ってしまって、薬物やアルコールを使うことになっていくっていうことが、まあこの100年ぐらいの知恵の蓄積としてあるわけですけども、依存症のグループの方々にとっては死活問題と言いますか、そのダイアローグの空間をどうやってCOVID化においても開き続けるかっていうことがとっても大事な課題になっていて、で、既に様々なグループが試行錯誤を重ねてノウハウを蓄積して・・・っていうところがあると思います。
志村:はい。
熊谷:私はもう依存症とかマイノリティに限らず、そういったその、これを機会にと言いますかね、対話の空間をあちこちに張り巡らして行っていいんじゃないかな、という風に・・ひとまず当面はウェブなどが活用されることになるとは思うんですけども、そういった活動はどんどん広げていく必要があるんじゃないかなと、思っていますね。
志村:そうですね〜、うーーん。
熊谷:ええ。
志村:繋がっていくっていうことはとても大切なことですね。
熊谷:そうですね〜〜。どうしても自分1人で考えを進めてしまいますと、悪い方に悪い方に考えてしまうことっていうのはどうしても珍しくないですし・・・。
志村:そうですね。
熊谷:特にこういった不確実な情報・・ですね、今状況がどうなるのかハッキリしない、誰も正解を教えてくれないような状況下では、とりわけそういったモノローグがぐるぐると追い詰めていくと言うんでしょうかね、そういう状況になりやすいと思います。
志村:ありがとうございます。「モノローグ」・・このラジオを聞いていらっしゃって、そこからちょっと外に出ていただいて、まあ、実質的な外じゃなくても、あーそうだ、ちょっと喋ってみようかなとか、話ししてみようかなっていうようなことが家の中だけじゃなくて、本当はそのネットを繋げばあるかもしれない?その第一歩が出来たらいいですね〜〜。
熊谷:そうですね〜、まあ私たちも細々とではありますけども、”当事者研究”という場をですね、ウェブ上で、より多くの人が活用できるように準備を進めておりますので、ぜひそういったものも活用していただけたら有難いなと思います。
志村:はい。いやー、先生でもお忙しいですね、きっととっても、この状況になってくるとさらに。
熊谷:まあ中々こう、あのう、大きな変化に適応するので精一杯という1ヶ月でしたね。
志村:はい。あの、先生、じゃあ私たち今日ここでこうやってお会い出来たことはすごく私にとっては幸せな時間でした。
熊谷:こちらこそありがとうございました。
志村:これを聞いていただいた方々が、あ、そっかっと思って下さって、また新しい明日を見つけていただけたら嬉しいなって思っています。
熊谷:そうですね、ええ。
志村:はい。なにか工夫がね、見つかると思うんですよね。
熊谷:そうですね。
志村:少しでもちっちゃな工夫でもいいんだけど、あ、こういう時だからこういう風にちょっと動いてみようかなとか、そういう第一歩になってもらえたら、先生のお話がきっかけで、嬉しいなと思います。
熊谷:ええ。
志村:はい。今日はありがとうございました。
熊谷:はい、ありがとうございました。



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