日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。
第81回 ゲストは、薬師寺道代さんでした
〜プレゼントのお知らせです〜
ダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰する
志村季世恵さんの著書
『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。
志村:道代さん、こんばんは。
薬師寺:こんばんは。
志村:改めまして、暗闇の中にようこそ。
薬師寺:いやあ、ドキドキしますね(笑)びっくり。やっぱり真っ暗の中って慣れないので、右左何があるのかなとか、上には何があるのかなとか、ちょっと怖いなって思いがあります。
志村:そうですよね。ではどんな感覚を使っていらっしゃるかと言うと・・・なんだろう?
薬師寺:においですね。
志村:におい。
薬師寺:うん。
志村:確かに。いやあ、改めまして今日は本当に嬉しいです、来ていただいて、いつかいつかと思ってたんですけど。
薬師寺:私もこういう形で対談させていただくなんて光栄です。
志村:ありがとうございます、私こそです!実はデフリンピックが日本であるっていうふうに知った時から、いつか道代さんに来ていただきたいなと思ってたんです。
薬師寺:本当にありがたいです。なかなかね、私どももデフリンピックっていう言葉自体がまだ知名度が低いので、多くの方にこれを機会に知っていただく、また体験もしていただきたいなと思っていますので、お願いいたします。
志村:あー、本当ですよね。ちょうど道代さんは、デフリンピックの副委員長をなさっていらっしゃいますか?
薬師寺:はい、ろうあ連盟の中にデフリンピック運営委員会というのがありまして、そちらの副委員長をさせていただいております。
志村:あー、いつ頃それは決まったんですか?
薬師寺:いつ頃だったでしょうかね、もう1年半ぐらい前だと思いますけれども、元々ろうあ連盟の皆様方とは、デフリンピック招致活動からご一緒させていただいておりますので、自然な流れの中で、じゃあ手伝いますねという、そんなことですね。だから取ってつけて副委員長になりました、はじめましてっていうよりも、私でよければお手伝いできますかね?という、そんなジョインの仕方でした。
志村:あー、素敵ですね。では招致からもうずっとご一緒してたんですね。
薬師寺:そうですね。
志村:どうでしたか、日本に決まったときのお気持ちは?
薬師寺:眠れませんでしたね。うん、夢でした。私としてもなんかいろいろな思いが込み上げてきましたね。招致活動っていう時に、トルコのデフリンピックの開会式を見て、あーこの景色を日本の皆様方に見せてあげたいなっていうところからのスタートでしたので、それが現実になるんだと思っただけでもう本当に1週間ぐらい眠れませんでしたね、興奮して。
志村:あー、そうでしたかー。そもそもデフリンピックは、ご存知ない方もいらっしゃると思うんですね、まだそこまで広がってないんじゃないかな?というふうに、残念な思いではあるんですけれども、ですのでデフリンピックはどんなものなのかを教えていただいてもいいですか?
薬師寺:デフリンピックは「デフ」と「オリンピック」を合わせた造語なんですけれども、デフっていうのが「きこえない・きこえにくい」っていう、そういう英語ですね。で、オリンピックの皆様方、ご存知のようにオリンピックのスポーツ大会というのがあります。いわゆるきこえない・きこえにくい方々のオリンピックなんですね。実はパリだとか東京大会、パラリンピックが開催されたかと思うんですけども、パラリンピックに、いわゆる聴覚に障害を持った方の種目っていうのはありません。ですから、パラリンピックに聴覚障害者は参加できない、これは大変残念なんですけども、そういうルールになっております。
志村:なるほど。オリンピックも、例えばスタートの時なんかのサインとかだと、なかなか難しいでしょうね、出場する時なんかも・・・
薬師寺:そうですね、聴覚に障害のあるきこえない・きこえにくい方々っていうのは、視覚的情報保障と言いますけれども、視覚で音を捉えていくっていうことになりますので、そうなったときに、例えばスタートっていうところ、スタートランプっていうものがございます。パンと光を与えたり、信号のように、用意スタートドーンみたいなところで色が変わったりっていうところ、あと審判の皆様方なんかも笛でサッカーなんかはね、いろいろなサインを送ることが多いと思うんですけども、それを旗に変えたり、いろいろ工夫されているところも多いので、そういう中でパラリンピックには参加できない、視覚的情報保障をパラリンピックの中では確保することができないっていうことが私どもとしては1番じくじたる思いで見ながら、じゃあデフリンピックっていう中で聴覚障害、もちろんきこえない・きこえにくい皆様方のオリンピックっていうのが別に開催されているっていうところなんです。
志村:うーん。そもそもデフリンピックは、いつ頃からはじまったものですか?
薬師寺:実はですね、今年の11月のデフリンピックで100周年目なんですね〜。
志村:あ、そうなんですか。
薬師寺:1920年にスタートしまして、パラリンピックが60年の歴史、それと比べるとデフリンピックの方が長いんです。
志村:本当ですね。もう間もなくですものね。11月っていうとあっという間に来ちゃいますね。
薬師寺:はい、本当にまあ用意してあと1年半ぐらいあるぞ〜なんて気楽に構えておりましたら、もうあっという間に11月が来ちゃう。本当にドキドキですね。
志村:本当ですね。でも楽しみ、ワクワクします。だいたい世界中から選手が集まってくるわけですよね?
薬師寺:もう3000人って最初は言われてたんですけれども、もっと膨れ上がるんじゃないかって、だからきこえない・きこえにくい皆様方が、世界中からまあ6000人、7000人ぐらいはスタッフだとか、観客っていう形でも集まってくださる予定にはなっています。国としても70カ国ぐらいが参加ではないかなと思っておりますけれども、私どもとしましてはぜひ世界中のきこえない・きこえにくい皆様方が東京に集まって、祭典を楽しんでいただけたらなと願っております。
志村:本当ですね。ということは、私たちも選手の方とどこかでばったりとお会いできるかもしれないチャンスがあるわけですよね。
薬師寺:そうしたいです。
志村:ね、東京を楽しんで、散策なさるとかが起きるかもしれないし、もしくはまた、ちょっと足を伸ばして日本を堪能いただいたりするかもしれない。そんなときに、せめてもの挨拶とかができたりするといいですよね〜。
薬師寺:今まで国際手話のいわゆる講座教室っていうのは、日本でほとんど開かれてなかったんですね。デフリンピックの共通言語が国際手話なんです。挨拶といっても各国いろいろ違うのは違うんですけれども、やはり気持ちを伝え合う時に、国際手話っていうものも含めて、私どもが外国の手話を学ぶっていう講座が今たくさん開かれ始めてます。ですから、このオリンピックをきっかけに、もっともっと世界中の皆様方とチャンスもございますので、ぜひ皆様方にも日本手話だけではなく、さまざまな国の手話を学んでいただくような、そういう機会を持っていただけたら嬉しいですね。
志村:っていうことは、手話ですね、これ日本の手話もあるけれども、各国手話がやはりこう普通の言語、普通のって言っちゃいけないですね、いわゆる音声の言語と同じように、各国で手話が違うってことですよね。
薬師寺:そうなんですよね。だから手話ではなく手話言語というふうに、最近言い換えが始まったと思うんですけど、1つの言語として手話というものが認められ始めてきたっていうこともございます。
志村:はい、この道のりは長かったですね〜。
薬師寺:ね〜本当にそうですよね。ですから、よくこれも勘違いされることなんですけれども、日本語と同じような文脈で手話が語られているみたいな、そうではなく、やっぱり言語というものがありますように、単語単語の流れも違えば、表情も1つの言語として捉えられていたり、日本語とはちょっと違う言語のカテゴリーに入るものなので、そういうところを楽しんでもらうのもいいのではないかなと思いますし、私も今学んでる最中でございますので、鍛錬していきたいなと思います。
志村:あー、なるほど、私初めて手話のことを知ったのがですね、ダイアログ・イン・サイレンスというものを日本でも開催したいと思った頃からだったんですね。そこできこえない・きこえにくい方達と出会うようになって、例えばですけども、関西の手話と東京の手話言語は違うんだよっていうようなことがあったりとか、あ、そうか方言があるんだってことを知ったりとか、若干違うのありますよね?
薬師寺:そうなんです。私も各県の手話の本も色々買って持ってるんですけど、全然違いますよね。
志村:はい、それがもう面白くて、それぞれいろんな言語があるんだなと思った時に、まあ本当に知らないことを知る楽しみもあったんですけど、あ、知らないことでとても隔たりを作ってたんだって思ったこともありました。
薬師寺:そうですよね。私自身も、まだまだ日本手話なんて遠く及ばないんですけど、ちょっと手話を使って会話してみようというところで、少しだけ使っただけでもものすごく喜んでいただけて、何となく通じ合うものがあるんだこの人とは、と思っていただけるようになったのが、やはりこの世界にスブズブっとのめり込んでしまった1つのきっかけでもありますので、やっぱり手話言語というようなものを更に理解を進めていくためにも、今回のデフリンピック、皆様方にも見ていただきたいし、体験していただきたいなぁと思ってます。
志村:本当ですね〜。例えばですけど、ダイアログ・イン・ザ・ダークのスタッフからすると、街に出ていても白杖をついて歩いてたりするので、あ、この方は見えないんだなっていうふうにわかってもらえるかもしれませんけど、きこえない人・きこえにくい人たちのことに対しては、見た目でわからないじゃないですか。電車の中で手話を使ったりすることによって、あ、あの方はそうか、手話言語の方なんだなってわかるんですけども、例えば電車の中で突然電車が止まってしまって、違う電車に取り替えてくださいってアナウンスが出た場合なんか、もう見落とされてしまうというのかな、1人だけキョトンとしてる方がいらっしゃったんですね、あれもしかして・・・と思ってちょっと手話でお伝えしたら、あそうだったんだっていうふうに言ってくださって、一緒に降りて乗り換えたってことがあったんですけど、その時初めて、あーそうだ、こういうことも起きるんだよなって思った1つの例なんですが、本当に自分たちの一生の中にきこえない、きこえにくい方もたくさんいらっしゃるんだなってことをやっぱり知ってもらえることは、大事なことだなって思ったりします。
薬師寺:そうですよね。
志村:うーん。
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志村:ところでなんですけど、道代さんはどうして手話の世界と繋がりをお持ちになったんですか?
薬師寺:手話の世界っていうよりも、きこえない皆様方との繋がりっていうのは、私は元々耳鼻科医であったっていうところから始まってますね。
志村:あー、そうだったんですね。
薬師寺:やはり補聴器の調整であったり、もしくはきこえにくいっていう中で実際に内耳まで障害されてめまいが起こりやすい方がいらっしゃったり、そういう方々と接することが可能であったっていう、かつ少しでもきこえないことはどういうことなのかな?みたいなところのお話を聞かせていただく機会が他の方より多かったっていうところからのスタートですね。
志村:そうか、そこから始まっていらっしゃったんですね〜。
薬師寺:でもデフリンピックっていうところまで繋がるまでには、まだまだ時間が必要だったんですけども、そういう中であるサッカー選手と知り合いになって、その方がたまたまデフリンピックの選手、そのときデフリンピックって何なんだろう?って思ってたんですけども、そういうふうな大会があるんだなーぐらいに思っていた、でそういうデフリンピックって言葉は知っていても、そういうものが一体どういうもので、日本でも開催されたことがなかったんだよ、みたいなところも知らなかったんですね。だけども、よくよくいろんなことを調べていって、私は障害者スポーツ医っていう資格も持っておりまして、それを取りに行ったときに、聴覚障害をお持ちの方はパラリンピックには参加できないんだよっていうことを講師の先生がおっしゃって、え・・・って思っちゃったんですね。あ、そうか、パラリンピックにそういえば聴覚障害の部はないって。様々なクラス分けがパラリンピックにはなされておりまして、脊髄だとかいろいろなレベルでどのくらいの筋力がありみたいなところで、クラス分けの中で同等に平等に競争できるようにっていう、あ、そう言えば聴覚障害の部はない、ということはデフリンピック、デフリンピックっていうのはあって調べていったら、まあなんと日本で開催されたことがないじゃないか!?そこが大きな気づきをもらったとこでしたね。そこから何とか皆様方とも少しずつ会話をしたいと思って、手話を覚えて、本当に独学なんですけども、そうやってきこえない・きこえにくい方々が手話を使っていらっしゃったのをじーっと見たりYouTube見たりしながら、それを盗んで、それを真似して、今に至るっていうところがあります。
志村:うわ独学だったんですか!それはまたすごい。
薬師寺:だからいつも適当だよ私の手話はって(笑)ごめんねって、もう気力で会話してます。
志村:すごい素晴らしいです、美しい手話のお姿を私は拝見したことがありまして、あー綺麗な手話の〜、声の美しさっていうのがあると思うんですけど、みえる世界、きこえる世界では、だけど手話にもそれぞれの音色・・とは違うけど、ありますよね〜?
薬師寺:そうですよね〜。いやあ、だから私なんか全然通じてるのか通じてないのかもわからないんですけど、もう私がなにか言いたいんだろうと向こうの方が感じ取ってくださって、もう本当申し訳ないなといつも思ってます(笑)
志村:いやいやいや、そんなことはないのをよく存じ上げているんですけど、私の場合はサイレンスの仲間たちが、まるでお母さんのように、お父さんのように私に手話を教えてくれたりとか、ちょうど2020年にこの対話の森の場ができたんですね、なのでコロナ真っ最中のときにオープンしたんですけれども、そのときに素敵だったことが、この辺りのお店屋さんとかカフェとか、いくつものところが、簡単な手話を覚えてくださったりとか。
薬師寺:素敵ですね〜。
志村:そうなんですよ。そして、もちろんペンで文字を書いてのコミュニケーションもあったんですけど、手話を覚えるような、そんなふうな講座を開いてくれない?とかってことを店員さんがおっしゃったりとか。なので、ここ浜松町にありますけども、この界隈で優しい街になっていくんですね。それはサイレンスの要するにきこえない・きこえにくい方たちのためだけでもなくて、実は目が見えない人たちのこともすごく配慮してもらっていて、点字ブロックここにあるよとか、作ってない点字ブロックがあるすると、作ってくださいってことを一緒になって言ってくださったりとか、もしくは交差点で声を掛けてくださるとか、多分この辺りが1番優しい街じゃないかなって私は思ったりしてるんです。
薬師寺:うーん。素敵ですよね。やっぱり私は、なにかそういったことっていうところが、気づきっていうものがあれば、次にアイディアが出て、実際にやってみて、手を取り合いながら優しい街になっていくっていう、そういう土壌が日本にはあると思っていて、だから本当にきこえにくい、きこえないとか、なかなかね、みえない、みえづらいとか、そういうことを私たちが体験する、もちろんこの対話の森ではできますけれども、実際に街に出たときには、忘れがちになってしまうことっていうこと、そういうことを思いやっていくことができる、そういうきっかけっていうものがこの場であったり、もしくはデフリンピックであったり、パラリンピックであったり、そういうものであったらいいのではないかな、大会を開催するっていうことだけが目的ではなくて、まさにここもそうですよね、ここから次になにか繋げていけるなー、みたいなところが要因として残っていったら本当に素敵ですよね。
志村:そうなんです。小さなお子さんとか、小学生のお子さんから体験いただけるんですけど、体験していただくとですね、後から翌日とかご連絡くださるお父さんお母さんがいらっしゃって、電車に乗って、何にも教えてないのに、普段だったら席なんて譲らない我が子が、突然席を立ってご高齢者に席を譲ってたっていうふうにおっしゃるんですね。でそれは、何でそういうふうになったのかって聞くと、わからないんだけどそうしてみたくなったっていうふうに、お子さんとかおっしゃるんですって。なので、助け合える関係性っていうのが、暗闇の中だと、特に今この中で大勢の人がいらっしゃるときには助け合うような、そんなふうないくつものドラマが生まれてくるんですけど、そういうふうなものが、人っていいなって思ったりとか、人って優しいなって思ったりとかするんでしょうね。それが自分の身近なところでも作っていきたいっていうふうに思ってくださるんだろうなと思うんですね。それはきこえない・きこえにくい方と出会ったときも同じで、今度から挨拶してみようとか、手話使ってみようって思ったりとか、もしくは手話がわからなくても、ダイアログ・イン・サイレンスの中で通じ合える喜びは知ったので、身振り手振りで臆することなく関わってみようと思ったりとか、そういうふうなことはたくさん生まれている。でその最も大きなものが、道代さんのおっしゃったようにデフリンピックなんだなって思ってるんです。
薬師寺:ですよね、でも障害だけではないんですよね。精神的に追い詰められて孤独になったり、やっぱりなにか様々な環境の中で孤独になったり、人は誰しもそういう環境にいつ自分がなり得るかってわからないじゃないですか。
志村:本当ですね、そうそう、本当にそう思います。
薬師寺:だからそういう中で、自分が孤独から一歩抜け出す、もしくは誰かの手がふっと差し伸べられる、なんかそういう温かみのある社会っていうところ、そういう一歩、一助になれば、私もデフリンピックっていうものを日本で開催する意義、とても大きいものだと思っています。
志村:本当ですね。
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薬師寺:よく、ろうあ連盟の久松さんっていう、今の委員長とも話をするんですね。久松さんもろう者でいらっしゃって、ろう者としての誇りをすごくお持ちでいらっしゃいます。私も本当に素晴らしい方だと思っています。でも会ったら漫才になっちゃうんですよ、2人で話してると。
志村:うわ〜素敵。
薬師寺:いつも通訳の方からも、この2人が一緒になるといっつも漫才が始まるから本当に!って、もうみんなに笑われちゃうんですけど、でもなんかすごく心地よくて、そういうろう者の皆様方とお話をさせていただくと、やっぱり等身大の自分で接することの方がお互い楽だし、取り繕って真面目にってやりすぎるよりも心が通じ合うし、本当に多くの学びも彼らから得ることができたので、私は本当に今までお付き合いいただいたろう者の皆様方には、感謝しかないですね。
志村:本当ですね。そうやって今お聞きすると、私もサイレンスの仲間たちに、ものすごくいろんな意味で明るさをもらっていて、等身大の自分になっていて、もう面白さをたくさん教えてもらってますね。ちょうどデフリンピックの演出を、開会式と閉会式の演出っていうんですか?大橋弘枝さんがなさいますよね。サイレンスの仲間でもあるんですけれども、私は大橋さんからたくさん手話を、冗談のような手話もたくさん教えてもらってるんですけど、彼女といると本当にいっつも笑っていて、笑い転げてます。
薬師寺:ね〜。ですし、彼女も本当に素晴らしい表現者ですよね。
志村:はい、そう思います。
薬師寺:だから演出で聴者の方1人、きこえない・きこえにくい方、1人っていうふうにもしかしたら東京都さん選ばれたのかもしれませんが、きこえないとかそんなこと一切関係なく、彼女がやるべきだと私は思ってました。もう素晴らしいですその表現力というのは。特に表情だとか、動作っていうのが手話表現の1つなので、元々表現豊かですよね。だからああいうところをもっと皆様方も見ていただかないと、私は損すると思っています。
志村:本当にそうですね。笑顔が大橋さん含めてみんな素敵じゃないですか。感情を全部顔に出してくれるみたいな。日本人は感情を表現するとか表情に出すとか得意じゃないので、大橋さんたちのように、またはきこえない・きこえにくい方たちのように、表現する力っていうのを日本人はたくさん影響受けてもらえたらいいなって思ったりします。
薬師寺:そうですよね〜。それもありますが、多分ろう者の皆様方からしてみると、彼らがマイノリティではないんですよね、ろう者の世界では。
志村:はいそうです。
薬師寺:うーん、だから私達1人がポツンとその中に入り込んでいったとき、どうなんだろう?っていう。ろう者の皆様方、本当にろう者としての誇りを持ちです。だからその壁を作っているってこと、障害だって呼んでるのは私達だけで、向こうからしてみると、きこえるからなんだ?自分たちの表現はわかんねぇだろうって思っていらっしゃるかもしれないし、なんかそんなところじゃないんだよなーみたいなのを、本当にそういう壁みたいなのが打ち破られてくると、もっともっと素敵な関係性も作れますよね。それが本当に大橋さんの表現みたいなところで感じてもらえると、私は嬉しいかなって思います。
志村:本当にね、世界中の人と通じ合えるんだなってことを見ていて思いますね。言語の壁を越えて繋がってくんだなっていうのを、ものすごく感じます。
薬師寺:私もデフリンピック、3回参加してるんですね。トルコ、イタリア、ブラジルと行ってますけど、もう選手たち、あっという間に世界中の選手と仲間になっちゃうんですよ!私達なんて言語わかんないから!と思って近づけないですよね、外国の選手たちとなかなか。もう今年も会ったよー!みたいな感じで、言語の壁なんてないんですよ!もうその表現表情、CLというような言語も彼らも持ってますので、それであっという間に仲間になって壁もなくなる、いっつもそれを見ながら私思うんですよね。もう人間力の素晴らしさ。だから私達もそういう壁取っ払っちゃって、今回デフリンピックにいらっしゃった世界中の皆様方とどんどん仲良くなって、世界中の親友を作っていく、そしたらまたその次に新たな世界が広がっていく。楽しみですよね〜。
志村:そう思います。本当にそれはきこえないとかきこえにくいだけじゃなくて、この表現を覚えると、それこそ英語ができなくても、フランス語ができなくても、スペイン語ができなくても、または中国できなくても、お友達になれちゃうんですよね。
薬師寺:そうですよね。私もね、イタリアのデフリンピックに行ったときに、お店に買い物に行ったときに、私は話せない人だみたいな、きこえない人、話せない人っていうことで買い物してました!そっちの方がいいんですよね、私きこえないですーって表現すると、向こうもなんかわかりやすいように表現してくれて買い物もスムーズに行くけど、なまじっかきこえるんですって言ったら向こうも一生懸命なんか話して説明しようとするから、逆に訳わかんなくなっちゃうよみたいなところがあって、だから本当に何なんだろうな言葉ってって、もっとその前に必要なものがあって、そういうものを彼らは生まれながらにして持ち合わせているんだよなーなんて、時々もうことがあります。
志村:ねー。伝えたいっていう気持ちと、なにを伝えたいんだっていうふうなことと、ききたいんだっていうふうなことが、前に立つことが大事なんだなっていうふうに思ったりします。
薬師寺:ね〜。
志村:あーそうだ、そろそろ多分最後のお時間になってくると思うんですけど。
薬師寺:もうそんな時間なんですね。
志村:そう、いつもね、皆さんから伺ってるんです、ゲストに来ていただけると、明日の朝、元気で朝を迎えられるみたいな、そんな素敵なことがなにかあったら教えてくださいってお願いしてるんですけど、道代さんはなにかあります?
薬師寺:そうですね、私は朝起きて、さあ行くぞってエンジンをかけるときに「おはよう」って言いますね。やっぱりなんでしょう、自分を鼓舞するものっていうよりも、さあここからスタートだって、朝日浴びて気持ちいいなー、この朝日、さあ今日も1日こっからスタートだーって、なんか1つ魔法の言葉で言うと「おはよう」って言う言葉だと思っているので、やっぱりそうやって挨拶って大事じゃないですか。自分にも挨拶しないと、ね、それが1つエンジンになるし、寝るときもそうです。今日頑張ったね自分、よし頑張った頑張ったって、そういうふうに自分に言うことにしてます。
志村:いいですね〜。
薬師寺:なので、自分にも挨拶、自分にもご褒美、自分にもやっぱりね、緩やかな時間を、癒しを、それを心がけてます。そんなとこですね〜。
志村:ラジオを聞いていらっしゃる方に「おはよう」って言う手話を教えていただいてもいいですか?
薬師寺:難しいですね。枕から頭を剥がす、枕っていうのがグー、ちょうどこめかみのあたりに当てて、ちょっとそれに頭を添えるっていう、そこで下に手を下ろしながら、ふっと中央に頭を戻す、それで右手左手、ちょうど人差し指をちょっとお辞儀させるような形で、向き合いながら、ちょっとお互いに左右からお辞儀させてみる。「おはよう」ってなります。
志村:そうか、両手の人差し指を立てて、真ん中にお辞儀、互いにお辞儀するよっていうとこですね。
志村:じゃあまず、手のグーを下に下ろして、
薬師寺:ちょうど頭を真ん中に戻してもらう、それでちょっと左右の人差し指を左右からお辞儀させて、人が2人お辞儀してるような姿ですね、そしたら「おはよう」になりますね。
志村:いいですね。そうすると、どんな人とでもおはようができますね。
薬師寺:そうですね。わからないときには、人差し指だけちょっと中央に向かってお辞儀させるだけでも、あ、挨拶だってわかってもらえますので、いつでもそれは使えますから。
志村:人差し指と人差し指をこんにちはみたいな感じですね。
薬師寺:そうですね、こんにちはっていう形で、それで、あ、なにか挨拶したいんだなこの人はっていうふうに伝わってきます。
志村:うーん、あーでもおはようっていいですね本当に。1番最初に使う、その日の始まりの挨拶ですものね〜。
薬師寺:そうですね。
志村:私も明日の朝は、まずは自分におはようって言ってみて、朝会った人にちゃんとおはようって言って、家族とか、ご近所さんとか、仲間とかに言ってみようと思います。
薬師寺:ね、ぜひやってみてください。
志村:はい。あー、今日は本当に遅い時間にありがとうございました。
薬師寺:あっという間でしたね、ありがとうございます!
志村:ね〜、本当にあっという間です、暗闇の中って。
薬師寺:素敵な時間、ありがとうございました。