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Letter #35 Sheila Maurice-Grey (Kokoroko)
僕が手紙を送ったのは、KokorokoのSheila Maurice-Grey。
【Sheila Maurice-Grey Profile】
ロンドンを拠点に活躍する8人組バンド・Kokorokoのメンバー。
Kokorokoは、2014年にトランペッターでコンポーザーのシーラを中心に結成。
そのサウンドは、ホーン・セクションをベースにした新世代アフロビート!
2020年には、アーバン・ミュージック・アワーズで「ベスト・グループ賞」を獲得。
グラストンベリーを始め、多くの音楽フェスでそのパフォーマンスが絶賛され、
ロンドンのジャズシーンにおいて、最重要バンドの1つになっています。
社長:
親愛なるシーラ、初めまして。
Kokorokoとの出会いは、我らのボス、ジャイルス・ピーターソンのラジオだったと思う。
パワフルなアフロビートと、どこか優しいメロディー。
暖かく包み込まれるようなあなた達の音楽を聞いて、
Kokorokoというバンド名が、僕の脳みそに刻み込まれた瞬間だった。
どうやってKokororkoのメンバーに出会い、バンドを結成するに至ったのかな。
Best Regards, 社長
Sheila:
親愛なる社長
素敵なお褒めの言葉をどうもありがとう!
社長にお手紙を書くことができて光栄だわ。
お元気ですか?
私が初めてGilles Petersonに会ったのは、2016か17年だったと思う。
カムデンのKokoで開催されたWorldwide Awardsか、Seteで開催されたWorldwide Festivalの時で、
私はその両方に、Nubya Garciaのセットにスペシャルゲストとして参加していたの。 Kokorokoの結成に至るエピソードは興味深いと思うわ。
私は、ゴールドスミスでファインアートの学士号を取得した翌年から、
ノースロンドンのKORIアーツセンターでアートを教えていたのだけど、
そのときにOnomeと出会ったの。2014年頃の話よ。
翌年の夏頃に、私たちはチャリティ活動をするためにケニアに行くことになって、
そこで携帯やラップトップに保存していた音楽をたくさん聴いて過ごしたの。
ロンドンのアフロビートシーンについて、
もっと良くしていくことができるんじゃないかという話をよくしていたわ。
当時のアフロビートシーンは白人主導で、
私たちは、西アフリカ発祥のこの音楽を讃えて継承していくためには、
若い黒人ミュージシャンが演奏していくことが重要だと感じていたわ。
そこで私たちはバンドを結成することになって、
2015年秋にデプトフォードのGood Evening Artsで初めてのライブを行ったの。
ラインナップは、Cassie Kenosha、Richie Seivwirght、Oscar Jerome、Mutale Chashi、Femi Oyewole。
メンバーのほとんどは、Tomorrow’s WarriorsかTrinity Laban Conservatoireで知り合ったミュージシャンたちよ。
結成以来これまでラインナップは何度か変わっているわ。
Best Regards, Sheila
Sheila:
親愛なる社長
今年は私の人生にとても重要でポジティブな変化があったんです。
なんと初めて父に会ったの。この話をぜひしたいと思うわ。
2021年9月のある日、私は母と一緒に出かけて、
ノースロンドンのChalk Farmでランチを食べてから、
カムデンマーケットに向かってゆっくりと散歩していたの。
このときまで母は静かで、少し考え事をしているようだったんだけど、
私はあまり深く探ろうとはしなかった。
それから10分ほど黙々と歩いた後で母が立ち止まって、一息おいてから、こう言ったの。
「Sheila、あなたにずっと言おうと思ってたことがあるの。
聞いたら気が動転してしまうかもしれないから、どこか静かなところに行かない?」
私たちは道を渡って、人通りの少ない歩道の大きなカラフルな壁画の前に立つと、
母が、「パパを見つけたの」と言ったの。
正直、母からそんな言葉を聞けるなんて全く期待していなかった。
それを聞いて、瞬時にたくさんの感情が押し寄せてきて、
手はヒリヒリするし、心臓はドキドキし出したんだけど、
同時に不思議な温かさと安らぎも感じた。
好奇心旺盛な私は、「どうやって?」と母に聞いたの。
簡単に経緯を説明すると、私の母と実父は80年代、ロシアで医学を学んでいたときに出会ったのね。
母はシエラレオネ出身で、英語とクリオ語を話し、父はギニアビサウ出身で、ポルトガル語とクリオ語を話す。
母は私に、父とはふだんはロシア語で会話していたと言っていたけれど、
大きな言葉の壁があったのではないかと思う。
母は、父のファーストネームが「ジョン」であることは覚えていたんだけど、
不幸な出来事があって2人は連絡がとれなくなってしまって、
母は1991年に私を産むためにロンドンに移住してきたの。
「どうやって?」と私は聞くと、
母は、私が父を知らずに育ったことにずっと罪悪感と恥ずかしさを感じていて、
最後にもう一度だけ探してみることにしたのだと話してくれたの。
でも何度探しても見つからなくて、
ふと、ポルトガル語では父の名前の発音や綴りが違うことを思い出したのだそう。
そこで母は「João」で検索したところ、フェイスブックで彼を見つけることができたんだって!
物事は起こるべくして起こるというけれど、
でも、私の人生のほとんどを費やして探してきた答えが、
たった一度のシンプルな検索で見つかるなんて、信じられなかったわ!
話を早送りして、2022年2月、父がリスボンから来てくれて、初めて会うことができたの。
3人の異母兄弟がいることもわかって、その全員がロンドンに住んでいるので皆と会うこともできたのよ。
これは人生が変わるような経験だったわ。社長はどう?
今年、社長の人生に起きたポジティブで大きな変化は何だった?
Best Regards, Sheila
社長:
親愛なるシーラ、手紙をありがとう。
お父さんと初めて会うだなんて、本当に素晴らしい出来事があったんだね。
そんな素敵な話をシェアしてくれてありがとう。
僕にとっては、2020年から今年にかけて、
自分のいるべき場所や役割が、少しずつ動いているように感じていて、
それがそろそろ完了するような、そんな気がしているんだ。
まさにポジティブな変化だと思う。
それが実を結ぶには、もう少し時間がかかるかもしれないけれども、
この先の人生が、ますます楽しくなりそうなんだ。
Best Regards, 社長
【PLAY LIST】
Tojo / Kokoroko
Source / Nubya Garcia
Maye Omama / Ebo Taylor
Song For My Father / Horace Silver
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