2011/9/9 「臨時災害放送局」事情

東日本大震災の大きな揺れだったあの金曜日の午後からおよそ半年。
想像を絶する規模の津波で、被災地の爪痕は未だに復興にほど遠い状況の場所もあり、インフラが整いつつある地域との格差が生じています。
そんな中に地元に根ざしたコミュニティFMや、今回の震災で立ち上がった臨時災害放送局が大きな役割を演じています。
今日は国内の2カ所をコネクトしてお送りします。

女川は石巻の隣町で甚大な被害があったと聞きますが?

宮城県 女川町、女川さいがいFM。山本真吾さん

津波が高さ20mを超え、市街地の九割を押し流しました。
役場も冠水し、通信も電気も壊滅しました。
自分たち自身が情報に飢えており、「町の人たちに必要な情報を届けたい」と、支援を受けて、ラジオ局をスタートさせました。

現在の避難所の数やライフラインの復旧状況について教えてください

震災前の女川町の人口は約1万人いましたが、津波でその1割弱が犠牲となりました。 主な産業が漁業と水産加工であったことから、設備が全滅し、仕事再開の目処もたたないことから、震災後、残った人の半数は県外などに二次避難、あるいは移住し、現在は3千人前後が残っています。 もともとの市街地には建築制限により、建物が建てられないため、仮設住宅の建設も他の被災地より遅れています。 現在でも200人が町内5か所の避難所で生活しており、最終的にその人たちが仮設に移れるのは10月中旬となる見込み(土地がないことから、3F建て仮設住宅が建設されている)です。 私も津波で家を失い、7月から仮設に入居しましたが、スタッフの中にはまだ避難所で生活している者もいます。

現在はどのような放送体制で放送されていますか?

平日は、1日3回の1時間の生活情報の生放送を行い、それ以外の時間は音楽を流すなどして24時間放送しています。 宿直体制をひいており、地震・台風などでの警報発令時は随時放送を行います。 現地放送スタッフは、全員女川町出身で11名。 放送のプロはいない状況ですが、ソーシャル・メディアなどを通じて、東京にいる支援スタッフから技術や運営をサポートしてもらっています。 また、ホームページやサイマルラジオ、Twitterを通じて、ネットでも積極的に女川町の情報を発信しています。

復旧、復興に向けての道のりについて。そして我々東京の人間にアピールしたいことを教えて下さい

最初の頃は、「いつ、炊き出しがきてご飯が食べられるのか?」など、文字通りの非常災害で必要な情報を放送していましたが、仮設入居や、少しずつでも、漁業や商店の再開などもはじまってきて、伝える情報も雇用情報など復興へ向けた情報が多くなってきています。とはいえ、まだまだ先の見通しは厳しい…… 放送は毎日出さなければならず、半年間1日も休んでいないメンバーも多いので、そろそろ疲れが出てきているが、復興する女川町の中で自分たちも頑張っていくので、全国の皆さんにも引き続き、被災地・女川町のことを忘れず応援して欲しいです。
宮城県 女川町、女川さいがいFM
宮城県女川町で今年4月21日から放送を続けている臨時災害放送局。
小学校の校庭に建つ二坪のプレハブをスタジオに、10代から30代までの被災者が中心となって、生活情報などを放送している。
URL: http://onagawafm.jp/


エフエムわいわいで、いろいろな支援を行っておられると伺っておりますが


兵庫県 神戸市長田区、エフエムわいわい。日比野純一さん


受信機を配ったり、NPOの方たちと協力して、多言語での放送素材を作成し、各放送局に提供するなどの活動をしています。
これからの、復旧・復興期においては、経験をお伝えするような方向に少しずつシフトしていこうとしているところです。

震災から半年が経過しましたが、今後はどのような点に気をつければ良いでしょうか?

どうしても、現地との温度差が出てくるので、私たちも現地の情報を伝え続けるように意識したいと考えています。



兵庫県 神戸市長田区、エフエムわいわい

阪神淡路大震災をきっかけに外国人向けのミニFMとしてスタート。
現在はコミュニティFMとして、人種、民族、国籍、言葉、そして障がいの有
り無しなどに関係なく、助け合いながら生きていくための放送。

URL: http://www.tcc117.org/fmyy/