2009年06月30日

齋藤明憲 -2- キッズアングラー教室

今週のゲストは、神奈川県・丹沢で自然を楽しむライフスタイルを広めている「Y.G.L 自然生活創造連盟」の代表、齋藤明憲さんです。

Y.G.Lでは月に一度、「キッズアングラー教室」が開かれています。ここで教えてくれることは、まずは安全対策。河は危険も多いため、安全対策はとても重要視されているそうです。

例えば河の近くでは、人と少し距離が離れてしまうと、声が届きにくくなってしまいます。そんなときのために手話を教えてくれるそうです。他にも「川幅がこれくらいあるなら、こういう周り方をする」とか、「ここは水深が深い(浅い)から、こういう渡り方をしよう」ということなども教えてくれるんだとか。

安全対策を学んだ後、河原にいる陸水生昆虫を採集し、鳥の羽などを使いながら、その時期に旬な虫の毛鉤を作る。そして今度はそれを使ってフライフィッシングをして、魚を獲る。自分の創作したもので魚が釣れる=答えが出る。そこに重要な意味が含まれていると思うと明憲さん。毛鉤の出来だけでなく、河の流れや虫のこと、太陽の位置や雨や風、気圧の上がった日、下がった日、雲の流れ。。。そういったことを想定しなくてはいけなくて、同じ場所で同じことをしても釣れない。自然そのものを観察して、体で自然を感じることが必要なんですね。
明憲さんはこの教室をしていて、子供たちの方がスムーズにそれを受け入れることができると感じているそうです。


WEB: Y.G.L自然生活創造連盟のサイト

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2009年06月29日

齋藤明憲 -1- Yes.Grateful.Life 自然に感謝する生活

今週 6/29(月)〜7/3(金) のゲストは「Y.G.L 自然生活創造連盟」の代表、齋藤明憲さん。

神奈川県・丹沢を拠点に、自然とともに楽しんでくらす方法を広めているY.G.L。
KIKIも明憲さんにフライフィッシングを教えていただいたことがあるんです。丹沢は水がとてもきれいで、河原を歩いていると、魚がたくさん見えるほど。

「Y.G.L」は「Yes, Grateful Life」の略。この”Grateful =感謝する”というのは、明憲さんが丹沢で暮らし始めたときに感じた思いが込められています。明憲さんが丹沢を気に入ったのは、山があり水資源が豊富だったところ、そしてじゅうぶんな平野もある。開拓精神から、ここで自分が暮らしていけるかどうか挑戦したいと思ったそうです。電気や水道が無いのはもちろん、家も無く、まずはテントを張るところからスタートした自給自足的な生活。

Y.G.Lを立ち上げた現在、この自給自足生活から得た知識や技術などを多くの人に広めていらっしゃいます。例えば農薬を使わないお米作りを中心とした農作業。そこから野菜作りや柑橘類なども作られるそうです。ただ、農作業に必要なことを教えるだけではなくて、
例えば「1人、または1家族につき、1年間暮らすにはどれくらいのお米や野菜などの糧があればいいのか」ということも教えてくれるそうです。こういったことを考えてみるのも大切なことかもしれませんね。


WEB: Y.G.L自然生活創造連盟のサイト

◎齋藤明憲:「Y.G.L 自然生活創造連盟」代表 30数年前、カナダ・アラスカに渡り、カナダ・インディアンやイヌイットと共に暮らし、自然と共生するライフスタイルを学ぶ。帰国後、山で自給自足の実験生活を3年ほど続ける。その後、環境保護や全国の地域開発事業などにかかわる。 そして現在、丹沢を拠点に農薬や化学肥料を使わない米づくり、野菜づくり、地産地消活動、食育活動の実践と普及に取り組んでいる。またフライフィッシング歴は35年以上の達人。
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2009年06月26日

ハービー山口 -5- 人とつながる写真展

今週のゲストは写真家のハービー山口さんです。

優しい気持ちにさせてくれる作品をたくさん生みだしているハービーさん。現在、写真展「PORTRAITS of HOPE」が川崎市市民ミュージアムで開催中です。これは200点以上の作品が展示される大きな写真展。ハービーさんご自身が足を運ばれる日もあるそうなのですが、そこには「見に来てくれる人に親しみを感じてもらえる作者でいたい」という思いがあるそうです。それはハービーさんが学生の頃、色々な写真展に行った時に感じたことが影響しているんだとか。作者の人と交わることがすごく難しいと感じた事や、スポンサーが来るとニコニコするのに自分たちのような学生がいると踏ん反り返っている写真家もいたそうです。その頃から「そうゆう人にはなりたくない」という思いがあったそうです。

見に来てくれたお客さん一人一人に握手をして迎えたい気持ちあるというハービーさんですが、実際に、ギャラリーに来て一人でポツンとしてる人を見ると、他の人を紹介してしまったりもするんだとか!理想としては「ギャラリーで写真を見て、友達も作れる」ということ。ハービーさんともお友達になれるし、お客さん同士もお友達になれる。
ギャラリーを見に来て、友好関係も広がり、人生も変わる。そんな写真展、ワクワクしてしまいますね。

これから撮影したいものをお訊きすると、「40年前に公園で出会った女の子サヨちゃんが見せてくれた、人間としてこれ以上美しいものはないだろうと思うような目をもう一度撮りたい。40年間探しているけど、あれ以上の目に出会ったことがないので。」と答えてくれました。その目を追い求めて、人々の美しい表情を撮り続けてくれるハービーさん。笑顔の輪はこれからも広がりそうです。


※川崎市市民ミュージアムでの「PORTRAITS of HOPE」の他、丸の内カフェでは「タイムレス・イン・ルクセンブルク」、銀座4丁目の三愛ドリームセンターでは、人気デュオのCHEMISTRYの写真を撮った「the Roots Special 〜CHEMISTRY〜」が開催されています。
WEB: ハービー山口オフィシャルサイト

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2009年06月25日

ハービー山口 -4- 写真が繋ぐもの

今週のゲストは写真家のハービー山口さんです。

ハービーさんは大学卒業後、イギリスで暮らしていました。1980年代のイギリスはパンクロックが衰退し、ニューウェーブが出てきた時代。クラブへ行ったときに初めてニューウェーヴの現場を見たそうです。

まるで水族館の深海魚の水槽の中を覗きこむような怪しい美しさに満ち満ちていると感じたそうです。そのクラブにキムというとても美しい女の子がよく来ていて、色んなアーティストがジュエリーや服など様々なものを新しくデザインすると彼女に身につけさせ、クラブに行かせたり、街を歩かせたりしていたそうです。
そして皆の反応を見ていたんだとか。ハービーさんも彼女の写真を撮っていて、その写真はハービーさんの写真集に載っているそうです。

そして去年2008年、突然アメリカに住む彼女から「偶然に私が写っているあなたの写真集を見つけたんだけど、あの写真のオリジナルプリントを売ってくれない?」とメールが来たそうです。ハービーさんはすぐに「あの写真は僕の傑作で、感謝の気持ちを込めてプリントをすぐするから、あなたに差し上げたい。」と返事をして写真を送られたそうです。後日、Eメールではなくて、切手を貼った封書で「本当にありがとう。」という手紙が届いたそうです。

それから1カ月くらい後。Paul Smith のお店にシャツを買いに行ったとき、ロンドンの写真集を持って行き、店員さんに「これをPaul Smithさんに差し上げることって出来るんですか?」と訊くと、「明後日お店に来るのでお渡しできます。」と言われ、実際に渡してくれたそうなんです。そして翌日のパーティーに呼んでくれたんだとか。
そして、Paul Smithさんと初めて対面し、「今度はあなたの写真を撮りたいんです。」と言ったら、「明日だったらお店に1時間来るから好きに撮ってくれ。」と言ってもらい、翌日お店に行き写真を撮らせてもらったそうです。1週間後、撮った写真をPaul Smithさん宛てに送ってもらうと、本人手書きのお礼の手紙が届き、すごく嬉しかったとハービーさん。写真家の写真を撮りたくなる興味や良い写真を撮ろうとする覚悟、そして忙しいスケジュールの中、写真を撮られるために時間を割いてくれた彼らの行為、そうしたものが混ざり合い、良い写真を生み、そこに一つの人間的つながりが生まれる。写真が繋ぐものって本当に大きいんですね。

WEB: ハービー山口オフィシャルサイト

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2009年06月24日

ハービー山口 -3- 被写体

今週のゲストは写真家のハービー山口さんです。

70年代にロンドンで写真を撮っていらっしゃいました。大学卒業後、日本で撮るものに行き詰ったように思いイギリスへ行ったら、人々は心に余裕を持って生きているように見えたそうです。そして一人一人が美しかった。日本に来ればモデルになりそうな人たちを撮ることで、自分の中での理想の写真が多く撮れたような気がしたそうです。最初は半年のつもりで出かけ、気づいたら一度も帰らずに10年も経っていたんだとか。ロンドンでは主に人をポートレートしていて、風景写真はほとんどないそうです。今でも風景はほとんど撮らず、人が写っていないと写真が完成していない気がして、人の気配がするところでシャッターを切るようになったそうです。

そんなハービーさんにも同潤会代官山アパートを中心に撮った写真集「代官山17番地」があります。70年前のシャレたデザインを施された素晴らしい建物で、建物自体にキャラクターが染みてついていた。そこから一歩路地に踏み入ると、とても平和な気持ちになったんだそうです。人を入れなくて建物だけ撮っても絵になった。人の心に触れるような佇まい。それだけ魅力のある建物は今はないような気がするとハービーさん。

素敵な建物をずっと残している国は多くあります。駅や発電所など、そのまま使えないものは公共施設になっていたりしていて、永久に残すようになっています。

建物に対して文化的な価値を認める習慣が日本に根付いていないのが残念だとハービーさん。そんな中でも自分にできることは写真で残すこと。それぞれのアーティストやクリエイターたちが文章や写真、映画や小説などの色々な活動を通して、日本人の心を豊かにすることが大切だとおしゃっていました。

WEB: ハービー山口オフィシャルサイト

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2009年06月23日

ハービー山口 -2- 写真に写るもの

今週のゲストは写真家のハービー山口さんです。

ハービーさんは様々なアーティストたちだけでなく、街の人の写真を撮ることが多くあります。「被写体となった方の心や人生の一片でも、そして写真を撮っている自分の人生、または両方が写りこんでいる写真には厚みがあって、見ごたえのある写真になる」と言うハービーさん。

人生や心が写るだけでなく、ハービーさんの写真を見ていると「良い瞬間」に出会う能力があるのではと思ってしまいます。それについては「運もあるのですが、毎日毎日良い写真を撮ろうというモチベーションをキープしていて、ライカを一台胸にぶら下げる事を続けることによって、何年もかかってつくっていくものだと思う。」と笑顔で答えてくれました。
最近は写真家の「人間力」についても考えるそうです。ただ「カメラを持ってるおじさん」ではなくて、包みこんでくれるようなヴァイブレーションや雰囲気を持っている写真家であれば、被写体となってくれる人たちは「この人に身を預けてもいいだろう」と安心してくれる。それが表情のちょっとしたところに出てくるんですね。この包容力や信頼感を得る「人間力」は、写真のテクニックと同様に大切かもしれません。

来年は、40年以上も前に撮った「20歳の時の写真」を発表したいとハービーさん。その頃のフィルムには、ハービーさんの礎を築いたある女性が写っているんだとか。それは池上本願寺でバレーボールをやっていた女の子たちの写真を撮らせてもらっていたとき。ハービーさんにボールが当たりそうになった瞬間、ハービーさんに向けられた瞳に「危ない!」と同時に「当たらないで」や「ごめんなさい」などの気持ちが込められていて、一瞬の間に、慈しみ、温かみ、優しさなど、人間の美しさの全てを瞳の奥に見たそうなんです。その時に「写真家として色々な国へ旅をして、この瞳の美しさを、たくさんの人々の中から探し出して撮り続けよう。そうしたら、最高に美しいポートレートが撮れる!」と思い、その価値観は今でも全く変わっていないそうです。今でも、その時見たの瞳を求めて写真を撮っていらっしゃるそうです。

WEB: ハービー山口オフィシャルサイト

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2009年06月22日

ハービー山口 -1- たくさんのアーティストとの出会い

今週 6/22(月)〜26(金) のゲストは写真家のハービー山口さん。

福山雅治さんや山崎まさよしさんなど、たくさんのアーティストの写真を撮っているハービーさん。多くのアーティストの写真を撮るきっかけになったのは30年くらい前。20代の頃、イギリスで暮らしていた時に、役者のアルバイトをしていて舞台に登っていらっしゃいました。その時、座長を務めていたのが日本人ミュージシャンのツトムヤマシタさん。劇団を解散した後、ヤマシタさんが当時のトップミュージシャンをたくさん集めてレコードを作った時に、ハービーさんはヤマシタさんに誘われて、写真を撮っていたそうです。

その後パンクが台頭してきた頃、ハービーさんにはSex Pistols のベーシストSid Vicious の元カノだったガールフレンドがいて、彼女の周りにはパンクロッカーがたくさんいたので、その人たちの写真を撮って日本の雑誌に掲載していたそうです。それをギター小僧だった、BOOWY結成前の布袋さんや氷室さん、L'Arc-en-Ciel のhydeさん、
THE YELLOW MONKEY の吉井さんなど、多くのアーティストたちが音楽雑誌で見ていて、「自分たちがいつか有名になったら、この人に撮ってもらいたい」という想いを抱くようになっていたそうです。そして帰国後、ハービーさんに声がかかり、アーティストの写真をたくさん撮るようになったんですね。

薫堂さんもTOKYO SMART DRIVERのキックオフの時にハービーさんに写真を撮ってもらったそうです。車も大好きなハービーさんは「ゆったりとした気分、大人の気分で運転するように心がけているので、スマートドライバーの優等生です。」とおしゃっていました。

WEB: ハービー山口オフィシャルサイト

◎ハービー山口:1950年東京生まれ。大学で経済専攻。卒業後、1973年にロンドンに渡り、およそ10年間を過ごす。ロンドンでは、一時期ツトム・ヤマシタミュージカル劇団レッド・ブッダで役者をしていたこともある。一方、折からのパンクムーブメントを実体験し、70年代の生きたロンドンの姿を写真に記録するようになった。特に、ロンドンのロック ミュージシャンの撮影では高い評価を受けた。帰国後もヨーロッパと日本を往復し、アーティストから巷の人々までを、気取りのない優しい表現のモノクローム作品に残している。その飾らぬ清楚な作品を好むファンは多く、写真集や写真展の他にエッセイ執筆、ラジオのDJ、音楽番組「Music Tide」(BSi)などで活躍し、写真家のジャンルを越え幅広い活動で人気を得ている。
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2009年06月19日

井原慶子 -5- レースを通して感じる車を運転するということ

今週のゲストは、海外を拠点に活躍する国際レーサーの井原慶子さん。

過酷なレースで戦い続けるためには精神的な部分の訓練も必要になります。レーシングチームにはメンタルトレーナーもついているそうですが、その人とは別に普段のトレーニングのときから、様々な競技のアスリートたちと一緒にトレーニングすることで、彼らより集中力が欠けているとか、他人と比べることでの発見や分析もあるそうです。

他にも自分の感情のパターンなどを読んだり、「いつもここで挫けそうになる」ということなどの分析をしてレースにフィードバックするんだとか。「客観的に見る」というのは、レーシングカーを運転するときだけではなくて、乗用車の運転のときでも必要だと井原さん。

そして、地球環境や車を取り巻く環境を変えるためにはどうしたらいいかお訊きしてみました。大切なのは「ひとりひとりが意識すること」。CO2を排出しないようにする、ということを意識することは浸透していっている気がしますが、例えばウィンカーを出されたときに気持ちよく一台ずつ入れたり、「みんなが渋滞しない」ようなことを予測して、そういう行動を取るようにすれば、”みんなが気持ちが良い道路”を走れるようになって、それは自分にも返ってくると思うとおっしゃっていました。

WEB: 国際レーサー井原慶子オフィシャルサイト

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2009年06月18日

井原慶子 -4- 世界のドライブ事情

今週のゲストは、海外を拠点に活躍する国際レーサーの井原慶子さんです。

レーサーになってから、海外遠征で色々な国の様々な道を走られています。砂漠の道やツルツルに滑るサンゴの道などもあるので、それぞれの道で走り方に気をつけるそうです。海外から色々な人たちが来て運転する国では「自分で安全を守る」という意識は高く、路面が滑りやすいか、ハンドルが右か左かなど気を付けることが習慣になっているそうです。

他にも日本とは意識が違うところが。車は道具だと思っているので、バンパーを擦ったからといって怒られたりはしないんだとか。擦っても大丈夫だと思えば縦列駐車も簡単に入れられますね。擦っても平気なようにバンパーが付いているという考え方。

イギリスのロンドンなどでの交通ルールには「コンジェスチョンチャージ」という、渋滞税を取っています。一昨年までは1600円くらいもしていたそうです。これはある一定の都心の区間に入るときは、1回につき、コンジェスチョンチャージを払わないといけないというもの。夕方頃までの混む時間に設定されていて、その時間に利用する人はコンジェスチョンチャージを払うわないといけないので、不必要なひとは公共の交通機関を使ったり時間をずらしたりするので、街がクリーンでCo2も少ないそうです。これがあることで、始めから運転するにあたっての計画性を持つことになります。

運転の仕方だけではなくて、運転する場所によって車を乗り換えるということも考えのひとつ。今後は電気自動車もたくさん出てくると思うので、「近場では電気自動車で、遠くへ行くにはハイブリッド」などのように、環境によって乗り分けることもできるようになるかもしれません。ヨーロッパの街中で小さい車が多いのは、狭い道でも動きやすいということだけでなく、人に迷惑が掛からないということも考えられているそうです。狭い道でも大きい車やあまりスピードを落とさない車も多く見かける日本ですが、まだまだ意識の変え方で安全な道が増えそうです。


WEB: 国際レーサー井原慶子オフィシャルサイト

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2009年06月17日

井原慶子 -3- モータースポーツとエコ

今週のゲストは、海外を拠点に活躍する国際レーサーの井原慶子さんです。

F1を筆頭にモータースポーツの世界では、企業やレーシングチームなどが日々、新しいマシンを開発していますが、この新しいマシンを作る技術が、エコな車を作ることにも関連しているそうです。例えば、レーシングカーはできるだけ車体量を軽く、空気抵抗を少なくしたり、その時の環境に合わせたタイヤの空気圧を見つけるなど、燃費が悪くならないように考えられています。

エコの基本要素を集約した、この技術が各メーカーの車にフィードバックされているそうなんです。そして車側だけでなく、技術者の頭が柔軟になって、思考能力が高まるのではと井原さん。そうしていけば、より良い乗用車が生まれてきます。


そしてもうひとつ、エコ運転に欠かせないのはドライバーの意識。井原さんが心がけるのは環境に順応する運転をすることなんだとか。例えば、日本でもようやく環境への意識が高まってきていて、そうした心がけをしながら運転をされている方も多くなっていると思います。でも、自分以外の車にとっても安全な運転しようとか、渋滞しないように運転しようと努力している方は、まだ少ないかもしれません。

色々な国を回って運転している井原さんにとって、その辺りがヨーロッパの人たちとの差だと感じるそうです。ヨーロッパでは様々な道路があって、石畳の街や川沿いの固い珊瑚の道路、きれいに舗装された高速道路など。。。それぞれの環境で、何を気をつけてどう運転すればいいのか、どうしたら他の人に迷惑がかかってしまうかなど、理解して運転している人が多いそうです。それを意識的に思って、自己責任で運転していると井原さん。「たぶんもっと、日本のドライバーの方たちがそういったことを意識して運転するようになれば、優しさや思いやりというより、それは当たり前のことになる。その意識をするということが、もっと広がればいい。」とおっしゃっていました。


WEB: 国際レーサー井原慶子オフィシャルサイト

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2009年06月16日

井原慶子 -2- プロとしての変化

今週のゲストは、海外を拠点に活躍する国際レーサーの井原慶子さんです。

昨日はレースクイーンからレーサーに転身するエピソードを伺いましたが、実際に「プロとしてやっていける」と思ったのは、1999年のデビューレース。無我夢中で走ったので、自分が何位か分からないままゴールをしたら3位だったときに、そう思えたそうです。これが免許を取ってから3、4年後。

運転免許を取るだけでなく、レースに出場するまでにはライセンスを取ったり車の知識を学んだり。。。練習は当時、自動車雑誌に執筆活動もしていたことから、カーメーカーの安全運転の講習のインストラクターをしていて、テストコースでテストドライバーや開発者の方に特訓してもらっていたそうです。教えてくれたのは、車の基本のメカニズムや車を優しくスムーズに動かす方法など、基本の基本をすべて教わったと井原さん。

そんな多くの基本のポイントの中から、私たちの普段の運転でも役立つポイントを教えていただきました。運転には「認知・操作・判断」というループがあり、これを正確に回すことが安全運転でありエコ運転のコツなんだそうです。簡単に言うと「車をスムーズに動かす」ということ。急発進や急ブレーキ、急ハンドルはもちろんNG。
レースでは急発進や急ブレーキはあっても、クラッシュを避けたりする以外には急ハンドルはないんだとか。急ハンドルをしないことは早く走る上でも、とても重要なんだそうです。


WEB: 国際レーサー井原慶子オフィシャルサイト

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2009年06月15日

井原慶子 -1- カーレースに魅了されて

今週 6/15(月)〜19(金) のゲストは海外を拠点に活躍する国際レーサーの井原慶子さん。

井原さんは2005年、日本人女性として初めて、イギリスのF3に挑戦されました。F3とはF1のようにタイヤがむき出しとなっていて屋根が無く、2ℓのエンジンを持ち、最高時速300劼らい出る車で走るレース。このレースでの女性ドライバーは現在、世界でも井原さんひとり。なかなか体力的に厳しいからとおっしゃっていましたが、井原さんもこうしてお話をしている感じでは、そんなに体力がありそうでもないのですが。。。

実は、レーサーになる前はモデルをしていて、レースクイーンの仕事もされていたそうなんです。もともとレースに興味があるわけでもなかったし、運転免許も持っていなかったそうなのですが、サーキットに初めて行ってたときに音とスピードに魅了されて、「あれに乗りたい。」と言ったら「バカじゃないの。」と言われたそうです。それでもさっそく翌日教習所へ。

そんな井原さんのデビューレースでは、記者の人たちに注目されていたこともあり、最初にレースクイーンの衣装を着ていて傘を持って自分のマシンの前に立って、時間になったらトイレでレーシングスーツを着て出てきてマシンに乗る、ということをしたんだとか。すごいですっ!

WEB: 国際レーサー井原慶子オフィシャルサイト

◎井原慶子:1973年東京都出身。大学在学中にモデルのアルバイ トを始め、モデル業の一環でレースクイーンとしてサーキットを訪れた際、モータースポーツに魅了される。「私もレーシングカーを操ってみたい!」との強い思いで普通運転免許を取得。20代半ばでモデルから国際レーサーに転身。1999年「フェラーリ・チャレンジ」でカーレーサーとして念願のデビューを果たした。その後、男性社会であるカーレースの世界で日本人女性初の国際F3参戦を果たし入賞。海外を拠点に世界で活躍する国際レーサー。
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2009年06月12日

kage -5- カリカチュアを通して、この先描く夢

今週のゲストはカリカチュアリストのKageさん。
    
Kageさんは2007年、Newsweek誌の「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれていらっしゃいます。
大会で賞を獲っていることは認めてもらいやすいけれど、絵を通してのメッセージや活動が認められたという意味では、単に受賞歴ということではなくて、またこういうものに選ばれたいとKageさん。

日本での「カリカチュアリスト」の大会は、2007年と2009年に国際カリカチュアリスト連盟のアジア大使をしているKageさんが誘致して開催したそうですが、それまでは一度も無かったそうなんです。日本でもっとカリカチュアを広めていきたいというのはもちろん、日本にはカリカチュアの優秀なアーティストがたくさんいるのに、活躍する場や、作品を多くの人に見てもらう発表の場も多くありません。なので、こういった大会を主催することでメディアにも見てもらうことがもできるし、アーティストにとっても勇気付けられるひとつのきっかけになればという思いがあるそうです。
 
日本人アーティストの実力は世界でも認められているそうで、Kageさんが優勝した年の2007年の国際大会の総合ランクのトップ10を見ると、4人の日本人が入っていたんだとか。前年の2006年は3人。翌年の2008年も4人。ここまで日本人が活躍しているのに、日本でカリカチュアがイマイチ定着していない現状を変えたい!という思いがあるそうです。

そんなKageさんのこれからの夢をお訊きしてみました。「ひとりでも多くの人と出会って、ひとつでも多くの笑いと感動とサプライズを提供していきたい。そしてこの輪をどんどん広げていって、カリカチュアがただの芸術ではなくて、ひとつの文化として日本に根付いていくことができれば。」とおっしゃっていました。

WEB: カリカチュア・ジャパン株式会社
Kageさんの最新刊「好きなことだけやればいい」があさ出版から発売中です
WEB:『好きなことだけやればいい』

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2009年06月11日

kage -4- カンボジアでの活動

今週のゲストはカリカチュアリストのKageさん。

Kageさんは毎年、カンボジアに行かれています。主にカンボジアやネパールの教育環境を支援するNPO法人「スクール・エイド・ジャパン」に協力されていて、毎年、支援状況などのため、現地の視察ツアーに同行させてもらい、参加しているそうです。

今年の3月に「子供たちの夢」を絵にしてもらうというプロジェクトがあったそうなのですが、子供たちはあまり絵を描いたことがなかったので、支援者の持ってきたクレヨンと色鉛筆を使って、子供たちに教えながら絵を完成させたそうです。絵を描き慣れなくても白紙という子はまずいなくて、たくさんの色を使って描こうとする。そして、誰も躊躇しないで描き始める。
子供たちの想像力や打ちに秘めたエネルギーは本当にすごいと思ったとKageさん。子供たちの夢で圧倒的に多かったのは医師や看護師、そしてNPO団体の職員。「自分たちがこうなりたい」という先に、「自分がこうなって、自分の国を、家族を助けたい。地域のためにこういうことをしたい。」というのがあるんです。「自分のため」だけの夢じゃないんですね。

「今まで明日に対して希望を持てなかった子供たちが、三食のご飯を食べられるようになって、教育を受けられるようになって、希望を持てるようになった。次はそれを具体的にどう叶えていくか。この次のステップが具体的に見えたことも、今回のツアーはとても良かった。」とおっしゃっていました。

WEB: カリカチュア・ジャパン株式会社
Kageさんの最新刊「好きなことだけやればいい」は、あさ出版から発売中です。
WEB:『好きなことだけやればいい』

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2009年06月10日

kage -3- カリカチュアの魅力

今週のゲストはカリカチュアリストのKageさんです。

似顔絵を個性豊かにし、描く画法「カリカチュア」。Kageさんはアメリカでカリカチュアを始められて、今は日本に戻ってきて作品をつくり続けていらっしゃいます。そんなKageさんに描いていただいた「カリカチュア」をスタジオにお持ちいただきました。

なんとKIKIと薫堂さんを描いてきてくださったんです。カリカチュアのおもしろい魅力を実感できました。誇張されていて、本物とは違うのにすごく似ています。実際に会って描いたわけではないので、何枚もの写真を見て、そして写真だけでなく、書籍なども見て、「この人はどんな人なんだろう?」と想像しながら描かれたそうです。
クイックタッチなので1枚15分くらいで描かれたそうですが、描き始めるまでの下調べでずいぶん時間をかけてくださったそうです。使った画材はアートスティックス。パステルのように見えます。

Kageさんが帰国されたのが2001年の12月末。それまでカリカチュアの文化がまだ浸透していなかった日本で始めるにあたって、やり方を少しアレンジされたそうです。例えばアメリカにお寿司が渡ったときに、握りよりも巻物のロール寿司に人気が出たように。日本の人はわりと、楽しみたいんだけどあまり楽しみ方が分からないという人やシャイな人が多いとKageさん。
だからアメリカでは「どういう風にしますか?」と聞けば「こういう風にしてくれ」と言われるそうなのですが、日本で描く場合は、いくつかのサンプルを見てもらって、誇張の感じなどを決めるそうです。確かにそちらの方が頼みやすい気がします。カリカチュアの魅力、笑顔と一緒に日本でももっと広まると良いですね。


WEB: カリカチュア・ジャパン株式会社
Kageさんの最新刊「好きなことだけやればいい」があさ出版から発売中です
WEB:『好きなことだけやればいい』

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2009年06月09日

kage -2- カリカチュアの世界大会

今週のゲストはカリカチュアリストのKageさんです。

2007年、Kageさんは国際カリカチュアリスト連盟が主催する世界大会で優勝されました。この大会では一斉に集まった競技者たちが会場に1週間くらい缶詰めになって、お互いを描き合うんだとか。そして1週間の中で描いた絵を壁に貼り出し、それを競技者がジャッジするという仕組み。色々な表現の仕方があって、向き合いながら早く描きあげる人もいれば、撮った写真を見ながら時間をかけて描く人もいる。そういったことも含めて10部門くらいあり、各部門ごと、プロの中で選ばれた人が受賞するそうです

絵の世界で「勝つために」というのは良く思われないこともあるそうですが、格闘技で一度挫折を経験しているKageさんには、人から学びつつ、友情も深めつつ、でも競技は絶対勝ちたいという強い思いがあり、研究はかなりしたそうです。Kageさんがこの大会で優勝されたのは、出場5回目の挑戦で。

アメリカでのカリカチュアリストとしてのデビューはアメリカへ渡ってから1年目の夏。ずっとお手伝いというかたちではやらせてもらっていたけど、お給料をもらっての仕事ということではなかったそうです。そこへたまたま大きい仕事で欠員が出て、不安を抱えつつ会場へ行ったというKageさん。当時、絵だけでなく英語もまだそんなに上手くなくて、楽しそうに会話をしながらやっていて絵も上手い仲間たちを目の当たりにして、自分としてはそんなに満足のいくものではなかったそうです。そんな気持ちを他所に、終わって帰るときに、会場にいた人たちが拍手をしていたんだとか。誰に贈られているのかと思ったら、Kageさんに向けたものだったそうなんです。これが本当に久しぶりに誰かに「ありがとう」と言われた気がしたとKageさん。感動して涙が出た。その瞬間に「自分はコレで行こう!」と思ったそうです。

Kageさんが考えるカリカチュアとは「モチーフの外見的特長と内面の個性を”誇張・デザイン・ユーモア”のうちのいずれかの技術を使って、描くテクニック」のこと。話をしながら、人を観察してしまうのは職業病かもとおっしゃっていました。
Kageさんの最新刊、「好きなことだけやればいい」は、あさ出版から発売中です。

※著書『好きなことだけやればいい』
あさ出版刊 定価:1365円

WEB: カリカチュア・ジャパン株式会社

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2009年06月08日

kage -1- カリカチュアとの出会い

今週 6/8(月)〜12(金) のゲストはカリカチュアリストのKageさんです。

似顔絵を個性豊かにし、描く画法「カリカチュア」。Kageさんが最初にカリカチュアと出会ったのは小学校4年生の頃、家族旅行でラスベガスに行った時。

いわゆる似顔絵とは全然違い、非常に誇張されていて、面白い描き方で、アーティストが描いている姿も周りで見ていてすごく格好良いと感じたとKageさん。そして作品そのものだけでなく、人種や国籍関係なく、周りで見ていた人たちが描いているアーティストの手の動きに見とれながら、笑いを共有しているところを見て、とても衝撃を受けたそうです。
「自分もいつか、あんな風に描けるようになれたら良いな」と思い、それ以来、絵を描くことにも興味が出て、学校でも先生を描いたり友達を描いたりするようになったそうです。とはいえ、その頃の将来の夢は「プロレスラーになること」。

子供の頃は喘息持ちで、ずっと入退院を繰り返していたというKageさん。「強さ」への憧れがずっとあって、一番分かりやすいのが体が大きくて、強いプロレスラーだったから。憧れていたのは前田日明さん。夢を見るだけではなくて、実際に目指したそうです。小学5年生からずっと毎日トレーニングをして、少しずつ体質が改善されてきて、中学生になったときには喘息も治り、高校へ進んでプロレスの基本はレスリングだろうということで、レスリングが強い学校へ進学しました。

それから高校ではレスリング部に所属し、365日休み無く練習をしたそうです。アニマル浜口道場にも入門し、本気でプロレスラーになるつもりだったKageさん。

プロレスラーは武者修行でアメリカへ行くことがよくあるそうなのですが、その感覚で、高校を卒業するとすぐにアメリカに渡ったそうです。ジムも盛んなカリフォルニアへ行って体を大きくして、たくさんトレーニングをして、アメリカの格闘技の試合にたくさん出て、良い成績を残して、逆輸入で日本の「PANCRASE」という団体に入ろうと。。。かなり本気だったそうです。

まず試合に出るために、どこかに加入していなくてはいけないということで、高校のレスリングコーチに就任されました。ところが、Kageさんがコーチに就任したとたんに、当時30名くらいいた部員があっという間に1人になってしまったんだとか。理由は単純に練習が厳しかったから。今思うと、「生徒を強く育てよう」という想いからではなくて、自分が試合に勝つための練習の場所として考えていたからだとKageさん。他のコーチと相談した結果、Kageさんもコーチを辞めることになったそうです。そうすると試合にも出れなくなってしまいます。これから先のことを考えながら、通っていた語学学校とジムとの間にあるショッピングモールでお茶を飲んでいたとき、気持ちをリラックスさせるために自己流でカリカチュアを描いていたというKageさん。この続きはまた明日、ゆっくりお聞きします。

WEB: カリカチュア・ジャパン株式会社

◎Kage:1977年東京神田生まれ。NCN(National Caricaturist Network:国際カリカチュアリスト連盟)アジア大使 。1996年〜2001年12月まで米国カリフォルニア州サンディエゴを拠点とし、カリカチュアリストとして活躍。現在は日本を拠点に各種イベント・パーティー、ギフト制作等を行う他、米国・欧州と幅広く活動している。2007年には世界大会で優勝し、「Newsweek」誌の「世界が尊敬しる日本人100人」にも選ばれる。
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2009年06月05日

近江正隆 -5- 思い通りにならないからこそ

今週のゲストは「北海道・十勝の農村漁村と都会を結ぶ様々な活動をしている漁師さん」の近江正隆さん。

東京の目黒出身の近江さんは19歳から北海道の十勝で暮らし始め、それから19年経ちました。改めて北海道から見た東京の魅力をお聞きすると、思っていたよりも人は温かいということ。そしてある程度の計画性があるということ。「努力したら報われる」という構図がある気がすると近江さん。漁師の世界は極端かもしれませんが、ひとつとして予定通りにはならないそうです。農業はまだ「種を蒔く」とういうステップがあるので、多少の計画性はありますが、とはいえ大きな自然の力には逆らえません。その上、養殖ではない漁業は神頼みで自然任せ。そうすると、決して努力していないからということではなくて、計画しても思い通りにならないのは当たり前なのかもしれません。

そんな、思い通りになることがないからこその、漁師さんのエピソードをお話してくれました。例えばししゃも漁中は30杯くらいの船が出ているそうなのですが、転覆した船が出ると、近い船が助けに行くというわけではなくて、漁をしている船全てが助けに駆けつけるそうです。実際に助ける作業ができるのは2、3杯の船にも関わらず、一番遠くにいる船も一報を聞くと、助けることを最優先にするんだとか。普通に考えると、何もできずに周りで見ているだけだったら、海に投げてある網を上げて魚を獲ってから駆けつけても何も問題が無いように思えます。さらに驚くのは、網を上げている最中に一報を聞くと、その網を切ったりもするそうなんです。そうすると、魚が獲れないだけでなく、さらに損害が出てしまいます。そうしてまで駆けつけても、何もできずに見ていることになったりもします。それでも「困った人を助けるのが最優先」というのが身についているので、みんながそうするそうです。

その理由を考えてみると、漁業というのは思い通りにならないから、自分ひとりでは何もできないから、みんなで支え合っていこうというのが自然にできているんだと近江さん。人として大事なことを感じ得る場所。だから修学旅行に限らず、多くの都会の人たちに今までと違った考えを吸収する場として来てもらえたらとおっしゃっていました。

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2009年06月04日

近江正隆 -4- 「十勝おやじの背中を超える会」 

今週のゲストは「北海道・十勝の農村漁村と都会を結ぶ様々な活動をしている漁師さん」の近江正隆さん。

次から次へチャレンジをしている近江さんは去年、農家と漁師を応援する「株式会社ノースプロダクション」を設立されて、そのお仕事の一環で「十勝おやじの背中を超える会」を立ち上げました。メンバーは20代〜30代前半の若手の農家さんたちで35名ほど。

そのバックには農協青年部の1500人の組織があるので、将来的には十勝を背負って立つ1500人の活動になればという想いがあるそうです。もともと彼らの中にはそういった横のつながりは無かったそうです。十勝といってもそこからまた細かく分かれて、分かれた地域での集まりや活動はあったそうですが、それが横断したみんなでの取り組みというのは、たぶん初めてだと近江さん。

他にも「日本食糧供給プロジェクト」というのをされていて、十勝の魅力・価値である「食料自給率」に、まず十勝に住む人たちに気づいてもらいながら、きちんと都会に向けてそれを発信していく。生産者の生の声でこの価値を発信していって、自分たちの地域が自分たちだけのためではなくて、この国にとって大事なんだということを伝えていくプロジェクト。十勝にはそれだけの実力があり、だからこそ、みんなが安心して食べれる美味しいものを作っていかなければいけないということに、生産者の側にも気づいて欲しいとおっしゃっていました。     

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2009年06月03日

近江正隆 -3- NPO法人「日本のうらほろ」

今週のゲストは「北海道・十勝の農村漁村と都会を結ぶ様々な活動をしている漁師さん」近江正隆さんです。

2006年に近江さんが設立したNPO法人「日本のうらほろ」。浦幌は近江さんの住んでいる町の名前で、帯広と釧路の中間辺りにあります。人口が6000人くらいの町。日本の食料自給率が約40%、東京が約1%と問題になっている中で、浦幌ではなんと2900%。農業が基幹産業で、とても盛んなんです。

資源が無いとか生産力が無いといわれる日本において、自分たちは都会に住む人たちの分まで食料を作っている、それだけ価値がある町なんだという思いを込めて「日本のうらほろ」という名前をつけたそうです。活動としては、高校の修学旅行の受け入れもされています。大阪の高校がメインなんだそうですが、高校生に浦幌へ来てもらって、浦幌の一次産業に触れてもらう。その前段で、近江さんが大阪の高校で授業も行っているそうです。

修学旅行で泊まるといってもホテルがあるわけではないので、1軒の農家さんの家に2〜3名ずつの生徒がホームステイするという町全体で受け入れるシステム。受け入れた家の方たちも高校生とのふれあいの中で、普段は当たり前だと思っていることに対して驚いたり喜ぶ子供たちを見て、「もしかして浦幌って魅力的なのかもしれない」と自信が持てたりもするそうです。
一方が与えるだけでなく、お互いに受け取るものがある修学旅行って素敵ですね。

近江さんが、修学旅行で訪ねてきた高校生たちに、将来望むこと。浦幌のような農村魚村にも良いところはあるし、大阪や東京のような都心にも良いところはたくさんある。そしてそれぞれに役割がある。その役割をお互いに認め合い、そういった関係の中でお互いの足りないものを支え合っていくような関係を築いていければ。大人になったときに、あの地域の人たちがいるから自分たちも安心して暮らせるんだから、と支え合いの心を持ってくれればとおっしゃっていました。

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2009年06月02日

近江正隆 -2- 生産者と消費者の交流食事会

今週のゲストは、北海道・十勝の農村漁村と「都会」を結ぶ様々な活動をしている漁師さんの近江正隆さんです。

近江さんは「旬の逸品やさん」というネットショップを運営されていて、そこのお客さんを集めたイベント「交流食事会」を開催されています。年に2回くらいのペースで行っているそうなのですが、そのほとんどの開催地が東京なんだとか。

この食事会では、ネットショップについての意見や取り扱っている魚の調理法など、話をするのがメインですが、そのときにしか食べられないという、普段のネットショップでも扱わない”本当に旬な食材”を持ってきてくれるそうです。例えば「ししゃもの刺身」のように東京で暮らす私たちには聞くのも初めてのものも。食事会で話にあがったものが実際に商品になったこともあるんだそうです。

この食事会には、近江さんと一緒にやっている農家や漁師の仲間の方たちも一緒に参加されるそうです。今までは組合にそのまま出荷して市場に出して。。。という流れの中で、自分たちが何をやっているか分からなかったというところがあるという彼らも、お客さんが目の前で食べているところを見ると、「この人のためにもっと良いものを獲ろう・作ろう」という意識につながると近江さん。他にも、例えば漁師さんたちにとっては、そんなことで喜んでもらえると思っていない、当たり前のことでも東京で暮らす人たちにとっては新鮮なことがたくさんあります。普段、特別意識しない、ありふれたものだと思っていたものの魅力に気がつけるのも、この食事会の良いところだとおっしゃっていました。   

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2009年06月01日

近江正隆 -1- 農村漁村と都会をつなぐ

今週 6/1(月)〜5(金) のゲストはNPO法人「日本のうらほろ」理事長の近江正隆さん。

「NPO法人日本のうらほろ」では北海道の農村漁村と都会を結ぶ色々な活動をされていますが、近江さんのご出身は東京の目黒。19歳で北海道に移住されました。北海道で暮らすことになった最初のきっかけは学生の頃、酪農実習というのが十勝であり、そこで1年間経験したことから。自然への憧れがあり、1年間酪農の実習をした近江さんでしたが、漁師もやってみたいという思いもあったそうです。とはいえ、漁師の仕事は新規就業もあまりなく、アルバイトを募集しているわけでもありません。そこで釧路から小樽まで2ヶ月リュックを背負って、港で漁師の方に声をかけて、船に乗せてもらって、働かせてもらっていたそうです。働かせてもらう了承を得るまでに半年以上もかかったそうです。

やっとの思いで漁師になった近江さんでしたが、環境問題の影響などもあり漁業の環境がどんどん悪化していく中で、それだけでは生活していけないと思い、副業として自分で獲った魚を加工して、インターネットで販売するネットショップ「旬の逸品やさん」を始められました。それが北海道から外へ向けて発信した最初のアクション。それが1999年のこと。

最初は自分が獲った魚というコンセプトで、自己満足の世界だったと近江さん。お客さんの欲しいものを関係なしに自分が売りたいものを並べていたそうです。それでは全然売れなくて、「お客さんが欲しいものを」と考えるようになって品揃えを始めたぐらいから、徐々にお客さんもついてくるようになったそうです。近年、ショップで売れるメインとなっているのは「ししゃも」なんだとか。どんなに売れるからといっても、ししゃもの漁期は1年で1ヶ月くらいしかないそうで、10月の中旬から11月の中旬。自然をいただいている感じがしますね。

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