YMOはヒップホップシーンにも影響? 世界の音楽に与えた影響【特集】

2018年11月29日

J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:藤田琢己)。11月28日(水)のオンエアでは、Licaxxxとのコンビでお届けしました。

注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組の アーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は、今年で結成40周年を迎えるYMOこと、イエロー・マジック・オーケストラを特集。

【1回目】伝説の音楽グループ・YMOを大特集! 「イエロー・マジック」の意味とは?
【2回目】YMOは、いかにして「社会現象」となったか? コントとコラボする斬新な試みも

細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんの3人で結成された、テクノ音楽の元祖とも称される、日本が世界に誇る音楽グループ、イエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)は、1978年のグループ結成から今年で40周年を迎えました。

Licaxxxは「YMOはテクノを知ったうえで聴くと、いろんなテクノの歴史に影響を与えていることがわかる」とコメント。「日本人ならではのキャッチーなメロディーに対して、あまりドラムマシンが使われていなかった頃に、緻密なモジュラーを組んだりすることは日本人が得意だったのかな」と独自の見解を述べました。

2日目までは、1978年のデビューから、1979年のアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』と、1980年のアルバム『増殖』と2作品がオリコン・アルバムチャートで1位を獲得したところまでを紹介。3日目はその続きから。

■世界の音楽シーンのターニングポイントを担っていた

2枚のナンバーワンアルバムを世に送り出し、時代の寵児となったYMO。1981年にリリースしたアルバム『BGM』でひとつの転機を迎えます。

80年代初頭は音楽制作に関する機材やコンピューターが飛躍的に発展を遂げた時代でもありました。そもそもYMOは、細野さんが当時、クラフトワークが人間のグルーブや演奏ムラを一切排除した、打ち込み主体の音楽を作っていることに影響を受け、そこから着想を得て始まりました。

それぞれ楽器の腕前もたしかな3人。初期のアルバムは生楽器とプログラミングやシンセサウンドが融合していましたが、『BGM』にはほとんど生楽器の音は使われず、打ち込み主体で制作が行われました。

また、それまでYMOのレコーディングではほとんど使われなかった、インスタントなリズムボックスがはじめて導入されました。その機材は「ローランド・TR-808」で、いまだにいろいろなアーティストがその機材名を楽曲名やアルバム名に用いるほど。「ローランド・TR-808」はリズムセクションにおいて、非常に重要な役割を果たしました。

その後、「ローランド・TR-808」はアメリカに渡り、ヒップホップシーンの誕生に大きく関わることになります。つまり、YMOを通じてこの機材が世界に知れ渡ることになった点で、知らず知らずのうちにYMOは世界の音楽シーンにおいてターニングポイントを担っていました。

同じく1981年にリリースされたアルバム『テクノデリック』では、海外レコーディングで体験した世界初のPCMリズムマシンに着想を得て、国内で制作したオーダーメイドのサンプラーを使用するなど、実験と冒険を繰り返していきました。単純な音の印象で言うと、初期の作品と比べて取っつきにくい曲が並んだことから、離れていくファンも少なからずいました。ただ、音楽的な観点からすると、彼らが常におこなってきた実験的な作曲スタイルが、後の多くのミュージシャンに道を作っていきました。


■ソロ活動は、楽曲提供や俳優、漫才まで

ますます発展を遂げていくデジタルツール。もしかすると、当時のメンバーたちは「日本にいながらにして世界最先端の音作りをしている」との自負があったかもしれません。

その後、YMOが3度目のワールドツアーに出ることはありませんでした。そのまま1982年はYMOとしての活動は陰を潜め、3人はそれぞれソロ活動や楽曲提供など、バンド以外の活動に力を入れました。

細野さんは自身の作品制作のほか、はっぴいえんど時代の盟友・松本 隆さんと共に松田聖子さんに楽曲を提供。坂本さんは郷ひろみさんや前川 清さんなどの楽曲プロデュースを行いつつ、忌野清志郎さんと一緒にシングル『い・け・な・いルージュマジック』を発表。さらに、大島 渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』の撮影に俳優として参加したほか、自身初となる映画音楽を手掛けました。そして、高橋さんは音楽活動はもちろん、漫才ブームの当時、テレビ番組『THE MANZAI』に「トリオ・ザ・テクノ」の名で出演し、漫才を披露しました。


■『君に、胸キュン。』のヒットから「散解」

それぞれ別々の活動を経て、1983年にシングル『君に、胸キュン。』で、YMOとしての音楽活動を再開。

「久々にポップなYMOが帰ってきた」とファンを喜ばせたこの曲も収録されたアルバム『浮気なぼくら』をリリース。個々の活動中に歌謡曲も多く手掛けてきた影響もあったのか、歌謡曲テイストのなかにYMOらしいシンセサウンドをさりげなく混ぜ合わせたこの作品は、アルバムチャートで1位を獲得する大ヒットとなりました。

細野さんは「当時のヒット歌謡曲とは一線を画した作品で、どちらかというと『テクノデリック』第2弾の位置付けのようだった」と話をしていました。

その後、何枚かのアルバムを追加リリースしますが、メンバー的には実質的ラストアルバムと位置付ける『浮気なぼくら』を経て、1983年10月に雑誌『GORO』のインタビューで、はじめて正式に「散解」(解散)が表明されました。

この続きは最終日、29日(木)にお届け。「散解」を経た後のYMOの活動と、彼らの音楽が今のミュージシャンたちに与えた影響について紹介します。

【4回目】YMOの魅力は「世界の音楽を取り入れて、自分たちの音にしている」 odol・森山が語る

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【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時−24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
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