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2010年09月10日

終着駅

日本語には終着駅という言葉はない、
とメロドラマ映画「終着駅」が公開されたときに論争になったことは
記憶に新しい。といっても、私が生まれる前の作品であるから、
あとから知って、「そうだよな」と思った印象が鮮明に残っている、
くらいのことである。
深く追求しない。
1953年のこの映画で日本語でこのタイトルが付けられるまで
「終着駅」なんて言葉は存在していなかった。
「終点」でしょ。
私が高校まで過ごした幡生(はたぶ)には、幡生駅がある。
この駅は鉄ちゃん以外には全く無名の小さな駅であるが、
驚くべきことに、あのやんごとなき京都駅と結ばれている。
山陰本線の始点、終点の関係なのである。
しかし、摩訶不思議なことに幡生駅が終点なのに、
列車は下関駅まで運行する。
謎の終点、幡生である。
この駅にはかつては大操車場があり、
「分け入っても分け入っても幡生駅」
と呼ばれるくらい、学校の見学で足を踏み入れると
奥が見えなかった。
したがって、私の通った幡生駅のすぐそばにある
生野(いくの)小学校の生徒の半数近くは国鉄関係で働く方々の
息子さん、娘さんであった。はずである。
さながら国鉄学校の様相で、
全員全国すべての駅名を覚えさせられていた。
これは嘘。

山陰の奥地に遊びに行った帰りに、列車に乗ると
「次はしゅうてーん、しゅうてーん、幡生です」
とアナウンスが流れていたような気がするが、どうだろう。
間違ってるかな。
幡生関係の方、間違っていたら、ご指摘ください。

試写の案内で「終着駅 トルストイ最後の旅」の葉書をいただいた時は
「おいおい、また間違った日本語、『終着駅』だぜ」
と思ったのだが、辞書を引いてみると、ちゃんと載っている。
どうも、あのメロドラマ映画以来日本に定着してしまったようで、
鉄道だけでなく「何とかの終着駅」みたいな、
使われ方をしているね。
「男と女の終着駅」とか、どう?
そんな使い方しないか。

まじめにやろう。

この映画はトルストイの晩年の物語である。
知ったかぶりはできないので、正直に告白するが
実はトルストイの作品は読んだことがない。
馬鹿にしたければしてください。
この映画を見て、俄然トルストイに興味が湧いて、
まず、「復活」を買ってみた。
短いのはつまんなそうだったのである。
まだ「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」と大御所が控えている。

トルストイの奥さんは世界三大悪妻として知られているようだが、
実は私、それも知らなかった。
この映画では、その通説に別の視点から光りを当てている。
トルストイはトルストイ主義という人間愛、反暴力、道徳を説き、
果ては国家、私有財産の否定まで至り、
アナーキズム、原始共産制のような理想世界を祈ったのだが、
その理想と妻の求める愛の間で葛藤する。
重厚、かつすべての役者の演技が光る作品である。
日本の武者小路実篤と重なるイメージがあるが、
トルストイはやることが徹底している。
武者小路は若い頃に読んだが、どうも、甘ったるくていけない。
「仲良きことは・・・」じゃすまないだろう、
と青臭く感じた記憶がある。

この映画の日本語タイトル。
「終点」ではどうしても成り立たない。
「終着駅」で正しい。

9月11日公開。
映画『終着駅 トルストイ最後の旅』オフィシャルサイト

大倉

BOOK BAR staff| 02:55 | カテゴリー:映画部


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