J-WAVE SELECTION SMBC EARTH TALK

私たちと地球の未来に向けてのビジョンを語る 今月のラインナップ

第二部『チャレンジすることは不安もあるかもしれませんが、楽しむ工夫ではないかとも思っています。〜チャレンジと楽しみと学び〜』

竹村
先輩から「登頂癖をつけろ」と言われ、それで自分のリミッターを外して新たな限界に挑戦する自分を発見していった、と本の中にも書かれています。自分の限界を自分で決めて「もうダメだ!」と思っても、それを越えていく自分をまた発見していく。それが否定の壁を登っていくという表現にもつながっているのだと思います。
私も栗城さんのような極限状態ではありませんが、若い頃、世界中を研究のためにフィールドワークしていた頃、アマゾンの先住民の中に入って暮らしたことがあります。そのとき高熱を出して倒れたのですが、医者も薬もありません。そんな中、本能的にアマゾンの川に身を浸して熱を下げたのですが、半日もいるとピラニアに食べられるかもしれない、そんな恐怖と戦いながら身体をつけて自然治癒していきました。そういう不思議な経験もあります。
やはり人間の身体の中には、普段の生活ではなかなか出ない、いろいろなポテンシャルが折りたたまれいてるのでしょう。そういうものが開かれていく場に自分を置いていく、自分で限界を設定しているだけではないか、という栗城さんの言葉は非常に重いと思います。
一方で、限界を突破することだけに意識が向いていると、いつの間にか自分のコントロールを失ってしまう。そういう危険性も指摘しておられます。
 私の専門は人類学ですけれども、人類はアフリカを出て世界中に広がりました。特にポリネシア一帯に広がっている人たちを考えてください。海上には数千キロも島影が見えないところもあって、数百キロまで近づいてくると火山島が噴火していたりすればわかるかもしれませんが、数千キロも離れたハワイとタヒチなんて、その間、全く何もないわけです。そこは合理的に判断していたら移住なんて絶対にできなかったわけです。やはり普通は考えられない、何か達成できる見通しも立たないところをジャンプしてきて人類の今があるような気がします。
極限のところを等身大でやりながら、それを多くの人たちとシェアする。大変に、現代的な登山の仕方だと思います。今、その体験を学校などいろいろなところで講演され、応援し合う社会をプロデュースされているわけですけれども、やはりご自身の最初の体験もあるように、最初からつまらない否定形で潰されることが山ほどあると思ったのですね。
 学校などに行かれて、今の子どもたちから、そういう話を聞くことがありますか?
栗城
講演の後に子どもたちに「将来何をやりたいの?」と聞いていくのですけれども、「こういうことをやりたい」と希望をあげた子に、「お前の成績だと無理だろう」と先生が即座に否定する現場を何回か見たことがあります。
また「公務員」と、地道な未来を口にする子はいるのですけれども、最近「楽して生きたい」と答える子が多いのにショックを受けました。驚きました。いろいろな学校を回るのですけれども、しょっちゅう聞こえてくる声で、これはもったいないと思いました。
ぼくは凍傷になって指を切断してから半年間ほど、手取りのお給料が147円という時期があったのです(笑い)。なかなかないですよ147円って。講演もできないし、仕事もできなくて、でも治療費も高いし、個人的な借金もしている中で、これは生活できるかなとさすがに思いました。けれども半年経ってもきちんと生きていたし、今はこうやって山も登っています。
考えたのですが、支えてくれる友人、仲間、応援してくれる人たちもいたけれども、根本的にはぼくが生きている日本が豊かだからではないか。では、日本が豊かなのはどうしてかというと、それはお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、先代の方々が72年前の焼け野原の、東京なんて何もないところから努力してつくり直して、今の日本の豊かさがある。
そこで初めて何かにチャレンジして、手取り147円でも飢え死にしない素晴らしい国にしてくれたのに、その子どもたちが、将来楽して生きたいと、これを72年前の人たちが聞いたら悲しむのではないかと思ったのですね。チャレンジして、失敗しても、この国では飢え死にすることは絶対にないので、その分は自信を持っていろいろなことにトライして良いのではないかと思いました。
竹村
凍傷のために手の指をほとんど失われた栗城さん。そのときにお父さんから言われた言葉が何と、「おめでとう」だったそうですね。
栗城
はっはっは、そういうことを言っていましたね。
竹村
その心はなんでしょう。
栗城
手だけではなく両足も重度の凍傷で、鼻も実は取る予定だったのですけれどもギリギリ残りました。母はぼくが17歳のときに病気で亡くなっていて、父にはたくさん心配かけていたので、さすがに指を切断するとは、最初は言えませんでした。けれども切断する前に言わなければなりませんから、思い切って電話をすると、「おめでとう!」と。何がめでたいのか。
「ひとつは生きて帰ってきたことに、おめでとう。もうひとつは、そういう苦しみを背負ってまたチャレンジするのは苦しいかもしれないけれども、再び素晴らしい体験ができることに、おめでとう」
 これを聞いたときは、本当に嬉しかったです。
竹村
どういう人生を生きていた方なんだろうと、お父さんにも興味がありますけれども、それだけの経験資源を得て生きて帰ってきたことに対してでしょうか。
栗城
苦しいかもしれないけれども素晴らしい体験なんだよと、これは冒険と言いますか、登山の神髄を突いているのではないかと思いました。ああいった冒険の世界は苦しみが大きければ大きいほど、頂上に着いたときの喜びや学びも大きいのですね。凍傷になって不自由なこともたくさんあったのですけれども、その分、気づかなかったことや学びがあることを父はわかっていて、それはめでたいことだ、みたいな感じのことを言っていました。
竹村
学びがあるとは、具体的にどういうことですか。
栗城
たとえば大きな学びでいうと、「楽しむ」です。凍傷になって、最初、靴の紐は結べないし、箸を持っても落としてしまうし、山道具を一切持てない状況で、でも自分に問いかけたら、やはり山に登りたくて、ある先輩に相談したのです。その先輩と冬の八ヶ岳に行ったとき、「山を見るのではなく、自分を見ろ」と言われたのです。
ハッとしました。それまでぼくは、エベレストのことばかりを考えていたのです。それで一点に集中するのは良いのですけれども、ひとつ失っていたものがあって、それは「楽しむ」というキーワードでした。
 6年ほど前に、ある山の先輩に言われたのは下山の判断基準で、「どういうときに下山すればいいですか」と聞くと「楽しくなかったら下山しろ」と言われたのです。凄い言葉だと思ったのを思い出して、そういえば、考えてみればエベレストに向かうのは素晴らしいことなのですけれども、何か心の余裕、楽しむという根本のところを見失っていたなと思い当たりました。
 実は山の事故は、振り返ってみると楽しめていないときが危ないときでして、自分がそれだけ追い詰められていた証拠ですから、事故になる一歩手前、それは自分が事故を起こしてから経験したと言いますか、気づいたことではありました。
竹村
こういう言い方は適切かどうかわかりませんが、楽しむ余裕がないときが危険であることと同時に、楽しめていなければ、その世界を十分に経験できないのではないか。本来、登山とは異次元の世界と出会い、異次元の自分に出会い、そういう形で人間の高次元を発見していく営みなのだとすると、楽しめていないのは、そういう次元でやっていないことだから、それだったら帰ったほうが良いよと、今伺っていてそのように聞こえました。
栗城
そうですね。根本的に、チャレンジすることは不安もあるかもしれませんが、楽しむ工夫ではないかとも思っています。
竹村
極限の状態にあるとき、自分にはこんな能力があるのかとか、意外な自分を発見したことはありますか?
栗城
意外な自分、ですか。そうですね、意外と冷え性でした(笑い)。他に特別なことはないのですけれども、ずっと独りで登っていて、ひとつだけ段々とわかってきたことがあります。ああいう世界に向かって行くとき、とにかく食事の量をとても減らします。たとえば1日分がカップラーメン1個分、約350kcalです。
竹村
それは持っていく量を少なくするためですね。
栗城
あとは酸素の消費量をいかに抑えるかが大切です。一番酸素を使う場所は、通常で生きている場合、脳なんです。脳は3割近く使いますから、ここに不安やストレスがかかると酸素を余計に食ってしまいます。それでぼくらは登る前から、いかにストレスをなくしていくか、という作業をしていきます。
何をするかと言いますと、たとえば不安になるもの、ストレスに感じるものを客観視していきます。そこに自分自身が入っていくのではなく、自分はこういうときにストレスになるんだとか、自分の心の癖を見ていくことをずっと続けながら登って行きまして、そんなことをやっていたら、心は存在しないのではないか、そんな風に段々と思うようになりました。何を言っているかわからないですよね(笑い)。
竹村
でも禅など、聖者の修行の世界がありますけれども、ヒマラヤにはそういう伝統がずっとあったのでしょう。
栗城
そういえばヨガとか、禅とか、原点がヒマラヤだと言われていました。確かに、そういう環境にいたからこその気付きがあったかもしれません。
竹村
心とは、自分がつくり出しているものである。不安もそうですし、先ほどの否定の声もそうですね。こういうことはビジネスの世界でも言われたりしていると思いますが、元々心理学的なこと、心とは何ぞや、などと考えるほうではなかった?
栗城
全くありません。独りで登っていくとき、精神的な威圧感、ストレス、脳の消費量が激しかったものですから、そこに適応するにはどうしたら良いかと常に自分の中で、トライ&エラーみたいに繰り返しながらやってきたという感じです。
竹村
このように自然にエクスポーズされていると、逆に環境の変化も敏感に感じられのではないでしょうか。それは同時に、登山のリスクでもあります。たとえばヒマラヤなどは地球温暖化で雪崩が起こりやすくなっています。あるいは極地では氷河が解けている、世界中の沿岸では洪水が起こりやすくなっている、その辺のリスクも含めて環境の変化について、どのように感じ取られていますか?
栗城
山岳気象予報士の方に毎日天気予報を見てもらっているのですけれども、過去のデータを基準に見ると、8年前のヒマラヤの環境と変わってきていることがわかります。8年はほんの一瞬のことのようですが、大幅に変わっています。
エベレストで一番雪が多いときは夏でして、冬ではありません。夏はモンスーンといって、あの辺一帯はずっと雨が降っていて、6000メートル以上のところは雪になります。それが秋になると段々治まってきます。温暖化の影響があるのかもしれませんが、昨年、秋の厳しいエベレストに行ったとき、雪がほとんど治まらなかったのです。そしていきなりジェットストリームといって、成層圏を流れる強風がきて秋を迎えるなど、とにかく天気の余裕がなくて晴れが続きませんでした。これが年々、短くなっている気がします。
竹村
実際、北極が温暖化してくるとジェットストリームの蛇行が激しくなるなどあちこちに変調をきたして、それまでだったら数週間で過ぎ去っていた干ばつがずっと居座ったり、寒波が南のほうに張り出したり、熱波が北のほうに張り出したりといった極端な気候の影響から世界中で水や食料が足りなくなっています。
特に中東はその被害者とも言えて、シリアの内戦、エジプトのアラブの春など、水や食料の不足から政権に対する不満が高まり争いが起きたとも言えるのです。ですから本当に平和を実現しようとするならば、もしかするときちんと地球の体温や体調、気候の問題に向き合うべきではないか。最近、世界の情勢を見ていてこうしたことを思うのですけれども、多分、そういう気候の変化がどこよりも激しく表れるのが、極地ではないかと思います。
栗城
北極冒険家の荻田泰永氏と気が合ってお互いエールを送り合っているのですが、彼が言うのに、氷の海を渡るのに段々と渡り辛くなっていて、北極へのチャレンジそのものができなくなっているそうです。エベレストも春のほうは、段々と上の氷河や雪が解けてきていて、今度は雪が解けたほうが登り辛くなっています。なぜなら、落石するからです。エベレストはほとんど岩山なので、年々、登るリスクは高まっていると思います。
竹村
南極は富士山がスッポリ入ってしまうような、大陸の上に3000メートル級の氷があるのですけれども、北極は1000分の1の、ほんの数メートルくらいの氷が海に浮いているだけなので、海水温度が少しでも上がると、あっという間になくなります。この北極の氷がなくなってくると、ホッキョクグマが困るだけではない、探検家が困るだけではない、実は全球的に影響が出てきます。
 北極や南極は、メルカトル図法の地図で見ると人が住んでいないから描かなくていいや、みたいな存在なんですけれども、21世紀の私たちの地球観は、やはり北極を中心に見たり、ヒマラヤを中心に見たりすることからでき上がっていくと思うのです。
そのヒマラヤも、栗城さんなど特別な人しか関係ないかというとそうではありません。ヒマラヤは黄河、揚子江、メコン川、ガンジス川などアジア各国を流れる大河の源流です。氷河は水の銀行です。氷河が少しずつ溶けて、その水が大河となっていく。今は氷河の利子、つまり少しずつ溶ける水で賄っているけれども、原資である氷河がなくなってくると、やがては中国、インド、東南アジア、30〜40億人を潤す水がなくなり、水がなくなると米もつくれなくなってきます。つまりアジア全体が水と食料の危機を迎えます。
 そうなると中国や東南アジアからの環境難民が日本に押し寄せてくるかもしれませんから、ヒマラヤの危機は、私たちと全く縁遠い話と言えなくなるのです。
栗城
対応策を考えなければなりませんね。環境に人間を慣らすしかないのか、それとも環境を、人間が変えられることはできるのでしょうか?
竹村
パリ合意で、CO2を半減していく方向に舵が大きく切られました。今は化石燃料にエネルギーの多くを頼っていますけれども、炭素を排出できる限界が設けられたので、やがては化石燃料を掘り出しても誰も買わないという具合に、大きく時代が変わってきます。
 それでも、温暖化は緩やかに進むでしょう。そうなると洪水の頻発、台風の巨大化、極端な気候の変化はますます増えてきます。
過去、こうした災害に人類はどのように適応してきたのでしょうか。
たとえばオランダは長いあいだ北海をせき止めて国土を保全してきましたが、温暖化による海面上昇でそれが危機に瀕しています。防潮堤や堤防で海をせき止めるより共存を考えざるを得ない状況となり、水に浮く家、あるいは水陸両用の家のプロジェクトが進んでいます。
これは東南アジアや日本の高床式に繋がるような知恵で、モンスーンアジアは雨季と乾季で差が大きいですから、雨季のときは浮かべる、乾季になれば着地する、そういう家の知恵がかつてはありました。最近は、アジアの人たちよりヨーロッパの人たちのほうがこれを先に捉えているような気がするのですね。
これから洪水や高潮、海面上昇が避けられないとすれば、沿岸の都市は防潮堤や堤防でせき止めるよりも、逆にいくらでも適応できるようにすることのほうが大切ではないか。そのうち海にも住まいを広げていくと、狭い土地を争って地価が高騰するといった、そういう発想を越えられるのではないでしょうか。
 ですから、発想のモードを切り替えれば不可能はないというと言い過ぎかもしれませんが、もっともっといろいろなことができるのではないかと思います。そこは、今、目の前にある「否定の壁」だけではなく、私たちを知らないあいだに縛っていた「発想の壁」もたくさんあるのかもしれません。
栗城
発想の壁ですか、それは凄い話です。
竹村
発想の壁を越えて挑戦する人たちを応援できるような社会を、全世界的につくっていきたいですね。これから相当、想定外のことが起こってくるでしょうし、でなければ、本来の人類の創造力だったら超えられたであろうことを縛ることにもなると思うのですね。

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