J-WAVE SELECTION SMBC EARTH TALK

私たちと地球の未来に向けてのビジョンを語る 今月のラインナップ

2016/10/9 ゲスト 夏野剛(慶應義塾大学SFC特別招聘教授)

SMBC EARTH TALK、今回は、三井住友銀行東館ライジング・スクエア1階の アース・ガーデンで行われた、公開収録の模様を中心にお送りします。
AI時代で求められる人間の役割とは?「複雑系思考」とは一体どんなものなのか? 夏野さんと一緒に語り尽くします。

『コミュニケーションとメディアの未来像』
ゲスト・夏野 剛氏(実業家/慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授)

第一部『あらゆることが可能な時代は、どれをやるかを選ぶ作業が必要になってきます〜ビジネスモデルとコンテンツ制作〜』

竹村
今日のお客様の夏野剛さん、私もお会いするのをとても楽しみにしておりました。夏野さんは慶応大学大学院で教鞭を取られ、カドカワ、ドワンゴの取締役をされるなど、あらゆる場で活躍されていますが、何よりiモードの生みの親としてよく知られています。  今のわれわれにとって携帯電話がお財布になる、パソコンのあらゆる機能を備える、といった機能は当たり前ですけれども、昔は電話がそんなものになるとは誰も想像できなかった。携帯電話は、そういうレベルでの非常に大きな革命でした。 のみならずビジネスモデルでもiモード革命は非常に大きな意味を持っていて、それに追随して新しいブレイクスルーとなったのがAndroid(アンドロイド)やiPhoneだったわけです。つまりAndroid(アンドロイド)やiPhoneのビジネスモデルはiモードが先駆けであり、その真似であったことは意外と知られていないので、そのあたりのこともぜひ伺っていきたいと思います。  ではゲストをお迎えします。夏野剛さんです。夏野さん、ようこそ。
夏野
どうもこんにちは。
竹村
iモードの話から入りましたが、実は10年以上先駆けていたわけですね。
夏野
おサイフケータイを最初に出したのが2004年なので、12年前にもなります。三井住友銀行にも多大なご協力をいただいて、今は全てのコンビニ、東京のタクシーは8割方、ついに個人タクシーも使えるようになったのですが、おサイフケータイをつくった理由はただひとつ、ぼくが必ず忘れ物をしてしまうからでした。タクシーに乗ってお金を払っているとき、座席につい携帯を置いて、そのまま忘れて出てしまうから、一緒にしてしまえば忘れないだろう、これがおサイフケータイの発想でした。
竹村
だいたい偉大な発明は、個人的なニーズからはじまると言います(笑い)。
夏野
うちに娘が生まれたので、キッズ携帯を考えました。ちなみに、ぼくはうちの奥さんによく怒られるのでデコメをつくったのですが、デコメの最初の絵は「ゴメンナサイ」でした(笑)。
竹村
気持ちはよくわかります(笑)。デコメは最近、MoMA(ニューヨーク近代美術館)にも展示されたとか。
夏野
1999年に初めてiモードが登場したとき最初につくったのが絵文字ですが、今、世界的な用語になってしまって、「Emoji(イモジ)」と発音して、iモードの最初の絵文字のセットがMoMAに展示されています。
竹村
日本の文化OSがユニバーサル化していくとても面白い例だと思うので後でまた伺いたいのですが、今の時代、たとえばそこに走っている車なども、私たちは移動のために使う、あるいは物を運ぶために使う。ところが最近の車は止まっていても充電器として役立つようになっています。ソーラーで発電したものを貯めておけば夜間でも、非常時でも使うことができるなど、車がただ走る道具からエネルギーシステムにも変化してきています。
夏野
これはね、これからもっともっと変わると思います。特にこの電池革命、バッテリー式電気自動車で有名なテスラがありますけれども、あれは皆さんのスマホの中に入っているリチウムイオン電池の大きいヤツを使っていますから、先駆けはやはりスマホ携帯がリチウムイオンの大量生産を生んで、それが車のレベルにまでいって、社会変革を起こす、こういうパターンになっているんですね。
竹村
道行く車なども、たとえば激しくワイパーが動いている車をマッピングするとどの場所で激しく雨が降っているかがリアルタイムでモニターできるなど、車がセンサーになってきている例があります。
夏野
どんどん携帯と繋がっている車が増えてきていますから、そうなると、本当に面白いことがまた起きます。
竹村
この話を出したのは、車がどう進歩するか、どのようによりエコになるか、ではなく車という概念そのものが脱構築されていく時代に生きていると思ったからです。夏野さんがおやりになったiモード革命も、結局、グラハム・ベルが19世紀後半に発明した電話の概念をはるかに超えて、スマホ携帯出現前の人は誰も思いもしなかったものになっているわけです。
夏野
インターネットが、この時代を生んだことに尽きると思います。つまり20世紀の産業はそれぞれ分かれていましたけれども、インターネットが出てくると違う産業の物づくりメーカーがこちらの産業の製品をつくり、あるいはある産業のプレーヤーがネットに繋がることを利用して違うサービスをはじめるなどが極めて簡単にできるようになっています。  アップルというメーカーは世界最大の携帯電話メーカーなのですが、工場を持っていないのです。工場は一切持たなくて、OEMでつくっている。こういうことが起こっているのですね。
竹村
先ほどのテスラもそうですが、今まで自動車メーカーのライバルは自動車メーカーでした。それが全く変わってきましたね。
夏野
こういうことがあらゆる産業で起こっていくわけです。
竹村
ひと言で、越境ですよね。
夏野
まさに境界がどんどんなくなっていく中で、どういう経営をするか、どういう社会をつくるかに、もっと真剣に議論して、ある一定の解を導かないといけません。古い20世紀の枠組みだけで考えていると、遅れていくわけです。
竹村
「護送船団」なんて言葉もありましたけれども、いわゆる業界別という概念が通用しなくなっています。
夏野
通用しないのですけれども、それがわからない例はたくさんあります。あるメーカーさんのマーケティングの議論などに参加していて、「ベンチマークします」と出してくるのは、皆、同業他社です。 異業種メーカーの名を出して、「なぜこの人たちをベンチマークしないのですか」と聞くと、「いやいやそれはだって、今まで比較していなかったから」といったやり取りがありました。ライバルは、それまで考えもしなかったメーカーになっていたりしますから、昔の感覚を忘れないと、新しい競争環境に適応できなくなります。
竹村
カメラメーカーなど、携帯にカメラ機能が付いてからこちらがライバルになってしまっています。
夏野
ちなみに、10年前に世界でナンバーワンの携帯電話メーカーといったらノキアでした。これは世界シェアの42%を持っていましたが、3年前にマイクロソフトに身売りされ、正式に携帯電話事業からほぼ撤退状態になっています。  ですから、こういうことが10年単位で起こる時代は、怖いような、でも楽しいかもしれない。皆にチャンスがあるから。
竹村
楽しいかもしれないのは、逆に自分のところで何ができるか考えたとき、自分の業界内で限界を設けなくても、何でもできるからですね。
夏野
あらゆることが可能です。しかしながら全てをやるわけにいかないので、どれをやるか、成功率が高いものはどれかを読んで選ぶ作業が、これからの経営者に必要になってきます。
竹村
と同時に、プラットフォームさえ用意できれば全部自分でやる必要がありません。
夏野
自分がやる部分をどこにするか、を決めるのも経営者の役目になってきます。昔の日本の会社は社長になれば「アガリ」でしたが、これからは経営者が一番大変となるでしょう。全ての責任を負って決めなければなりませんからね。ですから、なるべく経営者にならないほうが良い時代がきました。
竹村
夏野さんのiモードがもうひとつ革命的だったところは、アプリケーションは皆がつくれば良いと、プラットフォームだけを用意したことです。今ではAndroid(アンドロイド)やiPhoneなどが当たり前のようにやっていますが、当時は違ったわけですね。
夏野
任天堂が最後だったと思います。ソニーのプレステは違いますが、任天堂のゲームのプラットフォームは、われわれも自分たちのモデルをつくるときに散々検討しましたが、自分でもつくり、サードパーティも出すというモデルでしたからね。  やはり、NTTなんて名前のついている会社がまともなコンテンツを自らつくれるわけがないので、これは全員に乗ってもらうことのほうが良いと割り切って、自分のコンテンツを一切つくらないことに決めました。
竹村
だからこそ、逆に自由だったのですね。
夏野
ひいき目になってしまうのを避けるためにコンテンツをスポンサーし、自分たちでつくらないことを徹底して貫いた最初の例だと思います。
竹村
逆にそのようにプラットフォームを提供すると、日本は結構、ボトムアップにコンテンツはたくさんあります。
夏野
携帯に関わらずITの専門家として見させていただくと、日本はユーザー・ジェネレイテッド・コンテンツの世界には非常に競争力があります。 ですから今で言うと、このあいだ中村獅童さんと初音ミクという二次元のキャラクターが歌舞伎の競演をしたのですけれども、こういうキャラクターの発想は素人から出てくるわけです。また、他の国にはないですね。あるいは、ボーカロイドというソフトは音楽の作曲ができるのですけれども、これはピアノが弾けない人でも作曲ができます。ここからヒット曲がどんどん出ていていて、カラオケのベストテンの半分くらいは、素人さんが作曲している曲と、こんな状態になっているわけです。
竹村
それは欧米的な価値観から見ると驚くことかもしれませんが、日本はずっとそうだったような気がします。たとえば普通の人が詠んだ歌が、天皇や貴族などと共に『万葉集』の中に入っていますから。
夏野
ああ、『万葉集』には「よみ人知らず」もたくさんありますね。匿名が、日本文化の特徴かもしれません。
竹村
他に防人とか、辺境にやられた兵士の歌もたくさんあります。
夏野
実は皆さんが使われているSNSの中でも、日本には古来から「2ちゃんねる」がありますが、余り良い噂のない「2ちゃんねる」も匿名の掲示板です。
竹村
「ニコニコ動画」も匿名です。
夏野
匿名は非常に難しいバランスで成り立っています。悪い人たちが悪意を持って利用しようとするとできてしまうのですが、なぜか日本はそのバランスが取れているんですね。
竹村
でもそれは、多分、規制してもダメですよね。
夏野
規制すると余計に荒れてしまうので、ある程度放っておくと、普通は悪貨が良貨を駆逐するのですが、日本の場合は上手いバランスで調和していく。もしかすると『万葉集』なども、編纂者がそのあたりは気を使ってやっていたのかもしれません。
竹村
連歌や俳諧などには、まさにそういうコーディネーターがいました。つまり皆が詠むのですけれども、それを上手くコーディネートして、上の句に下の句を連ね、全て編纂してひとつの歌にしていくオーケストラの指揮者に当たる人。その代表格が芭蕉です。
夏野
ああ。
竹村
芭蕉は五七五という俳句だけが教科書に残っていますけれども、実は何で食っていたかというと、生業はコーディネーターだったのですね。
夏野
そうでしたか。芭蕉さんも、『万葉集』もそうかもしれませんが、編集者の意図が余り強く出ていません。
竹村
そこが、良い塩梅じゃないですか。
夏野
良い塩梅なのですね。多様性を持たせるバランス感覚は、ちょっと特殊かもしれません。
竹村
それがあるから全国に呼ばれるのです。つまりうちの連、うちの座でコーディネートしてくれ、と呼ばれて、だから芭蕉はあちこちを旅したわけです。
夏野
個性が際立つと、うちには合わないとダメになるのですね。では微妙なバランスで「2ちゃんねる」はある一定の社会的地位を占めている?
竹村
それはどうなのでしょう。
夏野
今でも生きながらえているのだから、求められてはいるのでしょう。
竹村
意外と最新のITの世界で見られる現象は、その国の文化OSや、歴史性に根差している場合があるかもしれません。
夏野
ツイッターでいうと、ユーザーの数はアメリカと日本ではもちろん、倍以上はアメリカのほうが多いのですけれども、一人当たりのツイート数の数は日本のほうが倍以上多いんです。したがって、トータルのツイート数はほぼ変わらない。
竹村
それからワンメッセージの中での情報量も3倍くらいでしょうかね。
夏野
これは140文字制限ですから、英語でツイートするとほとんど何も言えないですね。
竹村
漢字というものの凄さですね。
夏野
漢字は、非常に短文に向いています。ニコニコ動画でも、コメントが画面上を流れていきますが、漢字だからパッと意味が読み手に伝わるのですけれども、英語でやってみると読むのが結構シンドイ、ちょっと難易度が高くなります。
竹村
だから筆の延長のキーボードみたいなものが生まれないか、と思います。つまり筆ならば、「怒」という字を書くとき、本当に怒りを込めて書くとそのまま太字になり、どこかが撥ねたりします。ところがアルファベットキーボードカルチャーの場合、まず打ってからフォントとサイズを変えなければならないじゃないですか。
夏野
そういうメールが奥さんから来たら怖いですね。太文字で「怒」、怖いですね〜。
竹村
あっはっは。デコメールはあるんですけれども、もっともっと、文字の打ち方そのものにアルファベットカルチャーを超える何かが出てきても良いじゃないですか。
夏野
「帰ってきなさい」が、いろいろな意味を持つわけですね。
竹村
皆さんの頭の中に、文字が相当浮かんだんじゃないでしょうか。漢字の効率性とは凄くて、それが先ほどのデコメにも繋がったのだと思うのですけれども、デコメを発明された、あれはやはり日本文化圏に生まれ育たなければ出てこなかったかもしれません。
夏野
絵文字も、デコメも、ひとつの絵にあらゆる意味を込めて出しているところが、基本的には漢字と同じ意味合いを持っています。 ちょっと面白いのは、絵に変換することで少しだけメッセージがずれるんです。たとえば「こめんなさい」も、可愛いキャラクターに「こめんなさい」させることで、フッと笑わせてしまったらこちらの勝ちですけれども、ふざけるんじゃないわよ、とドツボにハマる場合もあるので使い方が難しいのですけれども、しかしそこには、単に「こめんなさい」と文字で書くのとは違う意味あい、良い意味でのしゃれっ気と、ちょっと外す意図があるのですね。こういうものの使い分けは、英語にはない文化だと思います。

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