J-WAVE SELECTION SMBC EARTH TALK

私たちと地球の未来に向けてのビジョンを語る 今月のラインナップ

2016/8/14 ゲスト 北澤 豪

スポーツを通じたユニバーサル社会の未来を語り合います。

『スポーツを通じたユニバーサル社会の未来』
北澤 豪氏×竹村真一氏

第一部『徳島の阿波踊りに行ったときに、このステップはドリブルが上手くなるのではないかと思いました〜グローバル社会におけるサッカーと地域性〜』

竹村
アーストークも、そろそろ1年になります。
 どのようなテーマを巡っても、この番組は地球と私たち人類の未来をどうつくっていくかを中心に展開しているのですが、今回はサッカー解説者の北澤豪さんをお招きしています。
スポーツ界からは以前、為末大さんをお招きしてオリンピック・パラリンピックの話をしました。そこで見えてくるのは、スポーツはただ単に身体を動かすもの、健康になるためにするものではなく、実は人間の隠れた新しい可能性を引き出してくれるものではないか、というものでした。
スポーツを通じて人々の暮らしぶり、生き方、人間の可能性まで新しく見せてくれる。そういうとても大きな展望が開けるスポーツの話、特に障害者サッカーの話にも触れながら伺っていきたいと思います。北澤さんと言えば、改めてご紹介するまでもないと思います。多くの方々の脳裏には「ドーハの悲劇(1993年)」があると思いますが、あそこに至るまでの北澤さんの活躍はとても大きかった。
北澤
そうですね。Jリーグ開幕と同じ93年ですからだいぶ前になりますし、(観覧の人々を見回しながら)この辺のメンバーは年齢的に、知っている感じですね(笑)。もう少し若い世代になると、どうしてもわからないと思います。
 湾岸戦争後、中東にはまだ戦闘機が飛んでいるような緊張した中で試合をしなければならない状況でもありました。中東は今もいろいろと問題がありますけれども、また少し違った情勢の中で、しかも目指す場所がアメリカのワールドカップと、不思議な感覚でサッカーをやっている。ちょっと前まで湾岸戦争をやっていたような中で、サッカーをやっていなければ、多分、こういう場所には立てないだろうと、勉強にはなりましたけれど。
竹村
実は私は子どもの頃、サッカーにほとんど興味がありませんでした。初めてサッカーを見たのがマラドーナの5人抜きなのです。それを見たのは、ボルネオのジャングル奥地の村の、電気も水道もないところでした。何の話かと思うかもしれませんが、86年くらいですよね。
北澤
86年ですね。
竹村
インドネシアのボルネオです。かつて私は世界中をフィールドワークしていましたが、そこに単身で入って行くと、子どもたちが突然、「マラドーナ」「マラドーナ」と騒ぎはじめるのです。電気がないからテレビも見られないはずなのですが、出稼ぎした若い人たちが町から持ち帰った白黒テレビに発動機で電気を起こして衛星からの電波をキャッチしてワールドカップを見ていたのです。ノイズと雑音だらけの中、そこにかろうじて映ったのがマラドーナでした。
 子どもたちが「マラドーナ」「マラドーナ」と叫ぶ中、その瞬間に5人抜きがはじまって、それまで私はサッカーをほとんど知らなかったのですが、これはすごい世界だな、と思いました。
 なぜ、こんな話からはじめたかと言いますと、もう30年近く前の話ではありますが、あの頃から電気も水道も通っていない最奥地の先住民の子どもたちまでマラドーナの名前を知っていて、ボールを蹴ってサッカーの真似事をやっていた。サッカーって、本当に人類をひとつにするのに凄まじい力を発揮してきたのではないか、こんな地球文化はないよな、とそのとき思いました。
北澤
「憧れ」なるものが何もないところに生まれた子どもが夢を抱いて、その夢はちょっとした光かもしれませんけれども、するとそこに向かおうとする強さに生まれ変わります。特にアフリカの選手などはそうですが、自分の成功を祖国にきちんと持って帰ろうとするところがあります。偉い人たちは別にして、非常に国の発展につながるスポーツになっていると思います。
 南アフリカのワールドカップのとき、日本はカメルーン、オランダ、デンマークと同じ組に入りました。なぜか、ぼくは対オランダ戦のときにガーナにいたんですよ。なぜ、ガーナに行かなきゃいけないのかと思ったのですけれども、アフリカの人口は約9億。南アフリカでワールドカップをやっても結局、テレビ普及率が低いので見られる人が半分もいないわけです。
そこでガーナに大画面のテレビを持って行き、昼間はサッカー教室をやりながら、そのグランドで夜、大きな画面をつくってサッカー観戦をしました。そうした中で子どもたちが、今まで見たこともないワールドカップに触れて、「選手になりたい!」と思うような道筋を立てようとしたのですけれども、終わったらサッカー選手になりたいと希望する子どももいましたけれど、そういう画面をつくれる人になりたいと、テクノロジーのほうに走ったりする子どもも多かったですね。
 このように、ひとつの提案によっていろいろな夢が広がるから、サッカーを通して様々な道を提示してあげることは、世の中が変わってくる、やがて地球が変わるきっかけになるのかもしれないと、とても強く思いました。
竹村
ボール1個あればというのは、ジダンらが参加しているサッカーのチャリティー試合「貧困との闘い (Match Against Poverty)」があります。日本とはだいぶ違う環境かもしれませんけれども、それでも日本のサッカーだって北澤さんたちが道を拓いて、これだけ環境が整備されてきました。それまでは、草サッカーとまでは言いませんけれども、かなり厳しい環境下でやられていたのではないですか。
北澤
Jリーグの前の日本サッカーリーグ時代には、国立競技場には100人くらいしか観客がいませんでした。
竹村
えーっ!?本当ですか?
北澤
親父がぼくの名前を叫べば、だいたいどこにいるかわかるくらいしか人がいませんでした(笑)。ただ、その中でも一生懸命やっていました。観客はいてくれたほうが、もちろん嬉しいと思いましたし、ディエゴ・マラドーナの活躍を見て、観客席が熱狂してプレーヤーと同じように喜びを表現しているような場所をつくりたいなと思っていましたけれども、それでもぼくなどはラッキーだったと思います。選手でいるあいだ、ちょうど良い年代でJリーグを迎えられたのですから、親に感謝しなければいけません。
サッカーという年表を考えたとき、ぼくらのときにJリーグがスタートして、このあいだにどれだけ一生懸命頑張れたかが次の世代に引き継ぐものになっています。具体的に何が引き継げるのか、などとそのときは考えませんでしたけれども、ただ、あのとき頑張ってきたから今のサッカー界の状況があると思います。もっと言えば、ぼくらのときも、その前の人たちが必死でやっていたからわれわれに舞台が与えられたのだと考えていくと、歴史のような年表が人をつなげていくのかな、そう思います。
竹村
たとえばブラジルだったらカポエイラというアフリカ由来の武術があって、あの流れるような蹴り技がプレーに活かされているなど、それぞれの文化を反映させるような、サッカーってひとつではないと思わされます。
北澤
ひとつじゃないですね。文化に象徴されるように、いろいろな国のスタイルがあって、それで言えば日本はまだ模索中なところはあります。小さな身体といったフィジカル面を生かしたテクニックと俊敏性、そして組織力を高める方向に、この先なっていくと思います。
 ただブラジルのサンバ、あのリズムはわれわれの身体の中にないじゃないですか。あれって、すぐにできるものではなくて、両手が違うかたちに動きで音を立てて、ラモスさんなどはできるんですけれども、あれができたら自分のドリブルのテンポ感はだいぶ違うだろうなと思ったものです。
 ただ、このあいだ徳島の阿波踊りに行ったときに、このステップはドリブルが上手くなるのではないかと思いました。そう考えると日本の祭りなどにも子どもたちはもっと参加して、そうした文化をドリブルのリズムに活かすのはありかな、と考えていますけれどね。
竹村
野球やアメリカンフットボールなどは、はい、今はこちらが攻撃、回が変わって次は反対側が攻撃と、攻守がきちんと分けられていますね。でもサッカーはボールを奪われたらとたんに攻守が変わるなど、とても柔軟性が必要だと思うのです。ある意味では、即興的な即応力というか。
北澤
ああ、良いところを突きますね。
竹村
スポーツとして、サッカーは野球やアメフトとは違う。想定外に対応しなければならない場面が続く意味では、今の社会は何が起こるかわからない、決まりがあるようでない、そうした状況にサッカーは合っているような気がします。
北澤
サッカーのトレンドも非常に早く変わっていきまして、少しでも良い状態で進みはじめると、まるで机の上でサッカーを論ずるように、たとえば戦術優先になって決まり事が増えてきます。すると、サッカーが面白くなくなってきて、生き物じゃなくなってくる傾向があります。そうして再び、感覚的なもののサッカーが導入されてくるなど、いつも時代と共に変わってきます。
 このあいだのヨーロッパ選手権の全体像を見ると、今は守備的なサッカーの傾向になっています。今度はそれを超える攻撃が出てくるような繰り返しになりますので、また時代を見なければいけないと思いますけれどね。
竹村
柔軟な即興性が必要とされるサッカーに、逆に組織的な戦略が入り過ぎて面白くなくなってきている。やはり素人の見方だったと反省です。
北澤
いやいや、必要なことですよ。
竹村
するとブラジルの観客などは、もっと自由にやれよ、と思っているけれども、結構カチッとした戦術を取るようになってきているのですか?
北澤
今のブラジルは逆に感覚的な傾向が強すぎて、前の南米選手権でも、それで歴史的な敗退をしてしまったのだと思います。ではブラジルみたいなチームが枠に収まったサッカーをするのが良いのか、それでは何の魅力もなくなってしまいます。 いつの時代でも、「ひらめき」は重要です。これはつくれないものです。人間がずっと、サッカーに限らずいろいろなものを養ってこない限り、その瞬間にアイデアはパッとひらめいて出てこないじゃないですか。サッカーはそれが形にできる瞬間があるので、そこが皆、結構好きでやっているところが多いと思います。
竹村
やはりネイマールみたいな選手が出てこないと面白くないですね。
北澤
最高ですね。いろいろな批判がされていますけれども、ネイマールの、思わずお尻を浮かしてしまうような驚きみたいなものは必要ではないかと思います。 ネイマールのあのプレーを好む人もいれば、そうじゃない人もいる。ぼくは別にそれで良いと思っていて、ダメではないと思います。いろいろな意見が出てくるのは、逆に個性を重要視しているのかなと思います。

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