J-WAVE SELECTION SMBC EARTH TALK

私たちと地球の未来に向けてのビジョンを語る 今月のラインナップ

2016/5/8 ゲスト 楠本修二郎(カフェカンパニー代表取締役社長)

コミュニティとしてのカフェの役割、そして、これからの働き方について語り合います。

楠本修二郎氏(カフェカンパニー代表)×竹村真一氏
第一章『カフェを溜まり場にして情報交流をはじめたことが、メディア性の原点のひとつ』〜カフェとコミュニティの歴史〜

竹村
皆さん、こんばんは。
 今日はカフェ文化を新しい形でプロデュースされるパイオニアです。今回、新たに100店舗目がオープンするそうです。非常にコンセプチュアルなカフェをつくりながら100店舗とは、質も量も含めて大変なカフェ文化に革命を興しておられる方だと思います。楠本修二郎さんをお招きします。
楠本
こんにちは。
竹村
楠本さんは最近、日本だけではなく世界中でいろいろとカフェをプロデュースされておられますが、今日はどこから帰ってこられたのですか?
楠本
今日は渋谷のオフィスからです。
竹村
渋谷が元々のルーツだったのですね。何か、理由はあったのですか?
楠本
ぼくは博多の田舎の生まれで、早稲田大学に通うために東京に出てきたのですけれども、住んだのが東急東横線沿線の学芸大学駅でした。学芸大学から大学まで行こうとすると、あちこち魅力があるのですね。そうして魅惑されました。だいたい渋谷で降りるか、原宿で降りるか、新宿で降りるか、高田馬場で降りて、なかなか大学までたどり着かない4年間を過ごしました。渋谷は本当に素敵で、大好きな街です。
竹村
渋谷は、原宿と渋谷をつなぐキャットストリートが有名でが、そこが発祥とお聞きしましたが。
楠本
渋谷は「渋」「谷」と書きますけれども、とても象徴的なのは渋谷川が流れているのですね。この川が流れている低地にダウンタウンが形成されていることをとても実感できる場所が、渋谷と原宿のあいだのキャットストリートという通りです。
 これは渋谷川に蓋をして暗渠(あんきょ)にしまして、この蓋の上の遊歩道がキャットストリートと呼ばれているのですが、この遊歩道沿いにカフェをつくっていったのが、ぼくのきっかけです。
竹村
キャットストリートは明治通りに沿って細い路地があって、いろいろなブティックや面白い店があります。明治通りは真っすぐですけれども、結構うねうねした通りになっていますね。
楠本
川沿いにできていますからね。
竹村
今でも(渋谷川が)下をチョロチョロと流れているわけですけれども、まさにそのキャットストリートの渋谷川が、NHKや交番のある宇田川町の(名前の由来となった)宇田川と合流して、恵比寿のほうに流れていって…。
楠本
それが『春の小川』で歌われた、清流だったんですね。
竹村
宇田川をずっと遡っていくと、代々木公園があります。あのあたりが『春の小川』が歌われたところで、今、歌碑が立っていますね。
楠本
水あるところに人が群れて、村となり、コミュニティが形成される。水辺は人のコミュニティの原点だと思います。ぼくの仕事はコミュニティをつくることであり、渋谷はそういう意味でも、原点に回帰させていただける面白い場所だと思います。
竹村
川のほとりで水商売をされているのですが、今、たまたま『春の小川』など、いろいろな話が出ました。別に『ブラタモリ』をやっているわけではないのですけれども、楠本さん、場所の記憶というものにこだわってカフェをおつくりになっていますね。
楠本
場の持つ力がとても凄いことを、これは博多でも感じていたし、またぼくはよく旅をするのですが、旅をした記憶の中、あるいは人との交流の中で感じたことを風景として記憶していて、その風景を再生したいなと思ってやっているうちにカフェになってしまったという感じです。
風景と共に価値の共感が生まれるのだとすれば、それは場の持つ力であって、どこを切っても金太郎飴的な住宅や、商業施設の時代ではないだろうと感じていました。ですから、本来場所が持っている土地の記憶だったり、水の記憶だったり、あるいは人と人の交流を通じた新しい未来だったり、カフェを通じたそうしたコミュニティの形成ができれば良いな、と思いました。
竹村
カフェに入ってその土地のことが理解できたり、あるいは旅をする人と地元の人が袖触れ合うことによって、そこで意外な一期一会のコミュニティができたり、そういう意味合いですか。
楠本
先ほど竹村さんがおっしゃられた17世紀くらいからあるコーヒーハウスも、やはり大航海時代からいろいろな人たちがカフェを溜まり場にして、そこで情報交流をはじめたことが、メディア性の原点のひとつになっていると思います。日本においては峠の茶屋がカフェの役割を果たし、あるいは京都ならば一力さん(などの"お茶屋さん")だったり、そういったことをはじめとした茶室だったり、いろいろな人と人との交流が生まれてきました。それが、その土地の記憶として留まっていくわけです。
 ですから、ぼくはいつも思うのですけれども、いつ、誰と、どこで、1日3度のご飯を食べるか。それをしっかりデザインしていくと、その場所はとても素敵な場所に変わっていくのではないか。そこをおろそかにすると、その土地が本来持っているパワーみたいなものがどんどんそぎ落とされ、効率性と共に失っていくことがあるような気がして、自分にはどこまでできているかわからないのですが、その土地力を未来に向けて一緒につくっていくことができればと、そんな思いでいます。
竹村
ということは、楠本さんの考えるカフェはあるのですね。もちろん、ただのコーヒーショップでもお茶は飲めるけれども、その土地の魅力が引き出されたり、逆におっしゃるようなカフェがあることで、違う形で旅人もその土地に関われたりと、そういうことですかね。
楠本
そうですね。
竹村
実際に、そういう経験がこれまでもおありになった?
楠本
ぼくは米軍基地の近くで育ったので、フェンスの向こうにすぐにアメリカがあって、アメリカ好きの少年で育ったのです。大人になってアメリカを旅するようになると、偶然入ったカフェで、あるいは入ったのがイーグルスのサウンドカフェだったりすることもあれば、その瞬間にかかったBGMに自分が風景として感化されるなどしました。
またシンガポールは、今は食品衛生の問題でなくなってしまったのですが、ホーカーという屋台が有名でした。ぼくは博多の出身だからかもしれませんがホーカーズという外の屋台街はめっちゃカフェだと思っていまして、(今は新しい形につくり直されたホーカーズを)地元の人たちは食堂として使っているし、自分の台所として使っているし、まさに海外からの人たちはそこで酒を酌み交わし、多種多様なロコン、旅人もごちゃ混ぜに交流している、そういう場ってワクワクしてしまいます。
 今日は経済の中心地におりますけれども、あえて申し上げると、80〜90年代はややもすればアメリカ的な二次元対立のディベート論を日本人も身に付けなければならないと言われ、あるいはマーケティングという概念が入ってきました。
ぼくはセグメンテーションなんて必要ないと思っておりまして、男性20代年収いくらの人をターゲットにした商品、みたいなことはやらないほうが良いと思うのですね。たとえばそれはラーメン屋だとします。年収400万円の20代男性に向けたラーメン屋をやったとしましょう。それよりも10円安いラーメン屋が隣にできたらどうなります?
こうしたことが外食産業ではずっと繰り返されてきて、何かくだらないな、と。それよりも、食べるとき、あるいはコーヒーを飲むとき、多種多様な価値観も違う人たち、でもその空間に来るのに何か理由があって、好きだとか、ステキだとか、何となく雰囲気が良さそうだとポジティブに思う人たち同士が、偶然だけれどもそこで出会ったときの会話、あるいは会話はしていないけれども、その背後にいるアトモスフィアなど、そういったことが自分の人生にポジティブに作用することがとても多いのではないか。だから、ぼくはカフェに限らず飲食店の役割とはそういうことではないかと思っています。
竹村
ちょっとわかってきました。つまり、ある特定の客層に向けて特化したものを出すのではなく、いろいろな職種の、いろいろな年代層の、いろいろな価値観を持った、普段だったら袖触れ合うこともない多様な方々が気配として共存できるような、そういう意味では、公園や広場、縁側のような空間をつくりたいということですか。あるいは、そういう空間が都市には必要だろう、との発想ですね。
楠本
そうだと思います。1980年代に、社会学者レイ・オルデンバーグが「サードプレイス」という理論を提唱されていて、また最近、それが同名のタイトルで出版されてかなり売れているようですが、スターバックスの創業者ハワード・シュルツは、「アメリカにはサードプレイスがないから、ぼくたちがつくろう」と言いました。要するに家でもない、職場でもない、第三の場所が、成熟化した社会には必要なのです。
 ぼくなどへそ曲がりなので、家でもない、職場でもない、けれども家のようでもあり、職場のようでもある場所をつくろうと思ったのですね。
 するとある人は職場のように、つまりビジネスミーティングで使っても良いし、ある人は自分の台所として使うのも良い。だからうちの厨房にお客さんが入っても良いじゃないか、くらいの気持ちでカフェをはじめたのですけれども、そういう多種多様な人たちの動機がひとつに交わって価値を共有していくことって、偶発的な何かクリエイティブを生むのではないかと思うのです。
 もうひとつのきっかけは、ぼくは一応会社勤めをしていた時期があって、あるときパロアルト(市、シリコンバレーの北端部)で投資事業の話をしていたとき、一軒のカフェに入ったのですね。すると本当にあった話なのですが、隣の若者が、あるジェントルマンに呼びかけられて偶発的にプレゼンテーションをはじめたのです。そうして1時間後に2人が握手をして、ジェントルマンが帰った後、彼が大騒ぎをはじめました。「どうしたの?」と聞いたら、10億の投資が決まった、というのです。
一軒のカフェなのに、一杯のコーヒーなのに、凄いことだなと驚きました。リアルな場所が持つ共感から生まれる力みたいなことが、社会全体にポジティブに生まれてきたとき、とても面白いのではないかと思いました。
竹村
いくらSNSでいろいろなコミュニケーションができるようになり、いろいろなメディアができても、リアルな場所にそういう可能性を託す、とおっしゃったような気がします。特定の場所、つまり渋谷にあるか、大手町にあるか、パロアルトにあるか、ポートランドにあるかによって、その場所の記憶、その場所の力も違ってくるのですね。
楠本
だと思います。
竹村
すると、逆に言うと地球があって良かったというか。
楠本
多分、いろいろなところに遊びに行き、旅をしてきたから感じられたことってあると思うのですね。先日、金融街の兜町に新しいお店をオープンしたのですけれども、投資の街ですからビジネスサロンを併設しました。
最近、投資というとマネーゲームのようにどうしても言われがちなところがあります。でも一方でクラウドファンディングという、ぼくの友人もやっているのですけれども、ああいう仕組みは、気持ちの共有から少しずつでも良い皆で投資しようよ、という投資行為ですよね。だからクラウドファンディングは良いことをやっている、マネーゲームじゃない、みたいに思われています。
ぼく自身も投資については先入観を持っていたところがあったのですが、ちょっと違うなと思うところがあって、よくよく聞いてみると、日本の資本主義の発祥の地が兜町だったらしいのですけれども、ということは150年前に資本主義、あるいは銀行というものをつくった方は、多分、ベンチャーだったのですね。
竹村
そうですね。
楠本
会場には銀行の方が多いので、間違っていたとしたら申し訳ないのですが、でも明治維新後に銀行をつくった方は、ベンチャーだったはずです。新しい価値、何らかの志、そういったことを支えるために銀行はつくられたのですから。
 と、考えますと投資をすること、あるいは相場と言いますけれど、相場とは相(あう)場所でございますから、コミュニティ・プレスということではないか。金融の元は相場所、つまり未来をつくる行為、未来に託す行為に対して投資をする。投資とは、未来をつくる行為、託す行為。そんなことを、もう一度原点に戻って語り合おうよ、みたいなカフェにしたかったのです。
竹村
それが兜町につくった理由ですね。
楠本
日本の資本主義であり、資本主義そのものがベンチャーであった頃の精神とは、どういうものだったのだろうと、ぼく自身も学びたいと思いました。
竹村
まさに投資の原点を語っていただいたのですけれども、お金は社会の血液であり、その血液をどこに回していくか。本当に必要としているところに回っていないから、ある場所ではお金がだぶつき、逆にだぶついたお金がマネーゲームに使われ悪い作用を及ぼしている。過剰流動など、いろいろな言い方がありますけれども、マネーがマネーの血を濁らしているようなところがありまして、逆に社会の血液を必要とするところ、あるいは未来をつくるところにきちんと投資がされていくべきです。
 実は社会にはお金が足りないのではなく、お金の循環が適正にいっていないところがある。それをもっと円滑にするメディアとしてカフェがあり得るならば、実は銀行とカフェ、証券市場とカフェはもっと近くていいはずだよね、ということになりますよね。
楠本
そう思います。景気や消費を言うとき、「消費マインド」という言葉があります。要するに、気持ちひとつでどうにでもなってしまうことを、経済的に表現しているだけだと思います。
 ですからいろいろなギャップや淀みを、ハリ治療ではありませんが、ビビッと共感するポイントを体中から探すように、地球中にきちんと張り巡らせて、きちんと循環させられたとき、多分、健全な経済になると思います。それがどこまでカフェでできるかわかりませんけれども、間違いないのは、ポジティブに議論できる、フランクに会話ができる場は、ビジネスのシーンにも、それからグローバリゼーションの時代になればなるほど、とても大事だと思っています。
 地球上にうちのカフェじゃなくても、素晴らしいカフェがたくさんありますから、それをつないでいったとき、水のようなグローバルメディアができ上がる、こうしたイメージを勝手に持っています。
竹村
なるほど。水が巡り、情報が良い形で巡り、社会の血液であるお金という液体が巡る、そういうインターフェイスのイメージですね。カフェとお金を結び付けるのは、兜町だからこじつけじゃないの、と思われる方もおられるかもしれませんが。
楠本
以前、竹村さんに伺ったロイズの話がありましたね。
竹村
はい。歴史を紐解いても、たとえば(カフェの語源となったのは)イスラムの「カフア」でした。元々はイスラム教徒の、ある種のドラッグ、つまり覚醒作用がある飲み物として使われはじめたようです。天文学は天の文と書きますけれども、真実は天に書いてある。星々をきちんと読むことが真理に至る道だと、夜、天の文を読むのが、元々は宗教的には大事なことだったのです。そのためには、夜、きちんと目覚めている、要するに頭が覚醒している状態にあることが大事でした。
それが17世紀頃、ヨーロッパに伝わったとき、ヨーロッパではご存知のようにビールやワインが主食であり、同時に普段の飲料として飲まれていたのですけれども、ある意味では日常的に酔っぱらっていることが常態化していたわけですね。
ですから、ワインやビールで1日中酔っぱらっているような状態から脱して、しっかり覚醒して勤勉に働くんだみたいなプロテスタントと資本主義の価値観が北ヨーロッパを中心に広がっていったとき、ワインやビールに変えてコーヒーという覚醒作用のある飲み物をきちんと真ん中に据えて、そういうものを出す茶店が、当時のベンチャービジネスの担い手たちの集まる場所になっていきました。
そして当時のベンチャービジネスというと、一番大事なのは新大陸やアジアからくる船の積荷を取り扱う貿易でした。何が入荷するか。ある港に何かが着いてしまったら、その物は急に価値が暴落するわけで、逆にその情報を事前に得て、その直前まで持っていて、一番値が高くなったときに売り抜けば大儲けできるのです。
するといつ、どこの港に、どんな積荷が着くのかという情報が一番大事なものになり、それが集まる場所がカフェ、つまりコーヒーハウスになったわけです。ちなみに、そのときにあるコーヒーハウスが馴染みの顧客向けに、当時やっと出てきた活版印刷技術を使ってタブロイド版の新聞のようなものをつくり、それに積荷情報などを出した。それが新聞というメディアのはじまりになったと言われています。
あるいはロイズコーヒーハウスは、船の積荷に保険を掛けるサービスをはじめた。そうしたら、そのうち、コーヒーハウスから保険業が本業になって、世界一のロイズという保険会社になっていきました。
楠本
チョコレート屋さんじゃないですよね。
竹村
(笑い)うん。
楠本
すみません。良い話だったのに(笑い)。
竹村
だからね、こうやって考えてみると兜町とカフェは全然違和感がない、逆に言えばそれが原点だったという感じですね。
楠本
銀行ができたのも革命的な事件だったと思うのですね。先ほど竹村さんもおっしゃっていましたが、本物のお酒が主食だった時代が、ヨーロッパにはあるわけです。それは多分、為政者からすると楽しんでいてもらうとコントロールしやすいところがあったんだと思うのですね。
 しかし、コーヒーやお茶を飲むことによって頭が冴えてくる。これは何を生んだかというと、恐らく市民革命だったのです。カフェで自分たちの暮らしを談議した。その談議の中で、さらに情報が集まってきた。革命とは、常に情報が降りてくるパラダイムシフトだった、ということではなかったかと思うのですね。
竹村
まさにお喋りのことをフランス語でparleと言います。それがParliament(議会)という英語になっていくわけですけれども、実はコーヒーハウスでペチャクチャお喋りして、「王様はけしからん」「なぜ貴族だけが権利を持っているんだ。おれたちにもやらせろ」みたいなparleがあって、それがParliament(議会)、いわゆる貴族がつくっている議会に対して平民の議会がつくられ、そうして貴族院と庶民院という二院制の議員制度ができていくなど、そこから市民革命が起こっていったわけです。
 そうなると、新聞メディアも、保険業や銀行業、そして今のような近代民主主義を支える議会制度も、コーヒーハウスがなかったらできなかったかな、というくらいに大事な話ですよね。

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