J-WAVE SELECTION SMBC EARTH TALK

私たちと地球の未来に向けてのビジョンを語る 今月のラインナップ

2016/3/13 ゲスト 箭内道彦(クリエイティブディレクター)

東日本大震災から5年を迎えた福島、そして日本の未来について語り合います。

箭内道彦氏×竹村真一氏
第一部『若い人が持っている一番大きなものは未来なのですけれど、大人たちが彼らに希望を託したり、背負わしたりし過ぎてはいないだろうか』
〜3.11震災の現場で出会った若者たち〜

竹村
こんばんは。ナビゲーターの竹村です。
 2011年3月11日、太平洋三陸沖を震源とした大地震は、津波、原発の問題も引き起こしました。しかし今日は、あれから5年といった思い出話、被災地の話をしたいわけではありません。あのとき、とても大事な窓が開いた感じがしたと思います。
 非常にたくさんの気づきをいただいた経験を、未来へのデザインにつなげていくための仕事は、まだ未然形の、これからやらなければならない仕事なのかな、という感じがします。
 そのあたりのことを今日は、福島に継続的にずっと関わりながら未来をデザインする仕事をされているクリエイティブディレクターの箭内道彦さんをお招きして語っていきたいと思います。
箭内
よろしくお願いします。久しぶりですね。
 竹村さんと話をすると、自分の物差しは本当に小さいんだなと思います。(そう思うのは)ぼくだけではなく、会場の中にもいますよね。1000年単位で地球という感覚は、持つのはなかなか難しいし、お話をしているときには持てた気になるけれども、朝起きると、また1日だったり、1カ月だったり、自分の住んでいる渋谷区だったりという単位に戻ってしまうことを、今、導入のお話を伺っていて反省しました。
竹村
とんでもないです。でも、これから解決していかなければならない問題、それはもちろん原発の問題も含めて、一世代では終わらない仕事はたくさんありますし、原発の問題を除いても、町の復興や地域の再生では既になく、新しい日本、新しい町をつくっていこうとする動きは、やはりこれも一世代で終わることではないので、当然、未来に向けても物差しを伸ばさなければならないという感じはします。
箭内
どうしても自分が生きている間のことしか考えられない。何かそのように暮らしてきてしまったのですけれども、それより先を思う方々も、自分の息子が大人になるまで、孫の顔を見るまで、やはり二世代、三世代くらいが普通の感覚だと思います。
 すみません、いきなりぼくはいろいろと聞いてみたくなっちゃって、竹村さんは、なぜ、どのようにしてその物差しを手に入れたのですか?
竹村
(笑)今日は主客が逆転したみたいですね。
箭内
ふっふっふ。それだけ先に聞いてみたかった。
竹村
本当はゲストにお話いただくのが筋なのですが、前に箭内さんがホストの番組に私は呼んでいただきました。そのときはゲストとして、私は好き勝手に喋らせていただきましたが、そういうモードで今日も続いてしまっているのかもしれません。
 どうだろうな…、私は元々文化人類学が専門で、今はいろいろなことをやっていますし、デジタル地球儀"触れる地球"をつくるなど、主に地球環境問題をテーマに活動しているのですけれども、たとえば人類学というと、未開社会のところへ行って、というようなイメージが皆さんにはあると思うのですね。
 私もアマゾンやチベット、インド、いろいろなところをほっつき歩いて人間とは何か、ということを学ばせていただいたわけですが、そんな中で、私自身、未開という言葉の捉え方が変わってきました。
もちろん私たちが言うところの意味の、文明がない社会もたくさんあるわけですけれども、文明と未開、遅れているか進んでいるかという話よりも、未開は「未だ開かれざる」と書くでしょう。人間も、まだ開かれていないものがたくさんあって、バージョンアップの途上なのだと思ったのですね。
 たとえば、人間は500万年前にやっと直立歩行して、そのうち200万年前から頭が大きくなった。頭が大きくなると今度は産道を通りにくくなるので、相当未熟児で子どもを産まなければならなくなったのですね。仕方なく早産するのです。本来、約20カ月はお腹の中にいるべきところ9カ月ほどで産んでしまうので、残りの11カ月は外でお包(くる)み状態となるわけです。本当は子宮の中でもっと育つべきところを、だから人間の赤ちゃんは1年近く立ち上がらないのですね。
 でもそんな弱さを引き受けながら、人間しかない固有の強さも得ていったわけです。
そんな幼気な子どもですから、お母さんはずっと抱いて養育しなければなりません。すると男は外に出て働かなければならない、あるいはおばあちゃんに育ててもらうなど、いろいろなことが出てきました。そんなスパンで見ていると、段々バージョンアップしているだけなのですね。
さらに次にどこへ行くか、人間はまだ途上なのだという感覚がどこかにあって、ですから今回の震災のことも、非常に未熟な私たちが地球との付き合い方を学べていないと言おうか、でもとても良い学習の機会をいただいて、これからもう少しまっとうな形で地球とお付き合いできれば良いなと、そんな感覚なのですね。
箭内
ぼくの友人である福山雅治さんが、以前、「途中」ということについて2人で話していたとき、今、途中だと思うと何だか寂しいな、と言ったのです。ぼくたちは足りない事の足りなさ、足りない事のつまらなさ、のように捉えがちだけれども、でも、その「途中」というものしかエンターテインメントにならないんです、と話していたのを思い出しました。
途中って、スタートとゴールに比べたら、そんなに面白いものには一瞬感じないけれども、足掻いて、先ほど弱さを受け入れて強さを得ると言いましたけれども、その弱さを受け入れている最中であったり、強さを得ようとする最中は、成し遂げて得たときに感じる、あの感じにはない生き甲斐なるものがあるんだろうなと、今、竹村さんの話を聞いていて思ったりしました。
竹村
本当にそうですね。未完の、とても未熟であることは反省もすべきだけれども、逆に伸びしろがあることでもあるのですね。これからつくっていく未来に対して、とてもワクワクできる時代でもあるのだと思います。
箭内
そう思うと嬉しいです。
竹村
若い人たちと話しているとき、こんなに文明が発達して、「それでも社会が余り良くなっていない」「後は何をすればいいの?」という人がいるのですけれども、とんでもない、文明としての未熟は、それは地球との付き合い方といったことだけではないはずです。
私たちはエネルギーを使い、電気をつくって便利な生活をしているつもりでいます。けれども中東あたりから石油をたくさん運んで来て、それを火力発電所で燃やして、大変な長距離を送電線で運んで来て、その過程で、発電のとき数十%、送電のときも数十%エネルギーが失われ、発光するときにも失われて、結局、私たちがほしい光になるのは運ばれてきたエネルギーの1%もないという話を聞いたことがあります。
そうして99%をムダに熱として放出して、都市を暖めてヒートアイランド現象にしている。ですからタンカー100隻分石油を運んで来ても、99隻分はドブに捨てているみたいな、意外とそんなムダを出していて、自動車なども結局、同じくらいのムダを出しているということです。
私たちの文明は大変なムダを出しているけれども、逆に99隻分も捨てているならば、これからいくらでも伸びしろがあるではないか、相当やれることはあるのではないか、という気がするのです。
箭内
面白いですね。何か竹村さんと話すと、普通、いつもはぼく、もうちょっと早口で甲高く喋っているときのほうが多いのですけれども、完全に落ち着いて、低いトーンで柔らかく話してしまう自分に驚いています。こういうのも、良いですね。はっはっは。
竹村
番組自体は時間もあまりなく、いろいろなことをたくさん喋りたい気持ちはあるのですが、私も箭内さんのお顔を見ていると、つい。それで今日は、(洋服に)ワシのマークがついていて。
箭内
そうそう。先ほど顔を合わせたら竹村さんに発見されて。
竹村
似ていますね、と言ったら「えーっ!?」とか、言われたんですが。
箭内
全然、そんなことは思ったことがなかったのです。
竹村
ワシとして空から見たり、木の上に止まって星の動きを見たり、いろいろとされるんだなといったイメージが、箭内さんにはあるのですが。
箭内
高所恐怖症ですけれども、実際は。
竹村
飛び上がってしまえば、関係ないんでしょう。
 先ほど楽屋で伺っていたとき、福島に継続的に関わられているのですけれども、福島の人たち、特に若い世代、子どもたちが、本質に行く距離が短い、本質に行く時間がとても短いみたいなことをおっしゃられて、今日の冒頭の話につながるなと思ったのですけれど。
箭内
そういう意味では、未熟なぼくらの次の世代が少しだけ進化をはじめているのかもしれないな、とお話を伺っていて思いました。ぼくは福島の若い人たちにずっと会っている中で、2011年以降、2年目、3年目、その頃は見ていることが辛い時期がありました。
それは誰と話しても、将来は復興に携わりたい、と話すのです。「親を安心させたい」「役場に勤めて除染の仕事をしたいと思っている」等々、ぼくらの若い頃だったらもっといい加減で、まだ何も考えていないか、自分のことだけを考えて夢を探していたのですけれども、今の若い人が、皆きちんとしていて、人の役に立とうとしていて、それが申し訳ないと思ったのです。
 若い人が持っている一番大きなものは未来なのですけれど、大人たちが彼らに希望を託したり、背負わしたりし過ぎてはいないだろうか、とても心配になりました。 ですからケンカしたり、誰か好きになったり、「そんなことのほうが大事なんじゃないの」と若い人たちに会うたびに話していたのですけれども、5年経って、このくらいになってきたとき、本当にしっかりした子たちが多いことに気付いて、彼らは本質にたどり着く時間も、距離も、本当に短いのですね。
 たくさんの人に会って、たくさんの人の話を聞いて、いろいろな人がいるな、本当にバラバラで、それぞれの立場や思いの中で暮らしているな、だったらどうすれば良いんだろう、と思うまでに、たとえばこれまでは5年が必要だったけれども、福島の高校生も、大学生も、そのことをストンとわかっていて、これは一体何だろうと思ったのです。
彼らの持つ純粋さなのか、開いた窓の、その後の風の通し方の本能なのかわかりませんけれども、大人たちはああでもない、こうでもない、そして自我と戦いながらそれでもこういう風に皆で生きていかなければいけないと、やっとたどり着くんだけれども、若い彼らのそこにたどり着くまでの短さは本当に凄いと思うし、これは目に見えた未熟の途上での大きな変化ではないかと思います。
 何十人の中の一人だけがそうだ、というわけではなく、皆がそろいもそろってそんな風だし、ぼくがちょっと前まで感じていた、こんなに背負って大丈夫かな、どこかで切れちゃうのではないか、と感じた心配も乗り越えているような頼もしさすら感じる若者が増えています。
 ですから18歳の選挙権も、大人が、18歳に何がわかるのだろうか、と自分の18歳の頃に照らし合わせて思っていますけれども、大人が思う18歳ではない可能性が非常に高いかもしれません。
竹村
最近、司馬遼太郎さんが(没後20周年としてあちこちで)取り上げられています。司馬さんは、明治期の日本人は、あれだけ外国からの脅威にさらされ、いろいろと直面しながら、どうしてあれほど清廉で、目線が高く、自分のやるべきことを粛々としてやれる日本人でいられたのだろう、といったことを書かれていますけれども、同じような日本人の、新しい日本と日本人の誕生の兆しが、もしかするとそこにあるのかもしれませんし、それが18歳参政権と、時期として重なったのはとても象徴的ではないかと思うのですね。
 というのは、地球の履歴書を読み解く解像度が、この20年ほど飛躍的に上がったのですね。そのおかげで、1年ごとに、何年にどんな津波があり、その9年後、10年後に火山噴火があり、みたいなことが地球のレコードを精緻に読んでいく形でわかってきました。
 ちょうど1000年ほど前、平安時代の貞観津波(貞観11年)が東北であった。決して未曾有ではなく、同じようなスケールの大災害が過去にあったわけです。でも、その記録の周辺を見ていると、その9〜10年後に関東のほうで大震災が起きたり、さらにその10年後くらいに東南海のほうでやはり大きな津波があったりする、そうしたパターンが見えてきたりするのですね。
 全く同じことが繰り返されるかどうかもちろんわかりませんし、地球は複雑系だけれども、世界中の例を見てもそういう大きな震災の後に火山噴火が続く例があって、そう考えると、今の科学者は異口同音に、9年後、10年後ではないかもしれないけれども、10年以内、20年以内にそうした連鎖的なことはかなりの確度で起こり得るだろう、と言います。
そう考えると、今の若い世代は自分の生きている人生の中で、確実にそういうことに対処することがわかっているわけです。それは大変だね、という風にも見えるけれども、怖いね、という部分もあるかもしれないけれども、人類史上初めて、自分の人生の中で起こる大災害を予期し、予防することができる、そういう自由を得た世代でもあるのです。
 これは凄い事で、「また来るかもしれない」「津波には備えなければならない」といった曖昧な伝承が東北などではあったけれども、10年といった、明確なタイムスパンの中で、それだけの確度で予期・予防ができることは、これは人類史上初めての事なのですね。
 すると、もしそれをきちんと、向こう10年、20年の中でやり遂げたならば、日本は本当に新しい人類のバージョンをつくったことになるかもしれません。
また、その中で福島は、今は英語の名前で「Fukushima」と出るとネガティブなイメージを持つかもしれないけれども、20〜30年後には「Fukushima」は人類をバージョンアップさせた画期的な地名、あるいは人々の故郷として語られるかもしれない。そういう未来をつくっていく、少なくとも自由、可能性を私たちはまだ持っている。
箭内
だから「震災の教訓」と言葉にしてしまうと、あれだけ辛い思いをした、今もそれが続いている中で得る教訓だったらいらないや、という意見もあるでしょう。ぼくもそう思っていた部分もありますけれども、福島だからこそ先頭を走って未来をつくっていく、そういう使命を意識している人たちが少しずつ、今はたくさん現れていらっしゃいます。
 そう考えていくと、風評というものは的外れになってくるわけです。風化という話をするとき、「忘れない」という言葉をよく使いますけれども、竹村さんが言ったスパンの話でいくと、もう「忘れない」というレベルでもないですね。「忘れない」と言うと、大変だったあの日を忘れないところでどうしても止まってしまうのですね。
これでは、当時のショッキングな映像をテレビが流すことで繰り返し思い出すしかできないのですけれども、本当の意味で福島の人たちが戦っている風化という部分に必要なのは、今なんですね。今を知る。どんな5年だったのか。2011年で情報や記憶が止まっている世の中ではなく、今、こうなんだ。5年でこうなっている。そしてそこに暮らしている人々の5年前を思うことを忘れないのではなく、今日福島で暮らしている人々を忘れないという、そこが意外と大きなところですね。特に福島に関してはそうです。

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