J-WAVE SELECTION SMBC EARTH TALK

私たちと地球の未来に向けてのビジョンを語る 今月のラインナップ

2015/12/13 ゲスト 佐藤卓
(グラフィックデザイナー)

様々な商品デザイン、シンボルマーク、グラフィックデザインを手がけ、Eテレ「にほんごであそぼ」、「デザインあ」も手掛けるなど、多彩な活躍で注目されるグラフィックデザイナー佐藤卓さん。
そんな、佐藤さんのデザインの源、思いもよらないデザインの秘密、そして、デザインを通じて子供たちに伝えたいこととは。
グラフィックデザイナーと文化人類学者の二人が思い描くデザインと私たちの未来像とは?

佐藤卓氏×竹村真一氏
第一部【持っていた概念を、いちいち箇条書きにして、その一つひとつに全部疑いをかけていく】
〜デザインの解剖〜

竹村
本日のゲストは、グラフィックデザイナーの佐藤卓さんです。
佐藤
こんばんは
竹村
佐藤さんはグラフィックデザイナーとして、いろいろなパッケージデザインを手掛けてこられましたが、実は、パッケージデザインという言葉だけでは表現できない、本当に商品から、ロゴから、考え方のコンセプトデザインから、いろいろな仕事をされています。
それから「デザインの解剖」と言いまして、これまでのデザイナーの感覚を超えて、ものの仕組みを解剖していくようなお仕事をされてきましたし、さらにNHKのEテレで『デザインあ』『デザインの梅干し』などの番組を総合指導されるなど、非常に多角的なお仕事をされています。また、六本木の21_21デザインサイトのデザインディレクターのお一人でもあります。
普通、ものの素顔を隠してカッコイイデザインにしていく、何か包み隠していくデザイン、それがパッケージの元々のデザインなのですけれども、私は佐藤さんのお仕事を見ていて、佐藤さんのパッケージデザインはむしろ、ものの本質を暴き出していくデザインだなと思っています。
たとえば、ニッカウヰスキーですね。あの頃、何十年も前のウィスキーは高級そうな、中身が見えないボトルにしてしまうことが多かったのに、佐藤さんはそれに革命を起こして、ウィスキーのボトルを中身が見える透明でシンプルな形にパッケージして、ウィスキーの本質が見えるようなデザインをされた。あのニッカウヰスキーが、佐藤さんの最初の仕事だったと思いますが。
佐藤
そうですね、1984年に発売されたものです。私が電通という広告代理店に3年間勤めた最後の仕事であり、フリーランスになってから最初の仕事でもあります。82〜83年あたりに企画をしたのですが、きっかけは、会社にいたときにウィスキーの広告を担当していて、当時、「自分が飲みたいウィスキーがない」と生意気にも先輩に申し上げましたことでした。
「ではお前が飲みたいウィスキーとは、どういうウィスキーだ」
「えっ!?」
「それを、もし本気で考えるなら自主的にニッカウヰスキーにプレゼンテーションしても良いぞ」
こういうやり取りがありました。もちろん、自主プレゼンです。中身に何を入れて、どういう名前にして、値段をいくらにして、それでパッケージデザインをどのようにして、広告はどういうメディアを使って、どのように広告を打つか、トータルでプレゼンテーションしたわけです。
もちろんニッカからの依頼ではなく、自らダメ元でやらせていただいたのが最初の仕事で、会社を辞める寸前、その仕事に対してOKが出たのですね。ですから私は幸せなことに、会社を辞めた翌日、今度は外部デザイナーとして打ち合わせに出ることができました。会社を辞めてから、それが形になったのですね。
竹村
そういう仕事の仕方はあまり一般的ではなかったのですか?
佐藤
広告代理店が商品開発に関わることは、皆無だったと思います。今はそれからずい分変わって、企画、プランニング、ネーミングなど、トータルに企業と一緒に考えることが増えましたけれども、当時は全くありませんでした。ですから、かなり実験的なプロジェクトだったと言えるでしょう。
竹村
つまり最初から商品があって、それをどうきれいにパッケージするか、あるいはネーミングするか、普通はそういうところからはじまるのに、佐藤さんの場合、むしろものができる原点までさかのぼって突っ込んでいかれた、ということですか。
佐藤
若かったものですから、原点まで掘り下げられたかどうか定かではないのですが、ただ自分が良いと思うものを人に薦めたい、という素直な気持ちでした。
出来上がったものを渡されて、その広告をつくり、どういうメディアを使い、どのように告知し、どういう人たちに届けるかが通常の広告の仕事です。ですから与えられたものに対して、それを好き嫌いといった好みの気持ちで言ってはいけなくて、渡されたものをきちんと人に届ける、そういうお仕事でした。
そのうち、自分が本当に良いと思わないものを人に薦めることが、果たしてやるべきことなのだろうかと、素直な疑問が生まれてしまったということです。
竹村
それでニッカのウィスキー工場まで行かれたのですね。
佐藤
北海道と宮城県の2カ所の工場に、何度も通いました。自主的にプレゼンテーションをするとは、いわゆる通常の仕事は依頼があってスタートするのでだいたい条件が決まっているのに、それが何もないのです。
何もない状態で提案するのですから、まず、クライアントを知らねばなりません。今までつくってきたものがどういうものであるか、どういうことにこだわってきたのか、ブレンディングするときに何を基準に味を決めているか等々、そういうありとあらゆることを知らないで、こういうものを出してはどうでしょうか、と提案するのは失礼に当たる。まず、クライアントを十分に理解しないで提案してはいけないと、これは誰が考えてもわかることでしょう。
ですから、まず工場に行って取材をして、歴史を紐解いて、ブレンディング、バッティング、いわゆる味を決めているブレンダーの方に、何を基準に味を決められているのかインタビューするなど、できる限り、情報を自分の中に入れる必要があったのです。
竹村
NHKの朝の連ドラ『マッサン』によって、ウィスキーづくりの舞台裏、どういう情熱と思いでああいうものをつくっているかを、結構多くの人が知るところとなりましたけれども、普通、ああいうところは見えないわけですよね。
佐藤
こういうものを、こういう考え方で、こういう人たちに届けたくてつくりました、と。言ってみますれば、つくっている現場を知ることなく、通常、広告制作はオリエンテーションを受けて、口頭で、もしくは書面で、あとは資料でそういうことを知らされて広告戦略を考えたりするのですね。
ですから、今は少し変わってきているかもしれませんが、当時、広告制作の人がものをつくっている現場に足を運んで、工場まで行ってつぶさに見るなんてことは、多分、なかったですね。
竹村
工場に行って、聞かれて、一番面白かったことはどういうことでしたか?
佐藤
この素晴らしさが、全然世の中に伝わっていないということでした。
北海道の余市町にニッカウヰスキーの蒸留所の工場があるのですが、レンガ造りの本当に素晴らしい、まず景色、景観に見入りました。それから入ってからのウィスキーの香りに誘われます。それらは全部、魅力的な情報ですよね。何て素晴らしいところだろう、何て素晴らしい人たちがいるんだろう、またそこで飲ませていただくウィスキーが、いろいろとうんちくをお聞きしながら飲むので、美味しいのです。
そういう全てが、広告で全く伝わっていないと思いました。
当時、タレントを誰にするか、どういう風に面白い広告をつくるか、といったことが目的化しているとまず感じたのです。ウィスキーを伝えるのに、ウィスキーの魅力がきちんと伝えられていない。こんなに素晴らしい世界があるのに全然伝わっていないのは、どういうことなのだろうか。
竹村
ということは逆に、パッケージとか、広告のコピーとか、コマーシャルが、その本質を隠してしまっていると、感じられたのですか。
佐藤
いつの間にか注目を集めることが目的化してしまって、いわゆる本質の部分が伝わらなくなっていたというのは、あったと思うのですね。
しかも、84年に自分が関わった商品が初めて世の中に出るのですけれども、その2年ほど後から起こったバブル景気によって世の中はお祭り騒ぎとなっていくわけです。それが91年のバブル崩壊まで、より加速していき、何をやってもいいじゃないかという時代になったのですけれども、その仕事をしたあたりから、いや違うと、世の中の向かっていく方向がいちいち全部違うのではないかという風に思いました。
竹村
それで透明なボトルだったのですか?
佐藤
透明なボトルは元々なかったことはないのですけれども、当時は高級そうな濃い色のボトルに入ったものが主流でした。せっかく時間を経てとてもきれいな琥珀色になっているのに、なぜ見えなくしているのだろうか、その理由は何だろうかと調べていくと、やはり銀座の高級クラブなどから求められていたのですね。
だいたいお酒を飲む場所って暗いじゃないですか。ウィスキーが置いてある棚も薄暗い。そこに液面が見えるか見えないかくらい濃い色のボトルがずらりと置いてあるわけです。しかも金色のラベルが箔押ししてあって、いかにも高価な、見るからに1本10万円お金が取れるような、そういうものばかりではないと思いますけれども、そういう姿が求められていたのだろうと思ったのですね。言ってみますれば、高いお金を出していただくために、そういう姿が必要だった。
けれども、別に銀座のクラブだけでウィスキーは飲まれるわけではなく、ごく普通の家庭でも飲まれるし、それから女性がもっともっと飲む時代がくるだろうとの思いもありました。だいたいボトルも、男性の手を基準に決まっていて大きい。720ミリリットルがウィスキーの基本の大きさなのですけれども、それは海外からウィスキーが入ってきたときの容量が基本になっていました。
ですから、その大きさを500ミリリットルにすれば、女性でも比較的スッと持てると思いました。しかも透明にして、できるだけデザインしないようなデザインにしました。それまでウィスキーが持っていた概念を、いちいち箇条書きにして、その一つひとつに全部疑いをかけていく、そういう作業をしていきました。
竹村
意図的に、そういう作業をされたのですね。
佐藤
意図的にしました。なぜ、ボトルのガラスの色は濃いのか。なぜ、装飾がついているのか。なぜ、キラキラしているのか。全てにおいて、疑問を投げかけていく。すると理由が必ずあるわけです。その理由が、今となってはもう必要ではない理由もたくさん見つかって、これを全部ひっくり返してみたらどうなるのだろうと考えました。
竹村
非常に重要なデザイン論の本質に入ってきていると思うのです。つまり身の回りのものって、生まれたときからあると、それ以外の形はあり得ないとつい思ってしまうのですけれども、誰かが、どの時点かでつくったものだし、その時点で必要な機能を持たせただけですよね。もしかすると、今の時代はそれが邪魔になってしまっているかもしれないのに、それが自明のものになっている。
もしかすると私たちは自分の服と同じように、着ることもできれば脱ぐこともできる、とは考えないのですね。着衣と脱衣の自由を持っているはずなのに、生まれたときから着てしまっていると脱ぐ自由があることがわからない。ですから、既成概念をひっくり返すこともデザインなのかもしれません。デザインって、そういうことなのですね。
佐藤
本当に手探りで、既にある概念を疑ってみたわけです。たとえばネーミングも特別なことはしないという考え方をしました。80年代はいろいろなネーミングが流行って、エアコンや洗濯機に日本語の名前をつけるなど、あまり具体的な名前は出しませんけれどもいろいろな名前がついて、ネーミングブームだったわけです。今でも、そういう傾向があります。
でも、ネーミングってなぜしなければならないのか。しなくてもすむなら、それで良いじゃないか。
「ニッカのピュアモルト」
これが名前です。名前っぽくない名前。「おいしい牛乳」というのもそれに近いかもしれませんが、なぜ名前をつけなければいけないのか。ニッカのピュアモルトで良いじゃないですかということだったり、全て概念に疑問を投げかけました。
そうして世の中に出たら、比較的、多くの方が受け入れてくださいました。自分はデザインかどうかわからない、けれども考えたことがデザインなのかもしれない、と初めてデザインの手ごたえをそこで感じて、やはりデザインは面白いと思ったのを、今でもよく覚えています。
竹村
見た目としては、素晴らしい時間をかけて熟成されたウィスキーの中身が見えないのはもったいないと、その素晴らしさを伝えたいと思って透明なボトルにするとき、多分、夜の銀座の暗がりのクラブではなく、明るい昼間、あるいは夕暮れどきの西日が当たるととてもきれいに見えることを考えたと思うのですね。同時に女性が持ちやすいサイズについても考えた。
つまり何かコンテクストを変えると言いますか、そのものが置かれたり、使われたり、飲まれたりする文脈をデザインしていった。それが佐藤さんのデザインだったのかなという感じもしましたし、そういう新しい文脈を用意していくのには、実はわれわれが持っているウィスキーの概念、見た目とか、飲まれ方とか、そうしたものを一度脱衣していかないとできなかった。
しかし全てを疑っていって、もう一度チェックを外していくという、そういう仕事を誰からも習われたわけではないですよね。
佐藤
パッケージデザインを一度もしたことがありませんし、商品開発も一度もやったことがないので、ほとんど初めてと言って良いと思います。ただ、思い返してみると、これは多分、小さな頃、特に男の子はそうだったと思いますが、いろいろなものをバラバラにしませんでしたか。
竹村
解剖ですね。「デザインの解剖」も、小さい頃からしていたと?
佐藤
時計をバラバラにすると、中から小さいギアとか、ネジとか、いろいろなものが出てきて、「うおー!中にこんなものが入っている」と、多分、女の子はしないですよね。やはり柔らかいクマちゃんのほうが…、それまた誤解ですか?かなりの誤解のようです。訂正します。
竹村
「デザインの解剖」をご存知ない方のために申し上げますと、たとえば"写ルンです"というレンズ付きフィルムがありました。一体どういう構造で"写ルンです"ができているんだろうと解剖されました。また"リカちゃん"人形も、確か解剖していましたね。
佐藤
ええ、許可を得て、ですよ。
竹村
ということで、われわれが当たり前に使っているもの、疑問を持たずに受け入れてしまっているものを一度解剖していって、そもそもなぜこうなっているのだろう、どういう構造でできているのだろう、と問う気持ちが大切なのですね。
何でもそうですが、私たちの身体にしても、どうしてこのように立体視ができる目を持っているのだろう。(私たちのはるか昔の先祖が)樹上生活をしていたサルの頃、飛び移るまでの枝の距離を測りやすい。そういうサルのほうが適応性はあって、結果的に生き残って、こういう3Dの目になっていったなど、いろいろとそれなりに理由があるわけです。
ですから、何か自明と思っていることを「WHY?」と思うところから見ていくと、とてもいろいろなことが見えてくるし、同時にそうではなくても良い形が見えてきます。
佐藤
子供のときって、誰でもそうだと思います。段々と目が見えてきて、何となくモヤモヤしているものが見えてくると思うのですね。すると段々自我というものが芽生えてくるし、「これは何だ」「あれは何だ」と、触ってみる、口に入れてみる、いろいろなものを確認することによって自分というものがまた認識されていく。それをやっている自分は一体何だということに、あるとき気付く。
全てわからない。わからないから知りたいという気持ちを、子どものとき誰でも持っているわけです。ですから危険なものまで口に入れてしまったりするわけです。これは、誰だってあることですよね。
竹村
誰でもありますけれども、やはり佐藤さんの才能のひとつであって、佐藤さんにはそういう探求心が人一倍強くあると感じたのは、実は一緒にサハラ砂漠を旅したときでした。
それは「ウォーター展」といって、水って何だろうと、水の解剖をする展覧会を2人で企画したとき、水の展覧会をするんだったら、ビショビショの水があるところに行きそうなものですけれども、思い切り水がないところに行ってみようと、水が少ない、サンズイにスクナイと書いて「沙漠(砂漠)」と書きますけれども、一番水が少ないところに行こうとサハラ砂漠に飛んでいきました。
なかなか大変な旅で、かなり過酷な環境でした。でも佐藤さんはどうだったかというと、水がないのは本当か、と。一面、見渡す限り美しい砂のドレープが展開している風景の中に、所々、少しずつ小さな植物があることを確かめたときに、思ったのでしょうね。
「植物があるなら水があるはず!」
私も頭の中で、その程度は思いますけれども、佐藤さんは何をしはじめたか。犬のように、ここ掘れワンワンと、(植物の周りを)掘りはじめたのですね。少し掘ってもないんですよ。ないんですが、そこを諦めないのが佐藤さん。掘って、掘って、根っこをずっと手繰っていって、ついに湿った水の層に至りました。
あのとき見て、この人は本質的にフィールドワーカーだと思いました。与えられた知識を鵜呑みにするのではなく、自分で世界を掘っていって、感触を確かめて何かを生み出していく。そういう人なのだ。これが佐藤さんの才能なのだと、私はあのとき、よくわかりました。
佐藤
いや、子どものまま大人になってしまったという、私の周りの人間から言わせると、大変たちの悪い存在かもしれません。本当に、なぜこうなっているのかなということに、やはり興味がどうしてもいってしまう。
たとえば道を歩いていて、何かに興味を持ちます。これは誰でもそうですね。あの靴良いなとか、あの服オシャレだなとか、そういう興味は誰でもわくと思うのですけれども、興味がわいたとき、このものの、どこに自分が魅力を持ったのか明らかにしたくなります。何となく買ってどうのこうのではなく、たとえば手に入れて、しばらく見て、「あっ、ここのガラスの少し完成度が低いところに興味を持ったんだな」とか、そういうことを分析することが好きなのですね。まるで箇条書きするかのようにどういうものに興味を持ったのかを明らかにする、と言えばかなりたちが悪いですね。これは、面倒くさい人間かもしれません。
でも、そういうことが習慣化して、面白くて仕方ないのです。そういうところはあります。
竹村
そこから「デザインの解剖」がはじまったし、今のお話を伺っていると、本当にニッカのウィスキーをデザインされたときから、実はデザインの解剖をされていたことがよくわかりました。
その後、「デザインの解剖」を経て、ついに「ウォーター展」「コメ展」を開催するに至りました。本当に社会にある当たり前のものを、多分、世界の美術展やデザイン展でも、水や米をテーマにしたものはなかったのではないかと思いますが、そういうことを、なぜ21_21で企画されたのでしょう。
佐藤
いや、そのきっかけは、実は竹村さんなんですよ。竹村さんはいろいろな面白い話をしてくれて、私はなにしろ、何にでも興味を持ってしまうのですけれども、竹村さんとお会いしてさほど時間が経っていないときに、水の話になったのですね。
「牛丼一杯をつくるのに、佐藤さんはどれくらいの水が使われるかご存知ですか?」
こういう質問をくれたのですね。「ウォーター展」を見ていただいた方は、既に答えはご存知だと思いますが、そのときの私は知りません。
「2リットルか、せいぜい3リットルですかね」
「2000リットル使われているんですよ」
「えっ!?」
その瞬間、頭の中がかなり覚醒しはじめるわけです。「え〜〜〜?????」とクエスチョンマークがたくさん頭の中を駆け巡り、想像すると、「あっ!!」と。
米をつくるのにもちろん水は必要ですし、牛は水をたくさん飲む。そして牛が食べる餌、穀物をつくるためにもたくさん水が使われていることに思い至りました。そういう、見えない水を計算すると、だいたい牛丼一杯で2000リットルの水が使われているという。
「アメリカから牛肉をたくさん輸入するということは、その裏側にある、われわれが知らない、見えない水を日本人が使っているのと一緒なんです」
その後、沖大幹先生という水文学(すいもんがく)の専門家の方に会わせていただいて、さらに詳しい話をお聞きしたのですけれども、牛丼一杯の水の量、という話で水のスイッチがパッチーンと入ったのですね。
水のことを全く知らないことに気が付いて、これは面白いテーマである。こんなに当たり前のものって、ある意味ないですものね。一番当たり前過ぎて、興味の対象にならない。そのスイッチが入ったときは、ある意味、衝撃でした。だから竹村さんに一緒にやりませんか、と誘ったのです。
竹村
でも本当に私たちの身体も、6〜7割は水でできていると言いますから、私たちも歩く水袋だったりするわけです。その辺に立っている街路樹も水を吸い上げて、画家などの中にはすごい勢いで、まるで枝が吹き上げる水のシャワーのような木を描く人もいますけれども、そういう意味では立ち上がっている水とも言えますね。
森羅万象を水で見ていくと全てが水に見えてきますし、同時に、氷は水に浮く。ここに水割りがないのが残念ですが、これも考えてみると不思議な話なわけですね。つまり普通の物質は、凍って個体になるとギュッと縮むわけです。すると密度が高まって比重が重くなるので、同じ液体の中に凍った個体を入れると沈むわけです。ところが氷だけは浮く。それはなぜだろう。
これは水の特殊な分子構造で、凍るときれいな六角形を形成するのですね。それがどんどん増えていっても、雪の結晶みたいな六角形になるのですけれども、実は分子構造までたどっていくと、とても美しい幾何学が出てきたりして、それが、氷が水に浮くことになるわけです。つまり完全な六角形でスカスカな構造になるので逆に体積が大きくなり、水道管が破裂する事態にもなるのです。その分、比重が軽くなって液体に浮くという、説明するとこういうことなのですが、考えてみると、氷が水に浮かなかったら、下のほうから凍っていくなら冬など魚は生きられなくなりますし、そういう水の不思議な性質で水惑星の生命の世界ができていると考えると、非常に面白いわけです。
そういうレベルの話も面白ければ、先ほどの話のような、1キログラムの小麦やトウモロコシをつくるのに、だいたい1000倍以上の水が必要、という話も興味深くて、すると、私たちが飲む水は1日に2〜3リットルかもしれないけれども、食べ物をつくる水まで考えると、日本人は1日当たり3000リットル消費しているわけです。牛丼一杯で2000リットルですからね。どこで、そんなに使っているのというと、米以外はほとんど輸入しているから、アメリカの水を使ってやっている。アメリカの水を使うことが悪いわけではないけれども、日本に有り余っている水を使わずにかなり減ってきているアメリカの水を使ってつくっている。ならば逆に、私たちの食料自給率を上げると世界の水ストレスを緩和していけるかもしれません。
このように、「ウォーター展」のようなことを発想するだけでもとても広がりが出てくる。逆に言えば、なぜこういうことを誰もやらなかったのだろうかと思いませんでした?
佐藤
1974年、アメリカのスポケーン環境博覧会で、グラフィックデザイナーの大先輩である故田中一光さんが「The Rice Cycle(ライスサイクル)」という展示を行いました。なかなか良いタイトルですよね。「ライフサイクル」ではなく、「ライスサイクル」。
竹村
米ですね。
佐藤
いわゆる水ではなく、米。米とはどのように循環していて、いろいろなものに使われて、どういうことなのかということを明らかにしたいと発表されるなどしました。他に、それに近いことはもちろんあったと思いますけれども、デザイナーが積極的に関わることは、あまりなかったのかもしれません。

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