J-WAVE SELECTION SMBC EARTH TALK

私たちと地球の未来に向けてのビジョンを語る 今月のラインナップ

2017/2/12 ゲスト 栗城史多

『世界とつながる登山家 栗城史多の見つめる未来』
栗城史多氏×竹村真一氏

第一部『チャレンジとは成功や失敗を越えている世界だと思うのです。〜山に挑戦し続ける意味〜』

竹村
栗城史多さんは、登山家として破格の考え方をお持ちです。もちろん五大陸の最高峰も踏破されておりますし、ここ数年は気候の厳しい秋のエベレストに無酸素、そして単独で挑戦し続けています。活動のスタイルとして単なる登山家にとどまらない、深く、広範なコンセプトで活動されていらっしゃいます。
 キーワードは「否定の壁」。最初に登山に挑戦しようとしたとき、「無理だろう」といろいろと否定の声を浴びせられたそうです。最初から挑戦をあきらめる、夢をあきらめる、そういう人が多いからだろうか、けれども一方で、自分と同じように否定の壁を登っている人たちがいるはずだ、この人たちにエールを送りたいと思いました。
 もうひとつのキーワードは「冒険の共有」。ご自分のエベレストに挑戦する姿をライブ中継する。これだけでも大変、勇気のいることです。カッコイイ登頂の姿を見せるだけではない、むしろ挑戦には必ず失敗や挫折が伴います。多くの方々と、そのプロセスをまるごと共有したいと考えました。そうして、たくさんの支持者を集めています。
 秋のエベレストに無酸素、単独で登頂を果たした人は誰もいません。栗城さんはここにこだわり、これまでのところ6回、アタックされています。その挑戦のさなか、2012年に凍傷を負い、手の指を9本も失う大事故に遭いました。それでも挑戦を続ける、その原動力とはどんなものなのか、少しでもうかがい知ることができたらと思います。
 そもそも栗城さん、山には年にどれほどの期間行かれているのですか?
栗城
だいたい春か秋にヒマラヤにワンシーズン2カ月間ほど行きまして、あとはトレーニングで国内の山に登ったりします。
竹村
エベレストはだいたい春に登る人が多くて、非常に混雑しているそうですね。秋にトライされるだけではなく、春にも行かれるのですか?
栗城
春はエベレスト以外の山に行きます。昨年はチャレンジに失敗しましたがアンナプルナ(ヒマラヤ山脈)に行きました。だいたい秋のエベレストに向けて春にもチャレンジすることを繰り返しやっています。
竹村
普通、登山というとチームをつくって登るイメージですが、無酸素、単独登頂にこだわるようになったきっかけは何だったのでしょう。
栗城
ぼくの場合は本当にシンプルで、山を感じたかっただけです。単独が凄いとか、別にそうした意識は全くありません。グループでいるより、酸素ボンベを使うより、独りのほうが山を感じることができるのですね。
 山を感じるとは、どういうことか。独りで向かっていくのは、ぶっちゃけとても怖いです。不安だし、ストレスの塊のような世界ですけれども、恐怖や不安、全て含めてぼくは自然の一部だと思っています。それが感じられないと、たとえ登ったとしても何かもったいないような気がして、それを感じるために敢えてベースキャンプから独りで登ることをやっています。
竹村
栗城さんのような極限な話ではないのですが、私はダイビングをします。アクアラングをつけて潜ると魚が寄ってこないのです。イルカも近づいてきません。けれども素潜りで行きますと、それは当然、息が続く限りですからせいぜい1分が限界なのですけれども、すると魚も、イルカも、こんなヤツが海にいたっけかな、という感じで寄ってくるのです。
 ですから自然との距離感が全然変わっていくような気がして、ちょっと比較すべくもないような話ではありますが、自然を感じたいとは、そういうところもあるのでしょうかね。
栗城
エベレストには生き物はほとんどいないのですけれども、キバシガラスがいます。一人でいますとカラスが荷物を狙いに来て、ぼくは一度、とんでもない目に遭っています。ハイキャンプではデポといって荷物を一度埋めて、それで降りてきてまた上がるのですが、カラスは頭が良くて、あいつは一人でいる、とわかるのですね。荷物を狙われたのです。
竹村
でも、標高はさほどないのでしょう?
栗城
だいたい7500メートル、8000メートル近くまでカラスはきます。
竹村
8000メートルまでカラスがいる!?
栗城
いるんです。あと、一番上までくるのはツルです。
竹村
アネハヅル。あれはヒマラヤを超えますものね。
栗城
秋になるといっせいにツルが越えていくのですが、うちのベースキャンプのカメラマンがたまたま望遠レンズでその姿を撮影して、それがNHKの番組で使われたらしいです。
竹村
現地のシェルパといった方々とはいろいろなご関係をお持ちなのですか?
栗城
うちには生中継のスタッフが何人かいるのですが、それを支えるための現地スタッフはいます。荷物を持ってもらう人、あとはコックさんです。コンビニも何もないところで2カ月近く生活しますから、ご飯をつくってもらいます。だいたいカレーですけれど。
竹村
ベースキャンプは、何段階かあるわけですか?
栗城
ベースキャンプは登山スタート地点、5300メートルでして、そこだけです。そこから先はテントを持って上がった先で、自分で判断して休みます。
竹村
すると「アドバンスドベースキャンプ」とは?
栗城
それがいわゆる独りで登っていく手前の、最前線の基地です。
竹村
何メートルくらいにあるのですか?
栗城
昨年のエベレストの北壁のほうは5700メートル近くだと思います。
竹村
ということは5700メートル以降、8848メートルまではお独り?
栗城
そうです。あとは仲間が、点みたいな栗城を望遠カメラでずっと追うくらいです。
竹村
ご自身は、どこにカメラをつけているのですか?
栗城
ほとんど手持ちです。クレパスがあちこちにあるのですが、何もないところでは飛び越えなければなりません。そのときはカメラをいったん置いて1メートル半ほど飛び越える姿を撮り、カメラがこちら側に残してあるんで、もう1回取りに戻ります。だから3回飛んで撮影するという、そういうことを自撮りしながら登っていきます。
竹村
そんな状況で、よく自撮りしますね。
栗城
でも、撮れないときもあります。それは本当に死が迫っているときです。その姿を撮ることがきたら凄い映像が残るのですが、「あっ、撮影どころではない」という状況もたくさんあります。
竹村
最初に中継しようと思われたきっかけは何だったのですか?
栗城
本当にたまたまのご縁だったのですが、日本テレビのかつての人気番組『電波少年』のプロデューサー・土屋敏男さんとの出会いです。
ぼくは学生の頃から登山をはじめて、北米最高峰のデナリ、通称マッキンリー山に独りで登ったり、その姿を自分のカメラで撮影していたりしていました。2007年に土屋さんにお会いしたとき、こうした話をしたら、映像が見たい、というのでお見せしたのです。そうしたら「君は変わっている」と。「普通、カメラを山に持って行ったらだいたい山に向けるよ。でも8割方、自分を撮っている。どれだけナルシストなんだ」と言われて興味を示してもらいました。
当時、ユーチューブも、Facebookも、まだ日本にはないときでして、いろいろなメディアがインターネットで何ができるか試していたときでした。
そのときにチョ・オユー(ヒマラヤ山脈)という8000メートル級の山に行く計画を伝えると、配信を一緒にやらないかと話がきました。これは面白そうだと思って、一緒にやることになったのですが、企画のタイトル名が問題でして、『ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ』とつけられました。
高校を卒業して半年間、ぼくは本当にニートをしていましたからそういうタイトルをつけられたのですが、全国の本物のニートの方々からたくさんのメッセージが寄せられました。ほとんどは、「そもそもニートは頑張らない」とメチャクチャな誹謗中傷でした(笑い)。
そうして1カ月ほど上がって下がってを繰り返しながら登っていきまして、最後の頂上近くでホワイトアウトに陥ってしまったのです。辺り一面が真っ白、足許ですら見えなくなりました。8000メートルを超えると、酸素が薄くなるものですからいるだけで苦しいですし、何も見えない危険を感じました。山で重要なのは、執着しないことなのですね。
 この状態では行っても帰れないと思いましたので、最後は下山を選んで降りてきました。降りて帰ってきたら、「無理だ」と書いてきていた人たちが、「やっぱり栗城は登れなかった」とたくさん書いてきて、そのメッセージを見て、「もう1回上がらせてください」と訴えました。1週間後、結果的に登頂できました。
その後、もうひとつ登頂と同じくらい嬉しいことが待っていて、「やはり登れなかった」と書いた同じ人から、ひと言だけ「ありがとう」とメッセージを寄せてもらいました。
鳥肌が立ちました。山を登っていて「頑張ってね」「登頂おめでとう」などと言われることはたくさんあるのですが、「ありがとう」なんて言われたことがありません。かつてマザー・テレサは「愛情の反対は憎しみではなく無関心だ」と言いましたが、そのメッセージを見たとき、彼らはマイナスの言葉を吐きながらも、決してそれだけではなかったのだ。彼らにも、何かチャレンジしたい自分の山があるんだ、と思ったのです。
 これはとても素敵なことだと思って、自分の冒険の柱にしたいと思いました。そうして土屋さんにもう1回やりたいと言いましたら、土屋さんにはもう終わり、と言われましたので、自分でやるしかないと思い、企画書をつくり、いろいろな企業を回り、スポンサーを探しながらやっています。
竹村
体験を徐々に人とシェアするようになったのではなく、最初からそういう経験があったわけですね。実際には単独登頂ですけれども、決して独りで登っているわけではない。
栗城
ぼくはホームページに、「見えない山を登っているすべての人たちへ」というメッセージを書いています。別に栗城だけが凄いことをしているのでもなんでもなく、皆さんにもそれぞれ自身の山があります。
山の凄いところは、上手くいかないことです。途中で下山しなければいけないことのほうが多いのです。でもそのときにいろいろな否定の壁があって、それを「あいつはできなかった」とひと言で片付けるのではなく、皆で応援し合い、栗城がやっているなら自分も頑張ろうとなっていき、否定の壁を越えられたら良いなと、これはぼくの冒険の行きつきたいところです。
竹村
「否定の壁」という言葉は素晴らしい、非常に強い言葉だと思いますが、そういうコンセプトでご自身の活動を展開しておられる方に初めてお会いしますし、そういう意味では登山は非常に普遍性を持った行為だと思います。誰もが自分の山を登っているわけで、登る前に止めてしまう、あるいは周りから登れるわけがない、止めろ、お前ごときに、という声がたくさん聞こえてくる中で、それでも越えなければ人間として生まれてきた意味がないじゃないか、と訴えているような気がします。
栗城
なぜ「否定の壁」だったかというと、ぼく自身が否定されることがたくさんあったのです。最初に登ろうとした北米のマッキンリーには、大否定に遭いました。単独で行きたい、と言うと山の先輩や友人含めて全員に、反対とかならまだ良いのですが否定されたのです。「馬鹿げている」「無理だろう」という言葉を、洗脳されるほど浴びせかけられました。
 最終的に登りましたけれども、そのときに思ったのは、否定の言葉を発する人が、ではそれに行って体験したことがあるかというと、ないんですね。ないのに「できない」「無理だ」というのはひとつの幻想だと思いました。
 ぼくは全国の学校などを講演で回るのですが、こういうことはたくさんあると思っていて、チャレンジとは成功や失敗を越えている世界だと思うのです。そこで、皆が行けたらもっと楽しい世界があるのではないかと思っていて、それで生中継をやっています。

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