81.3 FM EVERY SATURDAY 19:00-19:54
旅を始めようとする人、旅を終えた人。
出会いと別れが交差する、週末のエアポート今日も大きな荷物と夢を、両手いっぱいに抱えた旅人たちがここから旅立とうとしています。
ロンドン、パリ、ニューヨーク、上海… 貴方もまた、ラウンジで旅のアペリティフを傾けながら、これから向かう彼の地へと思いをめぐらす。
搭乗ゲートの、その先にあるのは…世界。 貴方が羽ばたく空の向こうにあるのは…地球
さあ、今、想像の翼を広げて…皆様を空の旅へとご案内します。
VFXの世界でも物凄く優秀な人程、どんどん海外に行ってます。(小田)
小田さんのお仕事、VFXスーパーバイザーというのは、どういうものなんでしょうか?
英語で言うとVisual Effects、昔で言う“特撮”ですね、ウルトラマンとかゴジラの。コンピュータを使う作業は大体スタッフに任せるんですけど、それを組み立てる為の色んな材料とかレイアウトとか、監督の演出に沿ってどう組み上げるかという所が僕の仕事ですね。どんどん変わっていく現場でどうすべきかを素早くジャッジするのが一番の仕事かもしれません。特撮の予定じゃなかった所も「こうしないと雰囲気に合わないんじゃないか?」等の提案もします。
それはセットを組み立てるところからですか?
そうですね。「252 生存者あり」という映画では、新橋が崩壊してる映像があったんですけど、セットでは限界がある訳ですよ。橋とかは作れても、両脇のビルを全部作る訳にはいかない。そしたら橋の奥は全部僕等が担当するとか、セット図面を起こす段階から相談し合って。最近の映画で、VFXが使ってないものはないんじゃないですか。タイトルも昔みたいにテロップが出てきて終わりじゃないですし。タイトルは少し特殊なんですけど、そこからもうVFXは始まっているので。あと、監督が要望した風景を探し出す事が今の現代、凄く困難になってきてるので、例えば「あそこは凄くいいんだけど、奥に要らない物が写る」とかで電柱やビルを排除しないといけない時に、VFXの登場になるんですよ。
建っている建物を消すって事もある訳だ!?
一杯あります(笑)。本当に風景一つからですね。昨年の映画『なくもんか』のラストで、夕日を叙情的に見せないといけない時に、雲に入って陰っちゃったんです。だから人物のマスクを全部手描きで切って、一コマ一コマ作って、全て夕景にして、太陽を3倍位の大きさにして、且つナチュラルに。特にラストシーンなので、観客が少しでも特撮を感じちゃ駄目ですから。
お客さんが「特撮だ!」とびっくりするものじゃなくて、自然に見せる為の特撮ってことか! 大変ですね。
楽しいですけどね。楽しいけど淋しいんですけど(笑)。気配を消して完成という事がよくある訳で。
ハリウッドでもかなり多用されてると思うんですけど、そこに日本人のスタッフやテクニックはどんどん入っていってるんですか?
技術畑の人間は皆入っていってますね。物凄く優秀な人程、どんどん海外に行ってます。野球で言えば、監督やコーチはなかなか行けないのと同じで、実際技術でやってる人間は行けるんですよ。僕等みたいな人間は、どう行くかを常に考えてます。
スポケーンは古いアメリカそのままな感じの素敵な街でした。(小田)
先日、アメリカの映画監督ジョン・カーペンターさんに呼ばれて行ってらっしゃったそうですけども。ジョンさんというのはどういう方なんですか?
彼は僕にとって神みたいな存在で、僕の人生を決めた方です。彼が撮った『ハロウィン』とか『遊星からの物体X』とか『ニューヨーク1997』とかを中学校の頃に見て、僕は映画監督になるって決めたので。音楽の世界もそうだと思うんですけど、昔から芯が変わらずに常にスタンダードを続けている方って、やっぱり凄いと思うんですよ。
そうですね。その神様のような方との実際初めての出会いはどんな形だったんですか?
2003年に僕が初めて1本目の映画を撮れることになって、僕はとにかく映画を撮れる事になった時点で「カーペンターに報告しなきゃ!」という馬鹿な命題が自分の中にあって。決まった時にロサンゼルスのプロダクションに「貴方のお蔭で僕は映画を撮れるようになった。今度もしかしたらホラーをやるかもしれないので、その時は貴方と是非仕事をしたいので…」とつらつらと書いて、FAXでピッと送っちゃって、連絡もついてないのにアメリカに渡ったんですよ。
(笑)アポ無しだ!
その3日後位の週末に電話をかけたら、今は凄く仲の良いアシスタントの女性の方に「来週ジョンは待ってます」と言われた瞬間、テンションがグワーッと上がって「俺とんでもない事してる!」って(笑)。
(笑)。でも、実際親切に会って下さったんですね。
ええ、彼が凄く好きなゴジラの人形を持って行ったら“Oh!Cool!!”とか言って、目の前で“ダダダン、ダダダン・・”って人形を持って伊福部(いふくべ)さんのマーチ(ゴジラのテーマ)をやってくれて。そこから色んな話をして、ホラーを作った場合は是非音楽か何かで参加して頂くお約束をしたんです。
それで呼ばれて行った街がスポケーン?どんな印象の街でした?
スポケーンは古いアメリカそのままな感じの素敵な街で、鉄道が鉄橋の上を走って、奥に緑の山があって。ジョンがコーディネートしてくれたホテルは1961年開業で、街全体にも古き良きアメリカが残っていて、川の流れと滝が見える真ん前にレストランが自然にあったりもして、豪勢というよりも、昔から大切にされているレストランだなあと。
メニューもまた古き良きな感じなんですか?
はい。そこでは赤身のステーキを貰いました。川があるからお魚も豊富で、海も近いと言えば近いので、クラブケーキとか色々凄く美味しかったです。野菜も美味しいかったですし。週末毎にフェスティバルがあって、それまでは本当に静かなんですよ。平日も早いし。でもフェスティバルになると川辺の所に懐かしいカーニバルのように賑わって、凄く素敵でしたね。
ジョンがとにかく「この現場を吸収して行きなさい」というのが凄く伝わってきて、物凄く幸せでした。(小田)
ジョン・カーペンター監督とはそれ以来は随分色々とお仕事も一緒にされてるんですか?
いえ、仕事はまだです。彼自身も丁度2002年に撮ってから暫く撮らなかったんです。昨年ようやく新作を撮る事になった時に「一生、見に来ないか?」と言っていただいた時に、僕は撮影の現場に入っていたので、なんとかやりくりして納品してチェックも済ませて、翌日に飛んで行っても、後半しか居られなかったですね。
それはずっと見学してる訳ですか?
見学というか、彼が現場に行く車に毎朝乗せて貰ってました。彼が久しぶりに新作を撮るので、世界中から若手の監督が来て横のモニター室とかで見たりしてるんですけど、僕はジョンの友人ということで入ってきたものだから、現場でリハーサルから何から全部彼の直ぐ間近で見てて。普段のフランクなハンバーガーレストランに居る彼とは違うんです。その中でも時折こっちを向いてウインクしてくれたりして。もうおじさんなんですけど、そういうのが物凄く素敵で、スタッフにも凄く愛情があって。だから何かを伝えてくれてるというか、とにかく「この現場を吸収して行きなさい」というのが凄く伝わってきて、物凄く幸せでした。
きっと、一番はじめのアプローチが良かったんだね。熱意が伝わったというか、誠意と言うか、変な言い方ですけど飛び込み方がね。いい話だね(笑)。
本当に数え切れない位色んな話があるんです。初めて会った日、テンション上がってガーッと色々話が終わって僕が帰ろうとしてる時、「今日どうやって帰るの?」「今、アシスタントさんにタクシーを呼んで頂きました」「僕が送っていくよ」と言ってくれて。そんな「お仕事あるんじゃないですか?」と言ったら「いやいや、君の為に今日は降りてきたんだから、時間あるから全然大丈夫」って、1時間ちょっと、彼が車で送ってくれて。
神様だった人が(笑)。分かるなあ、その時の気持ち。どうしたらいいんだ!?みたいなね(笑)。
さらに横断歩道で止まった時に、ペプシを取り出して飲んでるんで、僕からしたら「うわ、神様がペプシ飲んでる!」ってそれだけでも凄い事なのに、こっちをジッと見た後、「飲む?」って手渡ししてくれて。それを神様から受け取る瞬間、男の子って馬鹿じゃないですか?「うわ!神様と間接キスだ!」と思って、返したのをまたジョンが飲んだら「ジョンが飲んでる!」そんなことばっかりですよ。
一つ一つがね(笑)。勿論作ってる時の集中力と普段の生活は違いますもんね。その普段の生活に触れると絶対それはありますもんね。じゃあその時からまた新しい作品を撮られてるんですね。
はい。今年公開されますね。
今、少林寺のエリア一帯は、一つのテーマパークになってるんですよ。(小田)
2008年公開の映画『カンフーくん』で、中国にも行かれてたんですって?
はい、河南省という、変な話、中国でも収入が低い地域の一番奥の方、アクションで言えば聖地の“少林寺”に撮影に行きました。
あの映画『少林寺』にもなったところですか!? かなり奥地のイメージですよね。どんな所でした?
びっくりしますよ。今あのエリア一帯は後ろにある嵩山(すうざん)という山までが区切られていて、一つのテーマパークになってるんですよ。入り口でお金を払って、中に入ると電気自動車しか通れなくて、お土産物屋さんが入り口に沢山並んでて。
世界中の人が観光地として来るんだ?
そうですね。もともと『少林寺』という映画が始まるまでは廃寺になりそうな状況で、ギリギリ隠遁していた方が1~2人居たのが、映画一つでどんどん大きくなったらしいですね。勿論『少林寺』の中で使われた色んなお寺が周囲に一杯あって、全体的な部分で宗派というか一つのエリアになっているので、中には本当に昔と同じ、修行する子供を預かっていて、日が落ちたら生活が終わるような所もありました。あと、驚くのは、周りに学校が200~300あって、小さい所の生徒数は100人位、大きい所は3万、職員合わせて4万人と言われました。
桁が違いますね。そこへ行って、まずは何を?
初回はロケハンです。で、許可を取らないといけないんですね。中国で撮影許可を取るのは物凄く大変で、少林寺の院長先生との会食というのがあるんです。ロケハン中の昼の2時半頃に「監督、院長先生から電話があった。今から僕等はレストランに行かねばならない。行かないと撮影出来ない」と言われて、ロケハン中だったんですけど「しょうがない。郷にいれば郷に従え」だと、後に嵩山があって動物の鳴き声も聞こえそうな中にあるレストランに行って。丸テーブルに院長先生と僕とプロデューサーが座って、他のスタッフに「今日は監督とプロデューサーがメインだから頑張って下さい」と言われて、アルコール65度の常温の白酒がテーブルに1人1本ずつ並べられたんです。そして「この素晴らしい良き日に集まれて我々は光栄です」みたいな話で乾杯が始まって。
つまり一気で飲まなきゃならないのね(笑)。
勿論です。それがプロデューサーは一杯でダウンしてしまって、院長と僕は差しになっちゃったんですけど、15分置き位に誰かが立って「我らはこれを血として、飲み交わした僕等は兄弟です」みたいな一言を言っては乾杯する訳です。でも、それ位厳しいハードルがあるとは聞いてましたし、ここで倒れたら少林寺を撮影出来ないと思いながら、先輩を立てなきゃ行けないので「兄貴!」とか言って飲んで。1本半までは覚えてるんですけど、2本飲んだらしいんですね。きつかったです(笑)。でも翌日からスタッフが変わりました。「監督、貴方は素晴らしかった!僕等は貴方についていく!」って。でもそれだけじゃ終わらないんですよ。
どういうこと?
ホテルでぐったりしてると夜中に水とか果物をスタッフが持ってきてくれて、「院長先生は納得してくれたかなあ」と言ったら「いや、もう納得して、自分の兄弟だと言ってる。それで今、院長先生が下で演舞をやってる」と言うんです。
演舞!?
はい。「弟が倒れてしまった。兄として放っておく訳にはいかない」と、下で「弟よー!」とホテル中駆け巡った挙げ句、朝5時までホテルのロビーで演舞してたんです。院長強いから誰も止められないんですよ(笑)。
ジャカルタの映画界も4~5年で状況は変わると思います。(小田)
最近はジャカルタに行ってらっしゃったんですって?
そうですね、一昨年VFXのセミナーの依頼があって行きました。僕の居る事務所がアメリカとタイとインドネシアにスタジオを持ってて、僕の作品をインドネシアで紹介してくれてる交流もあったので。なかなかジャカルタでは特撮映画っは少ないので、若いスタッフ向けのセミナーをしたんですけど、1日目が120~130人で、2日目がスペシャリスト向けに30人位でしたね。
どんどん新しい技術に興味を持ち始めてるんですね。
そうですね。昔の日本の状況と似てて、CMとTVと映画との間に深い溝があるんですよ。今やハイビジョンになって、カメラもどんどん変わって全てがデジタルになって、今年からアメリカは変わっちゃうし、今年以降日本も変わると思うんですけど、映画もデジタルで上映される中、日本は特に若い世代からグローバル化してるので、自由に分野を行き交ってる状態なんです。昔はカメラマンは「俺は本編(専門)だから」とかありましたけど、今はそんな事ないですからね。今のジャカルタは10年前の日本で、いわゆる軍事政権が倒れて今のジャカルタになる前から映画は綿々と続いている一方、TVは自由になった所から始まって来てるので、やっぱり溝があるんです。TVの連中はVFXを自由に活用して、「お互い、ちょっと無茶な仕事もしてるな」と交流出来たんですけど、映画はなかなかデジタルに踏み込めないんです。
なるほど、まだまだ保守的な感じがあるんでしょうね。
それに、値段が高いと。TVの連中からすれば「そんな事は無い。僕等はこんな大変なところでやってるし、CMもこんな予算で頑張ってる。映画でもやれるはずなんだけど」と話して。「東京でも勿論予算の無い奴もいるけど、それをどう打破するかというと、僕等はデジタルを持っている訳だから、民生機で撮ろうと最高機種のカメラで撮ろうと変わらない。民生でやって、最終的にフィルムにする際のレベルをハイ・クオリティにすればこの位のレベルに持って行ける。構図であったり、僕等が作るVFXの豊穣さによって画面のレベルが全然変わってくるから、そこを上手くバランスとればいけるんじゃないかな。あと、TVの連中も映画への偏見は捨てて良いんじゃない?今、時代は変わってる」という話を物凄く真剣に聞いてくれて。なので、この4~5年で状況は変わると思います。
随分前に、香港の映画からニューウェーブが出てきたり、或いは今も中国やインドの映画も変わりつつあるから、アジアの底力が上がると、さっきの中国の話じゃないですけど、アジアは人数がいますからね。日本も“一緒になって何かを作る”という意識を持っていないと、置いてきぼりになっちゃうかもしれませんものね。
だと思います。
さて、最後に小田さんにとっての旅とは、一体何ですか?
僕にとっては、夢の道程なんですよね。確かめなんです。偶に出て行って、映画祭に呼ばれていったりする中で、交流がある所で自分の立ち位置を確認する作業というか、交わす会話の中でも確認してるんですよ。それによって、時によって戒めというか「僕はまだまだココだな」とか「こんなんじゃない、歩むべき道はもっと距離があるな」とか、逆に「この位の風景が見えるようになってるな」とか、そういう、自分の中の大切な呼吸に近いものがありますね。だから旅をしないと、凄く息苦しくなっちゃう時もあるので、毎年毎年それを大切にしてます。