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お菓子屋さんはフルーツの魔術師にならないと駄目なんですよね。

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 青木定治 - パティシエ -
1968年東京都生まれ。89年まで青山[シャンドン]に勤務後、単独渡仏。パリ[ジャン・ミエ]スイス[レストラン ジェラルデ]を経て、パリ[クーデル]では、アントルメのシェフを勤める傍ら、コンクールなどにも積極的に挑戦。98年にはパリ7区にアトリエを構える(現在は13区に移転)。パリ市内のサロン・ド・テやレストラン、ホテル等、また幾つかのレセプションと提携したパーティへ、プティ・フール、アントルメを中心とした生菓子等を提供し好評を得ている。99年度のパリコレクションではKENZO・YOHJI YAMAMOTO・CHANEL・UNGARO・CHRISTIAN DIORなどのブランドへもお菓子を提供。2001年、パリ6区に初のブティックをオープン。アトリエでの製造、ブティックでの販売を実現させた。
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“柔らかい雰囲気の中で食べる”という料理が一番美味しいと思う。(青木)

パティシエになろうと思ったきっかけは何だったんですか?

きっかけは特にないんですけど、人に何かを作って喜ぶ時間を作ってあげることが好きだったんです。 サービス精神や、でしゃばりみたいなものですね。

それで選んだのが“お菓子”だったんですね?

もともと伯母がアメリカに住んでいて、僕は凄く勉強の出来が悪かったんだけど愛嬌だけ認めて頂いて、「お前はアメリカでビジネスをしなさい、料理の仕事を覚えなさい」と言われまして。料理を学ぶ第一歩がお菓子作りだったんです。そこではまっている状態ですからね。

本当はお菓子だけではなく幅広く料理をしようと思っていたんだけど、お菓子だけでいろいろな物が見えてきてしまったんですね。

そうですね。

パリにはいつ頃いらっしゃったんですか?

僕が21歳の時ですね。

15年前ぐらいですね。それ以来拠点はパリですか?

パリ以外にもシカゴやスイスの三ツ星レストランを転々としていました。パリはマイペースで勉強する場所としてはぴったりですね。

その後コンクールに出場されたりするんですが。世界各国から大勢エントリーされるんですか?

僕自体コンクールに執着していなかったですよ。コンクールといっても僕にしてみれば、審査員がお客様ですから。何軒かのお店で働いている時には、そこのお店のパトロンさんが僕にとっては審査員ですし、パトロンさんが喜んで頂ければ勝ったみたいな感じです。だから違う場面で審査員の人にどういうお菓子が勝つのか興味があるだけですね。

なるほどね。僕も同じように楽器を弾いていて子供の頃からコンクールを受けていますが、審査員がお客様という気持ちは、なかなか持てないじゃないですか? そう思う事が一番大事な事かもしれませんね。

僕にとってのコンクールというのは、審査員イコール毎日のお客様ですね。僕は昔から葉加瀬さんを存じ上げていますが…。

ありがとうございます。

人を感動させる音楽や絵とかも素晴らしいと思うし、それがたまたま口にして頂けるの“お菓子”なだけで、人に「こんなものが出来ましたよ」と言った時に柔らかい雰囲気で食べて頂くと、本当に美味しい物をわかって頂いたのかなと思います。

“柔らかい”ですか?

“三ツ星のコンセプトを膝を崩して食べてください”という料理が一番美味しいと思います。

はい。

その場の演出ですよね。「これが俺の三ツ星だぁ!」というのではなくて。でも一時期一歩間違いそうになった事もありますけど(笑)。やはりパリの人達に、“ミルフィーユやエクレアにこだわっているんですよ”とわかって欲しいですし。銀座で中国人がお寿司屋を出したとして、まず皆さん「この人ちゃんとシャリ握れるのかな」という部分を見ますよね? 

そうですね。

だからミルフィーユやエクレアにこだわるのは、僕にとって14年間のベースの部分で“生地”なんですよ。

なるほど。



“地質”が違うというか“大地”が違うんです。(青木)

初めてパリへ来られたのは21歳の時とおっしゃいましたけど。第一印象はどうでしたか?

50年前の世界に来たのかなと思いましたね。

あはははは(笑)。

21歳までレーサーを目指してバイクに乗りながら夜間の学校行ってたから、それとは違う環境で凄いショックですよね。

街並が建物から何から何までこの雰囲気だからね。初めてパリへ来られて修行してた頃を伺いたいんですけど。やはり日本のレストランやお菓子屋さんと比べて違うんですか?

素材が全然違いますね。後ほどお見せ出来るといいんですけど、フルーツ…ある意味チョコレートもフルーツなんですけどね。乾燥のカカオというフルーツですから。お菓子屋さんはやはりフルーツの魔術師にならないと駄目なんですよね。

シーズン毎の旬の物を活かすということもそうなんでしょ?

そうですね。ある意味今は初夏ですから、ほとんど技量はいらないという感じですけどね。

そうなんですか? テクニックよりも?

主役は完全にフルーツですね。

“素材をどのように活かすか”なんですね。日本でも美味しいフルーツが沢山ありそれぞれに旬がありますけど、種類が多いのですか? それとも量が多いのですか?

これは何が違うかと言うと、料理の世界では動かせないものなんですけど、“地質”が違うというか“大地”が違う、土が違いますね。

あはははは(笑)。

土がカルシウムに満ちているんです。牛もそういう所に生えた草を食べてますから、こればっかりはかなわないですね。

全然違いますか?

酸味のあるものはハッキリとした酸味を主張してきますし、例えば乳製品なんかも乳臭すぎるぐらい!

わかります(笑)。

それを発酵させてチーズやバターを作りますから。いかに発酵種を良い形で使い込んであげるかが問題ですね。

なるほど。“自然の力”という次元で違うということですね。

全然違いますね。

それは果物を操ってお菓子を作るパティシエという仕事をする方にとっては、願ったり叶ったりなんですね。そういう素材があれば、どんどん表現出来ることが増えてくるということなんですね。でも東京にも本当に色んな人気のお店があり、美味しいものがある気がするんですが…、パリの方が更に深いものがあるんですか?

何ていうのかな…もっとガサツでいいんですよ。だけど食べさせたい物を全面に出す。

なるほど。

例えば本当に美味しい生地があって、牛乳と卵で合えたソースがあり、そこにフルーツがあると、それはもう“お菓子”ですから。

うんうん。

それをどういう風にお持ち帰り用に組み上げるかがケーキ屋さんの仕事だと思うんですよね。レストランで食べたお菓子をそのまま持ち帰り対応のお菓子にするのかがパティシエの仕事だと思います。だからこの時期は出番はありませんね(笑)。

あはははは(笑)。

フルーツ屋さんで真っ赤な苺が120円で買えるのを、僕達は加工して一切れ300〜400円で売るものですから一般の人はシビアに見ますよね。

なるほどね。どれを使ってお菓子を作っても、もとのフルーツが美味しいんですもんね。

だから嘘がつけませんね。



お菓子はサッカーみたいなもの。(青木)チームワークが大切なんですね。(葉加瀬)

修業時代のお話をもう少し伺いたいのですが、本場のパリで日本人のパティシエとして“これから頑張るぞ”という時に何かアピールをしないといけないじゃないですか? そういう事を考えたり行動したりしたんですか?

修行時代といっても…今も修行時代なんですけど、昔の修行中。つまりフランスに来た当初ですよね。

お店を立ち上げられる前ですよね?

そうですね。他の素晴らしいシェフやパトロンの看板の下で仕事をしてきましたけども。お菓子はサッカーみたいなもので、そこで突出しようと思ってなかったんですよ。そこでの決まり…。

チームワークですね。

そこの社長が何を活かしたいのかを読み取って、出来るだけ出っ張らないように。ただ決め手として、青木の所にパスが来たら良いお菓子を絶対に上げるという事ですね。

あははは(笑)。

特別な注文がご指名で来るようになって、だんだんとそのポディションを任せてもらえるわけですね。

なるほど。

その辺でパトロンさんに技術面ではなくて、「コイツ中身があるな」と理解って頂きながらやってきたような気がします。

なるほど。パリコレクションのレセプションはどういう経緯で行うようになったんですか?

これはパーティー屋さんとコネクションを組みました。色々と卸をしていました。修行してきたお菓子の技術はあったものの、どのように宣伝していいのかという知識が全くなかったんです。パリならではの口伝えのおかげですね。パリの人は食べ物に関して熱狂的ですからね。

そのレスポンスはもう、東京とかとは比べ物にならないぐらいですか?

全然違いますよね。「コイツ良いお菓子をまとめあげてるよ」という評判が仕事につながっていくんです。 例えばコレクションのなかでも『クリスチャン・ディオール』の時は、「他のパーティー屋がまとめるんだけど、お菓子部門をやってみる?」と誘って頂いて。するとそのレスポンスが凄いですね。

パリコレは華やかな世界ですからね。ちょうど今も開催しているのかな? このシーズンですよね。パティシエという立場として御覧になっていかがですか?

いっぺんに400〜500名分の食事を出しますから“戦場”ですよね。

凄いですね。

カーテンを越えて向こうは別世界です。そういう世界を色々と見て来ているから、自分が二重人格になっちゃうのではないかと思います。

でもその“裏と表”があってこそ成り立っているものなんだあと思うんですけどね。

お菓子の注文でもコレクションになるといろんなジャーナリストがドーンと集まりますし。「何でこんな注文受けちゃったのかな」と思いながらやってます。

もっと穏やかにいたいなと思うんですね。

今はバカンス中でフランス人の従業員はいないんで、今いるメンバーはオール日本人なんですよ。「みんな普段いい仕事しているから怒りたくないのに、何で俺はこんなにピリピリしているんだろう」という場面があります。だけど終わったらジャーナリストから電話がっかってきますし。「この間お前が作ったお菓子、喜んでるよ」という話になって、スタッフも盛り上がりますから。その節目節目でいいのかなと思いますね。



エクレアは「うわぁ〜気持ち悪い、芋虫みたい」と言われます(笑)。(青木)
見たことのない色ですからね。(葉加瀬)

青木さんならではの日本の食材を活かした『抹茶』や『きな粉』や『胡麻』などの製品を出していますよね。これはいつ頃からアイデアがあったんですか?

パリに看板を出す時に、基本的なフランス菓子の技術に自分を加えて表現した商品ですから、お店を立ち上た時に考えました。お客様もお年寄りやモード系の人にしても、日本というのは今、世界中が注目している街ですよね。日本というか“東京”ですけど。

うんうん。

“東京の人間がパリ菓子や自分達の文化を触ったらどうなるのか”と皆が興味あって、東京人がどんなものを作るかという関心への答えですよね。

パリジャン、パリジェンヌの反応はどうでしたか?

おかげさまで毎日早めに完売しますね。一番初めは「気持ち悪い」というところから入りますね。

一番初めはそういう反応するんだ。

「うわぁ〜気持ち悪い、芋虫みたい」と言うんですよエクレアを(笑)。

芋虫ですか(笑)。エクレアの上が抹茶で緑だからなるほどね。皆見た事がないですよね?

皆さんエクレアの場合は、カフェやチョコレートのテイストのものを子供の頃から食べていますからね。私達日本人にしてみたら「おはぎ」や「お団子」なわけじゃないですか?

見た事もない色だし…。

それに他国の人間がオリジナリティーを表現しようとしてると“気持ち悪いんだけど、選んじゃう一品”という感じですね。

興味本位で「どんなものだろう?」と買いたくなるんですね。

ヴォージラールのお店では食べて頂きましたから。よく観察してると初めはかなり小さい一口なんですよ。

あはははは(笑)。

でも二口目からは、もう二口ぐらいで食べきってしまったんです。「これは成功だ」と。ある意味「気持ち悪い」とか「うわぁっ」と思うものもインパクトかなという感じですね。

見た事もないものをプレゼンテーションするという事ですもんね。

そうですね。

でも青木さんのお菓子で『抹茶』や『あずき』を初めて知ったというパリの方、いっぱいいらっしゃるんじゃないですか?

僕は10年間学ばして頂いた、フランス文化へのお礼のつもりですね。ブティックを出すということは、お金を稼ぐ事だけじゃなくて日本を代表するつもりで、日本人としての細かな気配りというか、そういった部分を表現出来ればいいのかと思っています。だから日本の味を少しでもまろやかな形で出したいですね。和菓子は以前からフランスにありますけど、やはり手の届きにくい状況だったりというのがありますよね。ですから若い方々がふと食べてしまったものを「これ何だったの?」と聞かれた時に「抹茶だよ」となって、「あぁ抹茶、好き好き!」と思ってもらえれば嬉しい。流行るものとはそういうふうに出来るのかなと思いますね。

本当に興味深い話ばかりでもっと色々伺いたいですね。ところでさっきからこの話をしている所は甘い香りがしてるんで、僕は気もそぞろなんですよね。ちょっとお菓子を見せて頂いていいですか?

よかったら製造の方を見て下さいよ。一緒に行きましょうか。

はい!

※アトリエ(厨房)の模様はフォトレポートのページでお楽しみ頂けます!



40歳までにはN.Y.へ行きたい。(青木)
次はN.Y.でインタビューをしたいですね。(葉加瀬)

15年住まわれている青木さんに、この街の見所や好きな所。個人的に思い入れのある場所なんかを教えていただきたいのですが。

明るいうちにチョロチョロ営業に行ったりとか、パーティーのセッティングに行ったりというのは本当に最近なんですよ(笑)。もう十何年もの間は、僕らは5時台から仕事が始まって。

朝の?

はい。それで夜10時頃までやるわけじゃないですか。だから明るい街のパリはあまり知らないんですよ(笑)。

ハハハ!

パリに来て最初に、7区にある『ジャン・ミエ』というお菓子屋さんに入る事が出来たんですが、一番最初に感激したのは、春になって夜9時過ぎでも明るい花壇を見れた時ですよね。4月頃を過ぎて、夏時間がもうそろそろ来るよとなった時に、陽がグワーッと長くなりますよね。

はい。

あの時に「生きててよかった〜」と思いますよね。

じゃぁもう初めの頃は、街を楽しむ余裕なんて全然無かったんだ(笑)。

無かったですね。

最近はちょっとは余裕が出て来たの?

日曜日だけですね。家族でチョロチョロと。赤ん坊を連れて巡れるような、安全な所しか行かないんですけど(笑)。だからパリの食材関係以外の質問に、ほとんど答えられいのが本当で(笑)。

アハハハ。「マーケットの事なら訊いてくれ!」と(笑)。

本当に食材だけですね(笑)。

でもそれが1番素直なお答えかもしれませんね。そりゃそうだよね。仕事しに来ているんだもんね。

うん。だから本当にまだ“修行”ですよね。これでアメリカに行ってビジネスを始めようかなと思っていますから。だから今は見れる事・出来る事を何でもテストしてみたいんです。現在躊躇してたら10年後には絶対出来ない事ですから、規模が小さいうちに。そして僕の事を知っている人が少ないうちに、恥は出来るだけかこうかなと思って。

なるほど。

「アッ、これいいな!」と思った事はでもやるようにしています。うちの若い奴らにも言っているんですけど、「今しか恥はかけないよ」って。「人の上に立つようになっちゃったら、もう失敗は出来ないんだから」と。

うん。

思った事は何でもやって、体験して。そうやって、良い事・悪い事、嬉しかった事・嬉しくない事。自分が喜ぶ事がやってて楽しい事になれば、1番夢に繋がりますからね。

なるほど。でもこの後の“アメリカ”も近いうちになりそうですか?

昔から「40歳までには行きたい」という事でやっていますんで。

自分の人生、もう初めから計画しているんだね。

「よく日本に帰りたいと思わないね」という質問があるんですけど、そういう気持ちは全く無いんですよ。日本に帰るというのは。

無いんだ(笑)。

もう前進あるのみ! 常に崖っぷちというか。だから毎日確実に自分の中で分かる2歩3歩がないとね。時間の流れは早いですし、しかも海外だし。何かにぶら下がりながら生きていくつもりはないし。だから何か嬉しい事ばかりを探しながらやっているようなものなんですけど。2個3個嬉しい事があると、生きているという実感がすごく湧いてくるんですよね。

なるほど。

だから、いつか日本にはお店を出させていただくかもしれないんですけども、“戻る”というつもりじゃないんですよね。

うん。

「新たな、自分の知らない日本の人達の舌はどうなのか?」というリサーチですよね。

アメリカで考えているのは、まずはN.Y.ですか?

そうですね。

じゃあ次はN.Y.でインタビューをしたいですね。

ぜひ! よろしくお願いします。

ぜひN.Y.で逢いましょう。最高に楽しかったです!
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