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“音で分かり合える事”ってあるんだと思うよ。

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PROFILE
 
 
 深町 純 - 作曲家・ピアニスト -
1946年東京生まれ。3歳よりピアノを始め、65年、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学。在学中、劇団四季の公演の音楽を担当したのを皮切りに、音楽業界の仕事を始める。以後は作編曲やキーボーディストとして、数多くのアーティストのアルバム制作、ミュージカル、映画、TVドラマ、CM等の音楽製作、またスタジオミュージシャンなどとして活躍。幅広い領域の音楽シーンの仕事を手掛けている。特にシンセサイザー演奏家としては日本における草分け的存在。89年から96年までは洗足学園大学音楽学部教授に就任し、日本で最初のシンセサイザー専攻科を設立した。近年はソロ・ピアノ作品を中心に発表する他、即興演奏でのライブに取り組んでいる。

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ユダヤ人は音楽系でも優れてて、ユダヤ人と黒人のバンドが好きだった。(深町)
クラシックの世界もそうですよ。(葉加瀬)

純さんが仕事で初めてニューヨークに行かれたのは、いつ頃なんですか?

76年の8月に行きました。

1976年から比べたら、今のニューヨークとは全く違うんじゃないですか?

随分違うんじゃないでしょうか。僕はスティーブ・ガットに憧れ、スティーブ・ガットみたいな人と音楽が出来れば良いなと思っていて、それが僕がニューヨークに注目した一つのきっかけです。葉加瀬さんも僕もバックグラウンドがクラシックで似てるからわかると思うけど…“譜面がないと弾けない”とか基本的にあるじゃないですか。でもその頃のボブ・ジェームスとかのサウンドを聴くと、ジャズやロックみたいにコードネームだけではなくて、あきらかに譜面に書かれたフレーズでやっていて、尚且つテイストとしてはジャズやロックのテイストを含んでいる。こういう音楽なら僕にも出来るかなと思ったし、やってみたいと思った。それがニューヨークに行きたいと思ったきっかけです。

もちろんスティーブ・ガットとかの音楽は日本でレコードで知ったんですよね?

そうだね。その時代はレコードですね。

もうスティーブ・ガットに会うしかないなと思ったんですね?

今なら時効だと思うんですが、その当時このような音楽をやろうと賛同してくれる日本人ミュージシャンがいなかった、少なくて。

なるほど。

やっぱり僕がニューヨークのミュージシャンとセッションして思った事の一つは、僕がやりたい事を彼等も喜んでやってくれたといこと。マイケル・ブレッカーっていう人も初めて会った時に「ニューヨークと東京って離れているのに、同じような音楽をやりたがってるのって不思議だよね」っていう話をしたし。あとは“アーバン・ミュージック”なのかな、“都会の音楽”。民族音楽じゃなくニューヨークや東京という所で始まる音楽っていう感じですね。

なるほど。それでこの『スパイラル・ステップス』というアルバムからニューヨークでの作品作りが始まっていくんですが…、でもニューヨークへ日本人ミュージシャンが飛び込んでいって、どのようにミュージシャンを集めていったんですか?

そのレコーディングで行った時は、ポンタと一緒に行ったんです。

村上“ポンタ”秀一さんですね!

そうそう。ポンタと二人で行って、ベーシストのアンソニー・ジャクソンに頼んだり。その時のブラスをランディーに頼みました。

あのランディー・ブレッカーですね。

そうそう。

もう純さんと話してると気軽にそういう名前が出てくるけど、今となれば大御所ばかりですからね!

ランディーは今でも多分そうだと思うけど…あそこのニューヨークのシーンの親分格。彼に「良いドラマーいない?」とか「良いベーシストいない?」って訪くんです。例えばアンソニーを紹介してくれたのはランディーですし…。

それで人脈がドンドン増えていったって事ですね。

そうだね。それともう一つ不思議なのは、僕と付き合った様々なミュージシャンは9割型ユダヤ人です。ジューイッシュのミュージシャン達は民族的にとても支え合ってるとも言えるだろうし、とても優れていると思います。 

クラシックも多いですよね。

そうかもしれないね。

特にニューヨークを中心としたクラシック・ミュージックシーンの大半はジューイッシュが仕切っているって言っても間違いないですし…

ユダヤ人は音楽系でも優れているよ。だから僕が好きだったのはユダヤ人と黒人のバンドなんです。

なるほど。



「イモなフレーズでも、ランディーが吹いたらこんなにカッコ良くなる」って。(深町)

76年には、後に“フュージョン”と呼ばれる音楽が色々な所で生まれて来る時期でしたよね? そういう音楽がドンドン出来てきて、当時ニューヨークのスタジオの息吹というのはどんな感じだったんですか?

スタジオの雰囲気はどうだろうなぁー…スタジオということで僕が印象的に残っているのはパワー・ステーションという所。これはニューヨークのアップタウンで都会のド真ん中にあるスタジオなんですが、当時の日本のミュージック・シーンと比べたら随分違うなと思う事があって。例えば当時日本にあったスタジオは“音響ハウス”っていう所がありましたよね? 音響ハウスっていうスタジオのオーナーはどこかの社長で、つまりカンパニーが持っているんですよ。ところがパワーステーションは、あるオヤジが持っていて個人持ちなんですよ!

ハハハ(笑)。

この個人持ちのオヤジは凄くサウンドが好きで、僕はわりと気に入られたせいもあるんだろうけど、1スタジオで録音していてちょっと時間が開くと、オヤジが来て「ジュン、今2スタジオを作っているから見に来いよ!」って、出来かけのスタジオを見せてくれたんです。「モニター・スピーカーこんな音がするんだよ」って。何ていうのかな…“良いサウンドを作る”って事に情熱を持っている個人が作っているんですよ。だから、ビジネス・ライクじゃないんですよ。

融通がきくというわけですね。

それから“ミュージック・シーン”で言えば、今はそれぞれ有名になってしまたけど、例えばデビット・サンボーンという人は、“夜8時過ぎたらドブに転がっています”って(笑)。飲んでいるのか分からないけど、そう言われてたね。

8時まで音楽はやっているけど、8時以降は切り替えて遊んでいるんですね。

そう。それから“スティーブ・ガットがスタジオに時間通りに来る”って言ったら、みんな驚くという。

ハッハッハッハッハ(笑)。

今もそうだと思うけど、西海岸と東海岸では音楽の作り方が違うと僕は思うんですよ。つまり西の方がビジネスでキッチリしてる。10時からスタジオがあると、ミュージシャンが必ず10時前に来ていて。それに比べるとニューヨークはもっとアーティストっぽいいうのか分からないけど、ミュージシャンなんだから1時間ぐらい遅れて来てもそんなに皆怒らないとか。そういうことはあったと思うんですよ。

そうですか。

あと僕がニューヨークで色々なミュージシャンと会って勉強した事、カルチャーショックを受けた1つでいえば。例えばランディー・ブレッカーとマイケル・ブレッカーに仕事を頼むじゃないですか。そこで僕がとても難しいフレーズをお願いする。そうするとなかなか出来ないんですけど、時間が押してでもずーと演奏して「ジュンこれでいい? 本当に納得してる? ダメならもう一回やろう」って永遠とやってくれるんですよ。そういう音楽に対する情熱、良い物を作る為に一生懸命になるって姿勢が、美しいっていうか温かいっていう印象がありますね。それから僕は日本でも色々アレンジャーとして仕事をしていて、僕が勝手に感じた事なんですが…こんなイモなフレーズから日本のミュージシャンだと「やってられないよ」っていう物を、彼等は「イモなフレーズでも、僕だったらこんなにもカッコ良く出来る」って一生懸命やる。つまりそれがミュージシャンとしての誇りなんです。

すごくよく分かります。

じゃあそのイモのフレーズを「ランディー、少し書き直してくれる?」って頼むと、「いいけどお金ちょうだい」と言うわけ。つまりタダじゃやらない、プロだから。そのかわりお金を払わない場合は、イモのフレーズを一音たりとも変えない。でも僕が書いたフレーズのままやるんだけど、ランディーとかはそのフレーズを「ランディー・ブレッカーだったらこんなに格好よく吹くんだ」というように彼らは一生懸命やる。そこがすごい! 「なるほど。ミュージシャンってそういう生き物なんだ」って。ミュージシャン・シップというか、きちっとしていて。そういうところを見習いたいなと思いました。



「朝早く起きて練習しているらしい」と。(深町)
スティーブとしては相当落ち込んだんだろうね。(葉加瀬)

最初にスティーブ・ガットに会った時は凄く印象的だったよ!

どんな状態でしたか、ガットおやじは?

その頃のスティーブ・ガットって日本は知らないけど、クレジットが“スティーブ・バッド・ギャッド”となっていたの。バッドは=悪い。“スティーブ・悪い・ギャッド/ドラムス”って、色々なところにそうクレジットされてたの。

それでファースト・インプレッションはどうだったんですか(笑)?

つまり悪い奴だった。どのように悪いかというと、スタジオに平気で1時間ぐらい遅れて来たりする。それでも「スティーブだからしょうがないよ」とか「今日は1時間で来たよ」とか周りは言うんですよ。

はい。

あと何が印象的だったかというと、初めてスタジオで会って「深町純です」って言った時に、彼は片手に透明な液体の瓶と茶色い液体の瓶を2本持ってスタジオに来たんですよ。そして話していると紙コップに透明なのと茶色の瓶のを「ドボドボドボ」って一つに入れて。察するにウィスキーかラムと、ウォッカかジンを入れて飲んでるんですよ(笑)。

それぞれじゃないんだ。一緒にしちゃうんだ(笑)。

凄い酒飲みなんですよ。そのせいか分からないけど、その頃のスティーブ・ガットはスタジオに来るまで何の音楽をするのかを知らないんですよ。当時はウェザー・リポートのドラムも少しやっていて、スタジオに行ってウェザー・リポートのメンバーがいればウェザー・リポートをするし、彼はこの頃バン・マッコイっていう人とディスコの音楽もしてた。でもスティーブ・ガットっていう人をユニークだなと思ったのはそういう点だよね。ダンス物もやれば、ジャズもやるし歌モノも何でもやる。

でも全部バカテクっていう!

だから僕と会った時も“東洋の日本人とのセッションだ”位しか思ってなくてフラッと来たんですよ。でもパッと譜面見たら全部変拍子だったりして。

物凄い譜面なわけですね(笑)。

そうなんですよ。で、実はその日のセッションではレコーディング出来なかったんですよ。つまりOKが出なかった。そしたらアンソニーが「今までスティーブと随分レコーディングしてきたけど、出来なかった事なんて1度もなかったから、ニューヨーク中に言いふらす」って言ってました。

それほど難曲だったってことですよね?

そうなんです。当時の僕の曲は難しかった。今でも思うけど世界中であとスティーブ・ガットとあと2,3人ぐらいしか出来ないんじゃないかな。で、次の日にまたスタジオに行ったの。昼位かな? すると皆がザワザワしていて「どうしたの?」って聞いたら、「どうもスティーブが朝早く起きてるらしい」って言うんですよ。

ハッハッハ!(笑)。

「そんなはずないよね。ましていつも飲んだくれてるのに」って思ったんだけど、それがどうも「朝早く起きて練習しているらしい」というの。

ハハハハハハハ(笑)。

どうも前日出来なかったという事が彼にとっては沽券に関わるっていうか、朝早く来てちゃんとさらってきたんだね。だから次の日のセッションは凄かったですよ! 1発でOKですから。

スティーブ・ガットとしては相当落ち込んだんでしょうね? 「オレ様が…」って(笑)。

そうだろうね。

1日で出来なかったって事が。

でもその後3日間、僕は彼の家に泊まって怒濤の様な生活をしたんですよ(笑)。

分かりあっちゃった感じですか?

とても不思議だったね。



僕はクライズラーをバカにしてたのね(笑)。(深町)

僕は自分のレーベルのラファエルというピアニストのニューアルバムを作ろうと思った時に、ピアニストのアルバムなんで、何か僕が出来ないピアニスティックなアレンジをして頂けないかと思ったんです。それで深町さんにお願いしたんですよね。僕の中で「深町純」というアイドル像があって、一緒にお仕事が出来るって事がなかなか信じれなかったんですよ。

僕はそんな風に思っていなかったけど、クライズラー&カンパニーっていう名前とかGクレフとか、君達の世代にクラシックをアレンジしてイントゥルメンタルで演奏しているっていうのは知っていた。でも僕は少し馬鹿にしていて、「なんて馬鹿な、若物が何をやっているんだ」と(笑)。

おっしゃる通りです。ハイ(笑)。

でも不思議な事に、“大学の先輩と後輩”そこから抜けられないですか。

そうですね。

その馬鹿にしていた葉加瀬太郎の事務所から電話がかかってきて、「手伝ってくれ」って言われて「何だろう?」っていうのがきっかけですね。

ですよね。

ほらラファエル君って、コードネーム読めないじゃない。

そうですね。

君のオフィスのプロデューサーから「ピアノの譜面を作ってくれ」って頼まれたんです。僕だってピアノの譜面なんて書いた事ない。自分で弾くんだから(笑)。でも色んな意味で楽しかったと思う。最近の君のやっている、プロツールスを使っての今風のレコーディング…デジタルレコーディングっていうのかな? 色んなことが新鮮だった。つまり今まで僕がやって来た事と全然違う、新しいレコーディング・スタイルじゃない。今回もそういうMIDIとかを使って、プロツールスを使ってという形だった。これは君だけじゃなくて今の日本中のミュージシャンがやってるレコーディングで、その方向がはたして音楽という物に対して本当に良いのか悪いのか。それは重要なことだからやってみる価値はあったと思う。僕は今まで打ち込みでやる事もないし、クリックで合わせてやる事も初めてだし、そうようにして作る音楽っていうのを楽しめた。



「どうやったらあんな事が出来るんだろう??」って感じです。(葉加瀬)
みんな“音楽しか考えてない”というマインドの頃だから。(深町)

キティで何枚かレコードを作ったあと、レコード会社をアルファに移ったんですよ。そのアルファで、「またNYのミュージシャン達と何かやらない?」となって、『On the move』というアルバムを作りました。で、僕がレコーディングに頼んだのが、New York All Starsとして来日したメンバーのほとんど。つまり、ランディー・ブレッカー、マイケル・ブレッカー、デビッド・サンボーン、アンソニー・ジャクソンとリチャード・ティー。それに僕と…。

スティーブ・ガット。ギターのスティーブ・カーン、そしてビブラフォンのマイク・マイニエリ。

そして僕がアルバム制作を終えて日本に帰ってきて、しばらくしたらランディーから電話があった。「実は日本に行ってみたいんだけど。何か仕事作ってくれない?」って。「もしライブの機会を作ってくれたら、みんな行きたいって言ってるんだけど」と言うわけよ。

あはははは(笑)。

それでレコード会社に「この連中が来たいって言うんだけど何か出来ないかな?」と話をしたら「ライブ盤を録る許可をとってくれたら呼びましょう」となって決まった。で、僕がリハーサルでNYに行って、全員一緒に日本に来たんだけど、飛行機は全員エコノミーですから。

このメンツが全員エコノミー!? 想像付かないですよね(笑)。みんなもはやファーストクラスですよ!

この2年後くらいからみんなファーストクラスですよ。

そうだよね(笑)。

実際このライブ・アルバムの時も、僕の印象なんだけどコンサート自体は超満員ではなかったね。もちろんガラガラではなかったけれど、今ほどみんな売れてたわけじゃなかったよね。みんなとしては「秋葉原行きたい」とか「帰りに京都寄りたい」とかあったんだろうけどね。

(笑)。

でもこのアルバムを聴くと今でも思うけど、彼らがみんな30歳くらいで一番脂が乗ってていい頃。もう凄かったよね。

1曲目から度肝抜かれますよ! 「どうやったらあんな事が出来るんだろう??」って感じですよね。

みんなファール・アウトしてると言うか、つまり“音楽しか考えてない”というマインドの頃だから本当に凄かったよ。レストランとか連れて行くと恥ずかしかったよ(笑)。

そうか音楽以外は考えてないんだ(笑)

この頃、僕のマネージメントをやってくれてたのが川添象郎さんで、六本木でキャンティというお店をやってた人だから、当然メンバー全員キャンティに行くのね。そこはわりときちんとしたレストランなんだけど、リチャード・ティーとかスティーブ・ガットとかは、お皿1つにガチャガチャとまとめちゃって「俺はミュージシャンだ!」みたいな感じで食べるの。

あはははは(笑)。

それは凄いものだったよ(笑)。

でも、このライブをきっかけに彼らはアメリカ以上に日本でも人気が出ちゃったじゃないですか。

だから“フュージョン”という音楽が広まった最初のきっかけだと思うよね。

あのサウンドは「単純に、ただセッションで集まりました」じゃ出来ない音じゃないですか。何年もかけて築いた、それぞれのメンバーと深町さんの信頼関係があるんじゃないですか?

分からない。そんなものはないと思うよ。その言い方は古いと思うよ、それは日本人的だよね。

あはは(笑)。

だから“音で分かり合える事”があるんだと思うよ。

そうか!

何年もじゃなくて1回のセッションで、お互いのやりたい事・価値観が分かり合えるんじゃないかな。

その一言、深いな。

いやいや(笑)。



フィルムを流しながら即興で演奏したんだ。(深町)
『死刑台のエレベーター』状態ですね。(葉加瀬)

映画『TAIZO』の音楽をやるきっかけは何だったんですか?

監督の中島さんにお会いして「私は映画作ってるんですけど、今度作った映画の音楽を是非、深町さんにお願い出来ませんか?」と頼まれたのがきっかけなの。一ノ瀬泰造というカメラマンの名前は知っていたし、僕と同世代のカメラマンの話だったし。それでドキュメンタリー映画だし、そんなに制作費がないということで、「じゃあピアノ1本でやりましょう」となった。基本的には即興で。つまりビデオをスタジオに流してもらって、それを観ながら演奏しただけだから。

そうやって作ったんですか!

そう。映画音楽だからテーマがあった方がいいだろうから、一応のラフなメロディとコード進行を頭の中に作っておいて、あとはやっちゃった方が早いからバーッと弾いて。

凄い! じゃあ観ながらドンドン弾いていくわけだ。映画の『死刑台のエレベーター』状態ですね。

そうそう。それはある種の原点でしょ。

ですね(笑)。憧れる手法なんですけど僕には無理です。

確かに特殊な形態でないと出来ないけれど、今観た映画にパッと音楽を付けていくのは作曲する側からみれば原点でしょ。

じゃ、閃きのままパッケージされてるわけだ。

それが最終的に本当に良い作品になるかは別の問題だと思うよ。ただ作り方として、フィルムを観ながらその印象のまま音楽を作るのは、良い方法の一つだと僕は思うのね。

なるほど。ところで今後のお仕事の予定は?

明日、銀座の王子ホールでリサイタルがあります。あと恵比寿のアートカフェというお店で毎月、即興演奏をやってます。毎月一番最後の土曜日ですね。

夕方ですか?

そうだね7時半くらいから。あと今月は30日に代々木の体育館で1万人の客を前に『CROSSOVER JAPAN』という大きなイベントがあって、往年の名手達が集まるんだけど僕も顔を出します。

今年忙しいじゃないですか!

偶然偶然。僕は月に4日ぐらいしか働きたくないんだから(笑)。

あはははは(笑)。では最後に、純さんにとって“旅”とは?

僕は具体的な旅はほとんどしないんですよ。でも“ローカライズ”って事で言えば…つまりそれぞれの地方に、それぞれの文化があって、それぞれの食べ物があって、それぞれの音楽がある。それは素晴らしい事だと思う。世界中を旅してて、どこでも同じ景色で、どこでも同じ音楽があって同じ食べ物がある、それじゃつまらない。そう思ってるかな。

そうですよね。それは絶対になくしちゃいけないことですよね。


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