きょう ピックアップするのは、この方です。

ミロスラフ・クローゼ!!

はい、何度も、実況で、この人の名前が呼ばれるのを聞きました!元ドイツ代表フォワードのクローゼ!!去年11月、引退を発表して、惜しまれながらピッチを去ったドイツの英雄です。

どのくらいすごかったか?記録がすべてを物語っています。ドイツ代表137キャップは、あのマテウスについで 2位。ドイツ代表としてのゴール数、これは、およそ40年のあいだ最多得点記録を保持していた名選手ゲルト・ミュラーを超えて、史上最多の71ゴール。そして、何と言っても、忘れられないのは、ワールドカップでの大活躍です。

2002年の日韓共催の大会で、5ゴール!2006年 母国ドイツでの大会で、またまた、5ゴール!2010年 南アフリカ大会で4ゴール、2014年 ブラジル大会で2ゴール!!ワールドカップ通算16ゴールは、ワールドレコード!!史上最多です。

そんなクローゼ なんですが、生まれたのはドイツではなく、ポーランドです。ポーランド代表のサッカー選手だった父とハンドボールの代表選手だった母のあいだに生まれたミロスラフ・クローゼ。ドイツに移住したのは、9歳のころでした。最初はなかなか周囲に馴染めなかった、とクローゼ本人が語っています。

「学校に通い始めて数日は、誰も僕のことを気にかけてくれなかった。みんなはサッカーをしていたけれど、僕は入れてもらえず、そばで見ていたんだ。でも、ある日、ひとりが声をかけてくれたんだ。そこから うまくいくようになった。サッカーを通して、リスペクトしてもらえて仲間に入ることができたんだ」

実は、クローゼは、2014年に、移民統合に貢献したとして「ゴールデンヴィクトリア賞」という賞を受けています。このとき、こんなコメントをしました。

「ドイツの国民として溶け込むのはとても難しいことだった。でも、僕はたくさんのハードルを乗り越えて来たし、僕のことが他の移民のみなさんを励ますことにつながれば、嬉しい。そして、何より、ドイツ代表は移民がまざりあってできた素晴らしいチームだ」

クローゼには、こういうバックグランドがあったんですね~。これを知ってから、スーパーゴールの数々をもう一度見るとグッとくるものがあります。そして、ドイツ代表も、ちょっと違った感じで見えてくる気がします。

そして、もうひとつエピソードをご紹介しますとクローゼは、ブンデスリーガのカイザースラウテルンと契約するまでは、7部のチームに所属していました。大工さんの資格をとって、サッカーがないときは建築の仕事もしていたんだそうです。結局、プロデビューを果たすのは、2000年のことで、つまり、、、2002年の日韓共催ワールドカップで大活躍するたった2年前。プロになって2年で ワールドカップで5得点!すごいです。

あと、クローゼといえば、ゴールのあと、宙返りをすることも知られていますが 一時、ケガ防止のため 宙返りは封印していたそうです。でも、最後の ワールドカップでは、通算得点でロナウドとならぶ15点目を決めた試合で、宙返りを披露。このときは、尻餅をついてしまった、ということなんですが。

クローゼさん、フェアプレーに徹した選手でした。クローゼが倒れてPKになった場面で、倒れたクローゼ自身が「いや、今のは 自分で倒れただけだ」と申告して、PKを撤回させたり、ゴールを決めたあと、「いまのは、手に当たってた」と正直に話して、ゴールが取り消しになったり、、、代表で決めたゴール、すべて、ペナルティエリアの中からのシュートだったそうです。