きょう ピックアップするのは、この方!

クラウディオ・ラニエリ監督!

イングランド、プレミアリーグで、初優勝!レスターシティの監督です。ラニエリさん!

ラニエリさん、1951年10月20日生まれ、64歳。イタリア、ローマ出身です。選手としては、ローマでデビューしますが、活躍できず、いくつかのチームを渡り歩き、86年に引退。まったく無名の存在でした。引退後すぐに監督業をスタート。イタリアの下部リーグで経験をつみ、88年、カリアリというチームの監督に就任。カリアリを3部リーグからセリエAまで引き上げ、注目されます。初めてのタイトルは、フィオレンティーナの監督時代。コッパ・イタリア、、、カップ戦で優勝したのが、最初のタイトルです。そうなんです、トップリーグでの優勝は、レスターが初めてでしたがカップ戦では勝ったことがあったんです。その後、スペインのバレンシアでも コパ・デル・レイ、というカップ戦で優勝しています。

イングランドにやってきたのは、2000年のことでした。名門チェルシーの監督に就任します。ただ、2000年、ラニエリさんが監督になったころは、まだオーナーがアブラモビッチさんになる前で、いまほどの存在感はないチームでした。チェルシーでは、のちにチームの中心になるランパードを獲得したりジョン・テリーを起用したりするなど、その後の繁栄の基盤をつくりました。

そして、チェルシーは、2003年にロシアの富豪アブラモビッチさんがオーナーとなり選手も大胆に獲得。2003-2004シーズンは、2位に食い込みました。ラニエリ監督、リーグ優勝まであと一歩のところまで行っていたんです。ただ、このチェルシーの監督時代、ラニエリさんは、ティンカーマンと呼ばれていました。「こねくり回す人」みたいな意味だということなんですが、どういうことかと言うと、スタメンをころころ変えすぎる。ローテーションを積極的に使っていて、それが不評だったんです。チェルシーのあとは、ふたたび、バレンシア。それから、ユベントスとかローマとか、インテル、、、ビッグクラブを次々に率いますが、どのチームでもリーグ優勝はできませんでした。

レスターの監督に就任する直前は、ギリシャ代表の監督をしていました。ギリシャといえば、2014年 ワールドカップ ブラジル大会で日本と対戦しましたが、、、そのワールドカップが終わったあとに監督に就任。

しかし! ユーロの予選で絶不調。フェロー諸島にも敗れ、ラニエリさん、わずか数ヶ月で解任されます。「誰がこの監督を連れてきたんだ」とギリシャではかなり非難されたようです。

お待たせしました! ここ からの レスターですよ!

数々のビッグクラブの監督をやったけれど優勝できず、ギリシャの代表監督は、解任されて、、、そこからのレスター!イングランドでは、ティンカーマンと呼ばれて、いまいち評判が高くない存在だったラニエリさん。

ラニエリ監督自身も、レスターにやってきたころ、選手に信用されていないのでは?と思ったようですね。そこで、これまでの自分のサッカー論、練習方法、そういうのを一度全部捨てたそうです。選手の特徴を最大限にいかすためにどうすればいいか?これを中心に考えました。そして、こんな言葉をかけました。「試合でハードワークできるなら、何を食べてもいい。君たちを信じる」また、チェルシー時代とは違って、シーズンの途中からは、スタメンを固定しました。

チェルシーのように、ローテーションするほど選手層が厚くなかったのかもしれませんし、チャンピオンズリーグなど ヨーロッパの試合がないので、試合数が少なかったのもいい方に作用しました。

昨シーズンは残留争いをして14位だったチームを、優勝に導いたラニエリ監督。優勝後のインタビューでは、自分のキャリアも振り返りながら、 こんな言葉を残しました。

「私は、今の仕事が好きだし、このチームを率いることができてとてもハッピーだ。自分の情熱を チームに注ぐことができる。こんなに幸せなことはない。そして、私は こう思う。人生は可能性に満ちている。」