きょう ピックアップするのは、ヨハン・クライフ!

3月24日、お亡くなりになりました。ヨハン・クライフさん。去年の10月に 肺がんをわずらっていることを公表。しかし、その後、今年の2月には「闘病は 前半を2−0で終えた。まだ試合は終わっていないが、私は勝利するだろう」、というようにサッカーの試合に例えて、順調な回復ぶりを表現していたんですが、先月24日、この世を去ってしまいました。享年68。

ヨハン・クライフさん、1947年、オランダのアムステルダム生まれです。父親は、クライフさんが幼い頃に亡くなりました。母親は、オランダの名門クラブ、アヤックスのスタジアムで働かれていたそうです。クライフが アヤックスと契約したのは、15歳。トップチーム・デビューは17歳! 次のシーズンには得点王!クライフのアヤックスは快進撃を続け、リーグ優勝6回、カップ戦も4度優勝。さらに、ヨーロッパチャンピオンズカップ3連覇!

フォワードって、背番号は、9番とか11番、というイメージがあると思うんですが、、、クライフは、14番をつけていました。そして、前のほうにいるだけじゃなく、さがってきてボールをもらってそこから攻撃の起点になる、というプレースタイルが特徴でした。73年、バルセロナに移籍。スペインでもリーグ優勝1回、カップ戦優勝1回。

● 素晴らしい成績を 数多く残しているクライフさんですが、やはり、伝説となっているのは、1974年のワールドカップ 西ドイツ大会でしょう。この大会で、オランダのキャプテンをつとめたクライフはミケロス監督とともに、「トータルフットボール」と呼ばれる戦術で世界を魅了しました。決勝では、西ドイツにやぶれ準優勝だったんですがオランダのサッカーは、優勝チームよりも 大きなインパクトを残しました。当然、次の 78年 ワールドカップ アルゼンチン大会でもクライフの活躍が期待されていたんですが、、、実はクライフさん、出場を辞退します。開催国のアルゼンチンが軍事政権だったのが理由、と言われていましたが別の理由があったことを、のちに、クライフさんがインタビューで明かしました。

なんでも、バルセロナの自宅に強盗が押し入り、誘拐未遂事件を起こしたそうでその事件のあと、警察官が自宅に泊まり込んだり、試合にいくときも警備がついたり、とにかくピリピリした状況が続きました。クライフさんはこう語ります。

「こうした経験が、いろんな物事への見方をすっかり変えてしまったんだ。こんなことが起こったあとでは、もうワールドカップでプレーなんてできない。フットボールから去るべき時がきた。そう思った」

78年のワールドカップには出場せず、このシーズン限りで引退することを表明しました。実際は、このあと、アメリカや母国オランダでもプレーをして84年に引退。選手として、バロンドールを3回獲得!すごいです!その後、クライフさん、フットボールシーンに、監督として帰ってきます。

アヤックスで監督をつとめたあと、88年にはバルセロナの監督に就任。当時、バルセロナは成績が低迷していて、リーグ戦の優勝から遠ざかっていました。そのピンチに招聘されたのが、クライフさんだったんです。クライフ監督のバルセロナは、ストイチコフ、ラウドルップ、そして いまバイエルンを率いるグアルディオラなど擁して「ドリームチーム」と呼ばれました。リーグ4連覇、さらに、ヨーロッパのタイトルも獲得しました。高い技術力と速いパスまわし、、、まさに今のサッカーの源は、クライフさんのバルセロナにあったと言えるんじゃないでしょうか。

素晴らしい言葉もたくさん残っているんですが、やはり象徴的なのは、この言葉でしょう!

「美しく敗れることを 恥だと思うな。無様に勝つことを 恥だと思え」楽しいサッカーで、世界中にサッカーを愛する子どもたちを増やしてくれたクライフさん。

ご冥福をお祈りします。