今回は、ピョンチャンオリンピック、スノーボード日本代表の選手たちを支えてきたエアマットの練習場。誕生のきっかけは意外なことでした。スキー、スノーボードのエアマット練習場を展開するKINGSグループの代表、押部宣広さんにお話をうかがいました。

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エアマットの練習場を作ろうと考えたのは、2002年。それまで、食品工場の設計やそこで使われる機械をつくっていた押部さん。アイディアが生まれたきっかけは、、、

「自営業をしていたんですが、29歳くらいのときに、どうせなら何か自分の好きなことをしたいなと思いました。当時は仕事をしながら土日にスキーとかを楽しんでいましたが、ケガの心配があるので思い切ってジャンプとかスピンができなかったんです。だから、こういうの作ったらみんな喜ぶかなと思って、自分のために作りました。たまにモーグルとかフリースタイル系をやってまして、ちょっとは飛んでいたんですが、もっと大きく飛んだりぐるぐる回ったりしたいと思ったときに、雪山ではちょっと怖いなと。」

2003年、最初にオープンしたのは『神戸KINGS』。屋外の施設で、スロープの部分は人工芝、ジャンプしたあと着地する部分がエアマットになっています。 

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「私は工業界にいたので、そういうツテを探ってエアマットを作る業者さんと、『こういう施設を作りたいんだ。』ということで、ともにアイディア出しながら作っていきました。単にやわらかいだけだと沈み込んでつんのめってしまったりとか、いろんな問題がありましたので、失敗したときにはやわらかく、成功したときにはそこまでやわらかくなく、というバランスが難しかったです。あとは表面の素材も何度か変更して、よりすべりやすくしていきました。やっぱり施設なので耐久性の面もありますし、そういうことも考えつつ、着地の際にストップしてしまわないように、よりなめらかに滑りおりられるものを探しました。生地は何百種類もありますから、それを仕入れてきて繰り返し試していく感じです。」

押部さんが自分が楽しめる施設、一般の方に使ってほしい施設としてオープンした『神戸KINGS』ですが、トップアスリートたちがその存在を知り、駆けつけるようになりました。

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「2003年から2010年まではこの施設が神戸にしかなかったものですから、当時は日本のほとんどのトップライダーがみんな神戸に練習に来ていました。いま千葉KINGSの代表をやってるんですけど平岡暁史とか、TOYOTAのBIG AIRやX-TRAILの東京ドームでの大会に日本代表で第一回から活躍していた選手とかですね。」

その後、KINGSグループはクチコミで人気を獲得。エアマットの練習場が、福岡・千葉・富山・大阪・愛知・北海道、さらに韓国にも誕生したのです。最初にオープンしたのが2003年。この15年間、どんな変化があったのでしょうか?

「オープン当初から言うと、ジャンプ台の角度、Rを簡単に変えられるものを開発したりしました。ひとくくりにジャンプ台といっても大きい小さいだけじゃなくて、飛びにくい台とかもあって、わざとそういうものを作ったりもできます。あえてここはクセを持ったキッカーにしようとか。スキーのジャンプ台をつくるときに、感覚でやってきたのがこの業界ですが、僕の場合はすべて数値化しているので、そこが大きな違いだと思います。」

トップアスリートが KINGSの施設を使っていることについて、押部さんはこう感じています。

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不思議な気持ちです。一般人の僕が一般人のために作った施設がこういう風になるなんて。現在は技の難易度が上がってきているので、ほとんどの子たちがKINGSであったり、エアマットを使用しているんです。海外にもどんどんコピー施設が作られていて、ナショナルチームとかがよく日本に偵察に来ています。」

KINGSグループの代表、押部宣広さんに最後にうかがいました。営業を続けるなかで大切にしているのは、どんなことですか?

「我々の施設の永遠のテーマは、あまり通っている人がうまい人ばかりにならないこと。みんなに楽しんでほしいと思っているので、敷居が高くならないようにというのは気をつけています。やっぱりジャンプとかができるとゲレンデでの自由度が広がりますよね。テレビで見たような技にチャレンジもできますし。」

主にトップアスリートが練習をする施設、ではなく、あくまで、誰もが楽しめる施設を目指して15年。一般の方にスノーボードやスキーの楽しみ方を提案してきたその先に、オリンピックがありました。