1970年、大阪万博で展示された『バシェ音響彫刻』。彫刻であり、同時に楽器でもある、という貴重な文化財産が、万博が終わってからおよそ40年に渡って倉庫で眠っていました。時を越え、これを復元するプロジェクトに迫ります。まずは、『バシェ音響彫刻』とはいったいどんなものなのか?東京芸術大学 先端芸術表現科 講師の川崎義博さんに教えていただきました。

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「バシェというフランスのアーティストで、兄弟で作品を作っていました。1950年代からまず金属で彫刻を作り出して、それからそこに風や水の要素を入れて、そうすると必然的に音が出るもの、音具的なものを作り出したんです。そのうちに、彼らは人という要素を入れることを考えました。なぜかというと、音が出るものには楽器がありますけど、楽器はトレーニングしないといけなかったり、子どもたちが容易に触れるものではなかったので、もっと簡単に触れてもらおうということで、簡単に子どもたちが触れる音響彫刻、というものを考えたんですね。彫刻のストラクチャー=構造を持ちながら、音の要素を持ったもの、それを音響彫刻と呼んでいるんです。」

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鉄でさまざまな形をつくり、組み合わせ、それをたたいたり、こすったりして音を出します。人の背丈より高いものや、横に大きく広がったものなど、複雑なデザインの音響彫刻。1970年の大阪万博では、鉄鋼館というパビリオンで展示されました。

「1970年の大阪万博のときに鉄鋼館というパビリオンがあって、そこに1008個のスピーカーが入ってレーザー光線もあるようなスペースシアタ--というものが計画されたんですが、そのプロデュースを作曲家の武満徹さんがやっていたんです。その武満さんが広いロビーに何かを置きたいと思っていたようで、カナダの万博を見に行ったときにバシェの作品を見て、「これをぜひとも日本に持ってきたい」ということで招聘して、大阪の鉄工所でアシスタントつけて17作品作りました。かなり大きなものから、小さなもの、水が出る噴水もあって、いろんなものが作られたんですけど、万博が終わってから万博のパビリオンが解体されて、鉄鋼館は建物として残ったんですけど、中のスペースシアタ--は廃止になっちゃたんです。バシェの作品も解体されて、倉庫に詰められていました。世界的な美術作品だけど、解体されて、下手したら破棄、という状態だったんです。」

倉庫で眠っていた『バシェ音響彫刻』にスポットが当たるのは2009年。 演奏家の永田砂知子さんがその存在に着目。 その後、バルセロナから専門家がやってきます。

たしか2013年にマルティ・ルイツ君という、バルセロナ大学でバシェを研究している人と連絡をとって彼が日本に来て、なおかつ川上さんという、当時、手伝った人がまだ生きていて、そのふたりでまったくボランティアの状態で、川上さんの家で修復を始めたんです。それがある意味、修復としては最初と言っていいと思います。ある意味、新しい素材でもあるわけです。若い人たちは最初からデジタルな音で、ほとんどの人がイヤホンで音楽を聴いてきている。でも、このバシェの音響彫刻は、いま、ここで叩いたら、その音が増幅されて伝わってくる。波動として伝わってくる。これはものすごく新鮮な体験なんです。」

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そして、この音響彫刻。もうひとつの特徴は、誰もが触れることができ、音を出せること。

すごく面白かったのは、コンサートのあとに老人も子どもも一緒になって喜々として触っているんです。普通、コンサートの時は楽器に触れませんよね。美術品も絶対に手で触れちゃダメです。でも、バシェのこの作品は触ってもらうことが目的なので、コンサートのあと、老若男女みんなが一緒に演奏している。また、それができる楽器なので、コンサートの後、1時間くらいずっと触っているんです。こういう状態って他の楽器ではないです。これもバシェの意図で、みんな延々遊んでます。やっぱり簡単に音が出る、それがバシェの目的のひとつでもあるし、そこから音楽が始まる。まずは、音を楽しむ。」

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誰でも簡単に音が出せる 美術作品。フランスのアーティストが、大阪の鉄工所の若き技術者たちと一緒に作った貴重な文化財産、『バシェ音響彫刻』。40年以上のときを越え、その姿が、その音が、再現されようとしています。この復元プロジェクトは、現在、クラウドファンディングサイトReadyForでクラウドファンディングを実施中です。成立した時のリターンには『あなただけのオリジナルの音響彫刻をつくります』というものも。ぜひチェックしてみてください。

https://readyfor.jp/projects/geidai2017baschet