今回ご紹介するのは、ピアニストの松居慶子さん。2001年のアルバム『ディープ・ブルー』が全米アルバムチャート、コンテンポラリー・ジャズ部門で1位を獲得。これは日本人として初めての快挙でした。まずは、1987年に全米デビューを果たしたその経緯、そして、デビュー当時のことを教えていただきました。

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「1986年にプライベート上の変化があってアメリカに渡りました。音楽活動をしようというような気は全然なかったんですが、記念に自主制作で作ったカセットのアルバムを、当時のプロデューサーがいろんな方に配ったんです。そしたらデイヴ・グルーシンから日本の家に電話があって、『GRPで契約したい』という話があったりして。いろいろあって結局インディーズでまずリリースをして、そのあと87年のJuly 4thの独立記念日のタワーレコードの推薦盤に選ばれまして、それがドーッとレコード店に並んで。そしたらいつのまにか、FM局から私の曲が流れるようになって『あれ、聞いたことがあるぞ。』と思ったら自分の曲だったり。そうしているうちにコンサートのブッキングエージェントがついて、あれよあれよといううちに、カリフォルニア中心に始まったものが全米に広がっていきました。」

新人だったころの松居慶子さんのエピソードをひとつ。なんと、あのマイルス・デイヴィスのオープニング・アクトを務められたことがあるんです。

「活動のはじめのころというのはコンサートのオープニング・アクトといいますか、前座的なコンサートの依頼もありました。そのとき、マイルス・デイヴィスにカリフォルニア、サンフランシスコ、ロサンゼルスと数カ所だったんですけど、スペシャルゲストとして同じ舞台で私が最初に演奏をする、という機会をいただきまして。ポスターで、Miles Davis Special Guest Keiko Matsuiというのを見たときはもう感動的でした。楽屋のほうで、誰かが『マイルスがくるぞー』って言って、マイルスが静かに現れて。日本人だから『はい』ってお辞儀をしたら、マイルスも『はい』って。あのオーラは格別ですね。」

松居慶子さん、94年のアルバム『Doll』 には、フィリップ・ベイリーをヴォーカルにフィーチャーした『Voice Of The Heart』というナンバーが収録されています。このコラボレーションが実現したきかっけは、松居さんが参加した、オールスター・ジャズ・ツアーにありました。

「その当時はコラボレーションのはしりのような時代なので、そんなに何か所も回らないですけど、すごくいい出会いでした。チャカ・カーンとフィリップ・ベイリー、ヒュー・マサケラがトランペット、ジェラルド・オルブライトがサキソフォーンで、私、というチームで動いたんです。私の長女がまだ小さかったんですけど、一緒にツアーバスに乗り込みました。私、ごはんの炊飯器を持って、毎朝ちゃんとおにぎりを作っていたら、『日本人は素晴らしい』とヒュー・マサケラに言われて、みんなにおにぎりをあげたりして。ツアーが終わったときには、チャカが、私の娘のおばさん、フィリップがおじさん、という感じで、終わった後にホームパーティに呼んでいただいて、うちの子がお洋服と帽子をいただいて。そのあとも友達付き合いといいますか、次のレコーディングをしているときにフィリップから電話があって、『慶子、自分の曲はどこにある?』と。『え?そんな予算ないよ』と言ったら、『何言ってるんだ、友達じゃないか』と言って、フィリップが歌ってくれた曲が6枚目に入ってるんです。」

2001年の7月にリリースされたアルバム『Deep Blue』は全米アルバムチャート、コンテンポラリー・ジャズ部門で1位を獲得しました。そして、その2ヶ月後。2001年9月、全米同時多発テロが発生。ミュージシャンたちも アクションを起こしました。

ロサンゼルスのステーション、FMのWaveの主催で『Wave Of Peace』というイベントがあったんです。ホスト役は、Dave Kozっていうサックスプレーヤーだったんですが、そこにミュージシャンが一同に会して、こういうときこそKeikoの音楽だって言っていただいて。そのときに私は『Deep Blue』をピアノソロで演奏したんですけど、この曲を捧げられてよかったなと思いました。この曲はもともと、海があらゆる大陸をつなぐように、私の音楽があらゆる地球上の人をつなぎたいという想いを込めて生まれた曲なので。」

ピアニスト、松居慶子さんの最新アルバムは『Journey To The Heart』。

「アコースティック・プロジェクトをやりたいなと思ったんですね。オーガニックな手作りでやりたい、と思ったときに、たまたまなんですけど、長年の友人でもありレジェンダリーのボブ・ジェームス。ボブのショーが東京のブルーノートでありまして、そこに挨拶しがてら行ったら、そのときにステージにいたのがカリートスデルプエルトっていうキューバ出身のアコースティック・ベーシスト。すごくいいなと思いまして、その場で『番号ちょうだい』と言って、彼に同じくキューバ出身のジミー・ブランリーという素晴らしいドラマーも紹介してもらって。彼らを核にして、ベネズエラ出身のパーカッショニスト、それとペルー出身のギタリスト、ラモーンを呼んで、ハリウッドのユナイテッドというスタジオで3日間で仕上げました。」

今回のレコーディング・セッション。曲が生まれる、その瞬間について、教えていただきました。

「基本は私のメロディがありつつ、アレンジをしながらそこに加えていくものがあったり。アレンジして譜面を仕上げてから、ドラムのジミーとベースのカリトスと自宅スタジオで3人で会って、基本のグルーブは決めてスタジオに入るんですが、練習しすぎないようにしながら、その場で生まれるものをキャッチしたという感じ。ほんとに生ものですから。何が起こるか分からないという緊張感は絶対いいし、やっぱりテイクワンに入っているミラクルっていうのは違うんです。間違えてるんだけど、次のテイクとかテイク3とかに入っているものには、何かがないみたいな。そこをきちきちとしていくと厚みとかきらめきが減るんですよね。完璧を目指していって光がなくなっちゃう、みたいな。生まれてくる音も、もうそれが沈黙からキャッチした音であって、その辺のマジックというか、その瞬間をとらえる。」

音と音、人と人が反応し合って、空気をふるわせる。その一瞬のマジックをつかみとる。そして、それがあなたの心をふるわせる音楽になる。まさに、『Journey To The Heart』。