2016年の本屋大賞受賞作、『羊と鋼の森』。

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こちらのお話の前に、まずは著者・宮下奈都さんの物語を少し。宮下さんは福井県ご出身です。最初に小説を書いたのは30代の半ば。それまで本は好きだったものの、自分で執筆することはありませんでした。

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「三番目の子どもがおなかにいるときに小説を書き始めました。ひとり目とふたり目が男の子でちいさくて、育児がものすごく大変だったときに3人目の子がおなかに来まして。そのとき"この子が生まれるまでに、何か自分のためのこと始めないと、このまま何もできなくなってしまうんじゃないか"という焦りが急にきて、なぜか小説を書いてみようと思いついて書き始めたのがきっかけです。

夫がそのころものすごく忙しくて、夜遅くならないと帰ってこない。それまでずっと自分は子どもを育てていて、家族がいるのに孤独というか、つらい時期があって。

夜中に子どもを寝かしつけてから書いたり、ちょっとした空き時間を見つけてそこで集中して書くとか、初めてだったので時間をかけて書きました。」

初めての作品『静かな雨』が、いきなり文學界新人賞の佳作に入選します。

「出したことすらすっかり忘れていて、電話がかかってきたときはびっくりしたしすごく嬉しかったです。電話の声も覚えています。そのときに初めて夫にも『小説書いて出したんだよ。』と報告して、それまでは内緒でした。全然気がつかないくらい向こうも忙しかったし、初めて書くのに『今、小説書いてるんだよ』ってすごく恥ずかしかったんです。だから、こっそり書いてこっそり出して。」

本屋大賞に輝いた、『羊と鋼の森』。この作品は、ピアノの調律師さんの物語です。

「もともと音楽が好きで、ピアノの音が好きで。うちには私が3歳くらいのころに買ってもらったピアノがありまして、来てくれていた調律師さんがすごく面白いというか、無口な方なのですが魅力的だったんです。あるとき調律してくださっているときに、『このピアノは大丈夫ですか?』って聞いたら、『大丈夫ですよ。中に、いい羊がいますからね』って言ってくれて。『え~、ピアノのなかに羊がいるってどういうことなんだろう?』と思ったのが、この小説の最初のきっかけだと思います。羊って何のことだろうと思って、『羊って何ですか?』って聞いたら『昔のピアノが作られたころの羊は、野原でのびのびといい草を食べて育った羊なので、その毛も弾力に富んでふわふわして、とてもいい毛でした。その毛を刈ってフエルトにしてハンマーを作って、それがピアノのなかにいるんです。今、このハンマーを作ろうと思ってもなかなかできないんですよ。』というお話でした。」

ピアノの鍵盤をおさえると、羊のフエルトで作られたハンマーが鋼の弦をたたく。だから、タイトルは、『羊と鋼の森』。そして、この小説の主人公はスポットライトのあたるピアニストではなく、裏方である調律師の青年です。しかも、なかなかうまくいかず悪戦苦闘する彼の姿が描かれていきます。

「ピアノというと、ピアニストが主人公になることが多いと思うんですが、ピアニストみたいに表舞台に立つ華々しい方だけでなく、音楽はもっといろんなところから生まれているというか、ピアニストを支えたり、ピアノを支える調律師、どちらかというと裏方で支えているほうを私は書きたかったんです。

音楽にまつわる小説や映画、ドラマを見ても、出てくる人の才能に頼って書かれているものが多いような気がして。私は才能ある人ばかりじゃない小説を書きたかった、というのがあります。

自分には才能がないんじゃないか、と思う主人公。でも、本当に好きなものに向かって、それを努力とも呼ばないでコツコツとやっていく感じ。自分で書きましたが、その姿がいいなぁと思いながら書いていました。」

この物語は、宮下奈都さんが北海道のトムラウシ、山あいの町に暮らしていたころに書かれたものです。執筆の過程で、ピアノの調律師さんに取材。地元の学校へ調律にきた方のお話も参考にされました。

「小学校と中学校の併置校、全部で10人ちょっとしかいない学校で、共有の体育館にひとつだけピアノがありました。学校の先生に『こんな山のなかにも調理師さん来てくださるんですか?』って言ったら『そりゃ来ますよ』って。『じゃあ、いらっしゃるときに声かけてください』って頼んでおいたら、ある日『宮下さん、今日いらっしゃいますよ』って電話をいただいて。急いで学校に行って見学させてもらいました。」

小説の重要なポイントのひとつは、舞台が北海道の小さな町であること。主人公の青年が憧れるのは、その町で仕事を続ける、素晴らしい技術を持った先輩です。

「こんな小さな町じゃなくて都会に行けばもっと活躍できるのに、って思うシーンがありますけど、そこは書きたかったです。だって、ちっちゃい町にも音楽を聞く人がいて、福井にも小説を書いている作家がいて、他のちいさい町にも腕のいい調律師がいる。それは当たり前のことなのに、『ちいさい町にいるともったいない』と言われたりするんです。そういうの、なんで?と思ってきたので。」

都会ではなく地方の町の、華やかなピアニストではなく裏方さんの物語。それが、『羊と鋼の森』。作者はいま、福井県に暮らす3人の子どものお母さん、宮下奈都さん。日本全国、津々浦々で、誠実に本と向き合う書店員さんたちの支持を集め、"本屋大賞"に選ばれました。