マドンナがデビュー前、ニューヨークにやってきたのは19歳のとき。ミシガンからグレイハウンドバスにゆられてマンハッタンへ。ポケットには、わずか35ドルの現金。バッグには、ダンスの衣裳と大きな夢を詰め込みました。/

現在、アメリカを拠点に活動し、数々の大物アーティストと同じステージに立つダンサー・島津藍さん。彼女がニューヨークへ渡ったのも、マドンナと同じく19歳のころでした。2007年、単身渡米。数年後、ダンスのオーディションを受け始めます。

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「オーディションに行って行って、最初は落ちて落ちて(笑)。ダンサーもたくさんいるし、オーディションで受からないと仕事がもらえないので、クラスを受けながらバイトもしつつ、トレーニングとかもして。見た目も関係あるんです。ハードルが何個もあります、オーディションに受かるには。」

最初の大きな仕事は・・・ビヨンセ!

「何個か仕事をしたあとに、ニューヨークでオーディションがあって。今日、あるみたいだよっていうのを聞いて行ってみたら、『ひとりしか探してない』って言われたんです。そのとき私はLAに引っ越そうと考えていたので、LAに行く飛行機もキャンセルして。でも、オーディションのあと、連絡が全然来なかったんです。1週間くらい待って。だけど連絡が誰にも来なくて。私はもうLAに引っ越すと心を決めていたので、これは縁がなかったのかなと。何にもなく終わってしまうのかなと思って、LAに行って、着いたその日に連絡がきました(笑)。『すぐヨーロッパ行けるか?』って聞かれて、『いまさっきLAに着いたんですけど』って。たしかLAに着いた2・3日後にヨーロッパに行って、その2日後にツアーが始まりました(笑)」

ビヨンセのあとは、ブランディ、プリンス、そして、ファレル・ウィリアムズとは 1年半に渡って一緒に踊りました。そんななか舞い込んだのが、マドンナのワールドツアーの話。

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「直接、振り付け師の方から電話がかかってきて、『できる?』って。実はちょうどそのときファレルのショーもスケジュールに入っていたんです。マドンナのときも急な話で、『あした来れる?』って聞かれて、『あした?』みたいな。

今回、マドンナのツアーにはダンサーの日本人が5人いるんですが、そのうちのふたりが知り合いだったので、着いたその日に『フリ教えて』って、その日の夜にホテルの部屋で教えてもらって、ビデオに撮って一生懸命覚えて。次の日行ったら案の定、何事もなかったように舞台にパッと入れられて、『きょうマドンナが来るから、見られるから頑張って』って。その時点ではまだ参加できるかどうか確定していなかったんですよ。なので、その日はフリもうろ覚えのままでしたが、頑張ってやりました。」

この日から3ヶ月間、リハーサルが続きます。週6日、3ヶ月間びっちり。なぜ、そこまで時間がかかったのか?ダンサー、島津藍さんが明かすHidden Story。

「朝11時くらいに呼ばれて、その日終わる時間は決まっていないんです。マドンナが帰る時間が終わる時間なので、夜の12時すぎ1時すぎは当たり前。11時に終わったときはラッキーっていう感じです。通しリハは最初からです。作り上げていく順に流していくというか、最初は1曲しかないのが次の日は2曲に増えて、そんな感じでどんどん増えていく。本番と同じ舞台とライトで、最後に1回ランスルーをします。2ヶ月後にはもう全部できあがっているので、毎日リハーサルしてランスルー。最後の2~3週間くらいは、衣裳もメイクアップも全部やって本番と同じようにやっていきます。

で、最後は、マドンナ自身に1回ショーを見せないといけないので、1回ランスルーを彼女と一緒にやって、1時間後にまた最初から、今度はマドンナのところにスタンドバイを入れて、彼女が舞台の前に座ってノートをとるという。2回やって、その日終わったのは朝の4時でした(笑)」

ダンサーの衣裳やメイクも、マドンナがひとりずつチェックをします。マドンナが目の前にやってきて、全身を見ていくのです。

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「衣裳ができました、というときにマドンナが来て、化粧と髪の毛をセットして並んでいるキャストをひとりずつ見ていきます。『これが違う』とか『口紅の色もっと明るく』とか、『左右ちょっとちがわない?』とか、ほんとに細かいところまで見て。

それで『はい、じゃあ踊ってみて』ってその曲だけ踊って、OKがでるかでないかという。すごいですよね、彼女のツアーに対する意気込というか、マドンナのパーフェクション。そんなアーティストは他にいないと思います。」

マドンナのレベルハートツアーは去年の9月、カナダのモントリオールからスタート。北米、ヨーロッパ、日本を含むアジアにオーストラリア。全部で82公演をおこないました。そのワールドツアーに参加したダンサー・島津藍さんは、いま、こんなことを感じています。

「ダンスだけじゃないですが、頑張れば夢は叶うってことです。国が離れていても、言葉が通じなくても、やりたいと思ったことをあきらめずにずっと続けていれば、カルチャーは違っても、夢は叶うということです。それは私が自分で経験してわかりました。あきらめなかった人がここにいる、というか。マドンナもそういう人がすきだと思います。彼女自身が、見ててわかるくらいすごい努力家なので。いろんなことを教えていただきました。

10代の終わり、ドーナツショップでアルバイトをしながら夢を追い求めたマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネは、いまや、世界のマドンナになりました。マドンナと同じく19歳でニューヨークにおりたった島津藍さん。大切にしているのは、努力すること、あきらめないこと。好きなことを徹底的に追求すること。 年齢の差も、国籍の違いも越え、いくつもの情熱が重なって作り上げられたワールドツアーでした。