2014年05月18日の放送にいらしたゲストの方々です。

Guest : KEYTALK


★[Photo GALLERY]ボタンをクリックするとその他の写真が見れます。


注目のツイン・ボーカルバンド!KEYTALKから
Vo&Baの首藤義勝さんとVo&Gtの寺中友将さんのお二人が初登場!

クリス:色々なニックネームがあるそうで、なんとお呼びすればいいですか?
首藤:そうですね、僕は義勝で。
寺中:僕は巨匠でお願いします。
クリス:ずいぶん偉そうですね!
寺中:す、すいません(笑)!巨匠でよろしくお願いします!
クリス:義勝は呼び捨てでいんですか?巨匠はさん付けの方がいいですよね?
寺中:いや、巨匠でお願いします。

クリス:KEYTALK、他のメンバーが、Gtの小野さんとDrの八木さんの4人組バンドで、J-WAVEでも「THE KINGS PLACE」の木曜日を担当ということですが、半年以上やってみてどうですか?
寺中:ようやく慣れてきたかなと。

クリス:KEYTALKは2009年7月に結成して、都内のライブハウスを中心に活動し、その3年後に台湾ツアーまでこなすという!そして数々のフェスにも出演し、その名を全国区にしていった訳ですが、もともとどういう風に結成したんですか?
寺中:今ここにいない2人なんですが、小野くんと八木くんが高校でKEYTALKの前身となるバンドを軽音楽部で結成して、そのライブを重ねて行くなかで、義勝くんに出会い、僕は熊本から上京して小野くんと同じ大学で出会って、バンドに誘われてこの4人は集まった感じですね。
クリス:バンド名は上原ひろみさんの曲からとったとか?
寺中:ドラムの八木くんが上原さんの大ファンで。

クリス:義勝と巨匠はツインボーカル!巨匠の方が声の質的には低いよね。義勝はベースのリフが自分が歌っていない時の方が複雑になるよね。
首藤:そうなんですよ!やっぱりどっちもこなすのは難しいですね。
クリス:巨匠が歌ってる時はガンガンいってるもんね。でも楽しいでしょ?
寺中:まさにライブで一番感じるんですけど、歌わない時の楽しさも歌ってる時の楽しさもあってその両方が味わえてます。
クリス:バンドのボーカル兼プレイヤーって責任感あるもんね。
首藤:そうですね、こなさなきゃいけない事も多いので、ドキドキしますけどね。

クリス:そんなKEYTALKはセカンドフルアルバム『OVERTONE』をリリースしましたが、なんでこのタイトルなんですか?
寺中:これも八木くんが命名したんですけど。
クリス:おお、八木くんはネーマーですね。
寺中:これは倍音という意味なんですけど。今回13曲収録されていまして、この13コの倍音に囲まれたKEYTALKっていう、彼はそういうイメージらしいく。今回の13曲でKEYTALKの全てがわかる!みたいな。
クリス:1曲1曲聴けるんだけど、このアルバム1枚を通してKEYTALKの個性が象徴されているということですね。

クリス:KEYTALKは日本語を大事にしているのかな?メロディラインも独特なものがありますよね。何か意識している?
首藤:『MURASAKI』という曲なんかは特に、日本っぽいメロディと、身体が揺れるビートみたいなものを上手く組み合わせられたらいいなと思って作った曲なんですけど。

クリス:曲作りは曲を作った人が構成を決めるとさっき言っていたのですが、具体的にどんなプロセスで曲が生まれるの?
首藤:メンバーそれぞれ違うんですけど、パソコンを使ってドラムを打ち込んだりギターを重ねて録音したりして、それを完成した段階でWeb上で共有して、その後メンバーそれぞれその曲を聴いてアレンジをして形にしていって、で最後にスタジオに4人で集まって詰めていくみたいな。

クリス:音楽的なルーツっていうのはそれぞれ違うのかな?
首藤:そうですね、本当にそれぞれ違って、僕は音楽を聴き始めたきっかけは”サザンオールスターズ”ですね。小学生くらいの時に親が好きで。
寺中:僕はギターを始めたきっかけが”ゆず”さんを大好きになって、それをまねする形でやりはじめて。あとは”尾崎豊”さんも好きで。
クリス:プレーヤーでは義勝は誰が好きなんですか?
首藤:バンドものがすごい好きで、僕の高校時代インディーズですごい活躍されていたband apartとか、グルービーな音楽をバンドの形でやっているのが好きで。

番組恒例★ピンポンボックス

◎この世で一番苦手なものは?
首藤:すいません!シソ。
クリス:紫蘇!じゃあ香りの強いハーブとかも苦手?
首藤:そんなことはないんですけど、紫蘇さんだけは…。
クリス:紫蘇はミントの遠い親戚なんですってね。

◎一日動物になれるとしたら何になりたい?
寺中:小学生の時から、なぜか好きなハイエナですね。
クリス:ハイエナ好きな奴って初めて聞いた。なぜハイエナ?残り物が好きとか?
寺中:色んな奴が戦って、みんな疲れて、最終的にハイエナ出てくるみたいな所が。クールに全部を始末する所がかっこいいなと。

KEYTALKの最新情報は、オフィシャルサイトでチェック!



Photo Gallery

Guest : 米津玄師


★[Photo GALLERY]ボタンをクリックするとその他の写真が見れます。


ボカロ界からやってきた若きカリスマ!米津玄師が番組初登場!

クリス:もっと小柄な人を想像していたんですけど、デカいですよね!身長はいくつあるんですか?
米津:188センチです。
クリス:米津玄師というのは本名なんですよね?いい名前ですよね、日本史に出てきそうな。
米津:初見じゃ絶対に読まれないですけど。

クリス:2009年から“ハチ”名義で動画サイトへオリジナル楽曲を投稿し、作詞・作曲、アレンジ、イラスト、アニメーションを全て自身で手がけた“ボーカロイド・プロデューサー“として一躍有名になって、2012年に自らボーカルをとり米津玄師名義で『diorama』をリリース、そして今回セカンドアルバム『YANKEE』をリリースということですが。ボカロPとして活動を始めるきっかけはなんだったんですか?
米津:そんなに大したきっかけもないんですけど、4〜5年前くらいにたまたまネットやってて、ボーカロイド紹介の記事があって、その記事の動画を見てみると機械が歌ってるわけですよ、それがすごいちゃんとしてて。ソフトが1つあればできるという事で、これなら俺でもできるんだと思ってやり始めたんですけど。
クリス:4〜5年前からやり始めて2009年から投稿し始めたってことは速攻でできました?それとも試行錯誤の期間っていうのはあったのかな?
米津:曲作るということ自体はその前からずっとやっていたので、だからボカロに慣れるまで時間がかかったんですけど、けっこうすんなり。
クリス:曲はコンピューターで、それとも楽器で作ってたの?
米津:ギターの弾き語りで作ったのを、ドラムとかベース打ち込んで肉付けしていく感じで。
クリス:出身は徳島なんだよね?学生やりながらやっていたの?
米津:最初に曲を作り始めたのが、中学生とかで、そこから打ち込みもずっとやっていて、高校卒業して専門に行ったんですけど、そこでボカロに出会って。

クリス:ボーカロイドから自分で歌うようになったきっかけは?
米津:ボカロずっとやってて、ボカロに頼っちゃってんじゃないかなって思う事があって、だから一回そこから抜け出さないと自分の音楽性に関して進化しないなと思ちゃったんで、自分の名前を出して顔を出してというのをやらなきゃいけないなと。
クリス:メジャーデビューはどのように至ったんですか?
米津:自分の名前で『diorama』という1stアルバムを作ったんですけど、インディーズで。そこから次ぎどうしようかなって考えるのが1年くらいあって、たまたまユニバーサルの方からお話を頂いて。ちょうど色んな人と曲を作っていきたいなと思っていたので、いい機械だなと思って。

クリス:まあそれで2ndアルバム『YANKEE』がリリースされたわけですが、なんでこのタイトルなんですか?
米津:そもそも「ヤンキー」って単語が好きなんですよ、すごい可愛い響きで。でどういう意味なんだろうって調べてみたら「移民」という意味があるらしくて、そのワードが今の自分にしっくりきたんで。
クリス:アルバムのジャケット、イラスト、初回限定生産の“画終盤”に収められている漫画は、すべてご自身が描いたと?これすごいね。
米津:そもそも絵を描く方が先に好きだったんで。

クリス:4曲目の「アイネクライネ」ってどういう意味?
米津:元々「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」という曲があって、曲のタイトルが全然決まらなかったんですよね。で、ぱっと目に入ったこの言葉がきれいで、そこから頂いたと。

クリス:こちら東京メトロのCM曲で書き下ろしということですが、自分の曲がテレビから流れてきてどうですか?
米津:最初このお話をもらった時は実感なかったんですけど、実際に今テレビで堀北真希さんの映像に自分の曲がかかっていて不思議な感覚ですね。

クリス:東京に出てきてどのくらいですか?
米津:まず徳島から大阪に行って大阪経由して東京なんですけど、2〜3年ですかね。
クリス:前作『diorama』は宅録で全部自分でやったということですが、今回はスタジオに入って他のミュージシャンともやってどうでした?
米津:やっぱり全然違うもんですね。前までは本当に、色んな他人の感性が入ってくるっていうのが個人的に許せなくて、でもそればっかりでやっていると同じ事の繰り返しになっちゃうんで、半ば無理矢理なんですけど他の人とやってみて、それはそれで心地いいもんだなと思いました。

番組恒例★ピンポンボックス

◎一番最初に観たライブコンサートは誰?
米津:最初に行ったのがROCK IN JAPAN FESで、安藤裕子さんを。
クリス:それはいつでした?
米津:僕が20歳の時とか。
クリス:その前はコンサートとか行かなかったんだ。
米津:徳島って人が来ないんですよ、あんまり。だから行く機械もなくて。

◎もしもミュージシャンンじゃなかったら何の仕事をしていた?
米津:まあ本当に漫画家になりたかったんですよ。いつの間にか音楽の方に来ちゃったという感じです。
クリス:でもやっぱり自分の中で、同じ方向性というか重なるものがあるのかな?
米津:やっていることは変わらない認識でいるんですけど絵も音楽も。ただちょっとした形が違うだけという。

米津玄師さんの最新情報は、オフィシャルサイトでチェック!