Gratitude

MON-THU 14:00-16:15 NAVIGATOR:RACHEL CHAN

SECRET NOTES

14:40-14:50

音楽の話、ピアノの音色を題材に、西村由紀江が作り出す時間。


2015.03.31

祝典の音楽-2-

「王宮の花火の音楽」は、
バロック音楽を代表する作曲家ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルの名曲です。
彼はドイツ人でしたが、27歳でイギリスに渡り、生涯ロンドンで暮らし、
イギリスの音楽の発展に尽くしました。

8年に渡りヨーロッパ諸国を巻き込んだオーストリア継承戦争が終わり、
和約が結ばれた1749年。
それを祝ってロンドンで式典が行われることになりました。

式典のための音楽を担当することになったのがヘンデル。
ドイツ人とはいえ、40年近くロンドンに住んでいる彼は、
最高の作曲家として、イギリスの人々に愛され、
すっかり国王にも信頼されていたのです。

式典の音楽は、野外で軍楽隊が演奏するために吹奏楽で、という依頼でした。
勇壮で華やかさを演出するために、彼が決めた編成は、
オーボエ24本、ホルンとトランペットが9本づつ、
ファゴット12本、それにティンパニー3セット。
現代のブラスバンドとは、かなり様子の違う編成ですね。
当時、クラリネットやトロンボーンなどは、まだありませんでした。

こうして1749年4月27日、ロンドンのグリーン・パークで披露された
「王宮の花火の音楽」。多くの市民が押し寄せ、会場周辺は大渋滞。
しかも雨という悪条件の中、無事に演奏を終えました。
しかし、花火の方は大失敗。
思わぬ方向に飛び、式典のために造られたやぐらや、国王の像などが焼け落ちる
という惨状。祝賀ムードも吹っ飛ぶ、とんでもない式典となってしまったのです。

この結末に納得できなかったハイドンは、すぐさま本当に書きたかったオーケストラ
用に編曲し、1か月後にチャリティコンサートで再演。
この曲の本当の素晴らしさを人々にアピールしたのでした。


2015.03.30

祝典の音楽-1-

1879年にブレスラウ大学から名誉博士号を受けたブラームスが、
翌年、感謝のお返しとして、作曲したのが「大学祝典序曲」。

緻密に作られてはいるものの、中心になったメロディーは、
大学たちに愛唱されていた4つの学生歌。
ただ、ちょっとばかり自分らしくない曲の雰囲気に、照れ臭かったのか、
彼自身「トルコ軍楽隊の序曲」と呼んでいたそうです。

彼は堅苦しいセレモニーとか、役職とかが大嫌い。
国王から勲章を授けられても、嬉しい反面、
内心ではメイワクがっている人でした。
ケンブリッジ大学からの「音楽博士の名誉学位授与」の話も辞退しています。
理由は、受け取りに行くまでの長い船旅がイヤだったとか。

私たちが写真などで見慣れたブラームスは、ひげぼうぼうの風貌ですよね。
彼は50歳になってから髭を生やし始めたのですが、
これは襟のない服を着なくても誤魔化せるためなんだそうです。

とにかく襟が嫌いで、いつも襟のない狩猟用のシャツを着ているような人でした。
そんなブラームスに対し、友人たちが笑い転げたのは、
1889年にオーストリアのレオポルト勲章を受章した時。
「セレモニーも襟も嫌いなのに、太い帯のついた勲章を首に巻きつけている」と。

「大学祝典序曲」を書いた時、ブラームスは脂の乗った43歳。
「ヴァイオリン協奏曲」「ピアノ協奏曲第2番」など、
名曲がたくさん生まれた時期でした。


2015.03.26

永遠の青春、ジャクソン・ブラウン-4-

1979年に始まった反原発運動「ノー・ニュークス」に始まり、
祖国アメリカが参加した様々な軍事活動への、反戦メッセージ。
自然災害、環境問題をテーマにした歌・・・などなど、
特に近年、ジャクソン・ブラウンは、
社会的なメッセージ・ソングを積極的に発表してきました。

ニューアルバムのジャケットは、ハイチ地震の風景。
でも彼は、インタビューで、
「何かテーマを決めてアルバムを作ることはない」と語っています。
テーマがわかるのはアルバムが完成したときで、
テーマというのは、作っていく中で現れてくるものだ、と。

一方で、政治や地球環境に関することは、
「いつも気になって仕方がない」とも言います。
音楽が誰かの心を動かして、もっと知ろうという気持ちをもち、
行動を起こすきっかけになることを願っている。と。

ジャクソン・ブラウンは言います、
「恋愛や結婚も、地震や原発も、すべて僕らの人生の中にあるんだ。
 僕はこれからも、人生のことを歌っていくつもりだよ」
「ジャクソン・ブラウンは変わってしまった」と言うオールド・ファンもいますが、
実は彼は、ずっと変わらず「今起きていること」「人生の歌」を歌っている、
のかもしれませんね。


2015.03.25

永遠の青春、ジャクソン・ブラウン-3-

1948年にドイツで生まれ、
アメリカ西海岸ロサンゼルスで育ったジャクソン・ブラウン。
10代でバンド活動をスタートします。

1960年代後半にはニューヨークへ移り住み、ティム・バックリー、
ニコなどに曲を提供しながら、そのバックも務めていました。
彼の曲の良さは噂を呼び、ザ・バーズ、ボニー・レイット、
リンダ・ロンシュタット、イーグルスといった売れっ子たちが、
こぞってジャクソン・ブラウンの曲を取り上げるようになりました。

やがて彼自身もレコード・デビュー。その美しいメロディ、
独特の 奥深い詞の世界によって、ジャクソン・ブラウンは、
「イノセントな心象風景を歌う、青春のシンガーソングライター」
として、人気を確立していきました。

1979年、アメリカで、大きな原発事故が起こります。
映画にもなった、有名な「スリーマイル島の原発事故」です。
ジャクソン・ブラウン、「ノー・ニュークス」という反原発運動に参加。
そして、この頃から、彼が作るアルバム、歌は、
政治的・社会的メッセージを強く押し出すようになっていきました。
彼のイノセントな青春ソングを好きだったオールド・ファンは、
そんな彼の「変化」に対して、複雑な思いを抱きました。

90年代に入ると、長く付き合っていた恋人、ダリル・ハンナと破局。
その別れのショックを自ら癒すようにして作られたアルバム
『アイム・アライブ』は、実に久しぶりに彼が、出会いや別れ、恋愛、
新しい出発を歌った「青春のアルバム」となり、大ヒットしました。

DAIWA HOUSE