2/23 MICHAEL JACKSON
01. Bad / MICHAEL JACKSON |
2つの相対するものが合わさることによって生まれた<時代の音>。ある意味、天才的な才能でしか作ることができない不思議な音楽。それが、マイケル・ジャクソン。by DJ KORBY <マイケル音楽>の正体1988年のアルバム『Bad』。ご存知の通り、前作『Thriller』がもの凄いアルバムだったということで、少し評価が低いんですが、あくまでも相対的なもので、 結果、全世界で3000万枚近く売れています。 <bad>という言葉は1970年代に流行語みたいになっていて、「とにかくイイ!!」とか、昔風に言うと、「イカす!」という風な意味ですよね。例えば、「このシャツどう?」ときかれたら、「THAT'S BAD!」と。そういう使いマワシが70年代、80年代に流行りました。 このように、マイケル・ジャクソンの音楽には、<新しいモノ>や<いろんなモノ>があって、そして同時、<古いモノ>のがある。それから、<黒人っぽいモノ>と、<白人っぽいモの>…、といったように、いろんなものが混合していますね。 異質なものが入ることで、音楽というのはとても面白くなる。例えば<ファンク>などはそうですよね。黒人音楽から生まれたものではなくて、いろんな異質なものが交わることによって<ファンク>というのは生まれたわけですけども、特に、マイケルの80年代の作品にはそういったものが、 込められています。これは師匠のクインシー・ジョーンズの教えかもしれません。 例えば、「Bad」の中で、ソロで流れるオルガンは、ジミー・スミスという、50年代〜60年代のオルガンの天才的なアーティストです。その人が弾いているというわけです。そういうものも合わさって、時代の音になっていくという不思議な音楽ですよね。やっぱり先が見える人、遠くが見える人、 あるいは違う言い方をすると、天才的な才能でしか作ることができないものだと思うわけです。 |
モータウン時代1969年、マイケル・ジャクソンがいた、ジャクソン5のデビュー曲にして大ヒットした、「I Want You Back」。例えば、1960年代半ば頃のビートルズ、「I Want to Hold Your Hand」がそうだったように、当時の<スリル>というか、<新鮮さ>を感じます。次のシングルとなった「ABC」は、いみじくもビートルズの「Let It Be」を引きずり下ろしてアメリカでは1位になっています。やはり、そんな<新鮮さ>があったんだと思います。 ジャクソン5は、インディアナ州ゲーリーに生まれた兄弟のグループで、お父さんが、ちょっと中途半端に売れたバンドのギタリストだったんですけども、息子達をミュージシャンに仕上げていきます。当時はハングリーな時代です。だから、彼らはレコードを売って、ちょっと一発当てて、そしてコンサートやショーで稼ぐという思いがあります。だから、お父さんは一所懸命その兄弟達を仕込んで、そしてニューヨークの有名な<アポロ・シアター>などにも出て、ジェームス・ブラウンやサム&デイヴといった人達の前で演奏したということですよね。 モータウン・レコードと1968年に契約します。大方の語るところでは「ダイアナ・ロスがインディアナ州で見つけてデビューさせた」とありますけども、これをよく調べると、すでにモータウンのベリー・ゴーディJr.が彼らのことをよく知っていて、発掘したのはベリー・ゴーディで、その演出上、ダイアナ・ロスが見つけたという風にさせたということです。 マイケルが13歳で声変わりの時期に、武道館でジャクソン5のコンサートがあったんです。実は、僕はそこで司会をしていた。それで、僕の友人がミキシングをやっていました。 その頃の武道館は音響が最悪で、ジャクソン5が音を出したんですけど、武道館で聴いていると音が良くないんですよ。だけど、お父さんが、いかにいい加減かというのを示すエピソードなんですけども、「これでOK!! もう休憩とるからこの後は本番!!」と言って休憩にしてしまったんですよ。楽屋でお父さんに「音が悪かったけど聴いた?」と言ったら、「いや、あれでいいんだよ! 彼らはベテランだから任せておけばいいんだよ」と言う。ただ、その頃の武道館は、ミキサー達が音響を征服できていなかったんですよね。 だけど、本番は、ジャクソン5が、自分達で楽器を演奏したりしながらやるんですけど、それなりにすごく盛り上がって、「ああ、そうか。音はあんまり関係ないのか」というように僕は感じたと同時に、お父さんのいい加減さというのも分かりました。後半にお父さんがマネージャーをやって、どんぶり勘定したというのでいろいろとトラブルになるじゃないですか。その頃、「ああ、ああいうお父さんだったら当たり前だな。自分の息子達にはちゃんと働かせておいて、自分は銀座かなんかに飲みに行くんだからな」みたいな感じでしたからね。 当時のモータウンは、マーヴィン・ゲイが先駆者になるわけですけども、自分で音楽を作って自分の進路を決めていって、プロデューサーとかそういう人達よりも、自分がシンガーソングライターとして曲を作って自分の言いたいことを言う。それを見習ってスティーヴィー・ワンダーは1970年代の初めに、音楽に小さな革命を起こすわけですよね。そういうのを見ていますから、いい加減なお父さんといえども、それからだんだん成長していったジャクソン兄弟達は、自分達の音楽をやりたがるわけです。それで、ちょっとケチなモータウンと揉めてくるわけですよね。 それで結局、他のレコード会社へ行きます。ただ、マイケルのお兄さんのジャーメイン・ジャクソンはベリー・ゴーディの娘と結婚していたので別れることができなくて、ジャーメインを残してジャクソン兄弟は皆引き上げ、EPICレコードから<ザ・ジャクソンズ>として音楽を出していく。この頃、ジャクソンズはマイケル・ジャクソンがもちろんいます。だから、ジャクソン5のお釣りで生きているような感じがあるんです。 |
クインシー・ジョーンズとの出会い本当の転機というのは1978年にダイアナ・ロスがミュージカル映画『WIZ』をやります。<オズの魔法使い>ですね。これにマイケル・ジャクソンもカカシ役で出るわけです。その時の音楽監督がクインシー・ジョーンズ。このクインシーとの出会いが後に繋がっていくわけです。ミュージシャン達は学校へは行かなくて、一緒にコンサートなどをやったりするというのが大学で勉強するようなものなんですよ。そこで、「ボーダーなんて関係ない、ジャンルなんて関係ない。」という風なことを習ったりするわけです。やはりクインシーの教えというのはすごいわけですよね。 クインシーとダッグを組んで生まれた、アルバム『Off The Wall』からマイケル・ジャクソンの快進撃が始まるわけです。『Thriller』あたりから聴き始めた方はここら辺を聴いて、「ああ、やっぱり違うんだ、マイケルって…。」という新たな魅力を感じられると思うんですよ。 当初、クインシー・ジョーンズには、EPICは大いなる反対をしたと言われています。 何しろ、この頃のクインシーの評価としては、もちろん有名なプロデューサーであったんですけども、ジャズではオリバー・ネルソンという人と並んで、アレンジャーとして凄くて、尊敬を集めていた人なんですよね。しかし、EPICの体質は、どちらかというとビジネスマンなんだけども、ミュージシャンのマインドが少なかったわけですね。「ジャズの人なんて連れて来たってどうするの?」という感じ。しかし、クインシーとマイケルは本当に化学反応を起こして、凄いことのなっていきます。 |
マイケル+クインシー=化学反応アルバム『Off The Wall』は、黒人アーティストとしては最高に売れたアルバムです。70年代の終わりというと黒人達の間で人気があったのは、例えば、アース・ウインド&ファイアー、クール&ザ・ギャング、それからもっとファンクな原理主義でいくと、パーラメントや、少し売れる前のプリンスとか、そしてオシャレな系統ではシックなど、といった人達がもてはやされていました。白人も負けてはいないですよ。ビージーズなどが少し前から、すごくファンキーな極致という、<ホワイト・ファンク>を作り出しますよね。だから、そんな音楽に比べるとものすごく優秀で、ジャズの延長線上にあるんだけども、「何か少し引きずっているな…」みたいなものがありますよね。少し変な言い方をすると、ちょっと田舎臭いところがあるわけですよ。それがどうして変わるのかというと、やはり<ストリート>を音楽に持ってくるんですね。<ストリート>を持ってくることによって、これはマイケルの才能か、クインシーの才能か、どちらか分かりませんけども、<ストリート>が入ることによって俄然華やかになってくるわけであります。 『Thriller』からの代表曲、エディ・ヴァン・ヘイレンの泣きのギターをフィーチャーした「Beat It」。絶対、同化しないと思われるものを連れてくるわけですよ。そして、同化させて見事にグラミー賞でレコード・オブ・ザ・イヤーを獲得します。この世界は僕がさっき<ストリート>と言いましたけども、これはギャングスターの世界を予見させるものですよね。絵的にいうと、昔の60年代の<ウェスト・サイド・スートリー>の80年代版ということができると思いますが、これはギャングスターの縄張り争いですよね。そんな世界。だから、マイケル達はそういったストリートものを先取りしていたとも言えるわけであります。 『Off The Wall』で成功したクインシーとマイケルが、再び魂を込めて作り上げて、本当に気合いを入れて作ったというのが、歴史上1億枚以上売れた、あのモンスターアルバム、『Thriller』。 クインシーはいつも口癖のように、「作った音は女と一緒だ。」と言うんですよ。「ずっと一緒に暮らしてみる。そして、とても心地よくなってこれとは一生暮らしてもいい。」と思えるものが合格。気持ち悪くなるようなものはダメ。 ということで、マイケルも、クインシーも、自分達が作ったアルバム『Thriller』と2、3日、生活したわけですよ。そうしたら、「これはとんでもない。こんなものは納得できない。」ということで、一回忘れて作り直すわけですね。 その原因というのは、本当にいろんな音が詰まっていたということと、あと、忘れてはいけないのが、実はマイケル・ジャクソンのボーカル・スタイルというのは、稀に見る16ビート感覚のボーカル・スタイルで、逆に、音をいろいろ詰め合わせる必要はないんですよね。そのボーカルがリズムを感じさせてくれるわけだから。だから、その部分で違和感があったと思われますよね。 この『Thriller』で、16ビート感覚のボーカルを前面に出し、次回作『Bad』に至るまでに、そのスタイルを完成させるわけです。 |
早熟のマイケル『Thriller』発売25周年ということで記念盤が出て、カニエ・ウェスト、ウィル・アイ・アム、エイコン、ファーギーなどが協力しています。一緒にやったアーティストは皆、マイケルを聴いて育っているんですよね。ここで名前が挙がったのは黒人アーティストばかりですけども、そうではなくて、例えば典型的にはマルーン5のメンバーは、子供の頃、マイケルを聴いていました。今のオルタナ系のロックの連中も皆、マイケルを聴いて大きくなったということです。マイケルは恐らくマーヴィン・ゲイとかスティンヴィー・ワンダーといった人達の影響を受けています。 マイケル・ジャクソンとジェネットと、そしてジミー・ジャムとテリー・ルイスの「Scream」という曲。マイケルの妹、ジャネットを有名にしたジミー・ジャムとテリー・ルイスは、あのプリンスのバンドにいた人ですからね。この4人が一緒にやった少し過激なこの曲は1995年の作品ですけど、プリンスは「俺がやりたかったことをマイケルがやった…。俺の弟子のジミー・ジャムとテリー・ルイスがやった…」と思ったのではないでしょうかね。 この曲はマイケルのボーカルとジャネットのボーカルの違いもよく聴いてみると分かる曲であります。究極の何かが詰まっていそうな感じですよね。「これはやった後は何をやるんだい?」という感じですよ。 少し振り返ってみますと、80年代はマイケル・ジャクソンが凄い時代を作ったわけです。その『Thriller』や『Bad』の時代というのは何かというと、マイケルが20代だったんです。成長著しい20代ということです。ただこういった作品があまりにも大きくて、その後でマイケルはいろんなことを試みたらしいです。そして、かなりの数の音楽がお蔵になっているということですよね。だから、ちょっと可哀相なのは、30代、40代、普通のアーティストなら一番熟してくる時のものがあまり出ていないんですよ。だから今まで溜まったものがこれから出てくるのか、それとも力を抜いて出てくるのか、といった感じなんですけどもね。 マイケルの場合は運が良かったのは、クインシーという大変な人と知り合うことによって自分を助けてもらって、ちょうどビートルズがジョージ・マーチンというプロデューサーと組んで自分達の世界を切り開いたような感じがありましたよね。それで、熟してくると社会問題や地球環境や平和を訴えるようなことをやったんだけど、これはムーヴメントには至っていない。マイケル・ジャクソンもこの夏に50歳になるというわけであります。 |
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