SPECIAL FEATURE

05/19 THE BEE GEES

01. Night Fever / THE BEE GEES
02. New York Mining Disaster / THE BEE GEES
03. 〜THE BEE GEES Hits Medley〜
- To Love Somebody / THE BEE GEES
- Holiday / THE BEE GEES
- Massachusetts / THE BEE GEES
- World / THE BEE GEES
- Words / THE BEE GEES
- I've Gotta Get A Message To You / THE BEE GEES
- I Started A Joke / THE BEE GEES
- First Of May / THE BEE GEES
- How Can You Mend A Broken Heart / THE BEE GEES
04. Melody Fair / THE BEE GEES
05. Jive Talkin' / THE BEE GEES
06. Stayin' Alive / THE BEE GEES
07. Shadow Dancing / Andy Gibb
08. Too Much Heaven / THE BEE GEES
09. How Deep Is Your Love / THE BEE GEES


KORBY'S VOICE

ビートルズに憧れ、ビートルズを追いかけ、ついには、ビートルズの影を越えて大成功したグループ…それが、ビージーズ。

by DJ KORBY

ビートルズへの憧れ

イギリス・マン島生まれの3人兄弟が、そもそも強く影響を受けたのは、ビートルズ。たとえば、1967年の「New York Mining Disaster 1941(ニューヨーク炭鉱の悲劇)」。

ニューヨーク郊外の炭鉱で起きた事故を歌った曲で、ビージーズにとっての最初の大ヒットになるわけですが、どちらかというと、ラヴ・ソングのイメージが強い彼らが、なぜ、こんな社会派できたのか? 実は、ビージーズはビートルズのマネをしていたんです。だから、こうして改めて聴いてみると、ポールやジョンの声が聴こえてきそうな感じですし、弦の使い方も同じ。逆に、ビージーズの音から、当時ビートルズがやっていたことは、こういうことだったということも、知ることができます。

1967年というのは、<サマー・オブ・ラヴ>といわれて、ビートルズは試行錯誤を重ねて、あの『Sgt. Pepper Only Hearts Club Band』を出します。

またこの年は、<サイケデリック元年>、<ヒッピー元年>。ドアーズとか、ジェファーソン・エアプレインズ、バッファロー・スプリングスフィールドとか、「骨のあるグループ」が、「サイケデリック」と呼ばれる、あるいは「プログレシッブ」と呼ばれる音楽で、何かを始めようという意気込みが感じられる時代ですよね。そんな中で、ビージーズが出てきたわけです。

こんなことがありました。1974年にビージーズがまだ低迷を続けている頃に、彼らが武道館でライヴをやりました。そのときに、司会といっても始まる前にちょっと話すだけですが、ビージーズの奥さんたちの相手をするわけです。そうすると、彼女たちは聞くわけです。「ここは、ビートルズが出たんだって?」…と。ビートルズのことばかり、聞いてくるわけですよ。

その時、「あぁ、この人たちはビートルズの影からまだ出られないグループなのかな」と思いましたが、それが1977年にその影から出てくるわけですよね。


敏腕マネージャーとの出会い

ビージーズを語る上で、忘れてはならない存在がありました。イギリス・マン島で生まれ、オーストラリアでの移住を経て、イギリスで出会ったのが、ロバート・スティッグウッド、ビージーズと出会う前は、ビートルズのマネージャーをやりたくて仕方なかった人。

一方、ビートルズは、有名なマネージャー、ブライアンが亡くなって、その後、ロバート・スティッグウッドが自分を一生懸命売り込みました が、結局、ビートルズのマネージャーにはなれませんでした。

しかし、ビートルズに憧ていたロバート・スティッグウッドは、ビージーズと出会って、バンドの名前もビートルズに似せて、「BEE…」「Bee Gees」にします。ちょうど、ビートルズがカブトムシのスペルを変えて「Beatles」になったように、バーズもスペルを変えて、同じ「B」から始まっていますが、このビージーズもそうだったわけです。

しかし、このロバート・スティッグウッドという人は、とても偉い人で、<RSOレコード>を作りますが、彼にはビートルズという夢がありました。それで、彼が1960年代の終わりくらいから絶対作りたいと言ったのは、「ダンスの映画」、「ロックの映画」、それから「ビートルズの映画」だったわけです。

その1つが、映画が『サタデー・ナイト・フィーヴァー』。これが世界的に大成功しましたよね。そして、ロックの映画というのが、ジョン・トラボルタが主演の『グリース』ですよね。これも、ロバート・スティッグウッドがお金を出して作った映画です。

そして、もう1本が『Sgt. Pepper Only Hearts Club Band』。当時、ピーター・フランプトンというルックスの良いギタリストがいたのですが、彼を中心にビージーズやエアロスミスなど、いろんな人たちが参加した映画がありましたが、これは見事にコケてしまいました。

しかし、2作品は成功しています。だから、ロバート・スティッグウッドとビージーズが出会うことによって、ビージーズの歴史は始まったと言えます。


快進撃のはじまり…

1967年から1971年にかけて、ビージーズは、リリースごとに大ヒットを飛ばします。「To Love Somebody」「Holiday」「Masachusetts」「World」「Words」「I've Gotta Get A Message To You(獄中の手紙)」「I Started A Joke(ジョーク)」「First Of May(若葉の頃)」「How Can You Mand A Broken Heart(傷心の日々)」…。

最初はビートルズ・フォロアーだったビージーズも、だんだん自分たちのスタイルを確立するようになります。曲の良さ、メロディーラインに乗せた声の良さ、その声もハイトーンと独特のえぐい程のビブラートで、甘さを出していますよね。あのビブラートは、ビートルズにもありませんでした。

それから、表声と裏声の中間くらいの声も聴くことができます。これが後期になってリズムがファンキーになると、本物の裏声になります。

ビージーズというと、初期の曲で日本にとっては忘れられない曲があります。「MELODY FAIR (小さな恋のメロディ)」。ある映画の主題歌として使われて、その映画が日本で大ヒットしました。それで、主題歌が日本でシングル・カットされて、大ヒットしました。ラジオからこの曲が流れると、誰もが一緒に歌いました。

若い人たちも1回は聴いたことがあると思いますが、マーク・レスターと、トレイシー・ハイドが主演した映画『小さな恋のメロディー』。日本のみのヒット曲でしたが、出来は相当良い曲でしたよね。

ビージーズは、レコード売り上げ総数が2億3000万枚以上。1971年から1979年にかけて、全米ナンバーワンが9曲。イギリスではビートルズの28曲に次ぐ、19曲のナンバーワン・ヒットがあります。

5つのグラミー賞を獲得。それから、音楽史上初のロックの殿堂、ボーカルグループの殿堂、ダンスミュージックの殿堂、3つの殿堂入りを果たしています。これは、他のグループはやっていないことですよね。


運命の転換期

ビージーズは成功するわけですが、ピンチの時期があるわけです。まず、モーリス・ギブがアルコール依存症になってしまいます。モーリスは、1959年に女性人気歌手のルルと結婚しますが、アルコール中毒が原因で別れたりして、兄弟の仲もダメになってきますが、マネージャーのロバート・スティッグウッドが、有名なプロデューサーであるアリフ・マーディンと組ませるわけです。

この頃、ビージーズは一からスタートしないとダメだということで、ロサンゼルスに行きます。そこで、黒人のグループにお金を払って、「お前たちもいいよ。この曲もやってくれ」と言って、自分たちの音楽をやらせました。その黒人のグループはみんな独特のスタイルを持っていて、それをアリフ・マーディンが「どうだい? こういうふうなことをやってみないか?」と提案します。

その頃の黒人音楽のスタイルは、例えば、スモーキー・ロビンソンとか、テンプテーションズのエディー・ケンドリクスとか、ファルセットの名手がいました。そういう本格的なファルセットを入れたコーラスにしたらどうだろう? ファンキーなリズムにしたらどうだろう?…ということで、自分たち、独特のスタイルをここで見つけるわけです。

その後、後半のビージーズの猛烈ダッシュがスタートするわけですが、そのきっかけとなった、アリフ・マーディンがプロデュースした1975年のナンバーワン・ヒット、「Jive Talkin’」。ファンキーな曲を聴くと、その先の「Night Fever」が見えてきますよね。ビージーズが180度方向性を変えました。「Night Fever」は若い人も耳慣れていると思いますが、この「Jive Talkin’」も新鮮でしょう。音は薄いし、ビージーズのコーラスが生きているし、今までになかったビージーズですよね。ダンス・グループがよく使うようなメロディー、リズムはすごいファンキー、そして歌詞も「Jive Talkin’」という、当時の流行をうまく取り入れて、これまでの、湿っぽいような、甘ったるいような恋愛という世界ではなくて、ちょっと硬派になっています。そして、時代を先取りしています。

逆に、ビージーズの「Jive Talkin'」が出てから、黒人たちの音楽がちょっとダサく聴こえる時代に入っていきます。だから、彼らが出てきたから、ボズ・スキャッグスだとか、白人のファンクみたいなものが結構、かっこ良く変わってくるわけです。だから、彼らは時代を変えていくわけですよ。この後、「You Should Be Dancing」とか、ダンスもの、ファンクものでビージーズは勝負してくるわけです。

そして、「Stayin' Alive」!この曲は、改めて聴くと分かりますが、自信に溢れている。とにかく、映画『サタデー・ナイト・フィーヴァー』が大ヒットします。サウンドトラックは4000万枚以上のセールスを記録して、音楽史上、最も売れたサウンドトラックとして、今でも輝く金字塔です。そして、「Night Fever」は、当時、8週間連続アメリカで1位を記録しました。

この頃のビージーズは、プロデューサーとしても、作曲家としても活躍するのですが、とにかく80年代に入って、マイケル・ジャクソンよりも、ずーっと稼いでいますからね!

ただ、それは3人兄弟ですし、ロバート・スティッグウッドという強力なマネージャーがいたので、4人で分けるわけですが、マイケル・ジャクソンどころではない稼ぎでした。もう、彼らが触るもの、みんな金に変わる。そんな感じでした。


時代を作り続けたビージーズ

ビージーズの大成功は、音楽シーンにも大きな影響を与えました。1977年は<パンクの時代>で、ディスコは古臭いものになっていって、本当だったら<ディスコの時代>は1977年〜78年あたりで終わって、もっとテイストの違う、<クラブの時代>に入るはずだった。

しかし、ビージーズの成功が、第2次か第3次のディスコブームの起爆剤となって、ディスコの寿命が80年代まで延びることになるのです。

しかし、彼らは時代を作ってきたわけですから、時代が変わっていくと、だんだん自分たちの出番はなくなっていくわけですが、2003年1月、モーリス・ギブが病死すると、ビージーズは活動停止となります。

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