2015/3/20 ディディエ・ドログバ

今朝は、ディディエ・ドログバをピックアップ!

忘れられません。
2014 FIFAワールドカップ ブラジル vs 日本代表 Samurai Blue の初戦。
日本は、前半16分に、本田圭佑選手のゴールで先制! 1−0のまま後半に突入。そして、62分、ドログバ in。明らかにヤバいぞ、という空気になりました。すると、その2分後、ボニーにゴールを決められ、さらにその2分後、ジェルビーニョもゴール。日本は1−2で敗れました。

ドログバは、コートジボワール生まれ。5歳で フランスのおじさんに預けられることになったんですが、これは貧しかったからという理由ではなく、サッカー選手になってほしい という理由でもなく、「しっかり勉強して、医者か何かになってほしい」とお父さんが願ったから、なんだそうです。

しかし、ドログバは、勉強だけでなく、サッカーの才能もどんどん開花させていきます。

19歳のとき、ル・マンというクラブとプロ契約。その後、ギャンガン、マルセイユと移籍を重ねて、ステップアップ。ついに、2004年、イングランドのチェルシーと契約に至ります。引き抜いたのは、あのジョゼ・モウリーニョ監督でした。モウリーニョ監督も2004年からチェルシーの監督に就任したんですが、その時に、「この選手は絶対に取りたい」とオーナーに主張して獲得したのがドログバ だったんです。「ディディエはそれほどビッグネームではなかったが、金額が高かった。でも、私は、彼こそが必要な選手だと思った」モウリーニョ監督は、後にそう語っています。

チェルシーは、2004−2005、2005−2006シーズンにプレミアリーグを連覇!
さらに、ドログバは、2006−2007シーズンのプレミアリーグ得点王!
最強のフォワードでした。

そしてその2006−2007シーズン、チェルシーは、リーグカップと、FAカップで優勝を果たすんですが、FAカップで優勝を決めたあと、こんなことがありました。

試合後、モウリーニョ監督は、「優勝カップは選手たちだけで受け取って喜びを分かち合ってほしい」と考えて、ロッカールームに下がっていました。

そこへやってきたのが、ドログバでした。

選手だけでカップを受け取るわけにはいきません。

このチームは、みんなで1つなんです。一緒に喜びましょう。
監督の意思で来てもらうか、僕が無理矢理連れていくか、どちらかです。

というような会話があったそうです。

その後、モウリーニョ監督はチェルシーを去り、その数年後、ドログバも移籍。中国の上海や トルコのガラタサライでプレーしましたがモウリーニョ監督が 再び率いるチェルシーに、今シーズン復帰しました。

今シーズンのチェルシーでは、ベンチからのスタートが多いドログバですが、いいとこで出てきて、決める姿が見てみたい!そして、モウリーニョ監督と抱き合う!そんなシーンが見たい!

そんなディディエ・ドログバ、今月11日に誕生日を迎え、37歳になりました。まだまだ 迫力あるプレー、見せてほしい!


こんなエピソードも残っています。

2006年のワールドカップにコートジボワールが出場を決めたとき、コートジボワールは内戦状態にありました。
ドログバはテレビカメラの前で「武装解除」を呼びかけました。
これを1つのきっかけに、内戦は終結に向かったとされています。