2015/1/23 フィリップ・トルシエの言葉

今朝は、フィリップ・トルシエをピックアップ!

ご存知、元サッカー日本代表監督、フィリップ・トルシエさん。
2006年にイスラム教に改宗してオマル・トルシエという名前になったそうです。

アジアカップでかつて素晴らしい成績を残した監督ということで、今朝はトルシエさんをピックアップしました。2000年のアジアカップで優勝したんですよね。トルシエ監督が率いた日本代表が!今回の日本代表は、今日、ベスト8!幸運を呼び込むためにも、アジアカップ優勝監督、トルシエさんのストーリーをご紹介します。

トルシエさん、経歴を振り返りますと、1955年、フランス生まれ。選手としても、フランス2部のチームなどでディフェンダーとして活躍しますが、28歳のときに、指導者の道に入ります。

フランスの15歳以下の代表監督やフランスの下部リーグのクラブチームで監督を務めた後、アフリカへ渡ります。コートジボワールのクラブチームで監督、さらに、コートジボワール代表の監督に就任しました。がしかし、協会ともめて解任。その後、モロッコのクラブチームを率いたかと思えば、ナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカ……と代表チームの監督を転々とします。

そして、日本代表の監督に就任することになるんです。

サッカー協会は、かつて名古屋グランパスを率いたベンゲル監督に代表監督を打診しましたが、プレミアリーグのアーセナルの監督を務めていたベンゲル監督に断られ、同じフランス人で、スケジュールの空いていたトルシエさんを迎えることになったんです。ベンゲルさんからの推薦もあったと言われています。トルシエ監督は、1999年のFIFAワールドユースで20歳以下の日本代表を準優勝に導きますが、フル代表では結果が出ず、解任論も持ち上がりました。

しかし、2000年のシドニーオリンピックで、32年ぶりの決勝トーナメント進出。さらに、同じ年の秋に、レバノンで開催されたアジアカップで8年ぶりの優勝!解任論を封じました。翌年、2001年のFIFAコンフェデレーションズカップでは準優勝!そして、2002 FIFA ワールドカップ コリア・ジャパンでは日本を初の決勝トーナメントに導きました。

こうして振り返ると、ワールドユースで準優勝、オリンピックで決勝トーナメント、というように、若い世代も指揮をして、そこで活躍した選手とともにワールドカップに臨むことが出来たというのが大きかったんじゃないですかね?

小野、高原、稲本、中田浩二、そして中田英寿……

そうした若い選手に加えて、ベテランの秋田選手、そして中山雅史選手をワールドカップの代表にサプライズ招集しました。本当にギリギリで決めた招集だったそうですが、トルシエさんいわく

あのチームにはリーダーが必要だった。
チームを守ってくれるようなリーダーがね。

そして選手選考については、こんな言葉もありました。

上手い選手を選ぶだけなら、私でなくてもできる。
ジャーナリストでも、ファンでも、誰でもできる。

このように、常にピリッとした言葉があったり、エキセントリックな振る舞いがあったり、強烈な印象を残したトルシエさん。

「メディアとも、協会とも激しくぶつかりあった監督」というイメージが残っていますが、最後にもう1つ、彼の言葉をご紹介します。

私の仕事は選手から好かれることではない。
日本とフランス。異なる価値観がぶつかりあったことで代表は強くなった。
常に殴り合いをしながら前に進んだのだ。