2014/10/24 ファンキー加藤さんの Hidden Story

今週は、ファンキーモンキーベイビーズを人気絶頂で解散。
今年、ソロデビューを果たしたファンキー加藤さんの Hidden Story。



ジャパニーズ・ドリーム。
そんな言葉があるとしたら、それは彼らのための言葉です。
ファンキーモンキーベイビーズ。
東京、八王子出身の3人組が、最終的に東京ドームでライヴを行いました。

2013年6月2日、ドームでのライヴを最後に解散。
理由は「メンバーのDJケミカルさんが実家のお寺をつぐための準備に入るから」。
これは、以前から、いつかはそうなると決まっていたことでした。

実は、もう本当に、グループを結成した2004年から。で、それがクリアになってきたのは2010年あたりから、もうずっと、FUNKY MONKEY BABYSの……解散というよりは……「ゴールテープをどこ切るのか、どのタイミングで切るのか」という事を考えていましたね。

「それが東京ドームだったら嬉しいね」みたいな目標を掲げながら走ってましたね。
もちろん表立っては言ってないですけど。

でも、「だからこそ、短距離走ランナーのように全力で走って来れたかな」というのがありますね。

おそらくですけど、これが30年40年見据えていた場合、俺たちの場合ですよ、たぶん、ここまで来れてないような気がしますね。ずっと全力で。見えていたので。そこに向かって走って来れたからこそ「こんなにも、たくさんの方に支持していただけるグループになれたのかな」という気がしますね。

東京ドームでのラスト・ライヴ、ファンキー加藤さんは、何度もこの言葉を叫びました。
それは、「ありがとう」。

だから、未だにね、東京ドームのライヴ DVD だけは見られないんですよ、実は。
お客さんの涙の受け止め方が分からないというか。

やっぱり、俺たち的には良いゴール切れたなと思ってるけど、お客さんには最後の最後にね、「悲しい思いをさせちゃって申し訳ないな」という気持ちがあるんですよね。罪悪感みたいな。

仲間たちとの旅に 終わりが訪れました。

東京ドーム終わって、日付変更線変わって6月3日になった瞬間に、まずメンバー同士……まだ東京ドームにいたんですけど……みんな、メンバー同士のね、関わりが一気に変わったんですよ。

グループの3人から、グループ結成前のただの友達っていう関係に戻ったんですね。

で、「おつかれ」って、みんなそれぞれ帰って行って、俺、帰ったけど寝れないんですよ。そのまま6月3日の朝陽を見て、それを見て不安になったんですよ。普通、朝陽って希望の象徴だったりするじゃないですか、この光は、自分自身を照らしてくれないような感じがして、すごい、一気に不安になったのを覚えていますね。

ファンキーモンキーベイビーズの最終公演から1週間後。
ファンキー加藤さんはいてもたってもいられず、長期休暇の予定を変更。
スタジオに入りました。

曲を作ろうと思ったんですけど、今まで3人で作っていたのが1人になっちゃったんで、それもなかなか上手く出来ず、なんか、ずっとノートに言葉を書いていた気がしますね。
そのときの想いというか。

FUNKY MONKEY BABYS のときは曲作りのフォーマットというのがしっかり出来上がっていたんですよ。

モン吉がメロディを書いて、俺が歌詞をのっけるというのが、もう絶対揺るがないファンモンの楽曲制作だったので、メロディメーカーがいなくなったので、さてどうしようと。プロデューサーさんの力を借りたり、自分で生んでみたりとか結構苦戦して。

で、その時に「もういいや。先に詞を書いちゃおう」と。

数カ月は、ひたすら言葉を書きつづる毎日。
10年間、ファンキーモンキーベイビーズで 全力疾走してきたファンキー加藤さんが、立ち止まり、悩み抜いたのです。


ずっと悩んで悩んで。で、「どうしようかな。どういう形でスタートを切るのが良いかな」と思ってですね。スタイル変えようかな?とか、バンド編成にしようかな?とか、色々考えたんですけど、結局そういう風に思考の波を遠回り遠回りして辿り着いた先が、「いや、このままでいいや」となったんですね。

というのは、FUNKY MONKEY BABYS って、音楽性の違いで解散したわけでもなく、けんかして解散したわけでもなく、ファンモンでやってた音楽が好きだし、だからソロになったからと言って無理くり変える必要ないなと思ったんですね。そう思えるようになって楽になったというか。

じゃあ、ファンモンの時、何やってたんだろうと考えたら、とにかくファンのみなさんと共に日々を歩んできたなと。

じゃ、あらためて1人になった自分がファンのみなさんに手紙を書こうと思ってですね、最初ほんとに便せんに拝啓みなさん元気ですか?僕はいま東京の片隅で何々してます、と書いたのが原形になってデビューシングルの『My VOICE』になったという。

手紙に書きました。便せんに。

今年2月、ファンキー加藤さんはソロデビューシングル『My VOICE』をリリース。
それは、悩める夜を越え、踏み出した最初の1歩です。

勇み足みたいな形でソロ活動宣言をしたあたりの時って、みんなファンモン、ファンモン、ファンモン復活を望む、とかなってて。だからちょっと意図的に突き放していた時もあって、ヘソを曲げてね、やってたんですけど。

今は、ファンキー加藤として少しずつ自信を取り戻せてきたので、なんだか、ファンモンを良い意味で受け止められるというかね、すごく前向きに受け止められてます。色々な事を。

八王子の若者3人組が、路上ライヴから東京ドームまで駆け登りました。
でも、そのピークを迎えた瞬間、仲間の1人がお寺の住職になるために解散。
残された青年が、1人、新たな旅へ出ます。

そして、その旅の歌に人々は耳を傾けるのです。

だから、ドキュメンタリー音楽というか、そんな感じはしますよね。
楽しい人生ですよ(笑)


ファンキーモンキーベイビーズ解散からソロデビューまで。悩める日々についてもストレートに語っていただきました。

「ドキュメンタリー音楽ですよ」という言葉、最後にご紹介しましたが、これからどんな音楽を届けてくれるのか?耳を傾けたいと思います!

そして、先月リリースになったソロデビューアルバム『ONE』、さらに、来年(2015年)1月24日からスタートする全国ツアー『ONE FOR HALL TOUR』もぜひチェックしてください。