2014/10/10 ユニットバスの開発秘話

50年前の今日、1964年東京オリンピックが開幕しました。
そして、その開幕に合わせて日本で初めて開発されたものがあります。

それは、ユニットバス。
当時、そのプロジェクトに携わった方にお話を伺うことができました。

1963年、昭和38年4月。
東京紀尾井町でホテルニューオータニの建設工事が始まりました。
このホテル、翌年に開催が決まっていた東京オリンピックに間に合わせるため、通常は2年かかる工事を17カ月で完成させる必要がありました。

とてつもないスピードなんですよ。
全く常識では考えられないと言われていました。

で、ホテルをそれだけの短い時間で建てなくちゃならない時に「バスルームをどういう形で作るか」という事がネックになったんです。

「何とかできないだろうか」というのが……大成建設が担当した訳ですけど……そこからの打診でした。つまり、工場で作った浴室を据え付けるという発想を大成のほうが示してくれたわけですね。

そう答えていただいたのは、TOTO株式会社のOB、当時の社名、東洋陶器株式会社でユニットバスの開発に携わった進藤正己さんです。

そのとき入社2年目の進藤さんは、九州の本社からこのプロジェクトのために上京。
「工場で作った浴室を運び込む」という前代未聞の工法に挑むことになったのです。

結局、TOTOに話があったのが38年の4月、つまり着工してすぐの頃です。
ホテルが着工したときには、浴室をどうするかは決まってなかったんですよ。

ですから、ホテルが着工して基礎を作り始めた時に話があって「じゃあ、モデルを作ってみましょう」というのが7月です。私ども2人が本社から東京に来たのが7月の1日でしたから、そこから4人でスタートで、いわばゼロからスタートです(笑)

全く経験もないし、見たこともないです。
諸外国の例を見ると、1つの研究テーマとして、文献としてはありました。

特に、この場合は、1,050何室かある内の1,044室をそうしようという事でしたから、そんな事例は全然なかった。世界を見てもなかった。

もうひとつ、こんな課題もありました。

ホテルが、ニューオータニが超高層建築の走りなんですね。
だから建物は地震に対しては揺れて振動を吸収するという構造、そういう事に対応できる浴室でなくてはならない。これが在来方法では、壁のコンクリートそのものに防水層を作りますから建物が揺れると壁にひびが入って、防水層が切れる、水が漏れる、というのがあるので、高層建築になると絶対に別の方法が必要だった。

求められたのは、「軽いこと」。
そして「揺れても防水層が壊れない仕組み」でした。

1960年代、プレハブが普及し始めていました。
「これを流用して浴室を作ろう」。開発が始まりました。
1963年7月、試作品の開発が始まりました。

7月15日に準備のために茅ヶ崎工場に、工場の方にお世話になった訳です。
8月15日までに作りました。試作品を。

で、作った試作品を大成建設の方に見ていただこうという事を考えてまして、1つは「現場で組み立てるのに、2時間でやります」というのを言ってましたので、2時間でできるというのを証明するということ。

工場で作って現場で建てるというプレハブ浴室……その当時はユニットバスという呼び方はしていません……「プレハブ浴室というのは、どんな物なんだ」というのを見てもらうと。

1963年の大晦日に 大成建設との契約が成立。翌日、つまり元日からホテル・ニューオータニにユニットバス……当時の呼び方で「プレハブ浴室」……を入れる工事が始まりました。

今のユニットバスでも使われている FRP という素材が主に使われましたが、1つだけ問題がありました。

床をどうするか。

FRP でやるという案も最初はあったんです。
ただ、「一般のお客さんがまったく慣れていない。これは在来工法しかない。」ということで、現場にタイル職人が入って、唯一、ユニットバスで在来工法でやったのは床です。床の感覚をいちばん心配したんですね。

部屋に入った時に「え?」と思わせないためには、床だけはタイルでやれと。

最後に、TOTO株式会社のOB、
進藤正己さんのHidden Story。

九州の本社から「出張」という扱いで上京していた進藤さん。
どこに宿泊していたかというと……

茅ヶ崎の場合は寮がありましてね、男子寮かな?いや、ちがうちがう、男子寮がいっぱいで女子寮が空いてたんですよ。なので女子寮に寝泊まりしていました。

ただ、メインの玄関からは出入りできなくて、4階でした、最上階。裏側の非常階段で出入りすると。館内をちょっと女の子の部屋に出入りする、というような事はできなかったんですよ。最上階の非常階段でしか入れないところにしばらく居住していましたけど。まあ、あんなことは普通しません。

女子寮に寝泊まりしながら、世界で初めてのものを作った日々。
進藤さんは当時の事を語りながら、懐かしそうに目を細めていらっしゃいました。


1964年東京オリンピックに合わせて日本で初めて開発された「ユニットバス」の開発秘話、お届けしました。

ユニットバスの開発理由は、工事期間を短くするためだったんですね。
そして、当時は、プレハブ浴室、と呼ばれていたそうですが、後に開発スタッフがユニットバスと呼ぶようになり、それが一般的にも使われるようになったそうです。