2013/11/22 ジネディーヌ・ジダンの言葉

今週、ピックアップするのは、ジネディーヌ・ジダン!

ジダンの両親は、アルジェリア出身です。
アルジェリアからフランスにやってきた移民でした。

ジダンは、そんな家族で、5人兄弟の末っ子として生まれました。 サッカーを始めたのは、あの「キャプテン翼」の影響とも言われています。 厳しい状況のなか、サッカーを希望として育ち、世界のトップ選手となったのがジダンなんです。 ちなみに、柔道も習っていたそうで、日本との関わりも深いんですよね。

そんなジダンが、自身のキャリアのなかで、最大のライバルだったと語っている選手。
誰だと思いますか?
それは、元ブラジル代表のロナウド!

ロナウドとジダンといえば、レアル・マドリードの、あの銀河系軍団と言われたシーズンにチームメイトでした。
そして、ジダンといえば、ワールドカップでも記憶に残るシーンがたくさん、あります。

やはり、あの頭突き……どうしても外せないですよね。
2006年のワールドカップ ドイツ大会決勝、イタリア戦。
マテラッツィに頭突きをして、退場したわけですが、実は、この大会、ジダンは出るつもりはなかったんです。 2004年のヨーロッパ選手権「EURO」が終わったあと、代表引退を発表。 しかし、チームが、ワールドカップ・ドイツ大会のヨーロッパ予選で敗退するピンチに陥ったため、引退を撤回。 代表に戻ってきたんです。

そんないきさつで出場したドイツ大会。
ベスト8では、最大のライバル、ロナウドのいるブラジルを破り、準決勝では、ポルトガルに勝って臨んだ決勝。 最後の最後に 頭突きで退場。 チームもPK戦で、敗れました。

ジダンにとって、ワールドカップでの最高の思い出は、1998年の自国開催の大会。
このフランス大会でフランスはワールドカップ初優勝!
決勝のブラジル戦、ジダンは2ゴールを挙げました!

その次のワールドカップ、2002年の日韓共催の大会は、グループステージでまさかの敗退。

で、最後がレッドカードを受けて、チームも敗れて準優勝ですから、まさに、ワールドカップの光と影。 そのコントラストを最もくっきりと体現したのが、ジダン、と言えるのかもしれません。

ジダン自身は後に、こう語っています。

あんな終わり方になってしまったけど、後悔はしていない。
あれも人生の一部。

ほめられたことじゃないとは思うが、良いことも悪いことも、全部含めて僕の人生なんだ。

成功も失敗もあるけれど、すべてを受け入れて前へ進む。
人間味あふれるス―パースター、それが ジネディーヌ・ジダンでした。

ジダンは、現在、レアル・マドリードでアシスタントコーチを務めています。

選手とは全く違うけれど、好きな仕事だ。
まあ、こんなに難しいとは思わなかったけどね。

ジダンは、レアルのオフィシャルサイトでそう語っています。
いつかは、どこかのチームで指揮をとるジダン監督。 見てみたいです。