2013/6/7 フリーペーパー『DICTIONARY』のHidden Story

今週は、今年で 創刊25周年。フリーペーパー『DICTIONARY』のHidden Story。
» DICTIONARY

フリーペーパー『DICTIONARY』。
編集長は、クラブキングの代表で、選曲家の桑原茂一さんです。
桑原さんが『DICTIONARY』を始めることになったきっかけ。
そこには音楽が深く関係していました。

もともと僕は、コムデギャルソンのショーの音楽を1977年から始めて、97年まで20年間やったんですね。
そういう「選曲をするという行為」と、DJカルチャーが、だんだんつながってきたわけですね。
もっと古く言うと、僕はスネークマンショーの選曲をやっていたので、音楽を選ぶという事は、かなり古くから、極端に言うと18くらいから、ずっと無意識のうちに曲は選んでいたんだと思います。

で、それが、クラブカルチャーというものがつながりつつあったので、選曲家という、そのころは横文字の職業が多かったので、それのアンチの意味も含めて曲を選ぶ家、という、まあ、家とつくと政治家とかね、みんな偉そうなので権威に対するアンチもあって選曲に家をつけたんですよね、選曲家って。

80年代。日本における、クラブカルチャーの夜明け前。
『DICTIONARY』の誕生には、そんな時代背景があったのです。
クラブ。DJ。今や当たり前となった言葉ですが、当時は、なかなか受け入れられませんでした。

そういうときに、私たちが、ロンドンからこういうDJが来て、ロンドンの、例えば「ジャズで踊るシーンがあることを伝えたい」と言っても、ほとんどのメディアが、「そのアーティスト聴いたことないんですけど」とか、「日本でレコード売れてるんですか」とか、そういう割と即物的な質問がきて……

僕らもそういう感じでアーティストを選んでいるわけではないので、実際にロンドンで見聞きして現場のシーンを見て、これは日本でもいま紹介したいと思っているだけなので、難しいんですよね。ほとんどのメディアが取り上げてくれない。

なので、メディアが必要だったんです。

ロンドンの熱気を伝えたい。でも既存のメディアは門を閉ざしている。ならば、自分たちで作るしかない。
1988年、フリーペーパー『DICTIONARY』は、そうやって生まれたのです。

非常にバブリーな時代に突入していたこともあって、金で何でも買えるっていう風潮、金を稼がない奴はバカじゃないかと言われる時代だったんですね。
「よく、こんなに儲からない事やってるね」と、良く言われましたけど、僕ら自身も、儲けたくなかった訳ではなかったと思います。お金はあったほうが良いに決まってると思うし、多分、それよりは、金では買えないメディアでありたいというのはあったと思いますね。

編集長の桑原茂一さんへの取材のなかで、たびたび出て来た言葉は、「カウンターカルチャー」、「アンチ」、そして「インディペンデント」。

ディクショナリーというのは、未来を照らす智恵の辞書という意味なんですね。
ここは、伏線としては、1973年からアメリカのカウンターカルチャーマガジンの『ローリングストーン』の日本語版、今、出ている『ローリングストーン』は、僕らがやっていたのとは真逆なメディアになっていますが、カウンターカルチャーにどっぷりハマっていたんですね。

そういったものを日本でやって、2年半ほどやって、大失敗した経験もあるので、そのリベンジも込めて始めたのが『DICTIONARY』ですね。

表紙が、アンチニュークリアでしたね。それが創刊号だったと思います。

フリーペーパー『DICTIONARY』は、ここ3年間、渋谷区神南でディクショナリー俱楽部というスペースを運営してきました。そしてこの4月、神南から千駄ヶ谷へ移転。
» ディクショナリー倶楽部 千駄ヶ谷

『DICTIONARY』が発信し続けてきたのは、多様な価値観。
有名であろうが、無名であろうが、それは関係ない。
いま、熱いものを伝えていく。

黒いハットが似合う編集長は、そう語ってくれました。